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2015年11月17日火曜日

「キングオブスポーツ」




いじめられっ子だった幼い日、人の何倍も人見知りだった少年の日、そんな子を見て荒くれの父は自分の子に強くなれとボクシングを教える。
長男、次男、三男は、父にボクシングを教え込まれる。

ボクシングがずっと嫌いだったと長男はいう。
幼い頃離婚して母の愛情を受けなかった三人の兄弟は父親のために必死にボクシングを練習する。生きていくために、食べていくために、何より父のために、三人の兄弟はボクシングに活路を求める。負けたくない、その一心で接近戦をしない。
離れて打って、勝つボクシングに徹する。

引退を決めたその試合までボクシングは嫌いだったという。
一枚でも多くのチケットを売るためにヒールを演じる。
三人の息子がリングで稼いだファイトマネーは父がバクチですってしまう。
それでも三人の息子は父のためにリングに上がり戦い続ける。
好きでないボクシングを続ける。

それでも三人は世界チャンプになる、栄光は彼等に与えられた。
だがしかし、父は子への愛情過多のためにリング上、リング外でのルールや掟を破る。
そして日本のボクシング界から追放される。
視聴率30%以上を稼ぐ様になった三人の兄弟は世界チャンピオンとなり、そして負けて捨てられる。
日本のリングに上がれなくなった長男はアメリカで世界チャンプに挑戦して熱戦の末負ける。栄光の時代集まった多くのマスコミはいない、付き人もいない。

ベッドしかない小さなビジネスホテルで遠く離れた我が子とネットで語り合い続ける。
何したん、何つくったん、いい子にしとるねんと、一枚でもチケットを売るためには憎まれっ子を演じて盛り上げなアカンねんという。
相手のボクサーに対して心からその無礼をお詫びする。
ボクシングはほんま嫌いやったんやと。負けて引退を決めた試合、初めて納得する迄殴り合った。そして初めてボクシングが好きになったという。
でも再びリングに上がることはない。お父ちゃんのために負けるわけにはいかんかった。勝つボクシングより、負けないボクシングに徹した。

長男亀田興毅、次男大毅、三男和毅、どーしようもない父は良い息子三人を持った幸せ者だ。いじめられっ子を強くしたかんたんやという父の愛情はあふれんばかりであった。
男三兄弟に生まれた亀田興毅に三人目の男の子が生まれた。
新しい亀田三兄弟だ。◯◯ちゃん上手やねぇ、◯◯ちゃんええやないの、と小さな小さなホテルの一室で遠く離れた我が子と語り合う亀田興毅選手には、凶暴さも殺気もなかった。

本当の筋者は決して家庭を持たず子を持たずという。
いざという時ためらうからだという。NHK BSのドキュメントはそんな一人のボクサーと勝負の世界の厳しさをずっと追っていた。
子を持ったボクサーは一発一発のパンチを受ける時、我が子の顔が目に浮かぶという。
途方もない恐怖心が走るという。

フツーの家庭を作りたいと引退を宣言した亀田興毅選手はいう。
ベビーベッドにはその血を受けた三人目の男の子がスヤスヤと寝ている。
この子がリングに上がる日が来るやもしれない。

亀田興毅選手に勝ったチャンピオン河野公平選手もまた、父からボクシングを教わって来た。雑草の様に強く、礼儀正しいスポーツマンだ。ボクサーほど美しいスポーツ選手はいないと私は思っている。キングオブスポーツなのだ。

あなたの仕事は痛いですか、鼻血が出たり、目の上がパックリ割れたりしますか。
仕事に命をかけてますか。

2015年11月16日月曜日

「パリの空の下」




11月15日(日)朝刊より。
「天声人語」「憎しみ」という感情の、手に負えぬ底深さを、ポーランドのノーベル賞詩人、シンボルスカの記よりの書き出し。

「春秋」パフューム、スキャンダル、きゃりーぱみゅぱみゅいずれも若者を中心に人気の高い女性歌手や音楽グループだ。
何だいこの書き出しはと思い読み進めると、13日パリで起きた大規模テロ攻撃を受けたパリバタクラン劇場でコンサートを開いたとあった。

筆洗」「ああ、巴里の黄昏!其の美しさ、其の賑やかさ、其の趣きある景色は、一度巴里に足を入れたものの長く忘れ得ぬ、色彩と物音の混乱である」これは作家永井荷風の「巴里のわかれ」からの引用だ。

書き手の人たちはテロのあまりの凄惨さにジャーナリストとしての視点を見失い、言葉を失い、批評家のような論説となった。グサッとささるペンの刃がない。
情緒的過ぎであった。
各紙の代表的記者は、きっと何をどう書いていいか分からず、まず資料室かなんかに連絡をし、ネタを物色してつなぎ合わせたのだろう。
今更憎しみの感情について書いても仕方ないだろうと思いながら、毛沢東の言葉を思い出した。

“人民の海に潜む”これはゲリラ戦、テロリストたちの教本となった。
どの戦争でも大国はゲリラ戦に勝てなかった。
何故ならば敵が見えない、相手が分からない、地の利、人の利を使い、突如として現れる。私は兵隊ですという姿ではない。

今後日本が狙われるのは分かっていても、手の打ちようといえば疑わしき人間を監視、観察するしかない。外人天国の日本に既に潜んでいるのだろう。
ネットで繋がったISやテロリストたちは、東京という水族館の中で悠々と泳いでいる。
私たちは命令が下されないことを願うしかない。
すでに大国(有志連合)への協力を声高々に宣言している。

昨日午前11時〜1時頃まで江ノ島水族館にいた。ここは親子の王国だ。
これだけ子どもがいれば日本の将来は大丈夫だと思うほどぎっしりと親子がいた。
大好きなクラゲを見た、妖し気で透明であり、淫靡である。
なまめかしく人誘う動きは何より美しい。

大きな水槽の中は正に水族の集まりだ。
イワシの大群、アジの大群、イサキの大群、皆同じ姿だ。
この群れのように人民という海の中にテロリスト族はいるのかと思うと暗黙とする。
いっそサメとかエイのように分かりやすくあればと思う。
底にはベタッと張り付くように。ヒラメやカレイやらがいる。
岩陰や穴の中にはウツボやウナギが不気味に笑っている。

大喚声が上がった。イルカのショーが始まった。
どこかの国ではイルカやシャチのショーは動物虐待で止めるとか。
思えば私たちも仕事というエサをもらうために、必死に芸をしている。
朝どしゃ降りだった雨は、午後すっかり上がり晴天となった。
パリの空の下は血の海であった。

2015年11月13日金曜日

「百貨店大嫌い」



私は二十歳から百貨店の仕事に関わってきた。
その時から私は百貨店はいずれ五〇貨店、三〇貨店みたいにならないと生き残れないと言ってきた。

主に呉服店から始まった百貨店では外商を除いて(一)高級呉服+和装小物、(二)高級家具+寝装寝具、(三)高級紳士服・高級婦人婦、(四)高級貴金属、(五)ベビー服・子供服・おもちゃ、(六)紳士靴・婦人靴、(七)皮革製品、(八)化粧品、(九)地下食品売場、こんな順が出世コースであった。

上司は部下に君ねえ、こんなに成績上げないと地下室行きだよ(地下食品売場)白菜とかタクアン売り場にするぞなどと叱責した。またミスばかりしていると催し場(バーゲン売り場)やデポに飛ばすぞと脅した(デポとは荷物の集荷発送所)。
百貨店=デパートメントには何でもあることが求められていた。
各メーカーから大量のマネキンという出向の人が来ていた(いわば人質である)。
私はそんな百貨店を観ていてその終わりを感じていた。

現在どうだろうか、高級呉服、高級家具、高級寝具、高級仕立服・婦人服などオーダーメイドは姿を消した。あっても目立つことはない。
いわゆる吊るしという出来上がり服(イージーオーダー)だ。
百貨店はブランド品を取り揃えるテナントショップになっている。
パルコがその先駆けである。先見の明はパルコにあった。

今、出世コースは稼ぎ頭の地下食品売場であり、高級時計や貴金属や美術品(主に外商が取り扱う)であり、化粧品やアクセサリー、ブランドを取り扱う婦人服、婦人靴、バッグ類など一階フロア商品担当などが出世コースであるはずだ。

ネット社会、特にeコマースが劇的に流通業界を変えてしまった。
百貨店が百貨店である必要性がなくなった。
ネット上では千貨店、万貨店のように世界中のあらゆる商品が検索され、すばやく手に入れることができる。

1111日中国では独身の日(一人ぼっちの日)自分へのご褒美にeコマースで爆買いする。アリババは値引きを仕掛け一日でなんと18千億を売り上げた。
中国人、台湾人、インドネシア人、タイ人、ベトナム人、中でも中国人の爆買いがなければ東京の百貨店の全部が大ダメージを受けるだろう。

地下食品酒類売り場だけが爆買いに頼っていない。
君ね、全然やる気ないじゃないか、しっかりしろい、そうでないと呉服売り場か家具売り場行きだぞとなる。百貨店は売り場面積で売上目標が決められる。
売り場と売り場は戦いをさせられる。数字、数字でヘトヘトになるまで闘う。
分刻みで売上が管理される。文具や書籍売り場などの担当にされるとガックリとなる。
オムツ売り場に行かされると、オツムがいかれる。
一流品や高級品は各専門メーカーが一等地に次々と出店をする。
百貨店はそれら強敵とも戦わねばならない。
中国人はeコマースで年間50兆円以上も買っている。
すぐに100兆円に近づくだろう。

昨夜家に帰ると百貨店時代の友人から電話があった。30分近く長話をした。私もその友人も百貨店が大嫌いである。出入りの業者さんをここまでイジメるかという体質は変わっているはずはない。休憩室や社員食堂でのおぞましい女性たちの姿も。
そんな女性の姿を追う男たちの目も。まるでデタラメな値段設定も。
そして見るも無残残酷な出世争いも。

10時オープン、いらっしゃいませと深々と頭を下げている姿を見ると、私はいつもプッと笑ってしまうのだ。
但し何人かはこれぞプロフェッショナルという人がいることを付け加える。

昨日の日経新聞朝刊で、三越伊勢丹HD社長大西洋氏は百貨店頼みからの脱却。
今後はデジタル戦略なくして生きていけないと危機感を語っていた。
海外を見つめる視野の広い人材が何より大事だと。

正解です、ずーっと続けて来たビジネスモデルは最早後退はあっても前進はしないのです。ちなみにアリババが何故強いかというと「雑談力」、eコマース上のお客さんは話をしたがるとか、それに対応出来ないと売りに結びつかない。
1111日、本日のeコマースが売り上げたのは168億円であった。

2015年11月12日木曜日

「道」

※市川市東山魁夷記念館より転載



昨日午後一時〜尊敬する坂田栄一郎さんの個展を銀座のギャラリーで観た。
仕事仲間のプロデューサーと。私は二度目だった。
病魔と戦い続け、生と死を行ったり来たりした坂田栄一郎さんのファイトする心は健在だった。

一羽のニワトリ、一羽の蜂、一枚の花びら、死んだ大地から芽を出す草花、白い十字架のような雲、巨木の根に宿した苔たちの輝き、生に対する坂田栄一郎さんの慈悲の目と、慈愛の心が息づいている。十二月六日まで個展は開催されている。

その後一人で東京・竹橋の東京近代美術館に行った。
MOMATコレクション」展を観に。
好きな画家藤田嗣治をオダギリジョーの主演で映画が作られた。
監督は名作「泥の河」「死の棘」の小栗康平だ。
その映画を観る前に、藤田嗣治を観ておきたかった。

白い裸婦や猫の絵も目的の一つであったが最大の目的は、藤田嗣治の戦争画だ。
14点が一堂に公開されるのは初めてだ。65歳以上は入場料が無料であった。
戦時中に描いた画家たちの戦争画は、軍の命令による戦意高揚のためであるが、戦争の悲惨さを残す記録画でもあった。
藤田嗣治の戦争画は、ヨーロッパの名画の群衆表現を戦争画の中に取り入れた藤田嗣治の実験画のようでもあった。

藤田嗣治はパリで評判を呼んで帰国したが、日本の画壇は徹底的に藤田嗣治を叩いた。「麦と兵隊」や「花と竜」を書いた芥川賞作家、火野葦平も同じように日本の文壇で叩かれた。火野葦平の戦争文学は体制的なものだと。
火野葦平はやがて精神を病んだのか「死にます、芥川之介とはうかもしれないが、或る漠然とした不安のために・・・」という遺書を遺して自死した。
一方藤田嗣治は日本を捨てて再びパリに向かい二度と日本の地を踏むことはなかった。

数メートルもある藤田嗣治の戦争画は暗褐色であり、人間と人間が地獄の中で殺し合う。極致を超えた描写力に気分が当然悪くなり、うつ、うつとしたものとなった。
靉光、速水御舟、加山又造など大作家の名画コーナーもあった。

なかでも東山魁夷の「道」を観て救われた。
今まで何度も観ていたが、私の興味の的ではなかった。
日本画自体にあまり心が動かなかった。
花鳥風月に生と死や、人間の業や狂気を感じなかったからだ。

だが昨日は「道」の前に立ち尽くした。緑の中にあるただ一本の道。
戦後初期の作品である。藤田嗣治の濃密な肉弾戦、人間残酷画を観た後だからだ。
東山魁夷はこの道に日本の明日を求めたのだろうか、この道の先に希望があると。
日本画に心が動くようになったのは、やはり年をとったせいかもしれないと思った(入場料は無料だったし)。

だが昨日の朝東京へ向かう列車の中で、隣の四十代の男がフライドチキンをムシャムシャ、ベタベタ食べていた。脂っこい臭いにうんざりした。
五本の指に油がつきまくっていた。私は新聞を読んでいたのだが、大船を過ぎたところでオイ、ベタベタ食うなといってしまった。
マズイ未だ老人になりきれていないのだ。男はチキンを手にポッカーンとした顔をした。
♪〜行きてゆこうよ 希望に燃えて 愛の口笛 高らかに この人生の 並木路…。
東山魁夷の「道」とディック・ミネが唄った「人生の並木路」が重なり合った。
「道」といえば、アンソニー・クインとジュリエッタ・マシーナの名画があった。
今週末に借りて来て観ることにする。