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2012年9月10日月曜日

「貧への路」







井上有一 貧


歓喜の両腕を上げるがその腕に手首から先はない。
立ち上がり喚声に答えようとするがその足には膝から下がない。
だがしかしその顔は達成感に溢れ、誇り高くまた、気高い。人間はつくづく闘志に満ちている。

パラリンピックは健常者の知恵と工夫、障害を持つアスリートの不屈の精神との出会いだ。
より高く、より速く、より強くの美しい姿だ。もう直ぐ運動会の季節だ。

かつて障害物競走というのがあったがこの頃は少ない。
何故かと問えば“障害という言葉が差別的だからという。果たしてそうだろうか。
パラリンピックを見ていてそう思った。

五体満足の親が、五体満足の子が、片やモンスターペアレントと化し、片やイジメに走る。その親にしてその子ありという。私は親を裏切り続けてしまった。

ドナルドキーンさんが日本人になった。
その基は日本人の手紙にあると言った。
日本人の手紙の書き出しは美しい季節の描写で始まる。
そして日本人はどの国の人より親切だという。

九月八日渋谷から辻堂まで列車に乗った。
午後十時を過ぎていた。ほぼ満員であった。

五体満足の会社員風おじさんは右手に缶ビールを持ち、左手に柿ピーを持ってイビキをかいていた。
その前には老人が吊革を握っていた。五体満足のOL風の女性はひたすらメールを送っていた。
その前には子供連れの女性がいた。先日新橋駅で目の見えない人がホームから落ちて死んだ。
周辺には五体満足の人間ばかりだったはずだ。

本当にこの国の人間は親切なのだろうか。

この夜の深夜、落語のCDを聴いた。
長屋の人間同士がなんと親切であったのだろうか。貧乏ほど人間を美しくするものはない。
井上有一大先生の書いた巨大な“貧の一文字が目に浮かんだ。
パラリンピックの選手達も銀座でパレードをするだろう。差別があってはいけない。
そう思いながらもう一枚の落語を聴いた。
右に“金に向かう路があり、左に“貧に向かう路があるならば、私はとまどう事なく左の路に向かう。
願わくば江戸時代の長屋に住みたかった。

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