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2020年3月12日木曜日

第35話「私は今日」

私は「今日」である。昨日でも明日でもない。その今日は残りあと12分16秒だ。このまま生きていれば、明日がもうすぐ来る。なんていうと少し宗教的か、哲学的になる。私今日にそんなことを書くはない。学がないことは自慢にならないが、物事を簡単に考えるので、如何なる逆境に置かれても、がんばれば何とかなるで片付けられる。だがしかしそれは自分だけの話で、愛する人々、愛する家族のこととなると、簡単にはいかない。故遠藤周作先生は小説「沈黙」の中で、神よあなたは何故いつでも沈黙していらっしゃるのか、と書いた。神は人に試練を与えつづける存在なのだろう。私今日は「荒野の誘惑」という映画を見ながらこれを書いている。イエス・キリストが広大な砂漠の中で、40日間の断食をする。(受難節)断食の中なのに痩せてないのが気になる。イエス・キリスト関係の映画は、たくさん見てきたが、この作品は失敗作だ。英語が砂漠の風景に合わない。私今日は何か得るものがあるやも知れないと思ったが、イエスはノーであった。砂漠に言葉は必要ない。一人の老人と一人の少年、それと一人の女性と出会い、探し物はなんですかと井上陽水の歌みたいな会話をする。ヴィム・ベンダースの「パリ、テキサス」(カンヌ映画祭受賞作品)では、赤い野球帽にヨレたスーツにネクタイの一人の男が、ひたすら荒野と砂漠を歩き続ける。ライ・クーダーのギターが体中に響いて、心が張り裂ける。パリ、テキサスとは荒野にある町の名だ。ひたすら歩く求道者のような男の目的は、小さな男の子を置いて、逃げた女房を探すためだった。「一節太郎」の名曲にこんなのがあった。~逃げた女房にゃ 未練はないが お乳ほしがる この子がかわい 子守唄など苦手な俺だが……(浪曲子守唄)ヒトフシタローは、この一曲で一生食べている大ヒット曲だ。パリ、テキサスの男がやっと見つけた女房は、町の場末にあるテレフォン喫茶(?)にいた。ガラス越しに電話でSEXをするような仕組みだ。お互いに顔は見えない。真っ赤なドレスを着た、ナスターシャ・キンスキーは、まるでマリア様、美しすぎる官能。全身が視覚言語(ボデイランゲジー)であった。神は何故二人を切り離したのか、長い沈黙のあと、電話でのやりとりでそれが明かされる。荒野、風の音、砂漠、空の音。ライ・クーダーのギター。100点満点の映画にしたのは、感情の静けさと、沈黙の熟情だ。私今日は、昨日深夜に見た、映画に監督の力量の差を見た。ロドリゴ・ガルシア監督、カメラワークも音楽も、メイクアップも、コスチュームもダメ子ちゃんだった。私今日は新型コロナウイルスの、人類への攻撃から愛するものを守る策を考えねばならない。とはいえ神は沈黙する。私今日にできることは、雑草魂をふるいたたせるしかない。負けてたまるか。新型コロナウイルスを退治するのは、きっと太陽(コロナ)にあるはずだ。現在世界中の防疫機関が、新しいワクチンの開発に全力を投じているだろう。スパイ大作戦のように。日本国は1944年(12月)と1945年(1月)にあった。東南海大地震と三河大地震を軍の命令で、新聞各社に一切報道させずに、隠ぺいをした。アメリカ軍は大地震による大被害を全て知っていた。東海地方は日本の一大軍事工場地帯であった。そしてB-29がそこを集中的に空爆して破壊した。日本の新薬開発能力は、世界に誇れる英知がある。但し情報がどこからかダダモレするらしい。私今日は、もう一本の映画「ガーンジー島の読書会の秘密」を見た。その後午前四時04分WHOが遂にパンデミック宣言を出した。ポストに音がした。朝刊を取りに行く。森雅子というとんでもない法務大臣を辞めさせないと、もっと大きな何かが起きるのではと思う。死刑を命令する法の番人が滅茶苦茶だ。中村文則氏という若手作家が、ある新聞にこの内閣は出来てはいけないものだったと書いていた。私今日も同感だ。(文中敬称略)


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