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2018年11月7日水曜日

「しあわせの絵の具」

“正しい結婚”というのがあるとしたら、この映画の主人公二人だろう。実話を題材にした「しあわせの絵の具」という映画だ。借金だらけの兄がいて、意地悪な叔母と住んでいる女性がいる。やせていて、背中は丸くなっている。体はリウマチで、歩くのが苦手だ。歳はすでに40歳位になる。兄は住んでいる家を借金返済のために売り払い、体の不自由な妹を追い払う。叔母も賛成する。女性は家を出て一枚の募集のメモを見る。そこには“家政婦”募集掃除道具を持ってくることと手書きで書いてある。不自由な体ではやく歩くこともままならない女性は、足を引きずり、トボトボと長い道のりを歩き、広い畑の片隅にある、小屋みたいな家に着く。そこには街を嫌い、人を嫌う偏屈な荒々しい男がいた。男はオンボロ車とリアカーに積んだ、割った薪を売ったり、釣った(とった)魚を行商して日銭を稼いでいた。犬が二匹、ニワトリが数羽、電気はなくランプで生活をしている。ガスもないので薪で料理(とても固いパンと冷めたスープ位だ)女性は家政婦に雇ってくれと頼む。男は断る。何度か頼み、屋根裏で暮らすことと、週給25セントならと住み込ませる。小屋の中は汚い。空気も汚い。(網戸がないので閉めきっている。開けるとハエが入るから。)リウマチで指が不自由な女性にはひとつだけ、幼い頃から好きなことがあった。それは絵を描くことだ。女性は毎日男に叱られながら働く合間に、ペンキの缶の中に、持ってきた絵筆を入れて、壁や、ガラス戸や、いろんなところに絵を描く。働いて得たお金で絵の具を買う。(街には長い長い距離10キロを歩いて行く)汚かった小屋に花とか、鳥とか、緑の樹々とか、いろんなものを、絵本のようなタッチで描く。猛烈に雪が降る冬が、一度、二度と訪れる。女性はその風景を粗末な板に描く。小さな板にも描く。屋根裏で一緒に雑魚寝している男は、抱くこともしない。ある日、一人の女性が大きな車から降りてきて、ガラス戸とか扉に描いてある絵を見て、これを買いたいと言う。絵書きサイズ一枚をなんと5ドルで。男はこんな下手な子供のよう絵が、5ドルで売れたことに驚く、と言っても相変わらず荒々しい言葉で接する。ある日一羽のニワトリを締めて、温かいチキンスープを女性がつくる。男の中に少しずつ変化が起き始める。大きな車の女性は何度か来ては、絵を買って行く。そしてその絵のことが新聞で紹介される。当時副大統領だったニクソンが気に入ったと。小屋の前には、テレビ局や新聞社などが連日取材に来る。人が嫌な男は苦々しい日を送る。 そして何年か経ったある夜、男と女性は結ばれる、屋根裏の古いベッドの中で。二人は牧師一人、友人夫婦一組に祝福されて教会らしきところで式を挙げる。月日は経ち、女性の症状は悪化して肺の病となる。オンボロ車に、妻を抱きかかえて、男は街の病院に行く。そしてベッドの脇で初老となった男は息も絶え絶えの妻に、そっと「俺にとっていい妻だった」と言う。その言葉を聞き、永遠の眠りにつく。一つの希望の思い出を残して。昨日深夜から四時少し前まで、この映画を見た。夫婦はどちらか死んだ時、どちらかが何を言うかで、その結婚が正しかったかどうかが分かる。とてもいい映画なのでぜひ見てほしい。さて、私の場合はと考えた時、きっと地獄だったわよと言われるかも知れない。私は人に好かれようとすることが大嫌いである。それ故誤解を生むが、思いのまま、ありのままに行く。相手が分からなければ、それだけのこと。やけに絵が描きたくなった。週末久々に藤沢の画材屋さんに行って50号のキャンバスを5枚買うことにした。来年はきっと個展と、新作映画の短編を発表する。そのためにひたすら働き、ひたすら映画を見るのである。ルノワールも大恩のある大巨匠も、リウマチで体が不自由だが、執念で固まった指に絵筆を持って、日々創作している。

2018年11月6日火曜日

「競売と画廊」

毎月15日は“競売の日”むかしからの決まりが変わっていなければ、今も行われているのだろう。この日は政府公認(?)の土地や建物、ビルやマンションのバッタ市であった。(ずい分日にちが経っているので、今はどうかわからない)つまり夜逃げしたり、倒産したり、怖い人たちに追い込みをかけられた人々が、物件を競売に出す。談合と同じようにこれを仕切る人間がいる。当然人相のいいのはいない。取材のためにそっと入った私も人相が悪いので、全く誤解なくどこぞの若い衆だろうと思われた。××建設、××組、××会 、××商事、そして地面師集団などが集まり、あっとオドロクタメゴローのような、安い価格で競り落とす。当然、当番みたいなのが仕切って、なんらモメることなく競売の日はシャンシャンと終わる。 全てが終わった頃に、役人みたいな人が来て、本日はオツカレさまでしたと終わる。が、ひとたび話がモメると、何人かが東京湾に浮き、何人かが山の中に埋まり、何人かが行方不明となる。これらを動かしているのが、誰かは想像がつくだろう。昨夜「ビジランテ」という映画を見た。脚本・監督入江悠。東映ビデオ製作だった。父親がなまじ広い土地を遺産に遺したために、三人の男兄弟が血で血を洗うことになっていく。秀作の映画である。この映画を見てずっとずっと昔に見た“競売の日”の光景を思い出した。人間の人相は職業によって変わる。「男の顔は履歴書」と言った大親分がいた。金を追う人間は独特の顔に変化する。私は動物的臭いを感じとる。その人間の未来がほぼ見える。そしてほぼその通りになって来ている。ある画壇の大先生から電話があった。銀座の○×画廊で個展をやっている。キミの分を取っておいたよと言った。お菓子を持って行ったが、大先生の顔は悲しい位貧しくなっていた。しかし作品はすばらしかった。絵を買うような人間がすっかりいなくなってしまったのだ。芸術後進国のこの国は終わるなと思った。


2018年11月5日月曜日

「評論家を評論する」

世にはその膨大な蔵書を写真公開するバカな作家や、評論家たちがいる。本のために家を別に持っていたり、家を堅牢にして、建築用のクレーンで本を上げたり、下げたりする。どこに何があるのかわからない。この人たちが、世の貧しい人々のために、何かをしたという話は聞いたことがない。私は読書家は信用するが、蔵書家は信用しない。
もう全て読まなくなった本を、未練がましくずっと置いて何になる。否、買ったけど殆ど読まずに、インテリアの代わりに置いている。あるいは古書店に売る。そんでもって酒など入ると、読みかじりの話をする。評論家という仕事をする人間に多い。決してその評論の責任はとらない。世にはとにかく評論家と言うバカ者が多い。(小林秀雄という評論の神様(?)がいた)あろうことか広告評論家などという救いがたき者もいる。自分でつくってみろと言いたい。教育、文芸、映画、料理、庭園、植物、動物、落語、演劇、など電話帳に載っている職業の数だけ評論家がいる。一部には高尚な評論の方々もいるが、総じて心がけが貧しい。ギャラさえもらえばいかようにも書く。蔵書はいわばヤクザ者の代紋みたいなもので、相手を身じろぎさせる道具に使う。政治評論家などというバカ者たちは、レッキとした主義主張もなく、あっちこっちの政党の議員のパーティーに顔を出して、ジャッキを入れる(空気を入れること、つまりモメるようにする野次馬)映画館をハシゴして、チョイとだけ見て、星三つとか、二つ半とかヒマならいう映画評論家たちのおかげで、苦労してつくった作品の入りに少なからず影響する。音楽評論家というのも、いい加減だ(吉田秀和なんて凄い人もいたが)もうかなり耳が遠くなっているのに、ある演奏会の評論を書いて、不出来だったみたいに書いてその存在を知らしめる。実は聞いてなかった。これらの人間のポートレート写真のバックには、これでもかと本棚に本がある。過日とある著名評論家の蔵書の大移動の映像を見た。クレーン車が出動していた。この頃すっかりその存在感はない。その逆にこんな映像を見た。一人の文豪の家に取材カメラが入ると、蔵書なし本棚も一つもなし。あったのは小さな文机の上に、原稿用紙と文鎮と、万年筆とインク壺、それとある辞書が一冊のみ。そして座布団一枚。そうだなもう何年も本というのを一冊も読んでないなと、言った。かなり芝居がかって見えたが、かくあるべしと思った。先夜ある評論家と食事を共にした。人のことは言えないが、そのオソマツな人間性に呆れ果てた。自宅以外に蔵書を置いている家を持っているとか。 ただ酒をよく飲み、よく食べやがった。ご友人・知人に高尚な評論家がいる方には、お許しを。(文中敬称略)

2018年11月2日金曜日

「セールス、広告お断り」


先夜かねてよりこんなヤクザな私とお会いしたいと言う、私立大学の教授(マスコミ情報学(?)を教えている)と、そのお弟子さんの二人と、焼き鳥店で会った。21世紀の広告について、とか現状についてとか言った。バカバカしい時間だった。 教授、かつてはセールスや広告お断りと貼り紙されていたヤクザ業界ですよと言った。そもそも堅気じゃない世界ですから、十分に気をつけて本を出版された方がいいですよと言った。私は場末の芸者、されど高級クラブなどで、出版社にたかりただ酒を飲む小説家風情には決して負けませんよと言った。二流の小説家、特に歴史小説とかは、神田古書店をまわり、資料という名の“アンチョコ”を探す。著の後ろにこれでもかと、 資料として利用した本の名をズラズラと書く。最近人気の“新進歴史学者(?)”が、幼い頃から古文書に親しみ、歴史に残る古文を読み解き、いろんなテレビ番組で能書きを言う。そもそも歴史の古文書なんざは、勝者たちが都合よく書き換えたものである。きっといい奴なのだろうが、鼻につくので(つまり古文書を読める、自分の意見こそが正しいと)きっといつの日かギャフン、ギャフンにしてやろうと思っている。ウソ八百は私だが、ウソ八千みたいに骨董を評価する地面師みたいな、古物商たちがいる。一度その仲間同士のセリを見ていて、言葉を失った。2000円とか、3000円で競り落とされたのがん十万円となり、のショーケースに、骨董品として展示される。(旧大名、旧華族たちの品だ)私は思う、骨董屋は地面師みたいな悪党ではと告界におけるCD(クリエイティブディレクター)の役目とは、なんて言うから、CDなんて記号は、中日ドラゴンズのマークですよと言った。ぼんじりとか、皮とか、厚揚げとか、ギンナンを食べていた女学生は、私の言い放った、ギャグがわからず、メモをとっていた。ところで君は広告屋さんになると聞いたら、全然違います、バイオを研究しているのですと言った。なんで一流大に入り、広告研究なんかしているのと聞いたら、ここがいちばん入りやすかったんです、と言って笑った。あっそう。ここの親子丼最高だよ、食べると言ったら、ウレシイーと大声を出した。いけません、ここの料金は大学の研究費で支払いますと言った。随分つまんないことに金を使うのですねと言ったら、実は今、僕のゼミは人気なんですよと言った。歳はもうすぐ定年だろう。広告なんてものには、何ら定義も法則もない。上下巻1000ページの歴史小説より、わずかな数文字のほうがはるかに、人の心に届き、人の心を動かす。小説は誰でも書ける。(上手、下手は別として)が、社運をかけた、数文字、数行は絶対に書けない。

「焼き鳥」の画像検索結果

2018年11月1日木曜日

「まともな男」

「最善の敵は、善である。」ある偉い人の言葉である。自分流に解釈すると、情は人為ならずとか、人の為によかれとか思い過ぎて、やったことがかえって、大間違いになる。昨夜帰宅した後、スイス(だと思う)映画「まともな男」というのを見た。善意の塊のような男が次々と災難に巻き込まれて行く。男はとある会社の PR 関係の仕事を10年近くしている。美しい妻は小説を書いている。15歳になる娘が一人。休日を利用して上司の娘をスキーに誘う。自分の娘と同じ15歳の美少女。自分の娘はそれほど美人ではない。男は酒が好きであった。過去に酔って大嫌いな同僚の車に、自分の車をぶつけてしまう。その頃、妻ともしっくりいってなくイライラしていた。と、セラピストの女医に言う。事故を起こした原因を知るために、セラピーを受けさせられていた。この事は妻に内緒であった。で、男は禁酒中であった。上司の娘と家族四人で、別荘(小さなヒュッテ)に着くと、電気がつかない。管理を頼んでいた友人のところに行く。そりゃすまん、息子にすぐ行かせるとなる。息子は17・8歳の未成年であった。さあ〜電気がついた。息子は週末にパーティーがあると言った。思春期の娘二人は、パーティーへの参加を両親にせがんだ。そしてパーティーの夜、上司の娘は友人の息子にレイプをされる。(そのシーンは見せない)上司の娘にとっては、初めての経験であった。自分の娘にあのアバズレが、とそのことを聞かされる。男は、友人宅に行ってレイプの事を言う。娘が警察に行ったら友人の息子の人生は台無しになる。上司の娘は薬局に行って、アフターピルを買うと店内に入るが、16歳未満は売ってくれない。病院へ行くように言われて車に帰ってくる。男は仕方ない自分が父親になって頼んで薬を買う。しかし処女を失い傷ついた上司の娘は、レイプは許さない、警察に行くと言う。私はキスをするのは許したが、SEXは断ったと言う。もし警察に訴えられたら、自分はクビになると思う。が、正義感のある男は友人宅に行き、 息子に上司の娘に謝罪しろと迫る。ふざけんな尻軽娘とは合意だったと、友人の息子は言う。夜、別荘のベランダでそのことを上司の娘に言うと、娘は、泣いて後ずさりして階下に落ちてしまう。男は病院に運ぶが意識不明、上司の男とその妻が病院に来る。男は未成年の少年の将来、上司の娘の将来を考え、どうしてもレイプの件が話せない。妻はそんな男を見て、もはや内緒にしておけないと言う。怒る友人、合意の上だと言い張る息子。二人は車で街に向かう。雪の中男は禁酒していた酒をゴクッゴクッと飲んで追いかける。何としても問題を大きくしないで少年少女を守りたい。怒った男は生意気な息子をビンで殴ってしまっていた。最善の友だった仲は、最悪の仲となる。息子の傷を医者に診せるために街に向かう車を追う男。 一気に飲んだ酒が効いてきて、スピードを出しすぎハンドルを切り損ねて、友人の車に追突する。車は雪の中、崖の下に落ちてしまう。男はもう心身ともにヘトヘトになって別荘に帰ってくる。ずっとスキ間風が吹いていた夫婦が抱き合う。一人で抱えていてはダメよと。映画の題名「まともな男」の果てしないアクシデントの行き先は(?)映画はそれを知らせずに終わる。セックスレス、ケンタイ期の夫婦、思春期の子を持つ人は是非見てほしい秀作である。人間とはどんなに善意ある行動をとってあげても、相手それただの善意と思、 次の善意に関心は移る。「最善の敵は、善」なのである。文豪夏目漱石は終生、知人、友人、身内親類の金の問題に悩まされ、ストレスで胃潰瘍になり早死にした。まともな男は、貧乏くじを引く。世の中はまともではない。


2018年10月30日火曜日

「母と子のドラフト」

長い人生の中、プロ野球選手たちとの交流は多く、今でも続いている。元選手たちはコーチになったり、二軍監督になったり、スカウトになったり、選手の首を切ったりしている。プロ野球の選手とは、すでにベンチに入っているだけで天才である。大敵なのが怪我と気持ちの弱さである。選手寿命は短い。セリーグで優勝した広島カープの新井貴浩選手でも41歳だ。(今年で引退する)天才野球少年たちの人生は、ドラフトというくじ引きで決まる。仮に18才でプロ入りして、41歳まで活躍しても、実働23年である。まるで鉄の固まりのような、ボールを投げて打つ。当然体中のアチコチを痛める。入団してもわずかで、野球生活を終える選手の方が断然多い。全国から集まった天才野球少年たちを待つのは、過酷な大人社会だ。このガキが活躍したら、自分の出番はなくなる。イジメ、イヤガラセ、軍隊のような寮生活が待っている。(この頃はパワハラとなるのでかなりやさしいらしい)
母子家庭で育った一人の高校野球少年がいる。母は朝も、昼も、夜も働き、息子のプロ入りを夢見る。息子はプロに入って母に「家」を建ててあげたいと、まい日朝4時から練習する。それを手伝うのは一人の老監督だ。朝からバッティングピッチャーをして教える。引退間近の監督は、一球一球愛情を込めて投げる。野球少年は、今年ドラフトで選ばれなかったらプロを断念する決意をしていた。ドラフトで1位に選ばれた選手が、期待通りに活躍するケースはそう多くない。むしろ少ない。夢の甲子園に行くまでに、肉体がボロボロになっているのだ。大学に進んでも、全国から集まった猛者の前では、ただの一年生でしかない。徹底的に成長の芽をつぶされる。(何故なら頭角を現したら、それだけ自分の道が狭くなる)そんな中、数少ない人間がスターとなる。 そのスターの座も、絶えず追われている。幸い母子家庭で育った野球少年は、ドラフトで選ばれた。お世話になった母に「家」を建てますと力強く言った。ガンバレ応援しているぞ。入団したチームはDNA横浜ベイスターズ。選手の名はあえて伏す。


2018年10月26日金曜日

「東京は遠かった」

♪〜ち、ち、ち、ち、ち、ち、ちち。僕の恋人 東京へ行っちち 僕の気持ち(心だったかな)を知りながら なんで なんで なんで どうして どうして どうして そんなに東京がいいんだろ 僕は泣いちっち 横向いて 泣いちっち 淋しい夜はいやだよ 僕も行こう あの娘の住んでる東京へ・・・。その昔三人ひろしという人気歌手がいた。「守屋浩」、「かまやつひろし」、「井上ひろし」だ。このやたらに、ち、ち、ち、が出てくるのは、守屋浩の大、大ヒット曲「僕は泣いちっち」だ。ホリプロダクションという、大手芸能プロダクションがあるが、その基礎は「守屋浩」が築いたと言っても過言ではないだろう。ホリプロ初代社長の堀威夫は、守屋浩の恩を忘ればずっと役員にしていたと聞いた。今、なぜこんなことを書くかと言うと、過日乗った列車の中で、70代中頃のオジサンが車窓を眺めながら、その歌を口ずさんでいたのだ。私の胸はトキメイた。話しかけるべきか否か悩んだ。おじさんはなかなかいいスーツを着ていて、靴がよく磨かれていた。持っている茶色の鞄もかなりの代物に見えた。列車が平塚橋を渡るころ、鞄の中から小田原名物鯛めし弁当を出した。その間もち、ち、ち、ちち、僕の恋人 東京へ行っちちを口ずさんでいる。小田原の鯛めしといえば、うす桃色の鯛おぼろが大半を占める。オジサンがゴフォンとせきをしたら、鯛おぼろが少々飛んだ。私は思い切って、スイマセンなんで守屋浩なのと聞いたら、詳しくは言えない。いろいろあったんだと言った。十代の時はじめて東京に来た時、本当に東京は遠かった、と言った。東京って何なんですかね、私は嫌いなんですと言って。鯛おぼろを口にした。口周りに鯛おぼろがついた。“井上ひろし”の「夜に咲く花」もよかった。♪〜及ばぬ恋とあきらめました。だけど恋しいあの女性よ ままになるなら もう一度 一夜だけでも・・・。こんな歌が生まれない時代になってしまった。“かまやつひろし”の歌は、♪〜下駄を鳴らして奴が来る 腰に手ぬぐいぶら下げて・・・。確かそんな歌がヒットした。昨日深夜一枚のFAXが届いた。高校一年の時の同級生からだった。なんでも野球部の同窓会があって、そこに一人の先輩が来た。その先輩と私が縁浅からぬ仲だったと知ってビックリした。で近々会おうぜと書いてあった。あの頃、「僕は泣いちっち」が流行っていた。(文中敬称略)


2018年10月22日月曜日

「赤いリンゴ」

植物や生き物たち、そして季節を告げる鳥たち、彼等の変わらぬ営みには到底私たち人間はかなわない。
数千キロを飛んで来る鳥たちを見ると、自らの苦労などと比べようもない。
マイナス50度の中、我が子(卵です)をじっと一ヶ月以上温める皇帝ペンギンの父。
どうしてこんなに動きにくい体型になったのかと思うペンギン。
母親ペンギンはトボトボと海を目指す、そしてやっと食べ物にありつき、体いっぱいにためて、ひたすら”夫ペンギン”とその子のところに辿り着く。
途中で死んでしまうのも多い。
膨大な数がいるのに、夫と我が子を間違えない。
何も食べずに”妻ペンギン”を待つ。こんな夫婦愛と親子愛は、現代社会では、夢物語だ。
今年も小さな庭に秋から来年三月まで、置いた赤いリンゴを食べに来るいつもの鳥が来た。どうしてリンゴがあるのを知っているのだろうか。遠い鳥の国に帰った鳥が、教えたのだろうか。
スーパーに行って一袋に六個、350円を持ち帰った。
何故だか緑色のリンゴは好まない。柿やミカンも、バナナも好まない。
♪~赤いリンゴに口びるよせて…。こんな古い歌を口ずさんだ。
私は未だ未だ苦労が足らないのだ。金曜日まで400字のリングは、休筆です。
長い書き物に挑戦中なのです。

2018年10月18日木曜日

「パワハラの定義とは(?)愛」

昨夜、というよりは本日午前一時チョイ前、パワハラの定義について、イロイロとテレビで出し合っていた。昨日夜、かつて私のところで働いていた二人の男がそれぞれ新しい会社に入り、その入社祝いをやった。一人は大手広告代理店の映像部の部長になっており、一人は大手外資系広告代理店のスーパーバイザーになっていた。立派になった二人をみてうれしくなった。二人とも入社時は、右も左もわからない新人だった。(一人は少しキャリアがあったが)映像部門の会社に入って来た。その会社とは今、私はいっさい関係はない。ただ何人か新人として入って来た男が、立派な役員となっている。さて、パワハラについての定義だが
バカなことをやったら、バカヤロー、チンタラチンタラやっていたら
バシッとしろバシッと。つまんない案ばかり持って来たら、全然つまんねえんだよ、お前この仕事向いてないから他の仕事考えな。ちゃんとしたあいさつができなければ、ちゃんと立ってあいさつしろ、もっと大きな声で返事しろ、相手が電話切らない内に、電話を切るんじゃねえ、えっ、何、土、日、休日も出てがんばりました。それでこんなの、まったく理解してないんじゃないの、時間をかけりゃいいってもんじゃないんだよ。もう時間がないから俺がやる。ガァ〜ン、ボコボコ、パチン、ゴツン。痛い何すんですか、オマエそれでもプロ目指してんのか、映画見てるか、美術展行ってるか、新聞位読んでんだろうな、えっ新聞とってねえの、落語とかライブコンサート行ってるの、一日中机にへばりついてんじゃないんだよ。オラー気合い入ってんのか、立派になった二人はまい日こんな中で育ったのです。激しく怒り、激しく育てる。それが現在ではパワハラになって、労働基準局かなんかが調査に来て、業務停止になる。私は歳と共に丸くなり、やさしくなった。そう言う人にも多い。ある格言がある。「時間のない仕事は、いちばん忙しい人に頼め」何故か、言うまでもない。仕事がテキパキ速くできて、誰よりすぐれた仕事をするからだ。チンタラして、ブータレて、ノーガキばかり言っている人間に、それってパワハラです!なんて言う資格はないと思う。根性出して独立した人間を見ていると、見違えるように立派になっている。なんと映画に大金を出資してくれた強者もいる。一人、二人、人を使うようになると、人を使いながら育てるっていうのは大変ですねと。そう言うほど成長している。昨日昼、かつて私のところにいた男が、近所に来たからとか言って、ずーっと前に送った(勝手に選んで)本の代金を持って来てくれた。きっと私がいないからと、とてもいい手紙が封筒に入っていた。余分にお金が入っていたので、500円の借りだ。少しだけ顔を合わせた。オッ、オッ、元気か、うれしいことにいい顔つきになっていた。あとで会社の人間に聞いたら、何人かスタッフを使って立派に会社をやっているとか、こんなウレシイことがあるから、がんばって行けるのだ。私は会社にいてくれる人、退社して外にいる人、等しく仲間だと思っている。とてもお世話になっているのだ。すごく迷惑をかけているのだ。パワハラの定義はきっと会社というものがある限り、分からない。正しい答えはない。愛のムチ、愛の無視というのもある。バッコ、バッコの、ボッコ、ボッコ。今はもう思い出話であった。昨日午後二時〜、台東区生涯学習センター2F、ミレニアムホールで、浅草活弁祭りがあり、“麻生八咫(アソウヤタ)”父娘の活弁を見た。この感動は後日詳細を記す。300席のホールは、満員で立ち見の人が10人位いた。無声映画の名作であった。ぜひにと案内状をいただいた。過日あるイベントで無理もお願いした。文部大臣賞を活弁で受賞した名人である。もの凄い熱気であった。

2018年10月17日水曜日

「凶悪」

「地面師」がイモズル式にパクられた(捕まった)。映画「凶悪」で、“リリーフランキー”が怪演したのが地面師である。 映画ではヤクザ者の男から、“先生”と呼ばれていた。現在無期懲役で収監中である。何人も殺しているのだが、殺人に関しては一件しか立証できていない。その先生の使いパシリをやっていたのが、ヤクザの中でも、あまりに凶暴なことで有名な、一人の親分だった。確定死刑囚なのだが、何人も何人も、山に埋めたり、住宅を建てる土地の下に埋めた。分かっているだけで、五人らしいが、実態は分からない。死刑を少しでも遅らすために、小出しに遺体を埋めたことを話し出す。当然警察は遺体を発掘する。証言通り出て来ると、それについて追捜査するので、死刑囚の執行はできない。映画では、“ピエール瀧”が怪演していた。いかなる暴力団、ヤクザ者も“地面師”は、ヤバイ存在なので手を出さない。ヤクザ者たちは、地面師のパシリとなり、報酬を求める。「地面師」はその土地のルーツというか、歴史をスミからスミまで知っている。つまり「その土地」の歴史を。代々、代々、代々と、その土地の歴史を調べて、筋書きを生んで行く。戦国時代の前から、太平洋戦争にかけて、日本の土地の登記書などは焼失した。元華族などは身分を廃止され、生きて行くために土地を手放した。空襲などで住んでいた家の主が死んでしまった。駅前の一等地は、当時第三国人と言われた、中国・台湾・韓国人が、ここは“勝者”のオレたちの土地だと好き勝手に奪い取り合った。東京の駅前をはじめ繁華街のいい土地は、第三国人のものとなった。それは現在にも続いている。駅前開発は地面師との、戦いでもあった。知人だった元刑事は言う。よく身元不明の人間が、山の中から白骨遺体で出て来たり、海からバラバラになって出て来たり、突然変死したり、自殺に見せかける。それには、たいがい地面師集団がからんでますよと。地面師はリーダーらしき者がいる。その下にいろんな役目がいるのだが、その実態は複雑で本丸に行き届かない。地下の地下の地下にいる、黒い生き物なのだ。詳しく知りたい人は、映画「凶悪」を見るといい。人間という生き物の本質を知ることができる。金という「エサ」を食べて行くために、人間は地球上でいちばん凶悪となる。