この世では思わず言葉を失うニュースが洪水のように流れ、雨、霰のように降りそそぐことに耐えねばならない。東海道線午後九時二十三分東京発平塚行きに(小田原行きだったかも)乗った。四人掛けの窓側に白いマスクをした美人ぽい女性。マスク外したらどうなるかな、などと思った。ローファーの白い靴、オレンジ色のコットンの長袖のシャツ、いい色にしたブルージーン。私は通路側に座った。日本人はスゴイ昨日一日、マスクを外した人を一人も見なかった。女性はマスクを外したくないという。マスクをしていればほぼ美人風、ほぼチャーミングだからだ。私の隣に座っていた女性が、グレーの大きなトートバックから“助六弁当”を出した。オヨヨと思った。見かけと違ってかなり乱暴に包み紙を外し丸めてバッグの中に入れた。私は助六弁当大好きなのでこころが動く。おいなりさんと太巻きずしがビシッと箱詰めになっている。うわぁ~うまそうと思った。目の前には六十位のおじさんがいた。白いワイシャツに黒のズボンだ。片手に宝島社が出版している“昭和の黒幕”という文庫本を読んでいた。助六といえば歌舞伎の演目として有名だ。幕間の弁当としても定番だ。などと思いつつ私は疲れた目をしばし閉じた。さあ~オイラの人生の最終演目は何かと瞑想する。回遊魚の鮪(マグロ)と同じで、私は何かをしていないと即この世とオサラバしなければならない。鮹(タコ)はじぶんの足を食って生きるというが、私も今では鮹と同じでじぶんの足を食っている。むかし“星セント・ルイス”という漫才コンビが「俺達に明日はない。キャッシュカードに残はない」という決め言葉と「田園調布に家が建つ」という言葉でおおいに売り出した。気がつくと消えていたから、決め言葉通りに生きたのだろう(2004年にセントさん、2005年にルイスさんが他界)。私もヤバイじゃないか、瞑想している場合かよと目を開ける。助六弁当の太巻きを大きくあけた口の中に入れた窓側の女性がいる。マスクを外してアゴにかけている。食べている間は表情がよく見えないが、太巻きを食べたあとはしっかり分かった。かなり想像と違った。なんだなんだ次はおいなりさんかと思った。女性はやっぱりマスクがよろしいと思った。私はこういういけないこころを持ってしまう人間なのだ。家に帰ると愚妻が娘が住んでいるところではドヒャーとでっかい雹が降ったとか。テレビのニュースを見るとガチョンとビックリ、日大の理事長にな、なんと林真理子さんが就任とか、10万人近い生徒たちの顔が、100万人に一人いるかいないかという素敵な女性にというニュースを見て、あの助六弁当を食べていた女性を思い出した。人間は見た目ではないのだぞとじぶんにいい聞かせる。高校の教師同士だった男と女が、殺し殺された。不貞不倫の行きつく先は、“失楽園”だ。“後楽園”だったらよかったのに。人間は偶然と必然のあいだで生きている。昨夜いい映画を見た。「佐々木、イン、マイマイン」内山拓也監督作品。仲のいい五人の高校の同級生仲間にお調子者だけど、存在感抜群の佐々木君がいる。みんなに、ササキ、ササキ、ササキと手拍子されると、教室の教壇の上で学生服を脱ぎ全裸になる。女生徒たちはやめて、バカ、アホ、サイテーと逃げ出す。先生はまたかと怒り、仲間たちは笑い転げる。そんな陽気な佐々木君はじつにいい奴で、じつにかなしい。久々にいい青春映画を見た。損得のない友情とはいいものだ。コロナ、コロナですっかり忘れていた大切なものを思い出した。マスクは女性の大切なファッションアイテムとして定着するだろう。おたがい見ないですむなら、見ないほうがいい。カンヌ国際映画祭で早川千絵監督の「PLAN75」が新人監督賞に贈られるカメラ・ドールのスペシャル・メンション(特別表彰)を受けた。超高齢化、近未来の日本で75歳になると自らの生死を選択できる。この新制度によって人生どうなるかを描き、大評判になったと記事に載っていた。さて、あなたならどうしますか、「PLAN75」の制度ができたら。夫婦とは殺意と殺意が枕を並べて寝ているようなもの、私の好きな女優アシュレイ・ジャッド主演、1999年作「ダブル・ジョパディー」という映画も見た。ベッドの中から起きた妻の横には血だらけの包丁があった。法は同じ罪で二度裁けない。夫殺しの罪を負わされ刑務所に入った妻は、夫が生きていることを知る。まいにち愛し合っていた二人は、殺意と暮らしていたのだ。そして復讐を誓う。今は警察の留置所にいる、高校の同僚だった教師も、出会ってはいけない男と女だったのだ。スコップで穴を掘っている時、何を想っていたのだろうか。いいニュースがない世の中になっている。少年野球を見ている時が、今の私には何よりの時間だ。参議院選挙は近いのだが、野党はどこにいるのかさっぱり存在感がない。4630万を受け取ってバクチでスッた。いや金は回収した。なんてスットコドッコイのニュースはもう古いのだ。(文中敬称略)
2022年6月4日土曜日
2022年5月28日土曜日
つれづれ雑草「戦争反対」
2022年5月25日水曜日
つれづれ雑草「すすり泣く」
深夜わたしは泣いている。名画を見ているからではない。“ところてん”にねりからしを入れ過ぎて目と鼻にツーンときたのだ。ところてんは実に奥深い食べ物で、時に大敵となる。酢が多過ぎたりねりからしを入れすぎると、なんとなく頼りなく弱々しいところてんが、が然強気になるのだ。その日その日でところてんの味が違うのは、ねりからしの量による。どれ位がもっともいい味かはいまだに分からない。これはおでんのコンニャクにねりからしの量がどれ位がいいのか分からないのと似ている。コンニャクは全身ツルツルなのでねりからしはしみこまない。表面にねりからしがぜんぶ“のる”からだ。これをさらに比べると、冷やし中華におけるねりからしの量にもいえる。せっかくの冷やし中華もねりからしを入れこみすぎると、メンを食べている途中に、突然パニックが起きる。メンの中にねりからしがよく溶けこんでないで、ねりからしがたくさん登場するのだ。泣きながら冷やし中華を食べて、ガホンガホンしている人がいるのはこのためなのだ。ねりからしとは黄色い泣かせ屋である。洋ガラシ(マスタード)とは似ているがまったく別物で、マスタードは荒くれの味でホットドッグ用だ。日本料理とバーベキューほどの違いがある。週末愚妻が秋田での法事で出張(?)でもってオンボロファックス機が私では使えない。原稿を書いてもライターの方とのファックスのやりとりができないのだ。実に情けない。電子レンジも使えない。(一度マカロニグラタンで大出火させてしまった)おそらく私の知能指数は三歳児位だと思う。かろうじて映画は見れる。かつて見たブラッド・ピット主演の映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の中で、こんな教えを受ける。「答えのある問題なら悩む必要はありません。答えのない悩みなら悩んでもむだです」チベット仏教はそう教える。私はこんなバカ者でありながら生きてこれたのは、ひとえに“ひと頼み”だったのだ。ところてんへねりからしを入れていたのは愚妻だったので、じぶんでねりからしのチューブを持ってからしを押し出すとその量が分からず入れすぎたのだ。バカは死ななきゃ治らないというが、私はきっと死んでも治らないだろう。答えはそういうことなのだと悟った。カトマンズの山の中に行かずに答えを知った。先週6月封切りの映画の試写会に招待されて観た映画「はい、泳げません」は、きっとベストワンになるだろう。尊敬するリトルモア孫家邦さんが企画・製作した。孫さんが手がける作品は、ベストワンになったり、主演女優賞や助演男優賞など多くの賞を得る。「舟を編む」「夜空はいつでも最高密度の青色だ」「花束みたいな恋をした」新作は水泳が苦手の大学教授が、一大決心をしてスイミングスクールに入る。“長谷川博己”が演じる。インストラクターはクルマが苦手の女性“綾瀬はるか”が演じる。昭和のある頃ヒトビトは貧しき中でもほっこりしていた。たき火でやいた焼き芋の味のようにほっこりとしていた。悪い事、嫌な事、忌まわしい事、許されざる事ばかりがテーマの映画が多い中で悪人が一人も出てこない映画は実にいい。さすが孫さんの企画力は冴えわたっている。カメラワークが新鮮だ。達人笠松則通さんスナップ写真のような映像がいい。シロウトみたいに見せる超絶クロウト芸だった。“ほのぼの”という言葉が消えてしまったいまの世に、ほのぼのとはを見せてくれる。ぜひ観に行ってほしい映画だ。脚本・監督は渡辺謙作さん。荒戸源次郎事務所出身で鈴木清順監督に鍛えられた人である。「舟を編む」の脚本でアカデミー最優秀脚本賞を受賞している。親愛なる友と、巨匠井上嗣也さん、その高弟と四人で観た。その後“永坂更科のそば”をすすり合った。世界的な文明学者が先進国で日本が唯一“止まっている”と警告している。『パリ=共同』「国境なき調査団」による、2022年の世界各国の報道自由度ランキングの発表では、対象180ヵ国の地域のうち、日本は昨年から四つ順位を下げで71位だった。安倍晋三長期政権の負の遺産だ。国民から知る権利を奪ってしまった。メディアはスポンサー離れを恐れてしんじつを報道しなくなっている。ちなみに第一位はノルウェー、最下位は179位の北朝鮮であった。憲法改正、第九条改正への足音がヒタヒタと迫ってきている。こればかりは口にマスクをして黙して語らずとはいかない。無気力に慣れてしまった国民を改正論者は見逃さない。戦争の世紀へ幕が切って落とされているのだ。すさまじいドキュメンタリー映画「ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ、自由への闘い」を見てほしい。ウクライナ国民が自由を求めて国家権力と闘った壮絶の90日間余だ。独裁者は逃亡した。オレンジ革命の実況中継だ。若者が動く時、国家は敗北する。我が国の若者もSNSを国家管理され、スマホを取り上げられ自由を奪われたら、きっと行動を起こすだろう。私がいまハマッているところてんは、伊豆・三浦半島産・天草使用、ねりからしはハウス食品製だ。(文中敬称略)
2022年5月21日土曜日
2022年5月14日土曜日
つれづれ雑草「笑えない、お笑い芸人」
我が世の春は長くない。苦節を重ねた芸人が売れはじめ、やがて寝る間もないほどの売れっ子になる。ある夜、いまはきっと夢を見ているんだと思う。そして売れないころインスタントラーメンをポリポリかじって空腹を満たしているじぶんを思い出す。電気・ガス代がもったいない、水道代ももったいない。やかんに水を入れて熱湯がつくれないのでポリポリかじる。今はどうだ仕事はいくらでもくる。そんな仕事は断れよとマネージャーに言ったりしているじぶんがいる。やっと寝ようと思ってもアタマが興奮していて眠れない。その日許された睡眠時間は3時間だ。きのうは2時間、その前は移動する車の中の仮眠だけだ。仕方ないウイスキーで睡眠導入剤だ。えっな、なんだいまのじぶんはすぐにあきられて、また三畳一間でインスタントラーメンをポリポリだ。ガバッと起きると冷汗がたっぷり、ふ~と大きく息をすると夢を見ていたのだ。ああよかった。高級なマンションに住んでいる。高級車にも乗っている。預金通帳には考えられない数字が増えている。自分で死んだ先輩が言っていた。我が世の春は長くはないぞと。嫌だあんな生活に絶対戻りたくない。しかし死ぬほど忙しい日々なので芸を磨く時間がない。まるで売れないころ刑務所の慰問に行った時、刑務官も囚人も大笑いしてくれた日がなつかしい。老人ホームに行った時おじいちゃん、おばあちゃんが手を叩いて笑ってくれた日がなつかしい。もし売れなくなったらと思うと夜が恐いんですよ。笑ってもらえなくなったらと思うと、笑っていられない。かなしいもんです芸人はね。こんな話を撮影の合い間に話してくれたのは、お笑い界の大御所の一人だった。お笑い芸人の人たちは、舞台から楽屋にもどるとみんな暗くて無口だ。大、大、大ファンだった「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんが自死したのをニュースで知った時、ガク然、ボー然として言葉を失った。熱湯風呂に突入する。アツアツのおでんのコンニャクを丸飲みする。大やけどするようなその姿にみんな大笑いをした。上島竜兵さんに我が世の春があったかは分からないが、大人気の3人組だった。人には言えぬ苦悩があったのだろう。眠れぬ夜を繰り返していたのだろう。まだ61歳であった。私は、とてつもなくかなしい。私も広告屋という芸人だ。“おだてりゃ豚も木に登る”でつたない芸を売ってきたが、四十九歳になった時からその先のじぶんの姿が見えた。先輩から50歳までが勝負だよと言われていた。そして今日まで眠れぬ体となっている。なら誰も思いつかないビックアイディアで勝負だと、ふるい立たせる。NHKで「映像の世紀」を見た。1918年スペイン風邪が世界的流行となり、第一次世界大戦によって爆発的に拡散する。戦争は軍人も民族も移動するからだ。マスクをした兵士たちが行進する。握手もしない、それを徹底したアメリカの州は感染者が激減した。しかしスペイン風邪を軽視してマスクをしなかった州はあっという間に感染者が激増した。ハグをし、キスをし、握手をしまくった。世界的大ベストセラー「銃・病原菌・鉄」を連休中に再読した。上・下800ページ近いこの本は、帝国や王国が戦争とウイルスによるパンデミックで滅びてきたことを教える。スペイン風邪を封じたのは、人類の英知だ。電子顕微鏡の発明でウイルス菌を発見して、ワクチンの開発を生んだことによる。ゼロ・コロナか、ウィズ・コロナか。人類とウイルスの戦争は永遠につづくのだ。ロシアとウクライナの戦争の先に何があるかは誰でも想像がつくはずだ。世界人口はスペイン風邪の時より倍増している。つまり死者も倍増する。宿命は生まれ持ったもの、運命はどう転ぶか分からないもの、寿命は絶対にくるもの。天命は誰が決めるか教えてもらえないもの。上島竜兵さんのご冥福を心より祈る。あの世では熱湯風呂に入らなくてもいいはずですよ、アツアツのコンニャクを飲み込まなくてもいいですよ。ゆっくり、ほっこりしてください。残した二人の仲間を見守ってあげてください。売れっ子だった指パッチン!のポール牧さん、ウクレレ漫談の牧伸二さん、上方落語の桂枝雀さん、みんな自分で死んでしまった人たちですが、あの世では、悩みはなく永眠だからぐっすり眠れますからね。悪い夢を見ることはありません。大谷翔平選手が劇画も及ばない大活躍をしている。ふと売れっ子の見世物芸人に見えてしまう。私は運命論者なので、この先きっと起きるであろうことを心配する。私には見えている、クッキリと。好事魔多しという。(文中敬称略)
2022年4月30日土曜日
2022年4月24日日曜日
つれづれ雑草「眼を閉じる魚類とは」
2022年4月16日土曜日
つれづれ雑草「不覚にも」
2022年4月10日日曜日
つれづれ雑草「乾いた街」
2022年4月2日土曜日
つれづれ雑草「賛成と反対」
「暴力は最後の理性である」こう言った賢人は誰だったか忘れてしまった。否いなかったか、インテリヤクザの親分だったかも知れない。過日アメリカのアカデミー賞授賞式で、主演男優賞を見事受賞した、ウィル・スミスが自分の妻の脱毛症に対する侮辱だとして、司会者のコメディアンを平手打ちした。映画“G.I.ジェーン”に引っかけてジョークを飛ばした。脱毛したウィル・スミスの妻のヘアースタイルをGIカット(軍人のヘアー)みたいだねと言ったのだ。私は思う、私だったらきっと頭突き一発、パンチ数発、蹴り二発位は入れただろう。そして受賞を返上して、一年程留置所入りだ。決して許されないのが暴力行為だが、一家一族、一門の人間、まして親や兄弟姉妹、女房子どもが大衆の面前で笑いの種にされたら、へらへらしている場合ではない。世が世でもし武士社会の日本であったら、果し合いを申し込んで恥を晴らすか、その場で斬り殺して、腹を切っただろう。もしそうしなかったら、恥辱を晴らさない弱腰として、閉門蟄居の上一族断絶とされただろう。私は思う。いつからかこの国は、何もかもがヘラヘラ社会となってしまった。例えば自分の上司が、部下が取引き先から、バカだアホだと言われても、泣く子とスポンサーにはかなわないと、ヘラヘラ笑って帰る。例えば自分の子がコケにされ、親の顔が見たい、お里がしれるなんて言われて帰って来ても、仕方ない我慢だ、あの家の方が学歴が高く、一流会社の役員だ、ウチは安月給のペーペーだからなと。私は武士道を札讃しているのではない。友人、知人、先輩、後輩、あるいは自分の会社の社員が、いかにスポンサー、クライアントだろうと、そこまで言われることはないという場合は、怒りを表現して恥をかかせたことへの対価を払わせねばならないと思い、ずっとそうして来た。怒らない人間にはヘラヘラ歯を出して笑ってんじゃないと怒った。私の後輩の女性に自慢の男がいた。長身で美男、空手をやっていた。一緒に歩いていれば人もうらやむ二人だった。が、ある夜、会社の飲み会があり、二次会へと向かった。夜の新宿である。美男美女のカップルに、不良たちが声をかけ、女性の手を一人の男が引っぱった。会社の仲間も七人いた。引っぱられた女性は自慢の彼氏の名を呼んだ。だがその彼氏がとった行動は、仲間にヤバイよ、警察を呼ぼうよであった。ズルズル逃げ腰だった。やめろよと言って、不良の手から女性を守ったのは、飲み会の中みんなから、いちばんモテない男と言われていた小柄な男だった。不良たちはその男の殺気に気負されて、その場から去った。結婚間近といわれていた。美男と美女は、一緒にならなかった。女性の方から弱虫の男はサイテーとなったのだ。空手は使ってはいけないんだと言い訳をしたそうだが、お坊ちゃんの黒帯だったのだ。空手を使わなくても、体を張って守る気力を女性は感じたかったのだ。その姿勢を見せた、小柄な男の株はグンと上がったのはいうまでもない、カッコいい人になったのだ。この話と同じような事はいくらでもある。ウィル・スミスをアカデミー協会は脱会させるとか言っているらしい。本人は暴力はいけなかったと謝罪している。ハリウッドに暴力はいらない! なんて会員たちは言っているが、ハリウッド映画の殆どは暴力肯定の映画だ。この矛盾に対して論議しなければならない。ジョークを飛ばしたコメディアンのセンスに対してもだ。大衆の面前で、オイハゲ、イエ~イ、次もいいハゲの役待ってるぜ、ユーのワイフに円型のハゲがある、これ以上悩ますなよ。イエ~イ。なんて言われたら、ヘラヘラ笑ってられないはずだ。日本のサラリーマンよもっと理不尽に対して怒れよと言いたい。朝、昼、夕方までは、何を言われてもナメクジみたいにちぢまっている人間に限って、夜、酒が入る程に元気一杯となる。俺はよ、やるときはやる、言う時は言うぜ、知ってんだろ、ウィッ、ヒクッとしながら、あいつなんて目じゃないよ、俺はよォ、ウィッ、ヒクッとでかい声を出す。そしてカラオケに行くと、もう絶好調だ。次の日の朝、あいつと言っていた上司に、又酒臭いな、キミは本当に使えないね。なんて言われて青菜に塩みたいになって夜を待つのだ。アナタ、昨夜どこで寝たの、帰って来ないなら電話してよ、まさか公園のベンチかなんかじゃないでしょうね。ち、ち、違うよ、◯╳君が深酒しちゃって、仕方ないからカプセルホテルに泊ったんだよ。なんて電話で人のせいにするのだ。私は、ウィル・スミスの平手打ちに大賛成、謝罪には大反対。女房をオチョクラれて黙っていられるか。アバヨアカデミーが正解だな。30、31日奥多摩に取材に行って来た。花粉症は最高潮で、鼻はグズグズ、目はショボショボ、クシャミを連発しながらも、いろんな人と会って来た。長い長い石段の上の神社に行った。ヤマトタケルノミコトは、この御嶽の山の中で狼に命をたすけられたという伝説がある。男は女性を守る狼でなくてはならない。(文中敬称略)