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2020年4月3日金曜日

第44話「私は座席」

私は「座席」である。私の仕事は主に店に来たお客さんを座らせることだ。私は木製であったり、布製やレザー張り、畳に座布団であったりする。私座席が何よりうれしいのは、私座席の上にお客さんが座ってくれることだ。新型コロナウイルスを感染させないために、飲食店での時間を自制すべしという空気になった。強制力はないがこれ以上の拡散は止めねばならない。私座席は、店のオーナーや、店主や、店長の客待ちの辛い顔を見るのは、ヒジョーに心地よくない。現実は厳しい。鴨せいろが人気の「銀座長寿庵」はいつも満席なのに、お客が三組しか座っていない。ちらし寿しが美味しい、「新富町寿し辰」はお客さん二人だけ。ハンバーグがマアマアの水天宮「ガスト」は、お客さんが二組と女性一人とガーラガラ。マカロニグラタンが旨い「茅ヶ崎ジョナサン」は、老人夫婦一組とオバさんたち四人だけ。あんぱんで有名な「銀座木村屋」私座席は、ここの3階のビーフシチューが好きである。その日は2階でミックスサンドと珈琲をオーダーした。お客さんは若い男女一組だけ。いつもは満員電車のような1階のパン売り場はガラガラ。下手なイタリアンレストランより、ここのパスタの方が全然いいと思う「銀座椿屋珈琲」はお客6人。ここの天丼がいちばんと信じる、「辻堂五島」にはお客さん二人。雨が激しいので仕事場の前にある「鮒忠」に行くと、誰もいない、で、入らなかった。私座席はこの現実を見て思わず悪夢だと口走った。この一週間、一人で、あるいわ友人と、又知人と行った店だ。それぞれ昼時だったり、少し遅めの昼だったり、夜六時頃とか、八時頃のことだ。私座席が行った時、丁度空いていたのかも知れない。(そう願いたい)私座席の会社も、今日からテレワークを始める。社内は空席だらけになる。パソコンもスマホもない、正しくは使えない私座席は手も足も出ない。オンボロのファックス機だけが頼りだ。私座席はお客が座ってこそその役目を果たす。昨日ボックス型タクシーに乗ったら、異常にていねいな若い運転手さん。私座席が座ると、ご乗車ありがとうございます。私は日本交通のです。ドアを閉めます。安全のためにシートベルトをお願いします。行き先をいうと、ハイ、×へ行かせていただきます。ハイ右へ曲がらせていただきます。エッ、スミマセン、ラジオはついてません、ハイ、左に曲がらせていただきます。800円払って降りると、ご乗車ありがとうございました。又、日本交通をご利用くださいとなった。何だか座り心地が悪かった。日本交通は徹底しすぎていて不気味だ。(セダンは腰が痛いのでなるべく乗らない)私座席は早くお客さんが、たくさん座ってくれる日が来るのを願う。悪夢よサラバと。昨日深夜から朝まで映画とドキュメンタリーを見た。映画は「人間失格」監督は蜷川実花。主役の太宰治を「小栗旬」、妻役宮沢りえ、愛人(A)を沢尻エリカ玉川上水で心中する愛人(B)を「二階堂ふみ」。坂口安吾を「藤原竜也」であった。出来栄えは、う~む人間失格への濃厚接触が希薄であった。ただ男と女が抱き合い、交わっても、人間失格とはならない。映像は色彩やなシーンと、思いっ切りダークにした、独特の蜷川ワールドであったが、美術のセットがいかにもバレバレであった。上映時座席にお客さんはたくさん座ったのだろうか(?)(つまりヒットしたかどうか)小栗旬はあと10年位年を重ねると、もっといい味が出るのではと思った。ドキュメンタリーは、アメリカで起きた女子高校生のレイプ事件。アニメと実写を使って実話を表現する。SNSによる噂さの拡散は恐ろしい。年頃の娘を持つ親とか、孫を持つジイジイ、バアバアが見たらゾッとする。ネットという暴力によって、女子高校生は自ら命を断つ。私座席なら最大限の復讐をする。午前五時二十四分二十一秒。外は明るくなっている。どんな政府案が出て来るかと思っていたら、国民一人ひとりに、布マスク2枚をと聞いて、私座席は席から落ちそうになった。その予算200億円、布マスクは全然「マスクデラックス」でない。(文中敬称略)




2020年4月1日水曜日

「閑話休題」

三月三十日米紙USAトゥデイ(電子版)に、「世界中が疫病と死と絶望に包まれている時に、なぜオリンピックの日程を発表する必要があるのか、「無神経の極み」だ。せめて暗いトンネルを抜けて光が見える時まで待てなかったのか。同紙の運動担当のコラムニストの記事があったようだ。私もコロナ対策をしっかりと先きを見て対策をしなければならない。冷静に判断をしなければならない。無神経の極みといわれないよう。長い付き合いの飲食店、バー、クラブの人からお客さんが全然来ない、来てよ、来てね、来てチョーダイと連絡が入るが、とてもそんな情況ではない。誘っても今は止めとくとなる。義理を欠くのがつらい。生き残りをかけたサバイバルゲームが始まっている。こうして書いているのも、無神経の極みかも知れない。午前二時いつもより二、三時間早くふとんに入ったが、レンドルミン一錠+サイレース一錠は全く効かない。仕方なくパジャマにベストを着て、ドキュメンタリーシリーズを見る。「フロイト・若き天才と殺人鬼」第一話「ヒステリー」第二話「トラウマ」第三話「夢遊病」を見ていたら、午前五時三十六分〇八秒を時計の針は通過した。ロックダウンされる前に出社して、いろいろやらねばならない。いつも無表情の美人アナウンサー「夏目三久」さんは、紙人形みたいだなと思った。NTVの報道番組のレギュラーも長いし、深夜番組で下ネタ話にも動じない。朝から深夜までよく働くなと感心する。ニュースはしたたかな小池百合子東京都知事にジャックされ、さながら選挙活動みたいになった。山本寛斎さんが白血病を公表、クドカンこと宮藤官九郎さんがコロナに感染。オリンピックの400メートルリレーの選手、サッカーの選手と続々感染拡大。今日は強風と雨、さらに雷とか。すでに雨音が強くなっている。女子ゴルフずーと中止、プロ野球も集団練習活動や試合などを中止。サッカーも中止。政府の有識者会議(?)総理大臣やあの財務大臣もマスク姿。奇妙な会議風景をはじめて見た。大阪の吉村知事が政府は早く、封鎖を、対応が遅すぎると記者に応える。こうなると、へそ曲がりの対応を側近たちと練るかも知れない。病院→遺骨になって帰って来た、「志村けん」さんが悲しい。若き天才フロイトの時代は、電気がなく、灯りは月の明かりと、ローソクのユラユラする灯りだけ。どんよりした暗い時代だ。やたらにコカインを飲むフロイト。シリーズに“無神経”はないようだ。雨が激しくなって来た。財界から緊急事態宣言を早く、都知事も早くと政府を促す。ずっと眠っていないのでバナナを食べる。珈琲を飲む。ついでにプチケーキを四つ食べる。脳が疲れているのだ。普段はほとんど食べない。コロナ問題で一番有名になったのは、白鷗大学教授「岡田晴恵」さんだ。朝・昼・晩アチコチのニュース番組に出ずっぱり、髪は乱れバラけて汗ばんだ顔や首筋にへばりついている。きっといい人なのだろう。が、日々疲労度が増している。ニューヨークの病院は“地獄絵図”とか「コンビン麻衣」さんという人が報告する。2~3週間後は東京もこうなるかもとコンビンさん。ジョルジオ・アルマーニが防護服のデザインをするとか。私の大好きなニューヨークのセントラルパークは、コロナのテント村になっている。今や日本国のリーダーが誰か分からない。北海道の若い知事、大阪の若い知事は対応と行動と実施が早い。台湾の蔡英文総統はさらに早い。ドイツのメンケルも復活。女性力はすごいと思う。厚労大臣の影が急にうすくなった。悪魔のようなあの民主党時代が口グセのリーダーだが、疲れ切ったピッチャーは交代したほうがいい。キャリア豊富なピッチャーに。顔色がすこぶる悪い森喜朗元総理ではもう仕切れない。日銀総裁になれずに、オリンピックに身を投じた。武藤敏郎は使えない。スネに傷のある者ばかりで、スポーツ音痴だ。延期を待っていたかのように、元電通専務高橋浩之がオリンピック招致で、9億円近い金を手にしていたかのような記事が出た。アメリカの新聞によると、来年開催できる保証は、何もないと書いている。スポーツマフィアが利権を仕切る、商業オリンピックは、見直す時が来たのだ。熱いシャワーを浴びていざ出陣だ。♪~ 上を向いたら キリがない 下を向いたら アトがない。「泣いてたまるか」故渥美清さんの歌声が聞こえる。圧倒的に数が多い、貧者が最後に残ると決まっている。(文中敬称略)


2020年3月31日火曜日

第43話「私は残念」

私は「残念」である。お笑い芸人の中でも突出した、大天才であった、元ドリフターズの「志村けん」さんが亡くなった。大丈夫だぁ~”が決め言葉だったが、胃のポリープ(?)の手術後、弱っていた体に、新型コロナウイルスが侵入し肺炎を起こしたという。一日煙草三箱を喫う、ヘビースモーカーであった過去がある。今すぐ禁煙しても痛んだ肺は回復しない。20年位前に禁煙していないと駄目らしい。私残念は志村けんさんの大ファンだっただけに、残念である。享年七十歳、合掌する。私残念は医療現場で、その身をかけて患者に奉仕して、新型コロナウイルスに感染する、医師と看護師さんに、心から感謝と敬意を表す。私残念は思う。昨今、看護師さんになる女性が減っていることを。人間はオギャーと生まれる前、母となる人のおなかの中にいる時から、看護師さんのお世話になる。あの世に旅立つまで。人生とは、看護師さんとのおつき合いといってもいい。私残念は看護師さんとか介護士さんたちは、もっと、もっと優遇されるべきだと思っている。無駄な予算を削減し、もっと医療関係の施設に投じるべきだ。私残念は今度の新型ウイルス問題への、ドイツの対応を見て、愕然とした。日本と比べて格段に進んでいる。看護師さんといえば、英国のフローレンス・ナイチンゲールがそのシンボルだ。今年は(1820~1910)生誕200年であると知った。ナイチンゲールは、クリミア戦争の戦場で一日二十一時間働いたという。戦争中、殺菌処理をされていない肉や乳製品を食べて、感染症のブルセラ症を患う。心の傷も負った。発熱と不眠症、そして鬱に悩み歩行困難となった。九十歳で亡くなるまで、人生の半分をベッドで過ごしたと伝えられる。が、ナイチンゲールは五十年にわたり、医療、看護現場に革命をもたらす戦略家であったという。人の命は衛生管理によって防げる、あらゆる事象を統計的に分析して政府を動かした。看護服を生み、看護教育を生んだ。建築デザインも学び、病院の窓や照明、洗濯施設など病棟の基本を生んだ。病気と闘いながら、ずっとベットにいながら数々の提案をした。そんな記事を読んだ。(ロンドン、沢田千秋さん発)私残念はこんな人が国会議員の中から出て来ないかと思う。もっと政策立案能力がある経験豊富な人間が、国のリーダーにならねば、確実にこの国はロックダウンではなく、ノックダウンする。大天才志村けんさんが言う、大丈夫だぁ~”でなく、大丈夫じゃないよォ~”となるだろう。私残念はあの世から、“志村けん”さんより先に逝っている、“いかりや長介”さんとでこの国を、再び笑う国にしてほしいと願うのだ。笑いの前では「全員集合」だから。
                               (文中敬称略) 

 ナイチンゲール

2020年3月30日月曜日

第42話「私は火口」

私は「火口」である。火口といえば噴火口のこと。活火山であればいつかそこから爆発の火柱と噴煙、火砕流があふれ出す。活火山が現在であれば、休火山は過去。死火山はあの世といえる。金曜日から日曜日は気が滅入ることばかりであった。恩人、知人、友人から入る電話は、コロナウイルスの影響で気が晴れるものはない。ただ金曜日の夜、親愛なる兄弟分と久々に会い、男気健在、意気軒昂、流石のセンスと根性に惚れ直した。又、大きな借りができた。(その侠気に)二次会はなしで会食後家路についた。暗く、重く、辛いニュースを見てから、映画を見た。映画の友から、白石一文原作、荒井晴彦脚本・監督の「火口のふたり」がNO1というほど、いい作品だと聞いていた。で、その作品をまず見た。舞台は秋田県である。顔を黒い布で隠して踊る祭りの季節である。それは過去を隠しているとか(?) 結婚式をするために一人の女が帰省して来る。久々に出会った、三十代後半の男と女は、かつて恋人同士であった。男は子を一人持つが、浮気がバレて離婚していた。フリーターである。女は四十代になるまでに子を生みたいと思い、自衛官との結婚を控えている。(子宮を痛めている)二人は若い時から激しい肉体関係を持っていた。その行為の数々を自撮りして、アルバムとして残していた。男と女は女の相手があと5日後に、任務を終えて帰って来る。その後結婚式がある。それまでずっとSEXをしようと話す。私火口は女が大事に持っていた、冨士山の大きな火口を空撮した写真を、女が大事に持っているの見て、映画の題名(原作と同じ)の意味を知った。火口は女性であり、(暗闇のようなその中は子宮という宇宙である)男はそこに熱情を突き立てる。二人は五日間部屋で、走るバスの中で、ホテルで、露地裏で。キッチンで。風呂の中で、ひたすら性欲を爆発させる。だがこの映画は文学作品である。エロ映画ではない。現代版愛のコリーダのようである。私火口は名優柄本明の息子、柄本佑と瀧内公美に賛辞を送る。すばらしい演技であった。二人共全裸で、人間の原点を演じる。タンタンメンを食べ、ギョーザやレバニライタメを食べ、ラーメンを食べ空腹を満たし、又、肉体を消費させる行為をする。きっと冨士山から火が出ていた頃、縄文人や弥生人たちは、生きるための労働をした後、食で腹を満たし、ひたすら子孫をのこすことに励んだのだろう。映画との違いは、男と女は働いていないことだ。私火口は見た。登場人物はほぼ主人公二人だけ、あとはエキストラの作品に、映画の原点を。新藤兼人監督の「裸の島」と同じだ。シナリオが抜群に良く、男と女とのからみの表現も抜群だった。さすがに荒井晴彦だけのことがあった。おススメの一作である。私火口はその後、黒澤明監督の「羅生門」三隅研二監督の「女系家族」という名作を見た。その後ネットフリックスで「汚れた真実」シリーズを見た。アメリカの銀行の腐敗、マレーシアの権力者の腐敗、コロンビアの麻薬王とそれに群がる人間たちの腐敗、チリの森林を伐採し、その地下鉱脈にある金を採出して、莫大な利益にと資金洗浄する、腐敗した人間たちを見た。私火口は思った。大自然を怒らせた人類は、きっとポンペイのように火山の大爆発のようなもので滅ぶのではと。新型コロナウイルスは人類を滅ぼすための、大自然からのメッセージではないかと。不要不急以外出るべからずを守るために、20時間位映画とドキュメンタリーシリーズを見た。「世界の麻薬王」シリーズは見応え十分であった。私火口は三月二十九日日曜日、冷たい雨、時々雪の日、これを書いている。午後三時四十分テレビの画面には、東京都内で最多の感染者が出たことを、テロップで流していた。義兄弟とは、ずっと活火山の関係でいたいと思った。
                               (文中敬称略)


2020年3月26日木曜日

第41話「私は出張」

私は「出張」である。仕事で東京を離れていた。仕事の内容はこれから仕上げるため、書くことはできない。新幹線はガランガランであった。私出張がいままで経験したことがないほど空いていた。フツーなら夜はスタッフみんなで食事をするのだが、コロナウイルスが拡散しているので、夜仕事仲間のプロデューサーと、新幹線へ乗って帰路についた。私出張は夜遅く帰宅してニュースを見ながら、たまっていた新聞を読んだ。午前二時半頃までかかった。私出張は思った。この国は●人の命ファーストか(アスリート含む)●世界大運動会ファーストか ●リーマンショック以来の不況対策ファーストか ●世界と協力して新型コロナウイルス開発ファーストか ●世界大運動会利権ファーストか ●クーベルタンが提唱した真のオリンピック憲章ファーストか ●大企業優先か中小企業優先ファーストか ●安倍政権維持ファーストか ●東京都知事選挙ファーストか ●株価大暴落、円安対策ファーストか ●小・中・高校授業開始ファーストか。等々いろいろであった。で、私出張はもし世界人類の人命ファーストか、世界大運動会ファーストか。(商業化になりすぎて、本来のアマチュアイズムでなくなった)世界規模の大不況対策ファーストかの三つに絞った。テレビ、新聞マスコミは殆どオリンピック延期一色である。バカ者、マヌケ顔、ヒマ顔がいつもの如く揃って、アーダ、コーダ、ソーダと大騒ぎ。もううんざりで大運動会延期は私出張の中では中止にした。報道ステーションの後藤謙次氏のみが鋭く分析していた。私出張は日本国という世界で唯一の被爆国、いまだに主権米国で独立国ではない、数奇な運命の国の将来に暗雲を見た。この国は世界史にも類のない終り方をするだろうと。一日でも早く嘘八百から脱しないと、天は怒りの刃を向けて日本列島を切り壊すだろう。2月13日夜マグネチュード7.2の地震が北方領土択捉島沖で起きていた。そのことが3月24日の新聞に載っていた。震源が深く津波は起きなかったが、日本列島のアチコチでマグネチュード8.8クラスの大地震が、30年以内に起きる可能性が「7~40%」あるという。日本列島は原発列島でもある。私出張は日本全国に行ったが、つくづく恐ろしい国だと思った。“嘘をついたら針千本飲まされる”と、幼い頃オトナからオドされた。私出張は反省しきりである。福島の汚染水は完全にアンダーコントロールしているという、大嘘から始まった世界大運動会は、ハナから天にツバしていた。一日たりとも防災を忘れてはいけない。私出張は、森友学園問題で自ら命を絶った、役人さんの遺書を読んで、再びこの国はすでに法治国家ではなくなったと思った。救国の星の登場が待たれる。私出張はこの人ファーストと思う人の死を悼んだ。からだの不自由な子どもたちの養護施設「ねむの木学園」の設立者にして、子どもたちのやさしい親であり、やさしい先生だった。「宮城まり子」さんだ。九十三歳であった。文壇でいちばん女性にモテたといわれる故吉行淳之介さんが生涯愛した女性である。小さな体、クリクリした目、宮城まり子さんは、歌手であり女優であった。「やさしくね、やさしくね、やさしいことは強いことよ」といって、子どもたちの側にいた。こんな人が必要な人なのだ。バカ者、アホ者、ヒマ者よといいたい。♪~「紅い夕陽が ガードを染めて ビルの向うに 沈んだら 街にゃネオンの 花が咲く 俺ら貧しい 靴みがき ああ 夜になっても 帰れない 「ネ 小父さん みがかせておくれよ ホラ まだ これっぽちさ てんで しけてんだ エ お父さん? 死んじゃった……お母さん 病気なんだ」私出張は少年の頃この「ガード下の靴みがき」を聞いて涙した。宮城まり子が歌った、大ヒット曲だった。♪~「なんでこの世の 幸福(しあわせ)は ああ みんなそっぽを 向くんだろ」でこの曲は終る。生涯を弱者に尽くした。その死を悼むテレビは一局もなかった。バカヤローなマスコミだった。私出張はきっと時間をつくりお墓に参る。“人の命ファースト”なのだと、深く思った。 




2020年3月23日月曜日

26日(木)まで休筆

400字のリングは都合により、26日(木)まで休筆致します。

2020年3月20日金曜日

第40話「私は裏話」

私は「裏話」である。昨日午後十一時半頃に電話が入った。東京オリンピックは延期だよと。元電通の高橋氏が延期でやむなしと発言して、一気に延期論が流された。実はこれは日本の実行委員会委員長である、森喜朗氏がひとまずアドバルーンを上げて、世間の様子を見てみようとなったらしい。森喜朗氏と言えば芝居がかったことで有名である。元電通専務の高橋氏といえば、世界中のスポーツ界の動きを熟知している。この人の抜きでは、オリンピックは語れない。私裏話はスポーツ大好き人間だが、ロスオリンピック以後の商業オリンピック化に、疑問を持っている。別にオリンピック種目にするほどでもないのが、次々に種目化される。そうなるとそのスポーツの協会に選手強化費として、莫大な予算がつく。オイシイ話ばかりとなる。あまりオイシすぎて、関係者の人生は大きく変わり、夜な夜な夜の世界に出没し、悪知恵を出し合う。私裏話が知るところでは、森喜朗氏は少しばかりリスクを背負うが、とりあえず世論から延期容認の流れを作ろうとして高橋氏を使ったのではないだろうか。結果各新聞社の世論調査によれば、ほぼ6割が延期やむなしと出た。麻生太郎氏が呪われたオリンピックは40年ごとに来る、なんて一席ぶって悦に入っている。小池百合子氏都知事は、すでにオリンピックより、自身の選挙対策を練っているように見える。例によってこの国は、金をWHOとかIOCにバラマキ、とりあえず中止、延期をしないというポーズに、ご協力をとお願いする。で、誰もいない(関係者以外)聖火の引き継ぎ式。誰もいない道を一人ユニホームを着て、聖火を持って走る、気抜けランナー。えっな、なんで私が(?)Whyとばかりオドロクのは、ずっとむかしオリンピック出場したという、中年女性。とにかくオリンピックに関係してればいいよと、キャスティングされた。言語多量、内容少量我が国のリーダーは、福島の汚染水はアンダーコントロールをしていますとか、日本の七月八月は、スポーツにとってベリーグッドですと口を滑らす。ところが日本の夏は狂熱と知ったIOCは、マラソンを東京から札幌へ。誰も文句はいえなかった。自分の身をしばってしまう。手柄は自分に、失敗は部下と役人にと露骨だ。森友学園問題で自から命を絶った、役人さんのふるえる文字の遺書を見ても、きっと何の感情も起こさないだろう。そんなことより、早くゴルフがしたいよが本音ではないだろうか。否、実はとてもいい人なんだよという人の声も聞こえるが、私裏話にはほとんどビョーキにしか見えない。今は延期に向かって、やってる感を演出中、四方八方手をつくしたが、断腸の思いで延期を決断しました、アスリートファーストですからと言うのだろう。外国から来るアスリートの健康を守らねばなりません。と、いつの間にか自分が勇断したことになって行く。そして延期したオリンピックの「お・も・て・な・し」は、私が四選して行ないますとなる。私裏話はその姿に、業の深さを見る。電話をくれた人に、これはデキレースだ。五輪じゃなくて七、五輪だよ、たっぷり配当金を手にする奴が出るだろう。何しろ1.5回もオリンピックができるのだから。こんなオイシイことはない。泣きを見るのは、いつでも弱き立場の者なのだ。もう一度書くが、延期をすればこの国のリーダーと側近たちにとって、一石三鳥のオイシイ話だ。(一)1.5回分かせげる。(二)任期が延長できる(三)憲法改正ができる。不足していた時間がこれで満足となる。リスクは側近政治にもう我慢できないと。乱を仕かけるのが出るかもだが、数の力にひれ伏しかねないだろう。そう言って電話を切った。おもてなしはなし、つまりばかり。長電話で腹が減ってしまったので、お茶漬けを食べた。あったまった体に赤城乳業のガリガリ君、少しクールダウンができた。



2020年3月18日水曜日

第39話「私は苦笑」

私は「苦笑」である。ボーと海を見ていて。ふと考えた。長い間大声で笑っていないと。中声でも小声でも笑っていないなと。これは私苦笑だけが思っているだけでは、ないはずだ。世の中が笑ってる場合じゃないことだらけで、人が笑わなくなった。お笑い芸人の人たちが、ひととき笑わせてくれるが、その笑いは腹の底からのものではなく、芸人さんの芸で笑わしてもらっただけなのだ。ボーと海を見た日曜日の夜、何か笑わせてもらいたいなと思い、ネットフリックスで、大好きな芸人さんのシリーズを見ていた。中川家の漫才である。兄弟のコンビで兄は小さく、弟は大きい。お笑い界の大賞を得ている人気コンビだ。弟は鉄道ファンで有名である。何しろ人間に対する観察が驚異的で、私苦笑は中川家を師匠と思っている。四日間完全禁酒をしたあとの日曜日、大好きなサンマの開き(干物)たら子を焼いたもの、松前漬け(数の子がサイコー)鯛のアラのすまし汁、ホタルイカ。ネギとカラシたっぷりの納豆を食した。五日ぶりの日本酒を二合飲んだ。街にはすっかり定食屋さんがなくなり、いわゆる家庭料理が食せない。私苦笑は、ムギトロ&メザシとか、イワシのショーガ煮&肉ジャガとか、アジの開き&ウインナー炊めなどがウレシイ。愚妻は私苦笑が何を欲しているかは、ほぼ分かる。白米は一日茶わん一杯半位しか食べない。NHKの大河ドラマを見て、一人ブツブツ注文をつける。酒が回ってなんだか気持ちいい。口の中に数の子の粒々がいくつかあるのを、大切に味わう。その後ウー、ウー、とうなされた。紙に自分の名前を書くが、いくら書いてもちゃんと書けない。変な奴が早く書けと現われる。ほんの三十分ほど眠っている間に、嫌な夢を見たのだ。忘れない内にその夢をサインペンで新聞紙の上に書きなぐった。あ~気分悪いと思い、中川家で笑いたいと思った。それにしても笑ってねえな、この頃と思った。地球上の動物の中で、夢を見るのと、大声で笑えるのは人間だけのはずだ。その人間から笑顔が消えて久しい。中川家の芸は芸人たちも、腹をかかえて笑う程すばらしい。悪夢がまだ脳内に残っているが、大阪の通天閣近所でロケをしているのをジャマする。酔っ払いのオジサンに笑った。だが私苦笑は実のところ笑っている場合じゃない。小一時間中川家を見たあと、現実に呼び戻された。久々の酒はすでに覚めていた。私苦笑は新型コロナウイルスをかかえて、一つの仕事を成し遂げねばならない。スタッフやキャストの人に、感染させてはならない。私苦笑に決断を要するものは何か。昨夜(十一時五十分頃)IOCがオリンピックを予定通り開催すると決めたというニュースを見た。フェイクニュースではと耳を疑った。アテネの聖火リレーの大事な引きつぎの儀式に、日本の委員会のボスとその次が行かないことに決めたという。金メダルスト二人も。完全な形での開催が、すでに不完全なのに、完全な形でという。共同通信と時事通信は、日本のニュースの発信源だが、内閣の支持率が、8%近くも違う。片や49%、片や41%。ある新聞では36%であった。私苦笑は首をかしげる。で、今をときめく講談師、神田伯山の悪事の馴れ初めを見る(全8話)。100年に一人の天才といわれている。私苦笑はその才能の凄さに、身を正した。チケットは全く手に入らない。若い才能がいろんな分野で花を咲かせてほしいと、思いながら魅入った。神田松之丞改め神田伯山は、過日真打ちに昇進したばかりだ。一話一時間位ある話を、百話近くマスターしているという。ダダン、ジャンジャン、ババン。名調子をナマで見聞きしたい。チケットを手に入れて、私苦笑はうれし笑いをしたい。外が明るくなった頃、敬愛するフリーのライターさんから借りた、パリ、テキサスのサウンドトラック版のCDを聞いた。メザシとライ・クーダーは絶妙であった。
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2020年3月17日火曜日

第38話「私は結局」

私は「結局」である。世の中は手を洗え、顔を洗え、人が触れる物を消毒せよとなっている。私結局はある賢人から先日教えられた。この世で一番汚いのは、お金だよ。国内は勿論各国の紙幣、硬貨だよと。いくら手を洗っても、人から人へ渡って来た紙幣は洗えない。硬貨もだ。誰も触っていない、“お金”は、ない。悪業をして稼いだ金を、正業をして稼いだ金の如くするのを、「マネーロンダリング」という。例えは悪いが今、新型コロナウイルスから身を守るために、あるいわ人に感染させないためには、日本国にいる人間全部が、持ち金を洗浄(マネーロンダリング)しなければならない。ずっと前からあちこちに知恵をしぼって、隠し持っているのはきっと大丈夫だろう。まい日紙幣や硬貨を使用する度に、アルコールで消毒する生活が必要だ。かつては大人たちから、紙幣や硬貨を触れると手が汚れるから洗いなさい、なんていわれた。最も手を洗うほど手にはして来なかった。私結局は鎌倉の八幡様の近くにある。“銭洗い弁天”を思い出した。むかしから銭は不浄だったのだろう。敬愛する漫画家さんの作品に、“銭ゲバ”というのがある。以前ある会社の仕事をお願いに行った。大先生は狭い部屋の三角地帯みたいな所で、シコシコと仕事をしていた。数多くの大ヒット作を生んでいたので、さぞかしスゴイ仕事場だろうと想像していたが、全く違った。数人のお弟子さんが、無言でいた。大先生は後姿からふり返りながら、私結局と広告代理店の人に、早く銀座に行って飲もうよ、さ、行こ行こと言った。私結局がB3サイズの紙に描いてくださいと言うと、そんな大きな紙持ってないよ、文房具屋さんに行って買って来てと言った。そ、そうかB4の紙をセロテープで貼ればいいかと言った。私結局はこの瞬間、大先生の大ファンになった。で、夜銀座に行きその後ホステスさんたちをタクシーにギューギュー詰めにして、六本木の店に連れて行ってもらった。大先生は、大型クルーザーも持っていて、今度一緒にどお、なんて言った。金はやだね、持っていたくないね、そんなことを言っていた。私結局は、天が教えているのではと思う。結局お金こそが汚れている代表で、消毒すべきモノなのだよと。人間は一人ひとりの中に、“銭洗い弁天”を持たねばならないのだろう。「シンドラーのリスト」という名作映画がある。アウシュヴィッツの収容所から、多くのユダヤ人を救った人である。その原作の中に、こんな言葉があった。「金は汚く稼いでもいい、それをきれいに使えば」私結局は、結局シコシコと働くことしかできない。大先生はお元気だろうか。同じ仕事をもう一人の大先生に頼んだが、意外にもその大先生は超のつく銭ゲバで、金の話(ギャラ)ばかりをして崇高な人格者である、広告代理店の人を激怒させた。“人は見かけによらない”ものなのだ。さあ、皆さん持っている紙幣や硬貨をシコシコと、プシュプシューと消毒を。世界人口の中の30億人が、手を洗う生活ができていない。つまり発展途上国の人々だ。インドや、アラブなど多くの民が、日常生活の中の食事を、素手で行なっている。私結局は天命に従うしかないと思っている。但し人に迷惑をかけてはならない、とも思っている。“お金をもうけてはいけないんですか”“悪いことなんですか”。そんなことを言い放った嫌な男の言葉を思い出した。(文中敬称略)



2020年3月16日月曜日

第37話「私は三学」

私は「三学」である。と言っても三つの学問を学んだなどと大それたものではない。若かりし頃、(一)漁業民、(二)農業民、(三)森林民に少しばかり触れて学んだことを言う。新型コロナウイルスの対応に対して、一国のリーダーが記者会見で話した内容を見聞して、民俗学を全く学んでないと思った。空虚な精神論でしかない。私を信じ、私について来てほしい責任は全て私がとる。その上で、ああする、こうする。で、しばしあるいわ半永久的に、耐え忍び、我慢し、かくなるものを共に実行して行こう。資源なき島国の宿命、大戦に敗北した米国従属国としての運命に、立ち向って行かねばならないと。私三学は思った。国のリーダーになる者は、国を支える民を肌身で知らねばならないと。私三学は、二十代~三十代漁船用エンジンのPR誌を、大先輩から引き継いだ。北は稚内から、南は沖縄まで、いろんな漁港に行き、早朝より船に同船してあらゆる伝統漁法を取材する。漁師さんと一緒に乗り、漁の写真を撮り、夜にはみんなに集まってもらって、エンジンの調子とか、漁業の現状とか、漁法について、とりたての魚を食べながら、共に酒を飲みながら取材する。(一)漁師は板子(イタコ)一枚で死ぬか生きるかである。大時化になった中での漁は地獄である。早く逃げ帰らねばならない。エンジンの性能は、人間の心臓と同じである。生か死か。漁師と港の女は連帯している。取材に対し正直である。(二)農民に対しては、不整地走行車の仕事をさせてもらった。やはりレポートが主体となる。その土地独特の土地の個性がある。デコボコの荒地、ヌルヌルの沼地、ビッシリ草の根が張りめぐたされた土地、不整地走行車は、その地に対して立ち向かって行く。農民は漁師とは違う。漁師が海なら、農民は大地だ。雨、風も味方になる。土地を育て養う。こうすればこうなるからと、耐え忍ぶ、取材に対しては、正直に応えない。お代官からの年貢をかくすことが習性となっている。作物は隠す。(三)森林民はある仕事で、あちこちの山の民と接触した。山の民は極めて閉鎖的である。と同時に宗教的である。秘密の民と言ってもいい。ここは夜になると獣道になる。その山には、こんな風の道がある。だから一見すばらし木も伐採する。いわば若者を育てるために、老木を切り倒す。長い間おつかれさんだったなと。私三学は学んだ。三つの民は、10年先、30年先、50年、100年先の、海、大地、山を見ていた。自然を知る本能と、ずっと先きを見るビジョンがあったのだ。漁師は博徒のようであり、農民は忍徒のようであり、森林の民は、宗徒であった。日本という国は世界に稀れな、三つの民が対等に共存して来た。そこに入って来たのが、欧米的資本主義である。国際的ユダヤ資本主義である。彼等は戦争こそが最大のビジネスであり、地球規模のマッチポンプであった。新型コロナウイルスで、世界は株式大乱高下、だがこれを演出しているのが、国際ユダヤ資本だ。そして今ではそれ以上の力を持ちつつある。中国資本だ。気がつけば、新型コロナを発染させた国が、世界を救済するみたいな行動をする。WHOは中国資本が握り、IOCは国際ユダヤ資本が握っている。オリンピック、延期も中止もこの二つが握っている。私三学は思う、これから国のリーダーとなる人間は、この島国の民の特異性を徹底的に学ばねばならないと。一神教ヤオヨロズの神の違いを肌で知るべきだ。漁船に暮らし、農家に暮らし、山の番屋で暮らしてこそリーダーとなれる。私三学は、いま思う少なからず、三つの仕事をさせていただいたありがたさを。美辞零句、主語のない文章を読んでいる我が国のリーダーを見て、荒波の中の漁に連れ出したいと思った。いつ止むこのないような雨の中で、耐えることをさせたいと思った。何が出るか分からないような、深遠な山の中で、何日間もビバークさせ、恐ろしい風の音を聞かせたいと思った。私三学はこの国が主体性を持つには、民俗学の復活しかないと。
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