ページ

2011年10月3日月曜日

「運動会と老人ホーム」




十月一日(土)孫の運動会であった。


海辺の小学校であり、最近出来た立派な校舎である。

三日間風邪で夢遊病者の様であったがリレーの選手になったから来てねと言っていた。

愚妻は船橋の方の運動会に行っていた。交代制で観戦である。四日ぶりに外に出ると足許が定かでなかった。


その日、皮肉である人生の交代劇を見た。

初めて行った新校舎は正に海の隣である。そしてその隣が老人ホームである。

お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんと元気な運動着の子供達がお弁当や飲み物、果物、お菓子を両手一杯にバッグや袋に詰めて持って運動場に向かう。元気いっぱいだ。



青空の爽やかな空に万国旗が揺れていた。紅白の旗が何本も揺れていた。

私は八時四十五分頃ふらつく足で校舎の入口に着くと左側に丸い大きなテラスの部屋があり、そこに何人もお年寄りが朝食を終えて日向ぼっこをしていた。皆さんただ口を開けじーっと外を見ている。無表情、無感情である。


目の前を通る元気な子供達との対比がとてもつらいものであった。きっと自分たちも子供の頃、かけっこ、縄引き、玉入れ、ダンス等を楽しみ、紅勝て、白勝てと大声をあげ、昼にはみんなで一緒に美味しいお弁当を食べたであろう。長い人生のゴールに向かってただじーっと時が経つのを待っている。



十月二日(日)朝刊にある老作家の本の広告が載っていた。本の名は「死にたい老人」であった。老作家はもう自分はこれ以上生きていても仕方ないと「断食死」を選んでそれに挑んだ。その結果は・・・・・・・・・。

一日目 いよいよ実行開始。

六日目 空腹に慣れる。

十一日目 生と死の六合目を見た感じがする。

十三日目 テレビでドーナツやパンを見ると辛い。

十四日目 脳の機能が衰えたのか、継続的に読む事ができない。

十七日目 コンビニで誘惑に負けてホットケーキを買ってしまう。

二十日目 午後になりガクンと体力が落ちる。

二十三日目 胃痛に耐えられず掛かり付け医に行く。

二十五日目 東日本大震災発生。

二十九日目 口の中が異常に乾く。

三十日目 原発への興味が抑えられない。

三十二日目 胃の痛みさえなければ、恍惚状態。

三十三日目 尿意があるのに尿が出ない。

三十六日目 起きるのも辛いのに、地震への興味高まる。

三十八日目 一度目の断食挫折。

と続き、終いには強烈な死への恐怖が、そして決死の二度目の断食に挑戦。


その結果は私も買って読んでないので分からない。

この老作家は八十三歳現役であり、自分の意志があるだけいいのではないかと思った。

ガラス越しの老人達は多く、運動場で走り回る子供の数は驚くほど少ない。広いグランドにひと固まりの子供達、その子達が明るく強く逞しく、わんぱくにおてんばに育ってもらう事を願うしかない。

0 件のコメント: