私の書いた生原稿をテキスト化してくださる知人のライターが、モーチョーのようでおなかが痛くてしばし休みます。多分一週間はかかりそうです。大事なきことを念じています。
2020年6月11日木曜日
2020年6月9日火曜日
2020年6月8日月曜日
第76話「私は里見」
私は「里見」である。本物は「里見甫」だ。別の名を“阿片王”と言われた。東京裁判の時法廷に立った里見は、あなたは何をしましたかの、問いに、阿片を扱ってましたとこたえた。かつて中国の上海は魔都とか祖界と呼ばれていた。それは特別な地区と言うことである。日本軍は上海に「東亜同文書院」という。軍のエリート養成校をつくった。今の東大よりはるかに難しい最高学府で、ここからエリート軍人たちが生まれた。故児玉誉士夫の児玉機関や笹川良一たちではなく。当時の上海で“里見甫”を通さない麻薬は1gもないとも言われた。中国に侵略した日本軍には共同通信、時事通信をはじめ数多くの報道機関があった。里見甫はこれでは軍の情報が統制できないと思い。海外への通信は時事通信、国内は共同通信と二社に決めた。で電話通信会社みたいだった“電通には報道をやめて、軍の広報活動をせよとなった。略して“電通”誕生である。電通は里見甫の麻薬でできた会社である。しかし戦後電通はめざましく進化し、一流のクリエイブを“つくり、世界にも負けない、総合広告代理店となった。一流のクリエイターやマーケッター、SPプランナーなどを揃えてオリンピックやスポーツイベントのプロデューなどなど、他を圧しつづけた。電通にあらずは、代理店にあらずの時代を生んだ。ライバルに博報堂というのかあるが、横綱と小結ほどのチカラの違いがある、博報堂はクリエイティブ志向で、国家権力とは距離を置いた。アブナイものには手を出さない。電通スポーツマフィアという言葉があるたように、戦闘的である。いっとき“電通マン”なる言葉が生まれ、彼らはモテにモテた。(兄弟分も)戦後、善につき、悪しきにつけ、電通なくして国の発展はなかった。電通マンにシャブ中が多いというのは何かの縁だろうか。その電通が政府の命により、何度も国民の大切な金を丸投げされてきた。不明の金の行方へが電通では、「誠実な使用」を生むことはできない。私里見亡きあとたいそう発展したのが、電通である。私里見はそう長くないうちに電通は外資系となる。(すでになっている)里見は軍関係の報道をゴチャマンとある中から、二社にした。国内は共同通信、外国は時事通。それ故に電通の大株主はこの二社である。天下の電通(?)が政府のトンネル会社になっているのは、裏切り行為である。オリンピックで入って来る “甘い汁”を、たっぷりとすっている。電通は人材の宝庫であり、政財界、著名人や有名人、高名な人たちのご子息や、ご令嬢の人質会社でもある。いまさらこんなことは、どうでもいいのだが、国民の貴重な税金を、中抜きするような恥ずかしい会社に落ちてほくしくない。結局電通マフィアに戻ってしまう。中抜きした数十億をバンバン銀座に落としたら、許してやるかも知れない。時価総額わずか7000億位になったということは、手頃な値段で店先きに出たということだ。サイバー・エージェントにも抜かれしまった。この会社のオーナーはジャンゴロ。(プロ的麻雀打ちだ)私里見は魔都といわれ、租界であった上海で、1gの麻薬も動かすことはさせなかった。里見の女であった男装の麗人は、つい十年ほど前まで、鎌倉雪ノ下で天ぷら屋さんをしていた。電通がある限り里見甫は生きているのだ。いろいろあるが、優秀なクリエイターは電通にダントツにいる。そしてOB、OGにも。私里見も電通に多くの友人がいる。たくさん仕事もした。いい人ばかりだった。(文中敬称略)
2020年6月5日金曜日
第75話「私は冗談」
私は「冗談」である。眠れぬ夜は起きていながら夢を見る。恩人から米寿の御祝の写真が送られて来た。みんなはマスクをしていた。先輩からある賞を受賞してパーティを行なった。全員マスクをしていた。知人から新しい家を建てその知らせの写真葉書きが来た。家族みんなマスクをしていた。ある先生が実は愛人が一人増えた、とび切りの美人だからよく見てなと手紙と写真一葉が封筒に入っていた。二人共マスクしていた。後輩から真鶴に釣りに行って、やけくそに投げ釣りしたら、大魚が釣れたと写真と釣り仲間たち、一人ひとりマスクをしていた。久々に銀座を歩いていたら後姿がやけに美しい(?)松屋の信号のところに立ち停って、振り返ったらマスクをしていた。マスクを外した私冗談は持っていたカバンを手から落とした。私冗談の愛すべきクリエイター赤城廣治君が、ずっと熊本城再建のキャンペーン広告をしていると聞いていた。その新聞記事が載っていた。「籠城じゃ」というキャッチフレーズが紹介されていた。熊本城は築城の名人、とりわけ城壁、石垣造りの名人、加藤清正がプロデュースした難攻不落の城、あの西郷隆盛が攻め落とせず。土佐出身の谷干城たちが籠城戦で勝ち抜いた。西郷は加藤清正に負けたごわすと言ったとか。赤城廣治君のこと以外は冗談ですと、私冗談は久々にウイスキーをいつものグラスに入れた。このグラスはいい酒以外は使わない。お気に入りのバカラだ。一昨日ポストの中に、水のトラブルの時にはぜひ、というカラーの名刺と、いい土地買いますと言う、住友不動産のA4三つ折りのチラシ、それと一緒にペラペラっとしたビニール袋、中に政府支給のマスクが二枚入っていた。出来の悪い冗談みたいな気がした。大変お世話になっている歯医者さんが人形町水天宮側で独立開業をした。かねてより開業したらポスターを二点プレゼントすると約束していたので、提案したものを打ち合わせに行った。一点のキャッチフレーズは、「生か、歯科」日本には現在コンビニ以上六万数千の歯医者さんがあるが、くしの歯が抜けるように、一つ、二つ、三つと閉院している。もう一点は「歯医者復活戦」人柄と腕前がよくないとダメ、ただの歯医者さんは、敗者となる。先生の名は「渡邊哲平」さん。すばらしい人格と腕前だ。いい歯医者さんを探している人は、渡邊哲平デンタルクリニックへ。私冗談の名を出せば。麻酔なしで歯を抜いてくれる。(これは冗談)かつて歯医者さんは、いちばんもうかると言われていたが、今は冗談話だ。私冗談もウソまみれの世の中で、何が本当で何が冗談かが、分からなくなった。そうそう松屋のところで後姿だった美人(?)が、何故に振り返ってマスクを外したか、と言えば右手に焼き立てのワツフルを持っていた。マスクを外すと、ギョッギョッと樹木希林さんみたいであったのだ。私冗談の目はすっかり座敷牢生活で、トロくなってしまった。私冗談はマスク大嫌いなので、口を開けず鼻で息をしながら歩いていた。資金はないがやり残した作品をなんとか形にしたい。天才中野裕之監督に、ある作品を再編集をしてもらっている。気に入った原作だったのだが、自分ですっかりストーリーを失った。ヨシ! これだと天才に電話した。さすがに凄い、第一回目の作品が送られて来た。ウイレシイスバラシイと夜遅く電話をした。十年ほど前に奥多摩の奥地で撮影したものだ。人にはあの世に行く前に謝りたい生き物が、必らずいるはずだ。次の世紀新生児はマスクをしたみたいにこの世に出て来るかも知れない。私冗談は本気でそう思った。(文中敬称略)
2020年6月4日木曜日
第74話「私は惜別」
私は「惜別」である。私惜別はコロナ騒動の中で、何人もの知人の訃報に接した。だがどの訃報も葬儀はごくごく身内だけ、決して他県からとか、親しい人々に通夜、葬儀をご遠慮願いたいと記してある。地方から東京へ出て来て仕事をしている者の、敬愛する父母がご逝去しても、我が子は我が親の葬儀に行くことは許されていない。親の死に目に会えないという言葉があるが、親の死に体にも会えないのは、つらいものだろう。私惜別の父の思い出と言えば、裸にされた骨身の体を、亡母と、同居していたおばさんと、お隣りのおばさんとの三人で、遺体を北に向けて、アンモニアかなんかで清めていた。(消毒かも)まだ八才だった私惜別には、よく分からなかった。確か夕方の五時頃から、六時頃にかけてのことだった。当時“死”というものが分からなかった。その後、兄や姉たちが帰って来て、ワァーワァー、ギャーギャー泣いていた。早速葬儀社の人らしき人が、白い手袋と白いマスクをして動いていた。お坊さんが弟子みたいのを連れて来た。葬儀には岡山のおばあちゃんが、夜行寝台“安芸”に乗ってやって来た。正座がつらかった。若いお坊さんがドラをど〜ん、ど〜ん、もう一人が何かをジャラン、ジャランやるのが、おかしくて笑ったら岡山のおばあちゃんに、坊主頭をポカリと叩かれた。自宅の葬儀が当たり前の時代である。花輪が門外に並んだ。生花のゆりの香りが強かったのを今でもおぼえている。私惜別はおそばが大好き。先日よく行く近所の「紅がら」さんが、少しづつ店を開けたというので、息子と孫と三人で昼食をしに行った。辻堂にある“事務キチ”で万年筆のインクを買った後である。クルマを運転してくれた息子が生まれた年に、「紅がら」は開店した。しっかりと造られた民家風で坪庭もよく手入れされ、待ち合い室もゆったりして手が入っている。店内で手打ちをするとこを、ガラス越しに見ることできる。四人掛けのテーブルが五つと、壁側にロングソファーと椅子がけのテーブルが四つある。小上りの座敷には、いつも季節の花が活けてある。長い木製のテーブルが三つある。私惜別には二人の子と五人の孫がいるが、紅がらに行くと、この小上りでよく食事をする。テーブルをある日は二つくっつけて、ある日は三つくっつけた。四十年前に息子が生まれた時、娘は六才、オムツの交換はこの場所で行なった。それからみんなお世話になった。私惜別にとって紅がらは、自分んちみたいであった。テキパキとしたおかみさん、美人の娘さん、そしてやさしいお人柄のご主人がいた。私惜別が行くと顔を出してくれた。先日三人で行くと、私惜別がご主人を知人の写真家で撮影して、後輩にデザインしてもらった、ポスターを持って、娘さんがいらっしゃいませと、近づいていた。美しい顔はマスクでかくれていた。ポスターを持つその顔の目には、涙が浮かんでいた。実は父は四月十五日に亡くなりました。このポスターをとても気に入ってました。今は、あそこにかけて(スタッフがいるところ)私たちを見守ってもらっているんですと言った。ずっとコロナ休業していたので、私惜別もご近所の人も知らなかった。享年八十六歳開店して丁度四十年目だった。へえ〜そうだったんだ。私惜別はずっと座敷牢生活で、外食はしていなかったので、ゴメン、スマナイ、と言った。一度ご主人と話をした時、おそば屋さんの重労働のすごさを知った。「麺環かながわ」というタウン紙の一面に大きく載っているご主人の訃報を、娘さんが持って来て、コピーを一枚渡してくれた。長い間組合の理事長をされていたことを知った。私惜別は合掌した。葬儀は身内だけでそっと行なったとか。私惜別がポスターに書いた言葉は二種類。一枚は「日本人のそばに。」一枚は「ほそくながくでございます。」であった。「紅がら」はとてもいい店。ぜひおそばで、“すすり泣いて”あげてください。
紅がら |
2020年6月3日水曜日
第73話「私は消毒」
私は「消毒」である。私消毒は現在日本国中で、不可欠の存在である。昨日久々東京に出て、私消毒の多さに、少年の頃DDTというベビーパウダーみたいのを全身にかけられたのを思い出した。シッカロールみたいとも言われた。私消毒が生まれた年から、一年、二年、三年、日本中が敗戦後のノミ、シラミ、ダニまみれだった。2020年近代化された日本は、新型コロナウイルスが、お寿司屋さんにも不気味なシーンを生んでいた。私消毒は昨日ビジネスパートナーのライターの方と、午後五時開店というお寿司屋さんに入った。新橋である。四時五十五分から五分店が開くのを待った。地下一階の店がオープンとなり入店した。昨日銀座「WAKO」フードショップで消毒、次に西哀漬けの「魚久」で消毒、銀座の仕事場に立寄り消毒、水天宮のデンタル・クリニックで消毒、溜池の仕事場で消毒、私消毒の手は消毒液の臭いがとれない。その後神田神保町の店で消毒。そして新橋へ。すし職人の手には、手術するお医者さんみたいに白いゴム手袋。その手で握ってもらったお寿司は、とても美しい一人前だったが、白い手袋が「横溝正史」の“犬神家の一族”みたいに不気味だ。そうか日本中がいま“八つ墓村”なのだ。一人ひとりが疑心暗鬼になっている。街中マスク人間。アメリカの進駐軍が日本中の人間をバイ菌みたいに、DDTの白い粉をブシュブシュとかけまくった時と同じだ。そうだ世界中がバイ菌化しているのだ。街行く女性はみんなマスクしているので、ほとんど目しか見えない。だから美女ばかりだ。マスクを外した瞬間、えっと99.8%裏切られる。2020年日本は勿論、世界中が“ウイルス戦争”の年の重大エポックとして、教科書に載るだろう。現在午前九時〇一分、5chモーニングショーを見ている。又、岡田晴恵教授が出演している。顔を白くメークしているのだが、DDTをかけられたみたいな粉が見える。NHK以外に朝・昼・晩出演している。教授以外の他の面子(メンツ)も、金太郎飴みたいに出演者は同じだ。急に色気づいたオバさんは(失礼)、やはり八つ墓村みたいに不気味だ。香港、アメリカでデモと暴動が多発化している。八つ墓村は一人の男が、ある夜暴発して32人を殺した大事件だ。岡山県津山32人殺しとしてその名を残す。八つ墓村の“八つ”は、平家の落武者を村人たちが、祭りの夜に惨殺した落武者の人数だ。人間という生き物は、疑心暗鬼がつづくと、農民一人ひとりが殺人鬼となる。“やられる前にやっちまえ”私消毒も突然平家の落武者みたいにやられるかもしれない。むかしは噂話から広がったが、現代はSNSだ。誰にも知られないだろうと、アイツがコロナを広げている。アイツも、アイツもと、調子にのってSNSを打ちつづけると、きっと八つ墓村事件みたいなことが、日本中で起きるだろう。私消毒はやたらに消毒しながら、映画の中で名優山崎努が、頭に懐中電灯を点灯させ、猟銃を打ち放し、老若男女32名をメッタ斬り、メッタ刺しをしたシーンを思い出した。九時二十三分12chを見ると、株価がうなぎ上りだ。日本中コロナ大不況下なのに、一部の金満投資家や日銀、世界の投資家が日本株を買い漁っている。大不況下の株高はやがて地獄絵となる。八つ墓村になるだろう。猟奇的大事件は、古今噂話からはじまった。私消毒はSNSと縁がないが、きっとバレないだろうと、SNSに書き込んでいる。SNS村の村人は祟りが起きるだろう。映画では老婆が、タタリじゃ、タタリじゃ、八つ墓のタタリじゃと表現されていた。アメリカの暴動もその一つだ。黒人一人の命、白人一人の行動から歴史は変る。トランプ大統領が、ムッソリーニみたいに公開処刑されることだってある。私消毒は実に不気味な気分なのだ。SNSが消毒される時代は、言論弾圧みたいで、これはこれで恐い社会だ。投稿者が夜ぐっすり眠っていると、枕元に猟銃を持ち、腰に大刀を差した男が頭に懐中電灯を光らせて立っているのだ。私消毒は家に帰ると、やたらに手洗い消毒、手洗い消毒と言う愚妻に、ウルサイ! と声を発するのだ。いつの世も「重大事は“一事”からはじまる」ネット村の心ない村民はこれから気をつけることだ。テレビ局全体にも言いたい。もっと汗をかけ、“アタマを使え、アイデアを出せ”と。(文中敬称略)
2020年6月2日火曜日
第72話「私は明日」
私は「明日」である。私明日のことは、明日に聞いてみないと分からないと、古人は言う。石原裕次郎さんは、♪〜 明日は明日の風が吹くと歌った。名作「風と共に去りぬ」のラストシーンで、スカーレット・オハラは、夕陽の中の木に向かい、明日があるわと気丈に生きて行く覚悟をする。ある哲学者によると、私明日がさてどうなるかはコインを投げて、裏表で決めればいいのだと言ったとか。私明日にとって、明日は生涯初めて相手にする敵である。コロナウイルスという見えてない敵だ。「明日地球が滅ぶとも、今日リンゴの木を植える」確かそんなすばらしい言葉を遺した人がいる。私明日は佐賀県出身の人と交わりが多い。明治新政府の中で、大久保利通が、その頭脳の鋭さで徹底して正義を追求をする姿に、恐れを感じた。それは江藤新平初代司法卿である。大久保はいずれ目の上のタンコブとなると思い、正義感の強い江藤新平に、新政府内のデタラメぶりをリークして、“佐賀の乱”を起こさせた。佐賀県人は少々短気で、曲がったことを許さない。で、かなりプッツンして四方八方とぶつかる。佐賀鍋島藩はいち早く海外の近代兵器を取入れ、その強さは最強とも言われた。私明日は、日本の明日を見抜いていた佐賀人が好きである。武士道の教え「葉隠」を生んだ。その佐賀人の中で、「明日地球が滅ぶとも木を植える」、を実践している人を知った。五月三十一日(日)東京新聞朝刊で。その人の名は「鶴田正明」さん八十四歳。十年前から広葉樹を苗から育てて一本づつ植えた。その数は一万本を超える。「環境芸術の森」と名付けて約10年前から公開している。初代で造園業を始め全国大会で数々の賞に輝いた。高校球児だった愛息を病気で失った。十七歳であった。絶望感の中で、人と自然の関わりの重要さを強く感じた。木を植えることで、協力者に感謝の気持ちを示すことを思い立った。心の中で亡き息子さんと語り合っているのだろう。鶴田正明さんは購入した土地を少ない親族や支援者たちと、石を掘り起こし、木の苗を植え、恐れ果てた山を変えていったと言う。(新聞記事より抜粋)佐賀県唐津市の山の中腹でのドラマだ。私明日は明日のために、今できることをコツコツとやるしかないと思っている。自分にしかできないことを、自分でやりつづけるのだ。今日久々に東京へ出る。日本は世界一の森林国である。もっと、もっと山を、森を、そして木々を大切に育てなければ、また大洪水になるだろう。梅雨がはじまり雨の日が多くなるだろう。災害に見舞われると体育館などの避難場所に人が密集する。私明日はこの国の持っている宿命を見る。私明日と共に仕事をしている仲間に、新しい生命が誕生する。明るいことも、夢のようなこともたくさん生まれる。明日と言う字は“明るい日と書くのね”という歌もある。すでにオギャーと元気に生まれた命も、スクスクと育っている。赤ちゃんの泣き声と共に仕事をする職場があってもいい。小さな子どもがヨチヨチ歩き回る、そんな職場が明日なのだと、私明日は思う。
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2020年6月1日月曜日
第71話「私は確信」
私は「確信」である。私確信は思う何故、欧米人に対して、アジア系中でも「日・中・韓」にコロナによる感染死亡率が少ないか。はっきり言えること、その(一)欧米人はやたらにハグして、キスする。これは習慣だ。ホホにチュはマナーであり、手の甲にはキスは敬意を表す。ハグは親愛の証だ。フランス人と中国人はあまり風呂に入らず、トイレに行ってもよく手を洗わない。その手でパンや肉まんなどの食べ物を持ち口に入れる。花粉アレルギー大国日本は、日常的にマスクをしている。又、お風呂とかシャワー、行水が大好きだ。フランス人と中国人がウマが合うのは、食とSEXに貪欲だからだ。フランス料理や中国料理の歴史あるメニューは、他を寄せつけない。多国籍企業の中でもフランス人と中国人はすこぶる仲良しだ。フランス文学、中国文学は、世界二大文学だ。フランス人はやたらキスをするが、中国、韓国、日本人はしない。ギョーザとかキムチ、ニンニクとかザーサイとかの臭いがあるので、キスもハグもしない。江戸むらさきとか、クサヤの後にしない。ジャージャーメンとかタンタンメンを食べたあとキスなどはしない。猿の脳ミソとか熊の手を食べる人々はキスなどしない。そもそも歯をあまり磨かない。激辛のキムチを食べた者同士がどうしてキスなどするものか。カルビとか牛タンを食べた後はチューインガムだ。その(二)今の日本政府は信用できない。後世のウイルス対策に役立つ、専門家会議とか有識者会議の議事録もとっていないという、極めつけの隠ぺいを平気でやる。ウソがウソを呼び、ウソがウソを生む。法務大臣がでたらめなウソをつく。いつの間にか検事と新聞記者(なんで氏名を公表しないのか)との麻雀のレートが、テンピン(1000点100円)になっている。これは本人が言っただけ。こんな安いレートでやっている訳はない。いまどき新聞社がテンピンでやる“賭け麻雀”をして、いい情報をリークしてとはありえない。古代エジプトでも公文書は残している。日本人は世界でも稀なほど公文書を残す。一言一句、せきばらい、お茶飲みの数まで。何故なら役人は責任をとらされる事が大嫌いだからだ。私確信は昨日の朝刊を読んでやっぱりと思った。電通の子会社に丸投げしていた。「持続化給付金事業受託法人の代表が辞職した。769億円の内数十億がどこかへ溶けて配分されたはずだ。きっとオリンピック延期へのアチラコチラへの迷惑料だろう。久々に黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」を見た。政・官・財の生態、とりわけ官僚社会の“鉄の掟”がよく分かる。こういう社会派の映画がすっかり製作されなくなった。私確信は残念に思う。勝海舟は政事(まつりごと)を行なう人間に対して、「清濁合わせもって、尚且つ青波の如くあれ」と語り残した。世の中キレイ事では済まないが、自分の行ないを絶えずチェックし、日々その身を洗い直せみたいなことかなと私確信は思っている。コロナはつづく。かつて“キッスは目にして”という化粧品のCMソングがあった。今は2メートル離れて、投げキッスをポーズでしよう。それにつけても叙々苑の焼肉が食べたい。銀座アスター本店の中華も食べたい。食えないのが小池百合子東京都知事だ。アタマの中に都民のため、なんて全く無いはずだ。ビビンバみたいな女性である。ちなみにビビンバとはかき混ぜることだ。さて今日からどうなるか。ちなみに日本映画の最初のキスシーンは、窓ガラス越しだった。
2020年5月29日金曜日
第70話「閑話休題」
私は「早朝」である。私早朝はコロナ以後どうするかと何枚かのCDを聴きながら考えていた。ケニー・ロジャース、ナット・キング・コール、ザ・プラターズ、マイルス・デイヴィス、ジミー・ブラウン、サイモン&ガーファンクル、トム・ウェイツ、みんないい。サイコーだ。午前七時二十三分三十一秒、「ちあきなおみ」をラストソングとして聴いた。いいね、すばらしい。一人の男に愛を尽くして、ステージから去った。「郷鍈治」という日活のスター、宍戸錠の弟だ。これほど愛されてあの世に逝った男はそうはいない。夜明けの「喝采」はしびれてしまう。今朝は爽わやかだ。♪~ いつものように幕が開き……と口ずさみながら珈琲を一杯。(ネスカフェゴールドブレンド)コロナ、コロナ、週末は再び江ノ島に行くか。ハマグリ風の潮焼きでも食べに。私早朝の不眠はいよいよ、ずっと起きている。♪~ あれは三年前 止めるアナタ駅に残し……いいねえ~。
(文中敬称略)
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2020年5月28日木曜日
第69話「私は筋肉」
私は「筋肉」である。私筋肉には人に見せるほどの筋肉はない。しかし世の中には余りある人も多い。私筋肉が思うに、筋肉は有り金に似ていて、一度身につけたら金輪際離したくないようだ。人に見せたい筋肉は日々の鍛錬とプロテインを飲むことにより生まれる。通常の運動によって作られた使う筋肉と違って、ボディビルダーが如くのようになる。それは一見して分かる。こうして作られた筋肉は人に見てほしくなっていく。白いタンクトップを着ることを好み、ハチ切れんばかりの両腕や、肉体に砲丸が入ったかのような“チカラコブ”を自慢する。胸の筋肉は両腕の動きとともにビクビクンと動き、その下の腹筋は、モナカアイスのように分割される。あ〜なんて美しいのだと鏡の中の自由に魅入る。さらに両足はとなると、両ももは巨大な手羽先のようであり、両ふくらはぎは、柳葉魚(シシャモ)の大親分みたいになる。二つのお尻の山はまるでスイカだ。こうなるとやはり体は褐色というか、小麦色でないとマズイ。オイルを塗っては、日焼けサロンの紫外線を浴びる。タンクトップ(Tシャツ)を着ると、スカスカしていたのがウソのようになる。ズルズル、ブカブカしていたジーンズはパチンパチンと両足にへばりつく。オオ〜ついた。“アーノルド・シュワルツェネッガー”になったぞよとなる。道を歩く時は人の視線が気になって、道の隅を下を向いて歩いていたのがウソみたいになり、さあ〜見てみろと、全身の筋肉を脈打たせる。ショーウインドーに写る自分に見とれて、時を忘れる。私筋肉はあるジムに通っていた時、そんな大筋肉の人たちを見た。そこは○×気なとこだと聞いて、エッ、ナニッ、ソ、ソウなのと知りジムをやめた。そう言われてみれば、みんなやけに鏡を見ていたなと思った。私筋肉は昨夜、作家三島由紀夫のドキュメンタリーのフィルムを見た。天は三島由紀夫にありとあらゆる才能を与えた。さらに確かな家柄と、不足なき財力も与えられた。天才としての要素を全て持っていた。当然のように語学力にも優れていた。だがしかし天は一つだけ三島由紀夫に与えなかった。それは生来の肉体的コンプレックスに対して、私筋肉を持たないことだった。歴史にもしがあるとしたらと私筋肉は思う。もし、三島由紀夫が生まれながらに、長身であり、運動神経に優れ、スポーツを愛し日々練習によって、“自分の筋肉”を持っていたなら、全く違った人生を歩きつづけたのではないかと。軍隊の入隊検査で丙よりも下で不合格になった。つまり国家に役立たないと苦悩した。ならば思想でと右翼的思想を持ったにせよ、もっと違った行動をとったのではないか。私筋肉はドキュメンタリーを見ていてそう思った。あまりにも純粋すぎて、あまりに劣等感に満ち満ちていた。今朝少しばかりのウォーキングした。近所の海岸の側にある、ウッドデッキのところに立ちつくし、深呼吸などをしていた。そこへ一人の浅黒い筋肉隆々の小さな老人が、ひと息つきに立ち止まった。短パンにタンクトップ、ビッシリと筋肉がついている。きっとロングランニングの途中だろう。オッイチニ、オッイチニと声をかけながら体をほぐしている。私筋肉はひと言声をかけた。オジイちゃん、いい筋肉してるね、“ミシマスキ”と言った。オジイちゃんはタオルで汗をふきふき、ナヌッみたいに私筋肉を見た。もう一度“ミシマサンスキ”と聞くと、“アリヤーオオシマだ”と言った。確かに遠くに大島がぼんやりかすんで見えていた。天才というのは実にややこしく生き、そして市ヶ谷の自衛隊内でと思った。筋肉さえついていれば。私筋肉はこのコロナ戦争を三島由紀夫なら、どう論じるだろうかと思った。老人は富士山に向って走り去った。プーマのランニングシューズが音もなく見えなくなった。(文中敬称略)
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