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2016年4月12日火曜日

「友情の詩」

 ♪〜泣けた泣けた こらえ切れずに泣けたっけ あの娘と別れた哀しさに 山の懸巣も啼いていた 一本杉の石の地蔵さんのヨー 村はずれ…。
高野公男作詞/船村徹作曲の名作「別れの一本杉」。
唄ったのは春日八郎であった。

昨日千葉のとある駅でお世話になる人と待ち合わせをしたのだが約束の時間よりかなり早く着いてしまった。その駅に今では未だあったのかというアフタヌーンティーがあった。流行から遅れた店はどこかうらさびしい。

そこで愛読している夕刊紙を読んだ。
そこにレコードメーカーの垣根を超え、実現した夢の豪華企画!/別れの一本杉は枯れず。「別れの一本杉」競演集/四月二十七日発売/2,778円+税/という広告が載っていた。名曲を三橋美智也、北島三郎、美空ひばり、五木ひろしなどが唄うのだ。
ギターは名人木村好夫だ。

私は思い出した。
古い友人に福田嚴(通称ガンさん)というのがいる。
近頃会ってないが、とにかく熱血長電話の写真家である。
その“ガンさん”から電話があって、船村徹大先生の密着ドキュメント番組を撮影するというのだ。題名は「聖なる酔っぱらい伝説 作曲家・船村徹の50年」であった。
この番組はTBSだった。その年のギャラクシー賞を受賞した。

船村徹は大学でクラシックを学んでいた。先輩に高野公男がいた。
高野公男は船村徹に言う。そんなむかしの人間が書いた作曲をいくらなぞったって仕方ない、人間を書け、人間を、と。
船村徹はクラシックを捨てて演歌の道に入り、街を流すギター弾きとなる。
別れの一本杉を当時の大プロデューサーに持って行くと、君の詩は、泣けた泣けた こらえ切れずに泣けたっけ 山の懸巣も啼いていた、やけに泣けるんだなと言われた。

大天才と言われた高野公男は体を壊し古里茨城に帰る。
後輩の栃木生まれ船村徹は駅のホームで先輩と別れる。
泣けた、泣けたなのである。
高野公男は26才で生涯を閉じ、船村徹は演歌の大作曲家となる。

船村徹は功成り名を挙げた後、高野公男の墓を造る。
そこにこんな言葉を刻んだ。“友よ 土の中は 寒いのだろうか 友よ 土の中には 夜があるのだろうか もしも 寒いのならば 俺のぬくもりを わけてあげたい もしも 夜があるのならば 俺の手で灯りを ともしてやりたい 友よ 俺の高野よ こおろぎの よちよち登る 友の墓石

友情とはこういうものなのだとその番組を見て泣けた、泣けただったのを思い出した。
当時上京する人間にとって、茨城は遠い、遠いところだったのだ。

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