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2019年10月15日火曜日

「10月12日台風19号の日」

私は極めて不謹慎な人間である。10月12日(土)台風19号の襲来で、外出不能であった。2時から4時、いつも来てくれる鍼灸の達人が、メンテナンスに来てくれるのを、体中で待っていた。朝、電話が達人から入った。平塚に住む達人の家の裏に、河内川があり、そこが予報ではかなり危険になる。お子さんが三人いるので守らねばならない。当然だ、いいよ大丈夫だよ、応えた。で、仕方なく一日中マットレスの上で横になり、ゴロゴロしながらテレビのニュースをずっと見ていた。台風はまるで生き物のように、愚かな文明社会の中で生きている我々人間に対して、襲いかかって来る。特異な島国、山林の国、人間の体を支配する毛細血管の血の流れのように流れる、川の国。島国は海に囲まれ、山には火山が連なり、海底には地震帯がびっしりとある。いつでも怒り狂ってやるぞと凄んでいる。テレビを見ていて本当に「川」が多いなと川の名を見る。不謹慎に川の名からいろいろ感じた。大相撲の力士名はたくさんある。山とか、海とか、岩とか、花とか、錦とか、イロイロあるが、今いる関取の名で川がつく名の力士はいないなと。むかしは「清水川」という力士がいた。千曲川(長野では信濃川)と言えば、「五木ひろし」の名曲があったな。荒川といえば、「王貞治」を一本足打法にした名コーチの名だ。早川といえば、我々の業界の先駆者「早川弘」さんというグラフィックデザイナーがいた。そういえば多摩川に出没していたアシカの“タマちゃん”はどうしているのだろうか。善福寺川といえば、むかし私が住んでいた東京の杉並区を流れていた。住んでいた近所にあった教会の、外国人牧師が殺したといわれた“スチュワーデス殺人事件”を思い出す。牧師は日本から逃亡して迷宮入りとなった。死体が善福寺川に浮かんでいた。玉川といえばやはり「太宰治」の心中を思い出す。マズイこんなことばかり考えていては、川があちこちで氾濫しているのに。「氾濫」といえば、むかし読んだ「伊藤整」の大ベストセラー“氾濫”を思い出す。主人公の一人である大学教授は、私が育った東京都杉並区荻窪に住んでいた。荻窪といえばやっぱりラーメン。丸福の親子はどうしているのだろうか。この店以上のラーメンに未だに出会っていない。でも春木屋がある。イケナイマズイこんなことばかり考えてしまう。藤沢にある小さな川、引地川に放流してあげた、一匹の金魚は無事だろうか。近所にあるマンションにアライグマが出没したと聞いた。友人からの手紙で、武州三多摩、あの新選組の「土方歳三」と、RCサクセションの故忌野清志郎が育った、日野市にもアライグマやハクビシンが出没したらしい。その駆除に30万円ぐらいの費用が、かかったとか。久々に浅川という名を聞いた。歌手に「浅川マキ」さんといういい歌い手がいた。それにしてもNHKの天気予報士「斉田季実治」さんは、無感情、無表情だ。きっと風速100メートル以上が吹いても、きっと“タンタン”とカンペを読むだろう。“少しでも命を助ける”ようにと言うが、“少し”の領域がよく分からない。やはり日本人には“防災学”を子どもの頃から学ぶことが必要だ。台風はこれからも、毎年ジャンジャンやって来る。それはどんどん強大化していく。地球温暖化のせいだ。恐い顔で訴える、スウェーデンの環境家グレタ少女のいう通り、世界中のオトナたちは、ブッタルんでいるのだ。私もその一人。
(文中敬称略)



2019年10月11日金曜日

「胸が乳房に」

人間は夢や希望を持つと胸がふくらむと表現する。オレも若い頃はノーベル賞を目指して胸をふくらませたよとか。アカデミー賞とか、芥川賞とか、運動会の徒競走で一等賞とかもある。初恋に胸をトキメカせて、路地の電信柱に隠れてそこを通るあの娘をドキドキと見送る。人間は胸に感情を宿すのだ。胸がふくらむでもこんな記事を読むと思わず手にした薬をポロポロと床に落とす。「米J&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)に8500億円賠償を命じる評決」と3段組の記事の見出し、小見出しに、「抗精神病薬副作用」ニューヨーク共同発、10月9日東京新聞夕刊。米東部フィラデルフィアの裁判所の陪審員は8日、抗精神薬「リスパダール」副作用で胸部がふくらんだと主張する男性が、米医薬品大手ジョンソン・エンド・ジョンソンを相手取った訴訟で、J&Jに80億ドル(約8500億円)の支払いを命じる評決を出した。ロイター通信が報じた。米メディアによると、リスパダールを巡る訴訟は13000件以上あり、これまでで最大の賠償額。J&Jは上訴する意向を示している。原告の男性は、医師に処方されたリスパダールを服用後、乳房が発達。J&Jが薬の副作用の警告を怠ったと主張していた(東京新聞より抜粋)。この記事を読んで、ずっと前に見た「サル」という映画を思い出した。サルとは新薬開発のため治験に応じたアルバイトの人間への呼び名だ。治験者募集の広告は時々ある。バイト代はかなり高い。新薬の治験なので、どんな副作用がでるかを追う。サルになるためには、たくさんの同意事項に同意しなければならない。大学病院で大手術や難手術のときもたくさん同意しなければならない。「サル」という映画では、若い男女や、中年たちが治験に応じて薬を服用しつつ、同じ場所で生活をする。一週間、十日、二週間、サルたちはそれぞれ副作用が出始める。去る者は追わずとはならない。サルは去ることができない状態になり、やがてとんでもない世界が生じる。新薬を生むということは、鉱山で金を見つけるよりも難しいと言われる。私たちは多くのサルのおかげで、病気を治してもらっていることになる。今日も日本中で新薬の治験がアチコチで行われている。難病を抱えている知人や友人、恩人にとって、その病気が治る薬が生まれるとしたら、胸がふくらむ思いとなるはずだ。東京新聞の記事を複雑な思いで読んだ。私のタチの悪い性分を治す薬は出ないか。一錠で6、7時間ぐっすり眠れて、パッチリ目覚められる薬は出ないかと思う。少々胸がふくらんでオッパイになってもかまわないから。昨夜、東北のご住職から送っていただいた、新サンマを食した。サンマは開きばかり食べていたので、脂がのった新サンマのお刺身と全身(塩焼き)は旨かった。スリ身はダンゴ状にして、おすまし汁に。最高だった。東北のご住職の話は後日に。すばらしい人格と熱情の人、そしてやさしい奥さんだ。

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2019年10月10日木曜日

「大スター、石原裕次郎の初主演作は」

私の少年時代はチェッカーズが歌った「ギザギザハートの子守唄」みたいだったが、荻窪駅西口の“日活パルサス”に行けば、ギザギザの刃物が竹細工の刃のようになった。心が全面的に解放されたのだ。それは石原裕次郎という異星人に会えたからだ。全作品を観た。同じ映画を続けて5日間観たこともある。10月7日の東京新聞夕刊を読んでいて、ハタと大きな見出しに目がいった。映画の隆盛『狂った果実』であった。(ほさか・かずし=作家)この人が『狂った果実』の中に出てきた。夏の間だけ神奈川県の逗子海岸にあった遊園や「コニーランド」の出るシーンを「移動遊園地」だと思っていたという記憶の話であった。この作家は映画史に詳しい伊藤彰彦さんから、『狂った果実』上映に対する数々の疑問を聞いたようだ。石原裕次郎のデビュー作といえば、兄石原慎太郎の芥川賞受賞作「太陽の季節」だが、この作品ではチョイ役であった。初めて主演したのは『狂った果実』だ。この映画は1956年(昭和31年)公開であった。作家は1956年生まれだった。逗子は米軍基地のある横須賀から電車で10分だ。作家はふと考えた7月12日に公開されたのに、夏の海岸風景が映っている。夏の海岸シーンは前年に撮ったのか。あるいはセットか。「太陽の季節」の公開は5月17日だ。『狂った果実』は「太陽の季節」の大ヒットを受けて撮った、と言われているのに、2つの公開は2ヵ月も空いていない。伊藤彰彦さんが説明をした。『狂った果実』は「太陽の季節」の大ヒットで急遽作った。撮影日数は通常30日のところ、22、3日だった。セットも通常の半分の6、7杯(セットはこう数える)。逗子海岸の移動遊園地のシーンは6月下旬に撮ったものと思われる。コニーランドは夏季限定だった。当時の映画屋は今どきで言えば、超ブラック企業の社員だった。きっと徹夜、徹夜、半徹、徹夜、徹夜、半徹、徹夜、まさに日月火水木金金であり、休む日はなかったはずだ。みんな映画大好き人間の集まりだった。人間、大好きな仕事なら、ブラックだって、超ブラックだってかまわない。パワハラ大好き、セクハラ当然、モラハラだって関係ない。こんなことを書くと私はパワハラと言われると思う。ここに書いているのは、映画界全盛時代に映画屋が山ほどいて、他社との競いをしていた。そんな中から不出世の大スター、異星人石原裕次郎という大スターが生まれた、というより宇宙からやって来たことだ。私は作家よりも年配者だから、「太陽の季節」の封切りからすべて見ていることになる。東京新聞の記事から抜粋をしアレンジして書かせていただく。「ほさか・かずし」さんに会って、石原裕次郎の映画談義をしたいと思った(調べてみる)。この場をかりて久々に映画屋を思い出させてくれた御礼を言う。日活サイコー。タフガイユーちゃんサイコー。猛烈な台風が近づいてきている。「風速40米」という題名の映画がある。台風に向かって、ユーちゃんは歌うのだ。「何! 風速40メートル、ふざけんじゃネエよ」。そして歌う。♪〜 風が吹く吹く やけに吹きゃがると 風に向かって 進みたくなるのサ……♪。当時、風速40メートルと言えば、そんなのないよと思っていた風だ。千葉県で台風15号の被害に遭った人々に、どうか猛烈な風と雨が再び襲いかかりませんようにと願う。週末はTSUTAYAに行って『狂った果実』と「風速40米」を借りてきて見ようと思っている。「天下を取る」と「錆びたナイフ」も。全作大ヒットだった。(文中敬称略)

2019年10月9日水曜日

「悪口本」

サラリーマンの夜の楽しみと言えば、ちょいと一杯と居酒屋に集まって、会社の悪口、上司の悪口、その席にいない同僚の悪口、取引先の悪口だ。スミマセン、冷奴と枝豆、オレはサバの焼いたの、オレはマカロニサラダ、オレはモロキュー、オレはシラスおろしと刺身三点盛、オレはブリのカマ焼きなどなど、好き好き頼んで、まずはビールで、まずはウーロンハイで、まずはハイボールで、まずは日本酒でとなる。草野球をした話、ゴルフに行った話、釣りに行った話、女房とケンカした話、腰とか痔が痛いとかの病気の話。あ~だ、こ〜だと話が弾んで、小一時間、酒が体に注入され、その効果が出始めると、一人ひとり会社や上司、同僚への悪口大会の開始となる。あいつはヨォ〜もともと何もできなかったのに、あの人をヨイショしまくって出世したんだ。バカだよバカ、自分じゃ何もできないんだから。あいつはヨォ~、パクリ屋だぜパクリ屋、自分じゃ何も考えられないくせに、若い奴の提案のいいとこ取りをしてやがんだ、ゴミだよゴミ。あいつなんかヒドイよ、自分で飲み食いした伝票を会社の経費に入れて込んでいるんだぜ、ダボだよダボ。あの会社のあの人は滅茶苦茶だよな。どうなってんだよ、あの会社。上がダメだから下のヤツまで無礼者ばかりだ。見積りを安くしろ、安くしろって値切るばかりだからな。高いゲタをはいてんだろうなんて平気でいうもんね。あんなガキにウチのあいつは、へいこらしてんだから、悲しいね。悲しい。下請けはつらいよ、バカヤロー。と、まあこんなかんじになると、もうどうにも止まらない。ギョーザまだギョーザ、なんて頼んでない品の名を言い出したりする。日本国の経済は、こんな人たちのがんばりで持って来た。最近の若いのはヨォ~、すぐパワハラだ、セクハラだ、ブラックだなんて言って文句ばかりいいやがる。モタモタしてっからこうしろって言っただけなのに始末書、いつもブスッとしてるねと言ったら始末書、まだ7時だ、あと2時間で今日中にやってしまおうと言ったら始末書だ。やってらんねえよ、何が働き方改革だっていいたいよ。これからの日本国はこういう人たちのがんばりが必要なのだ。「彩図社」刊の「文豪たちの悪口本」というのを旅の途中で読んだ。これは文士たちが、文士に対して言い放ったり、書き残したり、書き送ったりした、赤裸々な罵詈雑言を集めた本だ。中原中也という詩人はかなり酒グセが悪かったようで、太宰治に対して、なんだ、お前は、青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。永井荷風は、菊池寛の如き売文専業のなすところと菊池寛を嫌い、その菊池寛は「ゴシップ本能は、人間の必要な本能の一つである。人間が二人集まれば、会話の三分の二まで人の噂である」と言う。大文豪同士も言葉のボキャブラリーと表現力の差はあれ、会社員の居酒屋と同じである。現代社会はネット上で悪口を言うという卑怯な方法が多い。悪口は本人に向かって言い合うほうがいい。その後、何が起きるのかは予測不明だ。鼻血とか、歯が折れたりとか(?) 



2019年10月8日火曜日

「A・McQUEEN(アレキサンダー・マックイーン)」

真の芸術家は正気ではない。正常でなく、正直でもない。狂気と異常と虚実が芸術家を興奮させ、そこから誰もなし得なかった芸術が生まれる。真の芸術家は等しく不安神経症であり、パニック障害を持ち、鬱病と躁病が交差する。純粋と混沌が水と油のようにせめぎ合う。そして、ある者は酒に、ある者はドラッグに、ある者はSEXに身を沈める。芸術家は人間不信であり、尊大であり、しかし野心に満ちている。栄光ある日々は朝陽のように短く、破滅はつるべ落としの夕陽のように速い。昨日夜、待望の映画をレンタルして来て見た(上映見逃した)。アレキサンダー・マックイーンのドキュメンタリー映画だ。モード界の反逆児イギリスが生んだ真の芸術家、真のファッションデザイナーだ。栄光と破滅の人生は、真の芸術家にふさわしい。ロンドンのタクシー運転手の息子として生まれたマックイーンは、これといった専門的教育を受けていない。語学もできず、何の資格もない。ファッションの世界も、画商やパトロンに見出された画家と同じで、その才能が絶えるまで、徹底的に働かされる。年に14回のショーをさせられる。ランウェイを演出するのは、毎回斬新さと、冒険と野心とアイデアと気知に富んだ、舞台公演をするのと同じだ。才能は疲れ切る。莫大な金を手にしても、それはリポビタンDぐらいしか効果はない。名誉と金を手にした者は、失うものも大きく、より残酷である。ファッションデザイナーに同性愛者が多いのは、異性では理解されないからだろう。真に癒されたいと思うから、同性を求めるのだと思う(私はその気がないから想像だ)。20代ですでに最高の栄誉の数々を手にし、ジバンシィに招かれ、やがてジバンシィをサヨナラして、グッチに招かれる。最高の栄誉を手にするまでに、実はたくさんの恩人がいた。マックイーンの才能を見出した女性(イザベラ)がいなければただの縫い子か、フツーのデザイナーで終わっていたかも知れない。マックイーン自身がいちばんそれを分かっていた。マックイーンはマジシャンだと言う人もいる。すべてが魔法のようなランウェイであった。その栄光に影が見えたとき、マックイーンはイザベラの自殺に衝撃を受ける。そして母親の葬儀の前日に自らの命を絶つ。マックイーンはHIV陽性であった。すでに体は骨と皮のようになっていた。生前マックイーンは貧しいデザイナーを育てる基金を設立していた。2010年2月10日享年40歳、真の芸術家と言われるファッションデザイナーは、おそらくアレキサンダー・マックイーンしかいないだろう。ファッションやアートに関心がある人にぜひおススメの映画、圧巻の芸術だ。



2019年10月7日月曜日

「タロウのバカ」の先

私の名は三郎(サブロウ)である。“サブロウのバカ”と言えば、その通りバカヤローであって、映画などにはなれない。「タロウのバカ」という映画を先日テアトル新宿で観た。封切って1週間と少し、観客動員数のベスト10に入っていない。1位はドタバタの作り手三谷幸喜監督の「記憶にございません!」だ。「タロウのバカ」は上映後、賛否両論あるようだが、いい作品だからこそ賛否は出る。ドタバタに賛否は出ない。出るのはドタバタの“ドタバタ度”が強いかどうかぐらいである。つまり“ヒマつぶし”になったかどうかだ。「タロウのバカ」は近年観た、ドキュメンタリー映画を別にすれば、間違いなくNo1だと思った。大森立嗣監督作品である。父麿赤兒、弟大森南朋の芸術家族だ。人間性の外側と、内側の外れにいる人間をいつも題材にしている。一歩間違った人間と、一歩間違いそうな人間だ。それはあと一歩できっと、人生という劇場から退場させられる人間たちの危うい関係だ。「タロウのバカ」の主人公は三人の少年だ。その中の一人タロウは、夫のいない母親の育児放棄によって名もなく、一度も学校に通っていない。二人の仲間から、名がないので「タロウ」と呼ばれている。主役はオーディションで選ばれた。この作品が第一作目の出演だ。タロウはきっと中学生だろう。いつも行く遊び場で知り合った二人の少年は高校生だ。菅田将暉と仲野太賀が実にいい。とくに菅田将暉は、天才的である。スタンリー・キューブロックの名作「時計じかけのオレンジ」に出てくる、主人公のアナーキーな暴力発力を持っている。思春期を楽しむ、その楽しみ方が、野球やサッカー や初恋の味なのではない。大人たちの世界の生んだ、デタラメな世界の中で少年たちは生きている。大人たちの壊れてしまった心では、もはや救いようがない。行き場もない、やり場もない。不条理と理不尽、不公平を正すことも大人たちはしない。アナーキーな生活をしている三人の少年、宗教に救いを求めるタロウの母、タロウには戸籍すらない。大きな鉄の橋、蛇のような高速道路。遠くに大都会が見える空き地が遊び場だ。そこが三人のユートピアであった。少年たちはアナーキストでありダダイストであった。自由こそ青春だ。権力や決まりは関係ない。すでにこの国が無法地帯となっていることを、この映画は見せる。嘘八百の大人たちの決めた社会は、正しいのかどうかと突きつける。ある日ふとしたきっかけで少年たちは一丁の拳銃を手に入れる。権力を持てなかった少年たちに、拳銃という殺傷力を持つ権力が手に入った。タロウのバカがそのトリガー(引き金)を引くとき、引く相手とは。思春期の少年たちの刹那的な輝き、何者でもない“タロウ”という怪物。壊れゆく世界。大森立嗣監督は最高の代表作を生んだ。私サブロウは、タロウにもなれず、一丁の拳銃も手にできず、悩みつづけている。これほど虚無観を持ち、この先の社会を暗示する青春映画はない。アナーキスト、ダダイスト、ニヒリズムの時代になる。三谷幸喜監督の「記憶にございません!」も、現代社会の持つ不条理への、アナーキズムの表現であったのかも知れない。笑っている場合じゃないよとの逆提案なのだろう。もしあなたが今、拳銃を手にしたら、誰にその銃口を向けるだろうか。 

2019年10月4日金曜日

「旅は道連れ」

フランスであった話ですけどね。仕事で出張中の会社員が、ちょっと女性と遊んでホテルでSEXをした。が、不幸にも腹上死してしまった。日本であれば「何をやってるんだバカ者め」と言われるだろうが、そこは性の国フランスのこと、ちゃんと事故(?)による保険がいただけたとか。物知りの人と旅をして仕事をしていると実に楽しい。ホテルで眠れなくて、朝まで世界陸上ドーハ大会を見ていた。で、なんで日本人は陸上競技はダメなんだろうね。痛々しいほど下位を走ったり、跳んだりしているもんね。物知りは言った。それは日本人が農耕民族でヌルヌルした地でスベッたりしないように“スリ足”なんですよ。雪国の人はスリ足でスベラず、しかも早く歩くでしょ。狩猟民族は食べ物を追うために、スリ足では生きていけない。筋肉のDNAが違う。柔道とか、空手とか、相撲とか、レスリングなど、スリ足が基本なのは強いんですよ。陸上でも競歩で金メダルをとったけど、競歩はスリ足の極みですからね。マラソンが強いのは、ガマン強い飛脚のDNAですね。柔道の寝技が強いのは、日本人は畳文化で、男と女性が日々くんずほぐれずをしていたDNAですよ。外国人はベット文化だから、日本人みたいなことをしていたらベットから落ちてしまいますからね。話がホントかどうかは、定かではない。女子砲丸投げを見ていて、その驚異的体型に目を奪われる。ドラム缶にゴッツイ筋肉を持つ、両手両足をつけて顔と頭をのっけたようであり、ウギャーと砲丸を投げる。日本の選手は姿も見えない。しかし、日本人と同じような顔をした、中国人が一位であった。怪力怪女は、見応え十分である。オッパイも筋肉化している。ひょっとして金メダルかもと注目している。とても恐いが、とても凄い。ハンマー投げも同じ。私の体のメンテナンスをしてくれている、鍼灸の達人は佐賀県内でも、有名な(?)円盤投げの選手だった。で、円盤投げをしっかり見ている。実に奥深いようだ。自己と闘う哲学を必要として、その上科学的でないと円盤は遠くへ行かない。他のスポーツも同じ。個人競技は自分がライバルなのだ。「人間皆苦」という言葉があるが、人生は過酷な個人競技である。「長距離ランナーの孤独」という名作を基にした名画があった。一着で走って来たランナーがゴールテープのところでとった行動に、この世へのメッセージがあった。物知りが言った。「この頃『死後離婚』というのが多いのですよ。ある住職の話ですがね。死んだら、絶対同じ墓に入りたくないという女性の遺言で、お寺業界では死後離婚と言うらしいんです」「分かるね、その話」。私は深く納得したのであった。結婚という旅は道連れではないのだ。昨日夜「マリア・カラス」という映画を陸上の合い間に見た。史上最高の歌姫の人生は、53歳で死ぬまで歌と愛と、結婚と別れ、そして「天上天下唯我独尊」であった。ギリシャの海運王オナシスとの再婚と別れは、ドラマチックであった。歌姫は言う。「『マリア・カラス』は二人いるのよ。“マリア”という一人と“カラス”という一人が」。国王が劇場に来ても、声の調子が悪いとオペラすべて中止するという絶大な歌声と美しさを持っていた。しかしマリア・カラスも「長距離ランナーの孤独」の主人公であった。午前一時、テレビを見ると十種競技の中の円盤投げで、日本の右代選手がすばらしい記録を出した。人間は「苦愛」に満ちている。いつものグラスに氷をコロンコロンと入れた。




2019年10月3日木曜日

「川は流れてない」

寿しの「伝八」で、海鮮丼を食べた。と言えば、あっ! そうでオシマイ。仙台在住の写真家「佐藤活視」さんと一緒に。その場所は東日本大震災で、大津波で何もかも失った場所に建てられたプレハブ小屋の店と言えば、少し興味を持ってくれるだろうか。その近辺はホタテ2枚、3枚、4枚と注文すれば、水中にある棚を引き上げ、そこから活き活きしたホタテを、注文された数だけ取り出して焼いて食べる名所で、スラリ、ズラリと出店が並ぶ「繁盛の地」だった。観光客は大勢並んで、焼きたてのホタテにしょうゆをかけて食べた。ウマイ! のは当然であった(私は今は、ホタテが食べれない体質になってしまった)。仙台から硯で有名な「雄勝」に行き、現在の「女川」周辺を佐藤さんが車で案内してくれた。3年程前は何もしてなかったが、今は防潮堤の工事現場で、走っても走っても工事現場の中であった。クレーン車や、大・中・小のバックホーがあり、シャベルカーばかりであった。防潮堤は、ピクリとも動かない静かな北上川と、まったくミスマッチである。住んでいた人々はいない。みんな高い所に新居を建てていた。その地を去った人々も多い。灰色のコンクリートは、分厚くて高さは10メートルぐらいだろうか。「北上川夜曲」で有名な川と、人々が高い所で生活をしている所を分断していて、異様なものである。小一時間車で走っても、建設現場でありつづけた。人手不足なのだろうか、建築関係の人よりガードマンのほうが多く感じる。人が乗っていない建機ばかりだ。あの「大川小学校」の側にあって、大津波で破壊され一気に流された大鉄橋は再現されていた。大川小学校にはかつてのように人はまったく来ていない。ポツネンとしてあった。今年は暑かったので山林はたっぷりとした緑色であった。空はこれ以上なく青く、リアス式海岸につづく北上川は無言の禅僧のように、黙して語らずであり、点々とアンカーを下ろした小船がゆらりとも動かない。白くて細長い鳥だけがちょっと飛んでは、水面に波紋を生んだ。写真家の佐藤さんは、夜中何人かの霊を見て、なぜか若い女性の霊と、ディープキスをしたと言った。仙台で100年の歴史を持つ笹氣出版の井上英子編集長から、紹介された山の頂上にあるホテルを目指した。そこは広大な庭園があり、自然石が絶妙に配置され、松島の数々はもちろん、大津波が発生した原点(震源地が見えるので有名)を見下ろせる。雀崎にある美しく広い桃源郷ホテルは、大津波後、営業していない。ただし、ここで震災を悼む、ライブコンサートのPVをつくりたいと私が言えば、井上編集長が「OKをもらってあげるわよ」と言ってくれた。庭師のおじさんがまい日営業していない庭園の、芝生やたくさんの木々の手入れをしている。広大な魚鱗のような、逆光の海は息を飲み込み、そのまま死んでしまうほど美しい。「祈りの塔」を久々に見て感動した。赤々とした“曼珠沙華”の花が咲き、塔を際立たせていた。浅葉克己さんデザインのマークが祈りつづけていた。倍賞千恵子さんにお願いして植えた、桜の木は太く立派に成長していた。今度は桜の季節に来ることを「祈りの塔」と桜の木に約束した。寿し「伝八」の店内にはたくさんのサインの色紙が貼ってあった。震災の取材に来た有名女子アナや、レポーターのが多かった。6月8日から上映開始の映画のチラシが貼ってあった。雄勝でロケをした作品であった。今、注目の監督「白石和彌」の「凪待ち」という作品であった(この頃当り外れが多い)。海鮮丼はこれでもかと言うほど旨かった。きっとあの小泉進次郎大臣もきっと来るだろう。すっかり言語不明なタドタドしい男になってしまって、人気は急降下している。「川は流れない」が、大不況の津波が流れて来ている。石巻の岩ガキは絶品だった。大きいのを2個食べた。夜、腹ペコで帰宅して食べた「ペヤングソースやきそば」。非常食であったが、ヒジョーに旨かった。
 




2019年10月1日火曜日

「『石見多恵』(いわみ)社長という作品」

「アスルメンディ×エネコ」。スペインバスク地方の3つ星レストランのシェフの名前である。この名を冠したレストランが「エネコ東京」だ。場所は六本木のとある路地の中心、閑静な場所にある。ここを経営している(株)プリオコーポレーション代表取締役社長松井研三氏の経歴がユニークだ。1947年群馬県伊勢崎市生まれ。専修大学卒業後、1970年、叔父が経営する(株)大村に入社、まず婚礼事業に携わる。以後、新しいスタイルの結婚式場を次々に提案。1983年に(株)プリオパレス、現(株)プリオコーポレーションを設立。ヨーロッパバスクスタイルの本物のウエディングを実現していく。現在、群馬、栃木、埼玉、東京、長野に11の式場、東京にレストラン3店舗、ドレスショップ1店舗と幅広く事業展開、2017年9月、六本木にスペインの3つ星レストラン・バスクビストロ(エネコ東京)をオープンさせた。先日、このレストランにロケハンをかねて、ある女性編集長と、ある高級品メーカーの事業部長と行った。そのきっかけは、過日軽井沢の“大賀ホール”で行った、オペラコンサートの後のパーティ会場でのことだ。軽井沢の林の中、ステキな結婚式場では丁度一組がウエディングを行っていた。その式場横に、シャレたレストランがあり、そこに大賀ホールで美声を披露した四人の女性とピアニストの女性とともに、友人、知人、取材の人たちが、ステージ用のお化粧落とした五人を囲んでいた。私はそこである商品の、サンプリングのプレゼンテーションをさせてもらった。そのとき、これ以上はないほどテキパキと指示を出しながら、自らもひとときも休むことなく動く女性がいた。これほど感じのいい女性はいなかった。笑顔が今売り出し中のプロゴルファー渋野日向子選手のように、明るくステキだった。この話は前にも書いたと思う。東京に帰り、早速アポイントをとり、ご多忙の中、小一時間八重洲の本社でお会いいただいた。女性はレストラン&ウエディングスの取締役社長であった。そのキャリアがすごい、入社してから何の縁故もなく実力で、オーナーの目に止まって社長にまでなったのだ。応接に出て来た「石見多恵」社長は、やはりニコニコと笑い、親しみやすく、これ以上なく感じ良かった(詳しくは調べてください)。三人で向かったのだが、「いいわよね」「いいですね」と言い合ったので、六本木の「エネコ東京」に行くこととなった。ウエディングスペースから、ウエイティングバー、そしてメインレストラン。すべて自然環境でできていて、オシャレで工夫に満ちている。スタッフはしっかり教育されていてすばらしい。料理は一つひとつがデザインの作品みたいであった。料金はリーズナブルで予想していたより、はるかにフツーであった。料理はもちろんおいしいが、そのレイアウトと入れ物とその上、その中にある数々の小さめの品々に楽しくなる。エコロジカルでエスプリがある。日本の懐石料理のような緊張感もある。私のフトコロではリーズナブルと言ってもなかなか行けないが、美人とか知性的なヒト、とくにエコロジストを誘うと、あなたの申し込みに心を動かしてくれるかもしれない。なんと言っても「石見多恵」(いわみ)社長が最高作品だ。私は今日仙台に行く。岩手の常堅寺の「後藤泰彦」住職ご夫婦、地元の名物編集長「井上英子」さん、それとカメラマン佐藤浩視さんと、牡鹿半島という店で会う。本当はここに鉄の作家、小谷中清さんと退社した、敏腕女史がいればベストメンバーなのだ。「祈りの塔」を作れたのは、この女史のおかげである。その塔の側に植栽した「倍賞千恵子」さんの桜の木の成長も見に行く。


2019年9月30日月曜日

「カレーパンとカフェラテ」

犯人が分かった。前回、小庭の池の中の金魚(鯉みたい)が食べられた。そのショックを書いた。その夜犯人を午前3時半頃、お隣のご夫婦が発見してくれた。金属の屋根の上で、何か爪をかく音がうるさい。何だろうと思い懐中電灯で使って照らすと、ギョ、ギョ、ギョ。両目を大きく見開いて光る目、立ち上がり両手で金魚をムシャムシャ食べている「アライグマ」がいたのだ。ビックリして懐中電灯をコイツめみたいに動かしても、まったく動じず食べつづけていたらしい。大変ご迷惑をおかけしたので私は事情を聞きに、おうかがいし、玄関先で、ご主人から詳しくご説明を受けた。「本当にいたんです。『アライグマ』が。もしかしたら、あと一匹いたかも」とご主人は言った。小さなアライグマは見た目はかわいいが、大きくなったものは、怒るともの凄く狂暴になるらしい(獰猛とも言う)。咬まれると狂犬病になることもあるとか。市役所の駆除係に電話をしたら、仕掛けの鉄系網の箱を取りに来るように。そこにアライグマの好む物を入れて入ったら、保健所が取りに行きますからと。十分に気をつけてください。きっとどこかの空き家とか、人家の屋根裏とかに住んでいて、夫婦、親子で移動する。夜行性なので明るいうちは行動しない。天敵がいないので全然物おじをしないとか。あのかわいい“ラスカルちゃん”(仕事ではお世話になっている)とどうしてもイメージが合致しない。ペットのうちはかわいいが、大きくなると手に負えない。人間も動物も同じだなと思った。今、私は大いに悩んでいる。一匹だけ生き残った金魚をどうするか(?) きっと、また来るからどこか川に放ってあげるか、どこかの池に入れてあげるか。大きな池を持っている“うなぎ屋さん”に頼むか、それとも一匹でさびしそうにしている姿を見て暮らすか、エサが3本残っているから、それをあげ終わったら行動するか、などと悩んでいる。9月25日午前3時半の惨劇は、かなり生々しいシーンだったようだ。9月25日は大先輩の告別式の日であった。敬愛していた人と。愛情を込めた生き物との別れの日だった。忘れ得ぬ日となった。ラグビーW杯で日本が世界ランク2位のアイルランドに勝った。私はライブで見ていたが、ニッポン、ニッポンと言うのだが、選手の半分ぐらいは屈強な外国人であった(日本国籍を持つ)。これが昔のように全員日本人だったら、どうなっていただろうと思った。日本はすでに移民の国である。東京駅9番10番ホームに“NEWDAYS”という店がある。3人のアルバイトさんがいる。左から女性(ヘ)さん、真ん中の女性(ヒ)さん。右に男性(カ)さんだった。3人ともに若い。しょっちゅうメンバーは変われるので、よく胸章の文字を見る。かつて「ア」「イ」「ウ」とか、「カ」「キ」「ク」とか「オ」「ナ」「ラ」さんというのもあった。テキパキと実によく働く。昨日午後1時から、平塚にある須賀公園球場に少年野球の試合を応援しに行った。アロハを着た私は少し異質だった。試合時間は70分と決まっている。ダブルヘッダーだった。須賀公園に来るとき、一級河川があった。金魚のケイコちゃんを、そこに放ってあげようと心に決めた。ラグビーW杯のせいで、世界陸上もプロ野球も全然盛り上がらない。織田裕二のあの裏返った声も聞こえない。日本のプロ野球を支えているのが、外国人ばかりなのが気になっている。ボールが飛びすぎてホームランの大量生産だ。関西電力では、原発誘致で大量のワイロを生んでいた。ワイロを保管していて、「返しました」と言う珍問答。これが通るのが日本である。少年野球にも厳しいルールがあるのに。一塁を守っていた少年が「お腹が痛い」と言った。選手交代かと思ったら、審判がトイレに行かせてあげた。その間試合は中断。そしてスッキリした少年が一塁に戻って試合は再開した。こんなオリジナルルールは気持ちいい。みんなで拍手した。「アンデルセン」で買ったカレーパンをアイスカフェラテを飲みながら食べ応援をした。気分が少し晴れたのは、少年の風だ。(文中敬称略)