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2015年7月2日木曜日

「こゆるぎ」


 
写真はデラックスこゆるぎ弁当
小田原といえばまず浮かぶのが北条早雲であり、小田原城である。
小田原提灯も、そうそう豊臣秀吉と伊達政宗の小田原のつれしょんも有名だ。
駅前には干物、乾物、蒲鉾屋が軒を連ねる。

駅弁といえばやはり「鯛めし」が有名だが、私は断然「こゆるぎ弁当」が好きだ。
丸い竹わっぱの中に味付けごはん、グリンピース入りとろり味の玉子と肉そぼろ、四角に切った小さな竹の子の煮付け、えび天ぷらや鳥肉ヤキなどがふたを取ると見た目キレイに楽しそうに顔を出す。

小田原に着いたり、小田原に行くと必ず買う。
大磯、平塚両駅でも売っている。
お茶と一緒で1000円である(デラックスこゆるぎだと1000円を少し出る)。

確か乙川優三郎さんだったと思うが、「小田原鰹」という短編小説があった。
夫婦にはいろんなことが起きる、故あって夫と別れた妻が実家の小田原に帰る。
そして初鰹の季節になるとそれを送る、確かそんな話であった。
この作家は市井の民のほんの小さな心の動きや出来事を映像的に書く名手だ。
山本周五郎さんのようにである。

京都から帰る途中小田原駅で「こゆるぎ弁当」を二つ買って帰った次の日、そこ付近で焼身自殺があった。なんと新幹線の中でだ。言葉を失う出来事だ。

年金だけで生きて行けない七十一歳の人間が道連れにしてしまったのは、五十二歳の整体師の女性。お伊勢参りが目的であった。人の心と体を整えてあげたいとその職業についたとか。

小田原での惨事は、防災、防犯罪の在り方について永遠に語り継がれる歴史的場所となった。国の政権が乱れると必ず人の心も乱れまくる。
大馬鹿な作家や、戦争大好きな阿呆な政治家や、権力にひれ伏す法律家などが続々と出る。大都市のどこかで小田原の惨事みたいなのが起きるやもしれない。

事前防災・できることから始めよう。
このテーマにずっと取り組んでいるステキな女性社長と私の仲間たちとで、近々ある法則を発表する。日本列島は災害列島なのだから。いつくるか分からないが、どこかへ必ず来ることだけは分かっている。いずれみなさんに報告をする。国を救うのは決して戦争ではないのだ。

2015年7月1日水曜日

「狼の詩、ヨーイスタート」



映画チラシです。


六月二十八日(日)群馬県前橋市にて新作の短編映画(27分)の第一回上映会を行った。主役を演じてくれた一人が前橋出身の現役のムエタイの世界チャンピオンだからである。

その名をリヨン樺澤さんという。無敵の人だ。
そのリヨンさんの父上が空手家の樺澤春雄さん、国土會の総裁である。
 若かりし頃、国士舘大学時代はケンカの鉄人といわれた人である。

父は息子を尊敬し、息子は父を敬愛する。
これぞ日本の親子なのだと思った。

樺澤総裁のご尽力でシネマまえばしの120席はほぼ満員となった。
心より感謝御礼であった。
制作資金の一部を出してくれた指宿豪さん、赤城廣治さん、内藤泰憲さん、恐くてステキなポスター11点をデザインしてくれたアドビジョン銀座の社長、前島一郎さんとステキな奥さん、映画初出演であった沖縄の仲里健太さんとそのボディーガード&ドライバーの方、それにプロデューサー&スタイリストの上原有美さんが前橋に来てくれた。

映画の題名は「狼の詩」、岡倉天心の名著「茶の本」を読んでインスパイアされ脚本を書いた。監督は新進気鋭の寺尾学ぶさん。残念ながら舞台演出中で来れなかった。
親分役のベンガルさん、親分の女役の美美さんもスケジュールが合わず来れなかった。

若頭役の赤城廣治さんは日本の広告界を代表するコピーライター&クリエイティブディレクターで若手のリーダーである。
日常生活では正義感の塊なのだがヤクザ役を頼んだ(抜群の演技)。
兄貴分役の指宿豪さんは、銀座でクラブを経営する一方、劇団を主宰、演出と出演をしている。また現在真言密教の修行中(すでに法名を受けている)
弟分役のリヨンさんは指宿さんとVシネマで共演したことがある。
若い衆役の仲里さんは食品関係の会社を運営中。

指宿さん、仲里さん、そのボディーガード(そこいらのタレントの数倍カッコイイ)には見事な刺青が入っている。何故でしょう(?)この人たちの礼儀正しいことこの上なし。
若い衆役の内藤さんの本業は鍼灸マッサージ師、その道の達人で週に一度私の体の手入れをしてくれている。優しいオトーサンが恐いオニイサンになってくれた。

何時も鋭い批評をしてくれる中野裕之監督に見てもらったら高評価をしてくれたのでひとまずホッとしている。それにグラフィックデザインの大巨匠井上嗣也さんも。
また日本の映画界で賞を獲りまくっているプロデューサーの星野秀樹さん、PARCOの文化担当金子学さんからも高評価をいただいた。手応えは十分ある。

次は東京で岡山(倉敷)で、ひょっとすると四国の四万十でも上映会をするかもしれない(友人が四万十映画祭をやっている)。
映画バカが集まって、お金を出し合って、仕事の合間を作って一年二ヶ月かけてやっとここまで来たのだ。

青山学院大学の学生時代アルバイトとして私のところに来てからずっと一緒だったチーフプロデューサーの奥野和明君は事情があって実家のある大阪に帰った。
心から御礼を申し上げる。誰か会ったらよろしくいって下さい。
タクシーの運転手さんになって大阪の街を流しているはずだから。
本人はこの方が性に合っているといっていた。バカな私を支えてくれた。

日本映画史上初めてのシーンを見ることが出来ます。拝金主義反対の映画。
正しいヤクザは必要なんだ(?)の映画です。協力をしてくれた多くのスタッフの方々のためにもきっと大きな評価を受けてその恩に報いたい。
私のような映画バカは死ななきゃ治らないのです。

2015年6月30日火曜日

「敷ふとんとフェルメール」




ギリシャ悲劇が目前に迫った。借金が返せないからだ。
すでに銀行に金はない。

会社経営なら金融機関から資金を借りつつ再起を図る。
が、国家経営となると話が違う。
ギリシャ、ロンドン、北京、スペインこの国はあるイベントを行って以後国家経営がメタメタにダメになってしまった。

そして日本国もそのダメに一直線に向かっている。
あるイベントを行うからだ。1000兆円以上も借金がある世界一の借金国なのに。
イベントの名はオリンピックだ。

そのメイン会場の建設費が1300億の見積もりから2500億以上にどっかーんとふくらんだ。通常こんなケースはコンペで勝ち取っても一度白紙にされるはずだ。
コンペが詐欺的行為となってしまうからだ。
藝大、東大、国立大学コンプレックスの建築家安藤忠雄という人間が暗躍した結果だ。
日本でやるイベントは日本人の建築家に任せるのが筋というものではないか。

聞くところによると安藤忠雄はプリツカー賞を受賞した者しか参加させない方針を立てたとか。そうではないと自分の嫌いな人から選ばれてしまうチンケで浅はかな考えだからだ。
芸術家が政治や権力者に近づくと、千利休や古田織部のように結局腹を切らされ首をさらされる。商業イベントと化した、たかだか三週間の世界大運動会のために国が滅びてなんとすると私は思う。

ギリシャの借金に比べて日本国の借金は桁違いに大きいのだが日銀がバンバン刷るお金に邪悪な連中は目が眩んでしまっている。日本大悲劇が確実に起きると断言する。
あー嫌だ嫌だ、利権屋のパシリと化した安藤忠雄のダミ声なんか聞きたくないのだ。
こんな不快な気分を五人のかわゆい舞妓さんが晴らしてくれた。


昨日行った京都のイベント開場にゲストとして舞妓さんが来てくれた。
祇園のみなさんが芸ごとをお稽古する書院通りの祗園甲部歌舞練場に大広間、中広間、小部屋がありそこにフェルメールの絵が日本建築と調和しながらある。
大庭園の見える大広間の窓際に一台のベッドがあり、そこにoluha(オルハ)の羽毛敷ふとんがある。そこで横になりながらフェルメールの絵を見れるのだ。
レセプションに来ていた女性たちは横になり気持ちいい、最高を連発していた。
(文中敬称略)

2015年6月29日月曜日

前橋から京都へ


昨日は群馬県前橋市で新作の短編映画(27分)の上映会を行った。

本日ただいま京都へ向かう車中にいる(プロデューサー&デスクの女性が打って発信してくれている)。
祇園で行うフェルメール リ・クリエイト展に参加するためだ。

青山学院大学教授・福岡伸一さんと、ソトコト編集長・小黒一三さんのライフワークのような展覧会だ。

音声ガイドは小林薫さんと宮沢りえさん。ヴァイオリン演奏は川井郁子さんだ。
えっ、

と驚くことをやる。
詳細は後日に記す。

2015年6月26日金曜日

「未練心に…」





作詞家・横井弘さんが死去したという記事が昨日の朝刊に載っていた。
八十八歳というから米寿である。
横井弘さんの名を知っている人は音楽関係以外の人ではかなりの作詞通といえる。

横井弘さんは大ヒットを世に出した。
この詩を読んだら、あっ知ってる、唄っているはずだ。
で、代表作を二つ書く。

♪〜惚れて 惚れて 惚れていながら 行くおれに 旅をせかせる ベルの音 つらいホームに 来は来たが 未練心につまづいて 落とす涙の 哀愁列車…
今は亡き三橋美智也さんが唄った名曲「哀愁列車」である。

その昔私は酒を飲んでいる時、こんばんわといってギター片手に店に入って来た流しの歌手にこの歌を唄ってもらった。
何!知らないだと、それじゃこれはどうだ。

♪〜下町の空に かがやく太陽は よろこびと 悲しみ写す ガラス窓 心のいたむ その朝は 足音しみる 橋の上 あゝ太陽に呼びかける…
倍賞千恵子さんが今も日本のアチコチで唄い続ける名曲「下町の太陽」だ。
この歌を知らない人は十代か二十代だと思う。

♪〜下町の恋を 育てた太陽は 縁日に 二人で分けた 丸いあめ 口さえきけず 別れては 祭りの午後の なつかしく あゝ太陽に 涙ぐむ。

初恋に胸をトキメカした頃を思い出しませんか。
好きな子が縁日に来て浴衣姿で金魚すくいや水飴をなめていた姿を。
目と目が合ったその夜はきっとまんじりともせず起きていたはずです。
横井弘さんの詞は印象派の絵のようであり、写実画のようでもある。

この頃は詞のいい曲がありません。覚えられない詞ばかりです。
♪〜泣いて 泣いて 泣いているのを知らぬげに 窓はふたりを 遠くする 見返れば すがるせつない 瞳(め)のような 星が飛ぶ飛ぶ 哀愁列車…。
さようなら横井弘さん。私はずっと未練心につまづいています。

2015年6月25日木曜日

「賞について少々」




“物書き風情”に惚れやがって出て行け、家を出て行け、お前なんか俺の娘じゃない、とっとと出て行け。
なんて親から嫌われた職業が、物書き風情といわれた自称小説家だった。

小説ではメシは食べて行けない時代(今でもそうだが)文学少女たちに、ややこし文学論をショパンとかモーツァルトの流れる薄暗い珈琲店で延々と語り続ける。
キミに分かるかな、今ボクがどれほど文学に悩みもがき苦しんでいるか、いかに生活が困窮しているか、あーボクはもう駄目だ、ボクは生きている価値がない。
ボクと死んでくれ、なんて新派の劇みたいに演じる。
 純情な文学少女はそんな男に、出来ることならなんでもする、お金ならきっと何とかする、なんていってついには身を滅ぼしていく。

物書きはヒモみたいなのが殆どだった。
それでも必死に小説を書き出版社に持っていったり、編集長に送る。
その結果99.9%がボツですという返事を受ける(返事すら来ない場合も多い)。
0.01%に選ばれた小説は編集者によって朱を入れられて、真っ赤っ赤、空の雲みたい原稿は真っ赤になる。原型をとどめない。

これじゃボクの書いた小説じゃないと叫ぶも、編集者はいう、キミねえ、本気で書いているの、この程度で世の中に出して売れると思ってんの、主人公の存在感が日常的すぎるんだよ。
文句あんなら一から書き直して見なさいよ、持って帰ってよく考えてよなんていわれる。
チキショーバカにしやがって、あんな奴にボクの(あるいはオレの)小説が分かるかと安酒を煽ってクダを巻く。

かつての文学少女は厚化粧の女となり、これからよ頑張って、私も頑張るからと物書きに尽くす。小説家は100%編集者によって作られていく(自費出版以外は)。
画家は画商によって見い出されなければ路上で売るしかない。ヘビー級チャンピオンはマフィアが生み出すといわれている。

お笑い芸人さんが書いた作品「火花」が芥川賞の候補作になった。
私は立ち読みでパラパラとめくったが、こりゃ駄目だと思ってしまった。
世にはいい小説を書くが残念ながら世に出れない物書きがいる、いい編集者との出会いがないために。そんな物書きの影に、必死に尽くす女性がいる。

小説はかつては文学作品といわれたが今では“文学製品”となっている。
私もそんな製品を恥知らずに出している。全然売れていないのでほっとしている。
お笑い芸人の作品が芥川賞を受賞することを願っている。
その次の作品をじっくりと読ませてもらう。

佐藤泰志というすばらしい作品を書いた北海道の小説家は、芥川賞の候補に四度なりながら受賞出来ず、やがて自ら命を断った。
太宰治はなんとか芥川賞を下さいと審査委員に手紙を送った。
その頃は芥川賞に文学的価値があった。いい小説ははじめの一行で決まる。

ちなみに文学少女に年代の決まりはありません。
文学を愛する女性は等しく文学少女なのです(?)

2015年6月24日水曜日

「赤い列島と赤紙」




北は北海道から南は沖縄まで、日本列島の大地は、名主や地主、庄屋や地頭、悪代官や大名たち、置屋や金貸し、軍閥や財閥による抑圧と搾取、権力と暴力による弾圧によって歴史の中に血と汗と涙を染み込ませている(血涙という)。

大地は決して笑うことはない。山は怒り、河は怒り、海は怒る。
貧しき者、小作人はいかなるときも、めげず、へこたれず、よく働きつづけた。

そして赤紙一枚で戦争に引きずりだされた。
美しい日本列島は、実は赤い血の色をしているのだ。

敗戦後七十年、この国の歴史を今一度学ばねばならない。
あとで振り返った時、あの年が地獄への入り口だったとならないために。 

2015年はバカなテレビを見て笑っている場合ではない。
マズイ、私はバカなテレビをずっとつけっ放しだ。

マッカーサーたち占領軍の第一の目的は、爆弾を抱いて飛び込んで来る怖ろしい国民を徹底的にバカにすることであった。
もう一つは日本列島を永遠に米軍の基地にすることであった。
沖縄に目を向けよ、沖縄から学べ。

昨日六月二十三日は「慰霊の日」であった。
沖縄を血の島と化したマッカーサーたち占領軍が残したいいものがある。
民主主義と憲法九条だ。数百、数千万の命の代償だ。

コラッ、聞いてんのか、テレビを消せっていってんだよ、何!戦争なんか起きる訳ないってか、お前たち今度ヒロシマとナガサキに連れて行ってやる。
七十年前私たちはこの世に生まれた。戦後っ子として。

七十年前沖縄で部下たちを殺しまくった分隊長、小隊長、中隊長、大隊長たちはまだしぶとく生きている。戦争は終わっていないのだ。今年は沖縄の友人のところに行く。
きっと行く。ナベちゃん待ってろヤー!なのだ。

2015年6月23日火曜日

「裏も表も」



ある親分が書いた新刊本を読んだ。
正確にいえば元親分六十九歳、今は代を譲り堅気になっている。
過去に三冊自費出版しているのだが今度の本は有名な出版社から出されている。

題名は「ヤクザとシノギ」。シノギとは食べていく手段だ。
ヤクザ社会では引退し堅気になった人間は的にかけない(手を出してはならない)という決まりがある。あくまで正しいヤクザ(?)であればの話だが。
254頁の中に波瀾万丈の侠(オトコ)の人生がある。

読むと若い頃私が数年間勤務した一般会社社会と同じである。
上司への不信、上司への裏切り、仲間との出世争い。
利権の取り合い、人事への不満、金の貸し借り(バクチや賭けゴルフで)組織防衛(MAみたいなものから)これらはいつの世も会社人間が日々直面しているものだろう。
違いといえばヤクザ者が下手を打ったり、モメゴトの仲裁に失敗した時には指を詰めることだ。この本の書き手である元親分も三度指を詰めている。

一般社会ではそんなことはありえない。上司は部下を見捨てる、部下は上司を見限る。
チクリ(密告)と風を吹かせる(ネットなどにガセネタを流したり、針小棒大にする)ことに仕事を忘れる。ネットカフェに入り浸る会社人間はほぼこのことに熱中しているといっても過言ではない。会社とは社会の逆文字だから、正しいことの逆が多い。

あのバカヤロー仲間のみんなが心配しているのに裏切りやがって。
とんでもない反社会行為をしやがって。
久々にいつものグラスで飲む酒も悲しくまずい夜がある。

ヤクザ者の世界ではキッチリとけじめをつけるのだが一般社会ではケジメはファジー(曖昧)のまま終わることが多い。表社会を学ぶには裏社会を学ばねばならない。
元親分の本はその教科書となる。

高校とか大学の教科に「裏学科」を作るべきだと思っている。
暴対法でシノギが減った人々の仕事場が生まれる。
「裏学科」で、喧嘩道、博打道、女道&男道、人事道、裏切り&ケジメ道、シノギ道などを重点的に教えるのだ。

現在午前四時三分五十一秒、なにやら酔いが回ってしまった。
国会は長期延長、内閣支持率がついに30%台の危険水域に(朝日新聞調査)そして9月末まで大幅会期延長となった。かなりキナ臭くなってきた。
親分を裏切る者共がこぞってスタートラインに立ち始めた。
政界の一寸先は闇に向かって、もうすぐヨーイドンだ。

2015年6月22日月曜日

「三國連太郎の役は、三国連太郎」




「悪魔みたいな人間」という存在は多く知っている。
私も人から悪魔の如く思われている存在の一人だ。

さて、「善魔」という存在を知っていますか。
とにかく徹底的に善い人なのだ。
純粋で、純朴で、素直で、気高く、慈愛にあふれ情愛が噴出しまくるのだ。

こんな人がいるのかいないのかを描いた映画が木下恵介の「善魔」だ。
撮影は勿論名人、楠田浩之なのだ。1951年松竹の作品だ。
名優三國連太郎の新人第一作であり、若い新聞記者役である。
その記者役の名が三国連太郎でありその後その名を役者名とした記念すべき作品である。

六月二十一日朝4時頃から観た。
その前にアメリカの大学であった実話からインスパイアされた。
「神は死んだのか」を観た。無神論者の教授と有神論者の学生とのディベートだ。
聖書の言葉が次々と出る。

尊敬している友人の教授から送っていただいて以来、青い聖書を仕事場の座右の書としているので出るたびに少しずつ読み、少しずつ忘れてしまう。
私はいつまで経っても不出来なのだ。私にはイエスもノーもない。

さて「善魔」なのだが、劇中新聞社の上司である社会部長(森雅之)がこんな言葉をいう。世の中で素直ほど厄介なものはない。
悪魔は分かりやすいが、悪魔は分かりにくいと。

木下恵介は、大学時代に恋心を持った女性ですら冷徹にスクープの対象とする。
決して悪人ではないが現実的でしたたかな社会部長をより人間的に描く。
一方新人記者の三国連太郎はスクープの対象である女性の妹を徹底的に愛してしまう。
悲しいかなその妹は二十歳を前に病気で死んでしまう。
だが僕はどうしても結婚するんだといって、なんと処女のまま死んだ妹と結婚をする。
姉役(淡島千景)、父役(笠智衆)、妹役(桂木洋子)。

富士山が美しく見えるモノクロームな山の中、社会部長はその場を去って行く。
彼は官僚の力で出版局参与という閑職に追いやられるのだがそれを現実として受け入れて行く。善と悪、現実と非現実とを見事に描いていた。そして結婚とは何かを。
 ある人はいう、世に人に好かれたく善い人ぶっている者ほど始末の悪い人はいないと。
いざという時にいつだって沈黙する神こそ善い人ぶっている始末の悪いいちばんの存在だと(神がいればだが)。

六月二十日(日)早朝映画を見終わりそのまま少々時間をつぶした後、孫の野球の応援に行った。平塚の山の中にある日本トラック協会総合野球場、リーグ戦の第一戦、相手は横浜の港北から来たチームだ。
相手は23人、当方は13人。
00でむかえた最終回一点を取りそれを守り切って10で勝った。
雨の中応援するのは20人ほどのチーム関係者。
コーチや当番のお母さんたち以外では私一人のようであった。

私はどこへでも行く。
雨に濡れますからテントの中に入って下さいとお母さんたちにいわれた。
最終回に神はいたのかもしれない。

2015年6月19日金曜日

「藤井保さんと新良太さん、そして…」


藤井保氏「ぐんげんどう・経(たて)」より
新良太氏、井上嗣也氏の写真集より





天才的な作曲家がいる。
天才的な作詞家がいる。
天才的な編曲家がいる。
天才的な歌手が唄う。
だがヒット曲というのはここ数年アニメの主題歌位しかない。
才能がある人は音楽界にあふれるほどいるのに何故だろうか。

天才的な画家がいる、だが売れない。
天才的な陶芸家、天才的な彫刻家、天才的な書家。
だがみんな売れない。

銀座には数多くの画廊があり、個展やグループ展が催されているが、残念ながらこの一年一度も身震いするような作品に出会うことはない。

十数年前通称「通天」といわれる人の大作を見た衝撃はない(この時は心臓がバクバクした)。時間があると画廊を回るのだが、そこには工夫がなくいつも入りにくい。
どこかまったりとしている。いつか見たような、どこかで見たような作品ばかりが天才的(?)に描かれていたり作られている。
「性」がないからだろうか、「狂」がないからだろうか、「死」がないからだろうか。

先日二冊の写真集が送られて来た。
一冊は藤井保さんという広告写真の巨匠の作品である。
葛西薫さんとのコンビで数々の広告賞やデザイン賞を受けて有名だ。

ご自身の故郷島根の民話とか伝承の世界を独特の階調ある写真で語り継ぐ。
藤井保さんと北海道出身の葛西薫さんは階調が合うのではと思った。
作品で表現される色温や色感は生まれ育った地のものだからだ。
二人の作品にスカッ晴れの空はなく、真っ白い雲はなく、緑の大地はない。
だがいかなる絵画より心の深くに迫り来る。
クリエイティブディレクションは佐藤卓氏、デザインは林里佳子氏。
 素晴らしい写真集であった。

題は「ぐんげんどう・経(たて)」平凡社刊、本体5,000円である。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の世界を感じたい人にぜひおすすめしたい。
松葉大吉著の自分史も読める。

もう一冊には言葉を失った。
新良太氏の写真をグラフィックデザインの巨匠井上嗣也氏がアートディレクション&デザインをしている、と来れば常識はない。
月という存在がグラフィカルにデザイン化されている。
北海道で撮ったという太陽は原爆化されている。
未だかつて見たことのない写真集である。
哲学的であり、観念的であり、無邪気な遊戯でもある。
大判の写真集は売るためのものでなく、見てもらいたい人だけの限定であった。

藤井保さん、新良太さんの作品はきっと大きな評価を得ると確信する。
本当の天才は実にひっそりとしていることを改めて知った。
残念ながら絵画ではそんな人を味わっていない。
但し今私の手元には一人の天才的画家の絵がある。
友人からその発表を託されている。

六月十六日ある画廊のオーナーと打合せをした。
来年の三月に世に出すことを確認した。すでにイメージの中でセレクションをはじめた。話題を呼ぶであろうと思う。画廊の世界観とはまるで違う、スポーツマンのようにステキなオーナーも興奮(?)していた。ご期待されたし。