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2012年7月24日火曜日

「その人は、今」




私は株や相場などは一切やって来なかったし、やる気もない。
生きてくるだけですでに博打の様な人生だったからだ。
 二十歳までに人の人生の何倍分かの博打はしてきたが。
株とか相場とかは他人任せ、季節次第とかの要素が多く勝負の美学を感じないのだ。

いつも行く床屋さんで久々に以前隣りに住んでいた株マニアに会った。
一度回覧板を持って行った時、家中株のデータでごった返しであった。
外国の情報が深夜に始まるとかで殆ど寝てない様であった。父親から譲り受けた大きな家は株で損して売り払ってしまった。

奥さんは駅の近所の画廊の受付をしていたが画廊を持っていた不動産会社が倒産してしまった。
奥さんは次にイタリアンレストランの店員さんになったがそのレストランは閉店した。
次に駅の横の本屋さんの店員になったがその本屋さんも閉店した。

隣の席で頭を刈り取られながら、いや~まいったですね、一体全体どうなっちゃうんですかね、この国は教えて下さいよなどといった。
私より二歳下である、背が150㎝位しかないので白い布でくるまれてチョコンと首を出しているとまるでてるてる坊主みたいだった。奥さんはと聞くと脳梗塞で倒れて半身不随となり、リハビリ中だといった。
 息子さんは家から出て東京へ、娘さんは家事をしながらお母さんの面倒を見ているといった。

自己破産をしたので今は2DKのアパート住まいといった。
落ちるところまで落ちたからこれからは上がるだけ。もう一発株で勝負して奥さんが車椅子で生活出来る様にしてあげるんだといった。とても愛妻家であり、子煩悩なのであったのだが。今度会う時はちゃんと生きていなよといったら、株ほど面白いものはないですよといった。床屋のおじさんとおばさんがもう止めなさいよ、勝てる訳はないのだからといった。もっと短く刈って下さいよ、床屋代が勿体ないからといって明るく笑った。その人は、今。







2012年7月23日月曜日

「血の臭い」




オスプレイで大騒ぎしていたら、コスプレイで大騒ぎとなった。

片や欠陥飛行機、片やファナティックな人間だ。
飛行機が落ちたらどうなるかは子供でも分かる、それは大事故だ。
日米安保条約によりこの日本国に拒絶する選択肢はない。今でもこの国には進駐軍がいるのだ。
もはや戦後ではないといった政治家がいたが、どこまでも戦後はないのだ。

中国が台頭してきている今、日本は米国の基地としてさらに重要とされている。
毒でも何でも飲み込むどじょうこと野田佳彦は遂に皿まで飲み込んだ。
オスプレイは大事故を起こすまで日本の空を飛ぶ事となる。
ファナティックな人間のコスプレイはその習性の一端が出たのに過ぎない。

国家権力はあらゆる情報を掴んでおり、その使い処をいつかいつかと狙っている。
権力を甘く見ると徹底的に情報を流される。

毎週金曜日官邸前に集まった原発再稼働反対の動きはいよいよ点から線に、そして面になり方体化して来た。
やがて流血を呼びやがてテロが発生する。
サメは数キロ先の一滴の血のニオイを嗅ぐというが私もそのサメの様に血のニオイを嗅ぐ事がある。
いよいよ世の中はキナ臭くなってきた。

2012年7月20日金曜日

「木の葉」

 


黒澤明の名作に「生きる」という映画がある。
余命半年と宣告された市役所の役人がどうしても公園をつくりたいと思い、その実現を目指す。

だが自分が長年勤務していた役所とは実に厄介な所であった。
“役所”というから色んな役をする所がある。○△局、○×課、□△係、それから更に□×局、××課、△□係と書類は回され時間が過ぎていく。
そして有名なシーンになる雪降る公園のブランコで、主演の志村喬が「命短し恋せよ乙女」を歌う。

むかし運動会に障害物競走というのがあった。
ヨーイドンすると、はじめに平行棒、次に網くぐり、次に水たまり越え、次に米俵の中に入る等と続く。

私は今、ある開発のお手伝いをしているのだが、正に「生きる」の映画の如く、むかしの障害物競争の如く、次から次に役所の壁が出てくる。一つの役所にどっさりクリアしなければならないシステムがあるのだ。
どうしたら早く事が処理できるかではなく、どうしたら時間が多く掛かるかとなっている。

「蜘蛛巣城」という映画も黒澤明であった。
何か一つ世のため、人のためになる事をするには、正に蜘蛛巣城を攻める寄せ手にならねばならない。
映画では寄せ手は体を木の葉で隠してじわじわ城に迫った。
有識の材を集め、戦略、戦術を身にしっかり備えねばならない。
東急ハンズに行って木の葉をどっさり買って来る事としよう。

2012年7月19日木曜日

「いろんな定番」




キャンプといえば何を連想するか、戦後の焼け跡なら駐留軍のキャンプ、そこの軍人を相手にするパンパンガール。
ギブミーチョコレート(ハーシーとか)、ラッキーストライクの煙草とかパイナップルの缶詰(パイ缶)などだ。

近年のキャンプといえば、テントにバンガロー、飯盒で炊くご飯、みんなで作るカレー、キャンプファイヤー、花火がいわば法律、いわば掟の様に決まっていた。

楽しい夏休み、楽しいキャンプ、胸トキメク好きな娘が隣のバンガローに居る。
夜空に星、川の音、焚き火の灯り、顔がホテホテに赤くなる。そして定番の様にケンカが始まる。
○×中学、□△中学、△◎中学、沢山の中学生同士が一晩中ケンカをする。
好きな娘にチョッカイなんか出しやがったらもうファイト一発だ。

可愛い十歳の孫が初めてのキャンプに行った、二泊三日だ。どこかの悪ガキが悪さをしないか心配で仕方ない。
オイ、家に飯盒はないか、今夜は家で飯盒でご飯を炊いて食事しよう、なんて阿呆な事を言っては、牛肉の大和煮、鰯の缶詰、コンビーフのネジをグルグル巻いている。いっそ敷布でテントを張ってそこに寝るかとおもっている。

この頃缶詰酒場とか、駄菓子屋酒場が流行しだしたという。
人間は本能的に身の危険を察知する動物だ。サバイバルキットを用意せよ。この国はかなりヤバイ。
何!災害の定番だから水上ボートを勝手おけだと。

2012年7月18日水曜日

「フジは無事か」

 


落ち目のフジテレビはどこまでも落ちて行く。

七月十六日()、フジテレビ本社入り口に満面の笑顔で日枝久会長は一人の男を出迎えた。
その男は野田佳彦首相だ。

この日、大江健三郎、坂本龍一たちと共にさよなら原発十万人集会とデモ行進があった。
その数、主催者側十七万人、警察側七万五千人でった。
それにぶつける様にフジテレビは四時五十分からのスーパーニュースでフジテレビのネット、二十八局の記者たちをひな壇に座らせて“総理の約束”なる番組を延々とやった。

震災復興は、原発再稼働は、消費税政局は、小沢新党は、どうなるマニフェスト、どう守る国民の命。
 総選挙は、刺客候補は等々まるで野田政府の広報番組、大ヨイショ大会だ。
野田はご機嫌満点、いいたい事をいいたい放題だ。

オイオイ、オマエラ卑しくも政治部担当の記者だろ、あるいわエネルギー担当、あるいわ経済担当の記者だろ。
少しは志を持てといいたい。会社から命じられた想定問答みたいに誘導質問ばかりだ。
記者としてのプライドや誇りは何処へ捨ててきたのか。何!もともと持ってないからフジテレビに入れただと?

イントロですっかりヨット焼けした老人ボケの木村太郎のヨタヨタ話、不調和顔面化粧狂の安藤優子の独りヨガリヨガリ節。いい加減にしとけよこのボケといいたい。いつまでオレたちひょうきん族をやってんだよといいたい。

マイクを握った大江健三郎は震える声でこういった。
原発の後始末が何にもついていないのに再稼働するとは我々を侮辱していると。

その夜のテレビ朝日報道ステーションでは、にわか原発反対者みたいになった古館伊知朗が被災地を訪ね、眉間に皺を寄せて国はどうした、どうしたとインタビュー、一夜漬けの話ばかり、何度訪ねても魂が入っていないのでただツルツル滑ってしまう。相方の朝日の落ちこぼれ論説委員、三浦俊章がまるで気の抜けたビールみたいだ。

大江健三郎のエッセイだかでこんなのがありました。“持続する志”です。
古館、そーですか、持続する志大切ですね。なんて言ってチョンチョンだ。
もう大概にしろよといいたい。


全国でやらせの原発について話す会みたいな代物をやっている。
お前たちヤラセだろ、東電の回し者だろと突き上げられてシドロモドロ。
山本モナとディープだった細野豪志が全然ディープでなくマアマアそんな大声出さないで、ちゃんと抽選でやったんですからと軽々しい。こんな奴が次の総理候補なんて真夏の悪夢だ。

フジサンケイグループは元々右寄りだが司馬遼太郎を出したところだ。
日枝久会長、世が世ならアウトだぜ。“燃えよ剣”が司馬遼太郎の代表作なら、少し位は“燃えよペン”といいたいのだ。
フジテレビの視聴率は振り返ればテレビ東京とか。

2012年7月17日火曜日

「涙と雨」




一度やったら止められないものといえば、飲む、打つ、買うが三大メインだがこれに匹敵するものがある。
それはする(舞台役者)だ。

七月十三日午後七時〜八時五十分、池袋のシアターグリーンという小劇場に友人と行った。
気が滅入る事が多い日々、気が滅入る雨や洪水、気が滅入るイジメや増税。

知り合いの役者さんがゲスト出演するというので行く事とした。
左右15メートル位、奥行き7メートル位の舞台に20名程の役者さんが80人程で満席となった斜め45度の客席に向かって芝居する。この人達はみんな芝居好き、日頃は様々な職業をしながら手弁当で集結する。

演出・脚色はVシネの名作「ミナミの帝王」全60作を手掛けた萩庭貞明さんだ。
刑事役の指宿豪さんが知人の役者だ。銀座で深夜Barを経営しながら自ら劇団を主宰している。
「愛しのバックストリート」という劇は裏通りにある小さなおでん屋さんに来るお客さんたちとその店のマスターと娘さん達の織り成すヒューマン群像劇だ。

舞台が終わると全員登場のカーテンコール。
拍手!拍手!また拍手!これがどうにもたまんないらしいのだ。
あ〜やってよかったもんね、楽しいもんね、うれしいもんねと出演者の数だけまたやるもんねとなっていくのだ。

“岸部一徳”名でビール半ダース、“竹内力”名で花。他に酒とかワインとかおせんべいとが所狭しとある。
出口で出演者一人一人がお客さんと挨拶を交わす。これがまた、小劇場のいいシーンなのだ。

人間好きな事を持っている人はいいもんだ。同じ事をずっとやっていると人間は日々退化してしまうからだ。
何か一つ日常の中に刺激を持つ、遊び心を持つべしと七月十四日()午後四時三分、小雨降る海岸で海に向かって一人芝居をする事とした。

砂浜で拾った流木を右手に海に向かってバカヤロー、バカヤローと怒鳴っていたら、親子連れの釣り人が私の後を通り、あの人バカみたいだねと言った。何!このガキ、もう一度バカヤローと怒鳴った。
この俺だって泣きてえんだ、ただ人前で決して泣いてはいけない役回りを演じなければならないんだ。
例えクサイ三文芝居でも。

バカヤロー!雨がどっと降ってきた。顔中涙と雨でびしょびしょになった。
黒い灰色の雲が亡き友の無念の形に見えた。

2012年7月13日金曜日

「目茶苦茶」




その昔、片岡千恵蔵という大スターが東映におりました。
 そのご子息は現在のJALの社長です。その代表作に多羅尾伴内という探偵シリーズがありました。

大スターは拳銃を右手に持ちながら階段を降りて来ます。
ゆっくりと、そしてこういいます。「貴様は誰だ!?」「七つの顔の男じゃよ。ある時はインドの魔術師、ある時は画家、ある時は私立探偵、またある時は片眼の運転手しかしてその実体は・・・・」と七つの職業をいうのです。
その全部を言い終えるまで何故か敵方は構え、拳銃の引き金を引きません。

橋下徹という人間の言動を見ていると七つ以上の職業を持つ事に気が付きます。
完全な分裂気質です。ある時は弁護士、ある時はバラエティの出演者、ある時は市長、またある時は日の丸推進人、ある時は刺青発見者、また、また、ある時は原発反対者、また、また、また、ある時は原発推進者、また、また、また、また、また、ある時は反民主、反自民、ある時は小沢絶賛、そしてまた、また、また、ある時は野田絶賛、民自絶賛と日替わりに自分が変わる深夜からは、ツイッター魔と化すらしい。

家族大切主義者にして、パラノイア、ファナティズム、サディズム、ファシズム、ヒロイズム、ナルシズム。
この人の末路はきっと檻の中かもしれない。一気に駆け上った人間は一気に転げ落ちる。利用できる者は全て利用する。

善と悪も、表と裏も、罪と罰も、権力というカクテルを作るレシピとなる。
悲しいかなこの程度の人間にみんながアタフタ、ガタガタ、ブルブルする。
本人はきっと分かっているはずだ、自分が完全なる分裂気質である事を。その恐怖が自己を制御できなくするのだ。

不安神経症だから、小心翼々なのだ。同じ様な境遇で育った私には橋下徹の心の中が手に取る様に分かる。
攻めていないと恐いのだ。守りに弱い事を誰より自分が知っているから。
もう頭の中がシッチャカメッチャカ、演歌チャンチャカチャンのはずだ。
数年前何人もいる自分の子に囲まれている橋下徹の笑顔は正気で可愛かった。

シェーンカムバックではないが、家族に帰ろうだ。今なら間に合う終列車だ。

2012年7月12日木曜日

「やられたらやり返せ」




イジメ、いじめで小学生、中学生、高校生が死を選んでいる。
何ともやりきれない毎日だ。

教育委員会や学校、教師はいつも逃げまくり責任を負わない。
私はイジメられたら親や学校やイジメ相手の家に殴り込めといいたい。
親が弱そうだと思うと相手はイジメに走り、親が恐そうだとイジメはしない。
目には目を、歯には歯をだ。


 私がガキ大将だった頃、ケンカで相手を負かすと相手の親がドーンと家に殴り込んで来たものだ。おー、恐えー。

でもあいついい親父がいたんだと仲良くなり、やがて恐えー親父さんからキャラメルとかチューイングガムを貰ったものだ。
ガキ大将は決して弱い者をイジメたりしない、イジメる奴をいじめるのだ。

世の親よ、もっと子供のために体を張れ、怒りを行動で表せといいたい。
親は子を守るためにいる。国や警察や教育委員会なんか頼っても役に立たない。
先生などは全く無力の極みだ。生徒のイジメを守るために命を落とした先生など一人もいない。自分は弱いからと思ってる親なら私の処に相談に来て下さい。

2012年7月11日水曜日

「背中」




フランスの名優ルイジューベは背中で演技するといわれた。
超一流の役者でも背中で演技できるのは今はいない。

私はよく人の背中を見る。
人の背中にその人の過去、現在、そしてその命の行き先が見えるのだ。
人の背中は一枚のスクリーンといえる。背中にメイクアップしたり、眼鏡をかけたり、ヒゲを生やしたりはしない。

矢吹健の歌うヒット曲に「うしろ姿」というのがある。
いい曲だ。「帰っちゃ嫌と、言えない私、今夜も来るとは言わないあなた、何でもないよな顔して足音だけが遠ざかる。あ〜あうしろ姿は他人でも今夜のあなたは、私の私の、私のものぉ〜」
何か後ろめたい男と女の感じ、落ちてきた女と、通り過ぎて行く男。その薄い密着感が好きなのだ。

ある男が、ある日、ある夜私に後ろ姿を見せて帰って行った。
私より20歳以上若い男であったが、その後姿に死相が見えた。あいつは死ぬなと思った。
登りつめた人間だけが持つ下相(下り坂の相)が背中のスクリーンに映っていた。

私の家前で長々と私に成功談をして帰ったのだがそこに不吉を感じた。
頂上に登った観覧車は残りの半分は下りて行くだけだからだ。失敗を恐れず失敗を目指せが私の主義である。
成功したと思った瞬間人間は下り始める。


その男はその日から約八ヶ月後死んだ。
名を言えば誰もが知っている男だ、死因は不明にせよと命じていたらしい。
ルイジューベの代表作は「北ホテル」その男が死んだのは「あるホテル」だった。

2012年7月10日火曜日

「集結の先」

 


国家権力は歴史上何によって滅ぼされたか。
全て民衆の蜂起によってである。

プラハの春を成し遂げたのは抵抗する民衆のラジオによってであった。
地下に潜った民衆は地下ラジオ局を作り、そこから情報を発信し勝利した。

ベトコンは地下トンネルによって繋がりゲリラ戦に持ち込み大国アメリカに勝利した。
エジプトの春はツイッターとかフェイスブックによって成し遂げた。

今、日本の金曜日は花金などといって遊びほうけているだけではない。
原発再稼働反対の声を上げる民衆が毎週金曜首相官邸を取り囲む。
そこには連合の旗も、日教組の旗も同盟等の組合の旗はない。赤旗もない。
 正に民衆の民衆による民衆のための集結なのだ。

この光景は安保闘争以来だ。一度蜂起した民衆の波は止む事はない。
ツイッターとかフェイスブックで集結するネット上の民衆は乗り遅れる事を極端に嫌うからだ。
思想的背景は強くなくともみんなと一緒にいないと落ち着かない性分なのだ。この波はやがて日本全国の原発反対運動に広がって行くだろう。

きっと一人か二人の死人が出るまで続く。もうどうにも止まらない。