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2020年3月16日月曜日

第37話「私は三学」

私は「三学」である。と言っても三つの学問を学んだなどと大それたものではない。若かりし頃、(一)漁業民、(二)農業民、(三)森林民に少しばかり触れて学んだことを言う。新型コロナウイルスの対応に対して、一国のリーダーが記者会見で話した内容を見聞して、民俗学を全く学んでないと思った。空虚な精神論でしかない。私を信じ、私について来てほしい責任は全て私がとる。その上で、ああする、こうする。で、しばしあるいわ半永久的に、耐え忍び、我慢し、かくなるものを共に実行して行こう。資源なき島国の宿命、大戦に敗北した米国従属国としての運命に、立ち向って行かねばならないと。私三学は思った。国のリーダーになる者は、国を支える民を肌身で知らねばならないと。私三学は、二十代~三十代漁船用エンジンのPR誌を、大先輩から引き継いだ。北は稚内から、南は沖縄まで、いろんな漁港に行き、早朝より船に同船してあらゆる伝統漁法を取材する。漁師さんと一緒に乗り、漁の写真を撮り、夜にはみんなに集まってもらって、エンジンの調子とか、漁業の現状とか、漁法について、とりたての魚を食べながら、共に酒を飲みながら取材する。(一)漁師は板子(イタコ)一枚で死ぬか生きるかである。大時化になった中での漁は地獄である。早く逃げ帰らねばならない。エンジンの性能は、人間の心臓と同じである。生か死か。漁師と港の女は連帯している。取材に対し正直である。(二)農民に対しては、不整地走行車の仕事をさせてもらった。やはりレポートが主体となる。その土地独特の土地の個性がある。デコボコの荒地、ヌルヌルの沼地、ビッシリ草の根が張りめぐたされた土地、不整地走行車は、その地に対して立ち向かって行く。農民は漁師とは違う。漁師が海なら、農民は大地だ。雨、風も味方になる。土地を育て養う。こうすればこうなるからと、耐え忍ぶ、取材に対しては、正直に応えない。お代官からの年貢をかくすことが習性となっている。作物は隠す。(三)森林民はある仕事で、あちこちの山の民と接触した。山の民は極めて閉鎖的である。と同時に宗教的である。秘密の民と言ってもいい。ここは夜になると獣道になる。その山には、こんな風の道がある。だから一見すばらし木も伐採する。いわば若者を育てるために、老木を切り倒す。長い間おつかれさんだったなと。私三学は学んだ。三つの民は、10年先、30年先、50年、100年先の、海、大地、山を見ていた。自然を知る本能と、ずっと先きを見るビジョンがあったのだ。漁師は博徒のようであり、農民は忍徒のようであり、森林の民は、宗徒であった。日本という国は世界に稀れな、三つの民が対等に共存して来た。そこに入って来たのが、欧米的資本主義である。国際的ユダヤ資本主義である。彼等は戦争こそが最大のビジネスであり、地球規模のマッチポンプであった。新型コロナウイルスで、世界は株式大乱高下、だがこれを演出しているのが、国際ユダヤ資本だ。そして今ではそれ以上の力を持ちつつある。中国資本だ。気がつけば、新型コロナを発染させた国が、世界を救済するみたいな行動をする。WHOは中国資本が握り、IOCは国際ユダヤ資本が握っている。オリンピック、延期も中止もこの二つが握っている。私三学は思う、これから国のリーダーとなる人間は、この島国の民の特異性を徹底的に学ばねばならないと。一神教ヤオヨロズの神の違いを肌で知るべきだ。漁船に暮らし、農家に暮らし、山の番屋で暮らしてこそリーダーとなれる。私三学は、いま思う少なからず、三つの仕事をさせていただいたありがたさを。美辞零句、主語のない文章を読んでいる我が国のリーダーを見て、荒波の中の漁に連れ出したいと思った。いつ止むこのないような雨の中で、耐えることをさせたいと思った。何が出るか分からないような、深遠な山の中で、何日間もビバークさせ、恐ろしい風の音を聞かせたいと思った。私三学はこの国が主体性を持つには、民俗学の復活しかないと。
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