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2012年10月18日木曜日

「そんなバナナ」




“その内とお化け”は出た事ないと昔の人はいいました。

ワルイけど直ぐ返すから、近いうちまとまった金が入るからちょっと貸してくれる、といってそのお金が近いうちに帰った試しはない。

私の先輩でこんな凄い男がいた。
今な、女房のおっかさんと一緒に住んでんだけどよぉ、廊下に毎日バナナの皮を置いてんだよ。近い内きっとそれで滑って頭を打ってあの世に行くはずだ。
そしたら保険金がしこたま入るからすぐ返すよ、だからちょっとだけ貸してくれよ。

その内といっていた男は、その後肺をやられて借金まみれで57歳であの世へ言った。
バナナの皮を拾っては捨てていた義母さんは92歳まで元気に生き抜いた。

グヤジーと先輩は夜な夜な化けてでているやも知れない。
私が貸した少しばかりの金は奥さんがちゃんと返してくれた。
バナナを見る度その男を思い出す。

夜中帰った日、台所にバナナが山ほどありました。
ご年配の方くれぐれもバナナの皮が落ちていたら気をつけてください。
できれば皮ごと食べちゃってください。すんごく不味いけど。

2012年10月17日水曜日

「おお神よ」


※写真はイメージです


潮の香りがたっぷりと車の中に入り込んで来た。
もうすぐ家だ。

その一時間半ほど前、夕方から夜中まで続いた打ち合わせを終え、友人とラーメン屋的日本食屋に入った、なんでもその店は35年間赤坂溜池で頑張っているとか。

壁にはズラズラズラと中華のメニュー、和食系のメニューがある。
その種類は300位ある。

友人とゴッツリ疲れたので生ビールの中を一杯ずつオーダー。
つまみは友人がエシャロットというらっきょうの兄弟分、それと厚揚げ豆腐。
私は金目鯛の煮付け。

頭の中が競輪場の様だ。
バンクの中を選手がグルグル猛スピードで回っているそんな感じだ。
2周ガンガンガンとジャンが鳴る。頭の中は回りに回り、口からは次々に思いつくままアイデアの連打であった。

で、ビールで乾杯お疲れさんと言ってグイ、グイ、グイ、エシャロットをコリッコリ、厚揚げ(薄かった)をネギとショーガをのせてブニョブニョ。
で、次にチンされてクタッとなった金目の煮付けに箸を入れる。

味が薄い。
時計は既に一時を回っていた。

私たち以外は若者が一人、春雨定食を食べていた。
戦後の焼け跡にある様なお店であった。
何故かカラオケ飲み放題3000円と書いてあった。

その夜、空には美しい星が出ていた。
平尾昌晃の「星は何でも知っている」を思い出した。
店を出た時クラクラッときた。ダウンしそうになった。
アリスの名曲「チャンピオン」を思い出した。
♫立ち上がるなこれでもう十分だおお神よ。

そう私はもう老ボクサーなのを忘れていた。
白子のポン酢を食べときゃよかたと思った。

2012年10月15日月曜日

「お知らせ」


鰯雲※イメージです


10日間ブログを休んでいました、というより私が書いた原稿を打ち込んでくれて送信していてくれたデスクの女性のPCが古くなり機能停止となりました。つまり携帯もPCも全く使えない私にとって一台のPCが動かないと私自体が機能停止となってしまうのでした。


やっぱり私は私なりの発信方法を考える時が来たと思いました。
坂本九ちゃんは“上を向いて歩こう”と歌いましたが、今や外を歩く人はみんな下を向いて歩いています。
会社の人はみんな前を向いています。話をする時でさえみんな下を向いています。

つまり携帯、メール、iPhonePCの画面を見ているのです。
こんな世の中絶対変てこだと思うのですがとにかく便利すぎなのは便利です。
でもこの便利の先にある社会を想像するととても恐怖を感じます。で、まあしばらくブログを更新しますが近々ジ・エンド、終わりにします。

ブログを休んでいたら何人かに病気でもしているのかと連絡がありましたので、元気でいますとのお知らせです。 
13日空には鰯雲が泳いでいました。

2012年9月24日月曜日

「お線香の煙」

おはぎ ※イメージ



「なんでこんなに人がいやがるんだ、こんな中の悪党一人位殺したからってどうって事はねえじゃないか」
い間刑務所に入っていた中年の男は人混みの中で呟く。
会っていなかった女を久し振りに抱く、じっくり口を吸ってからこういう。

「お前胃が悪いんじゃねえか、息が臭いぞ」

石原慎太郎作、篠田正浩監督の映画、「乾いた花」のセリフだ。
沢山映画を観たが最も好きなセリフだ。男は池部良、女は原知佐子であった。
小さな部屋で花札をする男と若い女。
女は男に聞く、「人を刺し殺したんだって」「ああ」「人を刺すってどんな気持ち」「どうってこたぁないが、なんか自分と繋がっている、生きているって思うんだ」若い女は加賀まりこ、これがデビュー作であった。

自分が生きてんだか、死んでんだか分からなくなった時、この映画を観る。
猛暑と残暑が体を痛めつけた。九月二十三日(日)強く鋭い雨がガラス戸を叩く。
父と母と親友と、二匹の犬の写真、赤と青の二匹の猫の置物の前におはぎを四つお皿の上に置き、お線香に火を付けて立てた。うっすらと細く白い煙が流れ雲のように部屋の中に動いた。

いつか死ぬ時どいつを殺してやろうかとふと思った。その時きっと自分と繋がる事ができる。
生きたまま死んで行ける、そう思った。

血の色をした金魚が雨をよろこんでいる。
善良な人間を演じるという事はむずかしい芝居だ。
何の思い出もない、法衣を着た父親の写真に語りかけた。
あなたはいつも本当の自分でしたかと。

2012年9月21日金曜日

「チャラの話」

 


JALだけには乗らない事を決めた。
何故かといえば不吉の火の色が赤々と見えたからだ。

会社更生法からわずか二年余りで再上場を果たした。
京セラの稲盛和夫会長の経営手腕と言うがやった事は大量のリストラ、不採算路線の廃止、ジャンボ機の売却等々である。確かにナショナルフラッグとして何もかもやりたい放題であった。
それを大鉈を振ってスリム化し、意識改革したのは持ち前のアメーバ経営です。

企業の再生人としてはやはり凄い人なのでしょう。
不吉な火の元は5200億円の債務をチャラにしてもらった事です。
私たち零細企業は借入金をチャラにしてもらう事は有り得ない。
とことん追い込みをかけて来るのが金融機関である。

例えは悪いが銀座のBarや八重洲中央口の焼鳥屋さんや東銀座のおでん屋さんのツケをチャラにしてくれといっても100%通らない。バンス(ツケ)を背負ってくれた女性や脂まみれで串入れをする親父や開店時間中おでんの種を二本の箸でひっくり返しを繰り返す女将さんに迷惑をかけてしまう。

ツケを支払わず他の店で飲んだり食ったりしていたら必ずバチが当たる事となる。
ツケを背負わせた女性の怒りはジャンボ機一機位を炎上させる程なのだ。 
JALがチャラにしてもらった5200億は預金者の血と汗の生んだお金だ。

再上場でしこたま儲けた者たちがいるのは当たり前田のクラッカー。
誰が一番儲けたかは言わずとも分かる筈だ。その夜家に帰ればグレーの封筒が来ていました。
請求書在中とブルーの判子が押してあります。決してチャラにしてくれない飲み代です。

JALが大事故を起こさない様に願います。
私の霊感は恐い程当たる時があるのです。先日横綱白鵬が前頭栃煌山に負けるとズバリ当てました。

2012年9月20日木曜日

「小さな秋」

 


チッ、チッ、チッ。
いや、キュッ、キュッ、キュッ。
いや、チキッ、チキッ、チキッとも聞こえます。

枕元の側にある竹製のゴミ入れに一匹の鈴虫がへばり付いて鳴いているのです。
私の居住空間は四畳半、そこに小さな秋がやって来たのです。取材に出ていたので気が付きませんでした。

どこから入ったのかは分かりません。
猛暑と残暑でへたった心がうれしくなりました。

九月十九日の深夜、小さな秋を満喫しています。鈴虫独り占めです。
私は家の広さとかには全く興味がありません。今住む小さな中古住宅を買った時も見たのは引越前でした。
不動産屋さんが引越をしてから文句を言われたら困るからと夜中に懐中電灯で照らしてくれました。
愚妻に全て任せていました。死ぬ程働いていると家は眠るだけの存在だったからです。

むかしの人がいいました。
立って半畳、寝て一畳、これで十分なのです。四畳半もあればかなり贅沢です。
広い方がかえって落ち着きません。子供の頃は一間に六人兄姉全員で寝ていたのですからね。

どうやら鈴虫ちゃんは未だ子供の様です。暑さ寒さも彼岸まで。
ホントむかしの人の教えには敬服です。
これを書いている文机は左右約45センチ、奥行き35センチ。
付けっぱなしのテレビは病院の病室にあるのと同じ大きさ。

私のカチカチの体に鍼とお灸をしてくれる佐賀出身の先生の治療を受けると一週間は四畳半の中にお灸の香りが残ります。これをクンクン嗅ぎながら(とてもいい香りです)鈴虫の鳴き声を聞くのです。実に風流の極みなのです。

2012年9月19日水曜日

「山の味」




東京都青梅市御岳山にある御嶽神社と、そこで行われる薪神楽の取材撮影に行っていた。

知人の方が御岳山ロープウェイの社長になったのでこの機会にと思いかねてより興味があった山岳信仰、中でもニホンオオカミ信仰の現場に行った。ペットも一緒に乗れるロープウェイは最大斜度が25度近くある。

御岳山駅には、ツキノワグマが出るので注意とポスターが貼ってあった。
ニホンオオカミは100年前に絶滅したらしい。猪や鹿が大切な農作物を食べてしまう。
猪は特にユリの根を好物にしてそれこそ根こそぎ食べてしまう。

ニホンオオカミは山の中、小さな田畑にやっと出来る農作物を猪や鹿などから守ってくれる、山の神だったのだ。
宿泊先の宿坊のご主人は御師(おんし)でありみたけ山観光協会の会長さんでもある。
そこにやはり御師兼副会長のご兄弟も来てくれた。御嶽神社の宮司さんは次の日、国宝を見せてくれた。

薪神楽は神社と宿坊の間にある大地に舞台を作り、御師や老若男女がそれぞれ狐になり翁になり、ひょっとこになる。
それらを撮影する。また、御嶽神社に向かう急な階段の両脇を、各県の人々が建てた○△講、○□講と彫られた石塔が頂上の神社までずらりと並ぶ、それを“火の玉ゆうれいの目線で撮影する。

山の中には32戸が住んでいるという。
山の中での宿泊は浮世をしばし忘れさせてくれる。
山の民との話は深夜まで続く。歴史と伝承、民話の世界に時を忘れる。
一人でも多く山に来て貰いたいというが、都会人があんまり来ない方がいいとも思う。

ピカッピカッといいアイデアが美しい星空の下で浮かんだ。
布団に横になると、足腰がパンパンに張っている。久々に山をあるいた独特の張りだ。
次の日に行った作家の浅田次郎さんと縁のある立派な宿坊の大広間に浅田次郎さんの名作、「壬生義士伝」の生原稿が飾ってあった。几帳面なペン文字で見事な原稿であった。

宿坊の食事はヤマメやアユの塩焼き、こんにゃくの刺身、山菜料理。
とても質素だ。山の宿坊は心と体に染み込んだ都会の贅沢を忘れさせてくれる。
残暑が厳しいが山の中は紅葉が近づきつつある。虫の音が闇の中に聞こえた。
舞台から投げてくれたおもちを二つ食べた。固く味はないがニホンオオカミが守り続けた山の味だ。

お土産に馬肉と鹿肉が入ったレトルトカレーを買った。商品名は「馬鹿ヤローカレー」である。

2012年9月10日月曜日

「貧への路」







井上有一 貧


歓喜の両腕を上げるがその腕に手首から先はない。
立ち上がり喚声に答えようとするがその足には膝から下がない。
だがしかしその顔は達成感に溢れ、誇り高くまた、気高い。人間はつくづく闘志に満ちている。

パラリンピックは健常者の知恵と工夫、障害を持つアスリートの不屈の精神との出会いだ。
より高く、より速く、より強くの美しい姿だ。もう直ぐ運動会の季節だ。

かつて障害物競走というのがあったがこの頃は少ない。
何故かと問えば“障害という言葉が差別的だからという。果たしてそうだろうか。
パラリンピックを見ていてそう思った。

五体満足の親が、五体満足の子が、片やモンスターペアレントと化し、片やイジメに走る。その親にしてその子ありという。私は親を裏切り続けてしまった。

ドナルドキーンさんが日本人になった。
その基は日本人の手紙にあると言った。
日本人の手紙の書き出しは美しい季節の描写で始まる。
そして日本人はどの国の人より親切だという。

九月八日渋谷から辻堂まで列車に乗った。
午後十時を過ぎていた。ほぼ満員であった。

五体満足の会社員風おじさんは右手に缶ビールを持ち、左手に柿ピーを持ってイビキをかいていた。
その前には老人が吊革を握っていた。五体満足のOL風の女性はひたすらメールを送っていた。
その前には子供連れの女性がいた。先日新橋駅で目の見えない人がホームから落ちて死んだ。
周辺には五体満足の人間ばかりだったはずだ。

本当にこの国の人間は親切なのだろうか。

この夜の深夜、落語のCDを聴いた。
長屋の人間同士がなんと親切であったのだろうか。貧乏ほど人間を美しくするものはない。
井上有一大先生の書いた巨大な“貧の一文字が目に浮かんだ。
パラリンピックの選手達も銀座でパレードをするだろう。差別があってはいけない。
そう思いながらもう一枚の落語を聴いた。
右に“金に向かう路があり、左に“貧に向かう路があるならば、私はとまどう事なく左の路に向かう。
願わくば江戸時代の長屋に住みたかった。

2012年9月7日金曜日

「絶望名人」

 


「絶望は愚か者の結論なり」と言った人がいた。
時代は絶望的な事件が相次いでいる。

ここに一冊の本を紹介する。
この一冊を読むとしばし絶望から解放される。
本の名は「絶望名人カフカの人生論」という。フランツ・カフカ20世紀最高の小説家といわれている。
ユダヤ人商人の子、生涯独身、生前は無名、「変身」「城」「審判」「失踪者」などを遺す。 
192443歳結核にて死亡、労働者傷害保険協会勤務。出版しても本は全く売れなかった。

超不眠症であった。鬱の様で鬱ではなく自殺は試みなかった。
「ぼくは人生に必要な能力を、何ひとつ備えておらず、ただ人間的な弱みしか持っていない」
「将来に向かって歩くことは、僕には出来ません。将来に向かって躓くこと、これはできます。一番うまくできるのは、倒れたままでいることです」
「誰でもありのままの相手を愛することは出来る。しかし、ありのままの相手と一緒に生活することは出来ない」
「いつだったか骨を骨折したことがある。生涯でもっとも美しい体験であった」
「僕は37歳、もうじき38歳です。でも不眠と頭痛のせいで髪がほとんど白くなりかけています」
「僕の人生は、自殺したいという願望を払いのけることだけに、費やされてしまった」
「生きることは、たえず脇道に反れていくことだ。本当はどこに向かうはずだったのか、振り返ってみることさえ許されない」等々読むほどに絶望的になるのだが、不思議な力が沸いてくるのだ。

カフカは朝起きたら一匹の虫になっていた「変身」を書いた。
きっと不眠でありながら夢をみていたのだろう。私も超不眠、考える事が多々あって昨晩はほぼ起きていた。
この17年間ぐっすり眠った日は一日もない。だから人より一日を長く使える。
ただカフカの様な小説を書く才能が全くないのだ。

朝四時三十五分四十三秒朝刊が来た。
三匹の金魚にエサをあげたら大いに喜んでいた。
金魚は眠る事があるのだろうか。飛鳥新社/定価1,429+税。弱さという巨大な力を知る事ができる。






2012年9月5日水曜日

「超名人」

猪瀬社長の作る眼鏡
 


吹き矢、弓矢、仕込み杖、機関砲(モデルガン)、手巻きの蓄音機からは♪ウスクダラの曲、CDプレイヤーからはオペラが流れる。一階、二階、三階、四階、五階と歩いて登る階段も各部屋の中はまるで博物館。

明治天皇、吉田松陰、大村益次郎の書や、肖像画、ハイパーアート、中国掛軸、インドの陶器、現代アート、もう一階から五階まで驚きの連続だ。一階ショールーム、二階(会議室だったか)、三階仕事場、四階(ミーティングルーム)、五階(パラダイスルーム)奥さん、お弟子さん、一人、二人、三人目は中国の若い女性


長い間人生をやっているともの凄い職人さんと出会える。
白いTシャツをめくると体に川の字に長く深い傷三本。聞いてはいたが凄かった。

ある仕事の相談に福井県鯖江の眼鏡会社社長と行った。
九月四日には私とデザイナーの後輩と行った。第一回目でぶっ飛んで第二回目で心が通い合った気がした。
仕事場には大小のダイアモンドがゴロゴロ置いてある。

で、この名人職人の名は猪瀬彰則さん。
一級貴金属装具製作技能士、一本1000万、2000万の眼鏡を作る名人だ。眼鏡の世界では知らない人はいないとか。
この人に出来ない事はない。鯖江の社長は最大級の敬意を持って私に紹介してくれた。

何故だか紹介されて直ぐに親分とか、親方とかいわれた。
名人はグルグル蓄音機を回した。そこから流れてきたのは「愛染かつら」だった。
♪〜花も嵐も踏み越えて行くが乙女のぉ〜と名人は歌う。キャーとかいってこれ凄いでしょ、本物の“金の玉”だよといって金の名作を見せてくれた。とに角いい人、明るい人、面白い人、凄い人。名人の会社(イノン)の目の前は板橋警察署だった。留置されている人はいい曲を聴いてるかもしれない。

相談の件は名人でも難しそうだったが、親分のために一肌脱いでみるよといってくれた。
名人はアメリカで買い求めたというインディアンの弓矢を数本肩から斜めにかけ(革袋入り)、手には大きな弓矢を持っていた。電話がかかって来た。えーホント買えたのスゲエー、良かったと大声を発した。

念願の温泉付の住まいを熱海で見つけたという。
海を身ながら細工物を作りたいんだ、ネッ、ネッいいでしょうといって煙草を喫いに出て行った。
気遣いの名人でもあった。新作発表のため忙しいんだという中、二時間程相談にのってくれた。
帰る時、奥さんとお弟子さんと三人でずっと、ずっと手を振ってくれていた。まるで夢の様な人だ。