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2011年12月21日水曜日

「一秒は長い」

  
1214日知人と食事をした後、宿泊先のホテルに入る。
テレビのスイッチを押すと画面には1125とデジタルの数字が表示される。

私は秒針の無い時計が嫌いである。
何故なら一秒と一秒の間にドラマがあるからだ。
人を殺すのに一秒はいらない引き金を引くだけだからだ。

映画の名作「シェーン」のアランラッドはホルスターから0.7秒位で相手のジャックパランスを撃ち殺した。
愛の告白も一秒で出来る。「好きだよ」「愛してる」「結婚しよう」、一秒で話せる。
その逆に別れも一秒で出来る。「嫌いだよ」「愛せないよ」「別れよう」、一秒で伝えられる。

今流行の「家政婦のミタ」の決め言葉は「承知しました」、丁度一秒だ。

「いってらっしゃい」「おかえりなさい」「いただきます」「ごちそうさま」「がんばらないで」「ゆっくりして」みんな一秒の言葉だ。この一秒の言葉が家庭から消えると怪しい空気が流れ始めるのだ。

おーいビールといえば「承知しました」がいいのだが、おーいビールといえば「自分で勝手に飲めば」では三秒掛かる、三秒の言葉には愛が無いのだ。

2011年12月20日火曜日

「お迎えは来ない」

 


その夜テレビの画面に小学校の授業参観のシーンがあった。
子供が立ち上がり作文を読んでいた。

ふと小学生の頃を思い出した。私は六人兄弟の末っ子であった。
母は病気で長期入院している父親と六人の子供を抱え朝から晩まで文房具の仕事をしていた。学校から学校へと回るのだ。

それ故幼稚園の時はいつも誰もいなくなった後、園長先生が母親が迎えに来るまで遊んでくれた。


小学校の授業参観日に母親は一度も来れなかった。
子供心にもしかしてと何度か後を振り返ったのを覚えている。
急な雨が降るといつも1人昇降口に立っていた。いわゆるお迎えが来ないからだ。
先生が傘を貸してくれた。子供心にもしかしてと思って雨を見つめていた。


中学生の時お前は片親だからといった生活指導の先生を殴ってしまった。
今、2分6秒に一組離婚しているという数字がある。
自分の子が片親になった時どれ程重荷を背負うかよく考えてほしいと思う。
私は働いている母親が大好きであったから一度も重荷にはならなかった。

2011年12月19日月曜日

「坂の上の蜘蛛」




何を一体急いでいるんだ。
急がなければならないのは火事場への消防車、急病や交通事故、撃たれて、刺されて痛さで転げ回っている人間でも助けてやるために行く救急車だ。

311日に起きたあの大災害、そして放射能の大飛散、未だ何も解決していないのに原発の冷温停止ステージⅡ成功とかで収束宣言だ。その上政府の対策本部も解散。
正月は選挙区に帰って挨拶回りがしたいからか、原子力利権の巨大な闇の力や米国や中国、フランス等の圧力か、なにしろ巨大な復興利権の取り合いなのだ。

民主党は完全にメルトダウンだ。
いや日本の政治、経済、正しい報道をしない、書かないマスコミのメルトダウンだ。
悲しいかなそのカウンターパートナーもメルトダウンだ。この先何があるかそれは子供でもわかる。

おサイフにお金が入っていないのにカードで買い物をしまくったり、人にお金を貸しまくったり、間違いをして女性に貢ぎまくったり、勝てるはずのない博打をしまくったりしたお父さんやお母さんがどうなったかを。
それが日本なのだ。長生きしたい人は至急この国を脱出すべしだ。
 細野豪志は放射能除染より先に自分の顔のシミを消すことを優先したという。

テレビでは「坂の上の雲」二〇三高地での乃木希典の愚将の証明を大金をかけて放送している。
司馬遼太郎は好き嫌いが激しいが、乃木希典は特別嫌いだった。
ただひたすら銃弾を浴び続け何の戦略も戦術もなかったからだ。

数々の屍の山を見るといまの日本の姿そのものだ。
無策の国家の中に生きる国民はいつの世もただ土くれとなる犠牲者でしかない。
精神論だけでは近代国家には通じないのだ。坂の上を登るとそこには雲はなく巨大な崖だけがあった。
誠に日本という小国は数奇な運命を背負った国なのであった。後世の歴史家はそういうであろう。

今何故「坂の上の雲」か。今何故「山本五十六」なのか戦争賛美を始めたか。
21世紀中盤にかけて世界は間違いなく戦争の世紀になるであろう。米国系VS中国、ロシア、アジア系VS EU系の三国志の時代となる。日本はただ米国系の一基地でしかない。北朝鮮の金正日が死んだ。いよいよキナ臭い。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の一本の糸にようにしがみつくのが日本人やも知れない。
(今日のブログは2ラウンド分。)

2011年12月15日木曜日

「牛乳と人生劇場」




冷たい牛乳はどこで飲むと一番美味いか。
私の場合は銭湯の着替え場でした。少年の頃友だちと私の数人で銭湯に行き、冷蔵庫に入った雪印牛乳を飲む。
太い輪ゴムで冷蔵庫に繋がれた蓋取りの道具でブスッと刺し、パクッと空ける。

火照った体に牛乳が白く、冷たく、喉から腹に染み込む、チャンララッタラャチンチャラララ、マッテマシタ、ラジオ放送劇の始まりです。

主題歌を歌うのは村田英雄、とくればそうです当たりです、尾崎士郎原作の「人生劇場」です。
下半身をバスタオルで隠し胡座をかき少年たちは聞き耳を立てるのです。

「やると思えばぁー」と始まって「義理がすたればこの夜は闇さぁ〜」と続く。
少年達は牛乳片手に合唱だ。テレビを持っている家はまだ少なくラジオが主役であった。
侠客、飛車角、若き侠客宮川、三州吉良の常吉、合点の竜、辰己屋の大旦那青成瓢太郎、主人公の青成瓢吉、お袖にお竜、砂村の小金一家。

もうそれはそれは多くの登場人物が正に人生劇場を繰り広げて行く。
アークション、牛乳と湯冷めで風邪をひいちまう。でもやっぱりいいんであった。とてもよいのであった。

2011年12月14日水曜日

「迷惑千変型」



吸血鬼型かゾンビ型かニューヨークタイムズマガジンの記事が話題を呼んだらしい。

吸血鬼型は「自己陶酔、情熱型、ナルシスト、個人主義、専門的」、ゾンビ型は「統率、協調型、指導者、狂信者、偏執狂」であると分析。

吸血鬼は人の輪を好まず、ゾンビ型は大義を掲げて集団を作る。
例えば吸血鬼型には、スティーブ・ジョブズ、ジョン・レノン、ジョージ・ルーカス、マルクス達が代表的であり、ゾンビ型にはビル・ゲイツ、ポール・マッカートニー、スティーブン・スピルバーグ、エンゲルス達なのだとか。

つまるところライバル関係とはすべからく吸血鬼型とゾンビ型に分けられるのです。
長嶋と王、黒澤明と小津安二郎、トヨタとホンダ、朝日と読売、ヤクザと堅気(ちょっと違うか)、ツイッターとフェイスブックにも分けられるらしい。

一人でシコシコ型とみんな見て見て型といえるのだそうだ。
何もやらない私は何型かと思う。

何!社会的不必要千変迷惑型だと!

2011年12月12日月曜日

「オタンコナス」




古来より決して決着をみないのが「嫁姑戦争」。

いかなる教養人、知識人、人格者といわれる人たちも嫁と姑との諍いにはお手上げとなりました。
母親は自分の生んだ子は自分が一番知っているとの大いなる誤解があり、その誤解に従う事が親孝行と思うアホンダラ息子?が多いのです。

結婚してわずか六ヶ月どうしても離婚したいと泣いて相談に来た新妻がいます。
一人っ子のダンナは結婚したらお母さんの側にいてあげたいとバス停二つの処に新居を買いました。
ダンナは仕事から帰りがけ必ず母親の家へ、そこで食事をし、フロに入り、洗濯物も母親へ出し続けたのです。

母親は息子に毎日言ったのです。あの嫁は出来の悪いオタンコナスよと。

一年近く付き合っている時は全く素振りがなかったとか。
イケメン、金持ち、高学歴、スポーツマンの四拍子。結婚式の祝辞は会社のホープ、未来のキャプテンと大絶賛?だったのです。

新妻は涙を拭いて言いました。
私が面食いで馬鹿でした。そして、こう言いました。あの、マザコンを観るのも嫌だと。
気持ち悪い、吐き気がすると。

これは私が勧めたお酒を飲み過ぎたせいです(あしからず)。
当然離婚したと思うのは実は早計だったのです。「嫁姑戦争」は複雑にして怪奇なのです。

2011年12月9日金曜日

「ある恐竜」




その夜カリスマ編集長と友人の社長と夕食を共にした。

その時、ハッとする言葉を編集長は云った。
 この頃すっかり今の人間達に飽きてしまった。何か新種の人間を作らないといけないんじゃない。

何気ないひと言に自分自身がいつも考えている事と同じだと感じた。
現代人は類型化しすぎてつまんなくなっているからだ。

かつて地球上を支配していた恐竜たちが一瞬にしてこの地球上から姿を消した。
巨大隕石説が有力だが確かではない。氷河期となりやがて何かから人間が生まれた。
推理はできても確実な事はいかなる学者も言えない(誰もその時代にいなかったのだから)。
きっと地球人達もある日一瞬にして消えるだろう。その後きっと新種の人間が生まれるはずだ。

オバサン、ちゃんと並ばないとダメだよといった。
あらっ、並んでいたの?知らなかったわ。ねぇーちょっと並んで居るんだってさ、尾っぽはホラ、ずーっと後なんだって。まったくみんなヒマ人ね。たかだかハンバーガーのためにずっと並ぶなんて(自分だって食いに来てるじゃないか)。
連れのため、長い人生ではじめてといっていい位ずーっと並んだ私はやっぱりいつものひと言が出た。

ババア、ウルセイ早く後ろ行って並べ。お前らはきっといつか絶滅させて化石にしてやる。
ババアウルセイオオグイザウルスとして。


2011年12月8日木曜日

「トホホな足」





ブラインドサッカーというスポーツを1128日、味の素スタジアムに観に行った。
東京オリンピックの時、あのマラソンマン、裸足のアベベビキラが折り返した地点にある。

このスポーツの協会の方からシンボルマークのデザインとスローガンコピーを頼まれ、一度観なければと思い行ったのだ。

ブラインドサッカーとは目の不自由な人が行うフットサル。
 25分ハーフの50分だ。FW1人、DF2人、MF2人、目の見えるゴールキーパーの計6人。そしてコーラーと呼ばれる目の見える人がゴールネットの後から声で支持する。
選手はその声に従い互いに声を繋げ合い、中に鈴の入ったボールを蹴る。

日本代表対日本選抜の戦い。その気迫、その闘志のぶつかり合いに正直驚いた。
ボールが外に出ない様グランドは1メートル位の壁に囲まれている。

まるで目が見えている様だ。そしてバチーンとシュートを入れる。

結果はさすが日本代表、30で勝った。
叫ぶ、汗が飛び散る、鍛え抜いた筋肉の躍動する足がボールを取り合う。

すっかり感動して帰る車の中で思い切り左足がつってしまった。
五体満足、だらしないトホホな自分が恥ずかしくなった。

彼等は来年のパラリンピックを目指す。

2011年12月7日水曜日

「具さんとグさん」




ずっと、ずっと会わずにいた人が凄い人になっている事を知りました。
それは私の不覚が原因でした。その人はかつて「具秀然」として私の前におりました。

月日が経ち、その人が今をときめく「グ スーヨン」さんであったとは映画を語って来た人間として恥ずかしい事この上なしです。

具さん、いやグ スーヨンさんはかつて広告制作会社の名門中の名門、サン・アドという処にいたのです。
サントリーの名作の殆どを制作している会社です。
「グ」さんにはCMの演出をお願いした事がありました。

それから幾星霜。
丸の内東映の画面には、松田翔太主演の「ハードロマンチッカー」、その監督がグ スーヨンさんであったのです。
10年前に一本、その後一本、そして3作目なのでした。

新聞で、雑誌で大好評。
それを読んでいて又、写真を見て、えっ、この銀髪の人が「具さん」、グ スーヨンさんと知ったのでした。

まあ、凄い青春を過ごして来た様です。下関での大暴れがまるで肉体言語、視覚言語の様、暴力のファッションショーの如くです。

ウジウジしている男達よ、ぜひ観てグ スーヨンさんに乾杯をして下さい。
私もお気に入りのバカラグラスにジンをなみなみ?と入れ乾杯です。
私の映画の虫が騒ぎ始めました。

2011年12月6日火曜日

「その女、凶暴につき」

「夢から醒めたら悪夢だった」とか「長いトンネルを抜けるとそこはもっと長いトンネルだった」なんて思い切り暗い話をする男に恋をした女性がグイグイ焼酎を飲んでいます。


失恋というか詐欺というかは別にして大金を貸してしまったというか、あげてしまったというか、まあ私からいうと売れない物書きのお得意の手口に引っかかってしまったという訳です。

36才にもなって文学少女の様な悪い性格から抜け出れない女性だったのです。
基本的に女性は薄暗い男が好きなんです。BARのカウンターの片隅で一人寂しそうにトリスの水割りなんてチビチビ飲みながら伸びた髪なんかを掻きむしる。

毎日、毎晩、同じ時間、同じ席、そこが空いてないと、又、来ますなんて帰って行く。他の席が空いているのに。

ある夜急に雨が降った、女性は店が終わり外へ出ると路地の角にビニール傘を持って立ついつもの男。
こんな三文小説みたいなのが実は実話だったのです。

ベッドの中で見た夢が醒めた時、女性は悪夢の様な長いトンネルの中に入って行ったのです。
その女性が八年ぶりに栃木刑務所から出て来たのです。男は土の中でずっと眠っています。