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2019年2月28日木曜日

「憧れだった人」

2月13日から27日夜まで、久々に物づくりに徹した。企画制作を一緒にしている人以外の業界人(いわゆる同業者)には会うことをしなかった、というよりできなかった。偉い人、凄い人、学究の人、文学の人、職人の人、スポーツの人、まい日違う人と会っていろんな話をして、たくさん勉強させてもらった。そんな中でずっと、ずっとむかしガキだった頃に憧れていた人を探した(?)当時私は17歳位、35・6歳のその人は荻窪駅近くの八百屋さんの2階に住んでいた。名は出せないがある組の幹部(若い者頭)だった。丸々と太った九州男児だった。若い衆を何に徹しているかを見分けて、それぞれを命じた。オマエはベシャリがマブイから(話がうまく商売に向いている)ゼニコロ(金貸し)をやれ。オマエは手先がマブイから中盆を目指せ、マブイとは“上手い”で、中盆とはバクチ場の中心になる“胴師”。オマエは根性ネエからコマシをやれ、コマシとはスケコマシ(女性を引っ掛けて金にする)オマエはガンヅケ(人相が悪い)が悪いから切り取りをやれ、切り取りとは、飲み代をずっと払わず、ホステスさんにバンス(借金)を背負わせている、その男のところに行って、金を集金する。オマエは氷、オマエはオシボリ、オマエはオツマミ、オマエは花、オマエは、どう見ても何も使えねえから、堅気かパチプロにでもなれ、オマエはバイ(物を売る)をやれと、一人ひとりに指示を出す。その筋の人間にとって、ベシャリがマブイから金貸しになれというのが、いちばんの屈辱であった。 男は口先でなく体で勝負するからだ。30人くらいの組であったが金筋だった。その人はクラシック音楽が好きで、8畳くらいのところにジュータンを敷いただけだった。猫が一匹、畳んだ布団が置いてあり、飲み食いは丸いお盆の上。部屋の中は LPレコードでいっぱいだった。いつも白い手袋をしていて、レコードをかけていた。酒は飲まず牛乳を飲んでいた。背中には肩から腰まで、「南無妙法蓮華経」と黒々とした刺青が彫ってあった。クラシックと猫と牛乳、妙な組み合わせだった。ちょっとモメ事があった時から、時々遊びに行った。 ボーヤ、男はなあアレコレ持つんじゃねえぞ、命は親分を守るためにあるんだ。ゼニを貯め込んだり、バシタ(女房)を持ったり、イロイロ物を持つと、いざと言う時にジャマになるんだ、事実ある日の深夜、西荻窪で親分が襲われた時、真っ先に駆けつけた幹部がこの人だった。間に合わず下手を打った四人の幹部は、指を詰めた。指はキャベジンとかビオフェルミンの瓶の中で、アルコール漬けとなった。さて、何故久々にこの憧れの人と会ったかと言えば、 昨日深夜この時の事を短編の映画にしたいと思いシナリオを書いていた。もしかして友達と一緒に、ボクシングの試合を見に後楽園ホールに行った時の写真があったはずだと、ガサゴソ探した。オッあった、やったであったが、何故か写っている人間の顔(自分も)にマジックが塗ってあった。過去との決別をした時に塗ったのかもしれない。その人はある事件の責任を全部背負い込み、府中刑務所に入り、転々と移監されたのち九州に帰ったと、10数年経った頃、風の便りに聞いた。ゼニに忙しい奴は信用するな、必ずガミを食う(痛い目にあう)からな、バクチ打ちは 、バクチだけしていればいいんだ、お日様がある間は堅気の人の時間。明るい内は外を歩かないのがオレたちの稼業だ。ボーヤもうケンカはやめなよと、ホントのケンカは怖いぞと、よく言っていた。あ〜、隠語ばかりの映画にしたいな〜と思っているのだが。明日から又、人、人、人と会う。

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