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2019年2月25日月曜日

「人間の値打ち・どん底」

「どん底(原作・M・ゴーリキー)」を土曜深夜見た。日本では黒澤明監督が三船敏郎主演で制作した。私の大好きなジャン・ギャバン、そして後姿で演技すると言われた名優ルイ・ジューベが共演した。 どん底の生活をしている貧民街の人間たち、ジャン・ギャバンはコソ泥、ルイ・ジューベは博打で全ての財産を失った男爵(バロン)だ。どん底に暮らす人間にとって、どん底の人間の心配をする余裕などはない。死は眠るだけのことだと皆腹を括っている。50年ほど前のフランス映画だ。人は一度絶対に死ぬ。この世に絶対というものがあるとすれば「死」でしかない。財産を失った男爵はどん底に落ちても、悠然とした心は失っていない。父親もコソ泥で、刑務所の中で死んだ、きっと自分もそうなるだろうという。ぺぺルという。 ジャン・ギャバン。貧しさの極みの貧民宿には、不思議に悲愴感はない。何故ならもう失うものは命以外にない。イヤイヤの人間関係という厄介で、 面倒で、窮屈で、本当は逃げ出したいと言う物もない。私は10代の終わり、同じような貧民街で生活していた頃がある。2歳年上の女性と、元々は、敗戦後引き上げてきた人たちが集まり、集団生活をしていた。半分以上は、朝鮮の人であった。ヤクザ、占い師、手品師、プロの麻雀師、バクチ打ち、売れない絵描き、自称作家。売春婦、印鑑屋、釣具屋、肉屋、鉄道の模型屋、流れ者、逃亡者(凶状持ち)、ヒロポン中毒、雀荘、バクチ場、ヤクザの部屋(事務所)、雑貨屋、共同洗面所、共同便所、毎晩のように起きる、事件、人殺し、自殺、自然死、病死、子どもの衰弱死。売春婦の心中、学生男女の刺し違い。明日を考えている人間はいない。今日1日をどう生きるかだけを考えている。だがみんな明るい、涙もない。夢もない貧乏の達人たちにとって、そこは幸福の(?)場所であった。私は4畳くらいのところで自堕落を楽しんでいた。今振り返るとここでの生活が、今の生活を支えている。(人間を学んだ)私は今でも4畳間で寝ている。 この広さがいちばん性に合う。人間はなまじ持つものを持つと、ひどく卑しい人間になる。何故なら守りたいものがたくさんあるからだ。つまんないプライド、いつ崩壊するかわからない夫婦、兄弟、家族、友情、愛、などというものほど当てにならないものはない。見栄を張った生活、金を借りている人間は、金を貸してくれた人間を、アイツはただの金貸しで、情けない無感性の奴だと言い、借りた金で酒を飲んで笑う。そして又借りる。相手の弱点を知り尽くしている。人間は持ち慣れない物は、待たないほうがいい。その方が頭は冴える。明日を考えないから、今日生きる考えが、集中力を持って出てくる。これを浅知恵だという人もいる。私にとってどん底は楽しかった。女性は美しく、色気と肉感があり、生きる力に満ちていた。BARに勤めていた。夜11時に電話が入るのを待つ。◯×時に終わるから、今夜は◯×で◯△を食べようと、その後映画街に行きオールナイトで映画を見る。ほんのり明るくなった朝、二人でとか、仲間達と行きつけの店に行く。もう一度、どん底時代に戻りたいと、映画を見ながら思った。ある夜、パン、パン、痛え、誰だ、何だと改造銃で撃たれた時、腰に痛みを感じた、左足ふくらはぎにも命中した、改造銃は音は大きいが、空気銃で撃たれたほどでしかない。一週間もすれば治る。その後ギョーザと焼きソバを食べていたら、貧民街の先輩、後輩、仲間たちが集まってきて、中華店の2階は満杯になった。ソロソロ、私は金ばかりの話をする人との付き合いを切ろうと思っている。つまんない人より、面白い人と、すごい人と付き合いたい。私はもう一本やっぱり映画の夢を追う。どん底を味わった人間たちには、本当の人間の愛があり、心があり、助け合い、励まし合うやさしさがある。何故か、金がないからだ。久々に見た、ルイ・ジューベは最高だった。「北ホテル」という名作もある。ジャン・ギャバンの先生だ。この言葉を思い出した。人生には二つの不幸がある。一つは「金のない不幸」、もう一つは「金のある不幸」。

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