ずるずるずるずる……と、情緒のない雨が降りつづいている。こういう雨はじつに気分が重くなる。そうでなくても気が晴れるようなことがない。昨夜息子が食事に来て、インテリアの仕事をしている知り合いが、コロナに感染して、肺炎を悪化させ、四十八歳の若さで急死したと言った。中学一年の子がいたという。なんと悲しいことか。下火になったとはいえ、コロナを甘く見てはいけない。“マスクは「自主的判断」にまかせます”みたいなことになるが、日本人はこのような判断がもっとも苦手な国民である。“お上のいうこと”に従ってさえいればいいんだという習性が身についている。お殿様、御奉行様、御代官様、御役人さんの指示にずっとへいこらと従ってきた。それは何かあった時に、お上の指示に従っただけだという逃げ口上に使える。日本人ほど好戦的な体質を持っている国は少ない。より好戦的なのは、中国と韓国民だろう。日本の文化はこの両国から教わった。共通しているのは、中→韓→日と伝わり、共に、人海戦術で、徹底的に殺し合う。英、仏、米、露、独、オランダ、スペイン、トルコなどは、殺すより生かし奴隷にして、こき使い産業を生み植民地化する。すべてビジネスなのだ。金儲け第一主義だ。戦争の時上官は部下に情況は自分で判断しろ。そして“生きろ”と命じる。日本軍は違う自主的判断は許さず上官は生き恥をさらすな、そして“死ね”と命令する。この国の民は、何より周囲の眼を気にする。体面や世間体を気にする。欧米は生きて帰ることが名誉であり、この国は見事に死んで帰ってこそ名誉となる。なまじ生きて帰ると“村八分”にされた。小さな手帳を持ち、「聞く力」を持ってと言って、芝居がかったデビューをした岸田文雄総理大臣だが、聞く力は国民の声ではなく。米国の声、官界の声、財界の声、今なお安倍派を名のる大派閥の声ばかりを聞いて、軍事費増大OK、原発再稼働OK、カジノ賭博OK、俺の辞書にNOはない、とばかりにあの安倍総理でもOKしなかった重要案件を、オッパッピーと、かってに流行った、パンツスタイルのノリでOKの大連発だ。オッパッピーの小島よしおさんは極めてインテリである。岸田総理はどさ回りの旅人のように点数稼ぎのために、諸国を回ってサミットを迎える。“俺は政局に強いんだ”が自慢のようだが、実は酒の方が強いらしい。和歌山県で選挙の応援中、24歳の若者が何かを爆発させたと、ニュースは伝えている。岩手県六戸では92歳の男が、放火殺人で5人を焼死させたと伝える。幼い子まで殺めるという残酷さに身が震える。自主判断ができない体質の日本人に、これからどんな争い事が起きるか想像もつかない。私は声を大にして言いたい。“死ぬな”“生きろ”そして、殺されるな。私はもう十分過ぎるほど生きているので、命に未練はない。むしろみんなに迷惑ばかりかけてるこの身を恥じる。がどうしても作りたい映画がある。たくあんだけにかじりついても、後世に残したいメッセージがある。いよいよスタッフが決まり、キャストも決まりはじめた。仲間も集結しはじめた。制作費を生み、貧乏に耐えるために、この頃は、メザシと納豆だけ。塩鮭と味噌汁だけ。とろろとカツオ節だけ。こういうメニューの食事をつづけている。江戸時代の長屋の住人の食事を見本にしている。今日はブリのカマと冷奴。早朝、何人かの恩人、知人、友人の健康を祈って、眠り薬と一合の酒を飲む。三時間は眠れるはずだ。楽しみにしていた少年野球の試合は中止だ。20数年前の名作、リドリー・スコットの「ブラックホーク・ダウン」を見る。ソマリアの内戦に米国が介入して失敗した戦争だ。ベトナム、コソボ、イラン、イラク、アフガン、米国は内戦に介入しては軍事ビジネスを栄えさせた。今はその力は無い。世界の番長は中国になった。米軍の主力ヘリコプターの名が“ブラックホーク”であった。先日何かのアクシデントで海に消えた自衛隊の主力ヘリコプターは、ブラックホーク型だという。軍事費を増大して米国の中古品を買わされるというパターンはずっと続くのだろう。後期高齢者の保険料がさらに上がるという。ふざけんな聞く力と言いたい。知り合いの魚屋さんに聞くと、メザシも塩鮭もロシアとか中国からの輸入品、うまそうな蛸だねと言ったら、モロッコ産だとか。鯛のアラ、ブリカマを買った。海老が旨そうだったがメキシコ産だった。魚屋さんはもう一軒しか残ってない。首に難病のある12歳の中学生をロッテ球団が入団させた。こんなステキなニュースを見ると、気分はハレバレする。(文中敬称略)
2023年4月15日土曜日
2023年4月8日土曜日
つれづれ雑草「緋牡丹とヤキソバパン」
午前一時頃外に出ると、一瞬にして全身がずぶ濡れになるほど、猛烈な風と雨であった。傘を持たずに近所のコンビニまで行った。店内に客は一人もいない。バイトの男の子が二人いた。着ていたパーカーとスウェットは家に帰ると、水分をたっぷりと含み、髪の毛はシャワーを浴びたのと同じであった。そこまでしてコンビニに行ったのは、みっともないので書くことはできない。不眠症の私には欠かせないものが家になかったのだ。眠りをとるか、死をつるかといえば、私は“チューチョ”なく死をとる。それは私が予想外に長生きして、恥をさらしているからである。人生はこれからだと思っている人間が生死の間にいる。その男の命の行方を思っていると、私の不眠症は、最早不眠症ではなく、「ずっと起きてるで症」なのだ。なんとか奇跡をと無宗教な私は、亡き父母の写真に願う。“夫婦愛”なんて絵にも描けない、まぼろしの愛だと思っていたのだが、それが生死を握っていると聞くと、私のこころとカラダは、求めてはいけないガソリン(お酒)を求めていた。人生はしらふで生きてはいけない時がある。小さな庭の右奥の隅に、二年ぶりに緋牡丹が二つ咲いた。ブドウ一粒ほどの小さな花実が、イチゴ位の大きさになって、三日後ドバッと大きくなって満開となった。ヨシッ、奇跡は起きる、命は守られると思った。使い捨てカメラにあと6枚フィルムが残っていたので、緋牡丹を撮った。しかし午前一時頃の春の嵐は、美しい花を乱雑なものにした。あと一本ある牡丹の木は成長をすぐやめて、それ以上にならずであった。東海道線内もマスクを外す人がチラホラ出はじめた。先日夜品川駅ホームのベンチに座って列車を待っていると、一人の会社員風の女性が隣りに座った。三人掛けのベンチが背合わせしている。すぐに横にはベンダーがある。ジーンズのスラックスに、白いパーカー、その上にダメージのジーンズジャケットを着ている。薄茶のローヒール。いいセンスである。肌色のマスクを外すとどんなのかと、思いつつ横目で見る。パンパンにふくらんだ名門スーパー紀ノ国屋の袋を開いた。独特の四角い文字のデザイン、青山あたりで働いているのだろうか。時計を見ると特急が来るまであと8分であった。30歳前後の女性がトートバックの中から、出したのは“ヤキソバパン”であった。ホットドックの太いソーセージの変わりに、パンからあふれ出るように、ソースヤキソバがはさまれている。肌色のマスクを外した。期待は予想をはるかに超えて裏切られた。マスクしとけばよかったのに、パンは列車に乗ってから食べればよかったのに。左手にソースパン、右手にファンタレモン、オラオラ、ヤキソバが落ちてるじゃないか。やっぱりマスクは大切な「嘘」がつけるのだ。寝不足がずっと続いていたので、全座席指定の特急小田原行はいい。品川の次は大船そして藤沢、辻堂だ。アレッあの女性は乗らないのか、まだベンチで食べている。指定席券を買っていないのか、反対側列車に乗るのだろうと思った。列車が動き出すと、ぼんやり窓の外を見ていた。やがてスピードは増し一気に川崎駅を通過した。人間の命の行方は一体誰れが、何処で決めているのだろうか。ぶ厚い医学書の中には、ありとあらゆる病気のことが載っている。人間の体の内部は血管や内臓がひしめき合っている。科学的には人間の寿命は115年が限界らしい。百歳を祝ってもらった老人が、テレビのインタビューを受けている。長寿の“ヒケツ”はなんですか(?)、好きな食べ物はなんですか(?)。何んもネエ、何もしないで、食べて寝るだけじゃわ、ウハハハ、好きなものは天ぷら、それと一日一合のお酒じゃ、ウハハハ。ストレスはないのですか、何(?)ストレスって何(?)ウハハハ。何もかんがえんこっちゃ。バアさんはいいヒトだったわい、べっぴんじゃったウハハハ……。結婚を考えているという男女が、結婚っていいですか、と聞いてきたことがある。故「永六輔」さんの言葉を教えてた。“青二才でも結婚すると男らしくなり、娘は女らしくなるもんです。”もう一つ、トルストイの言葉、“急いで結婚することはない。結婚は果物と違って、いくら遅くとも季節外れになることはない。”私はアンチョコのメモ帳からその言葉を見つけて、若い男女に言った。あのソースヤキソバパンの女性は結婚しているのだろうか。生死の間をさまよっている命を守ってくれるには、医学を超えた“夫婦愛”“姉弟愛”が求められている。乱れに乱れた緋牡丹の花が、風に吹かれて揺れている。私といえば残り一枚となったフィルムを深夜まで残しておいて、午前二時過ぎ最後の一枚を撮った。ストロボが光った。仲良い二つの緋牡丹は、深酒した女性の顔のように色気があった。命よがんばれと言いつつ、一合の酒を口から喉に流し込んだ。(文中敬称略)
2023年4月2日日曜日
つれづれ雑草「姉弟のベルト」
「その壁を砕け」中平 康監督/主演「芦川いづみ」、「小高雄二」/製作日活、芦川いづみがまだ20代の初めの頃の作品、1959年の映画だ。自動車修理士の若者が一生懸命働いて念願の車を購入する。うれしくてたまらない。結婚を約束している恋人に会いに、ある地方に向う。心はウキウキしている。修理工役が小高雄二、恋人役が芦川いづみだ。この作品はおそらく実際に起きた冤罪事件を題材にしていたはずだ。社会派監督中平 康は当時日活を代表する一人であった。男は横浜の方から富山の方に向ってひた走る。深夜道路を歩いていた男から乗せてほしいと頼まれ一人の男を乗せてあげ、途中で降ろす。その頃小さな町の中で強盗殺人事件が起きていた。まだ誰も知らない。男はその中でその町を通過する。そして山の中の小さな町は大騒ぎとなる。大事件発生だ。店の老主人は殺され、老主人は頭部に重傷を負う。交番の若い警察官は、初めての大事件で興奮する。刑事たちが続々と現場に集結する。これは流しのたたきだなと推測する。流しのたたきとは、生きずりの強行犯のことである。警察には強力斑という花形部署がある。強盗、殺人、強姦、“強”がつく事件は成績の点数が高い。“強”が二つ付くと長期刑、無期か死刑となる。放火がからみ起訴まで持ち込めば、ぐんと成績が上がり、表彰され昇格する。警察も一般の会社組織と同じで出世争いである。映画の中の事件は、強盗、殺人、殺人未遂であるから、逮捕して起訴に持ち込めば、死刑は間違いない。男が乗っていた車を見たという人間がいた。警察はすぐに手配をする。男は恋人の待つ駅を目指すが、途中で捕まる。厳しい取り調べが始まる。当時は自白が何よりの証拠であった。男は無実を訴える。起訴するには22日以内に自白させねばならない。日が経ち目を覚ました老婦人に男を見せる。(面通し)布団の中からこの男ですと指をさす。よし! 刑事たちはこれで万全だと調書を作り始める。男は無実を主張する。事件があった頃、一人の男を乗せてあげて、途中にあった橋のたもとで降ろしたと叫ぶ。待っていた恋人が来なかった。芦川いづみさんは看護婦(当時)さんであった。結婚するので退職をし、みんなで送別会までしてもらっていた。このままでは、恋人が殺人犯にされてしまう。芦川いづみさんは、刑事専門の弁護士を探し、そして弁護を依頼する。裁判は進む。弁護士は独自に調べて行く。そこからいろんな疑問点や矛盾点が出て来る。ここまではテレビのドラマなどによくある話だ。1960年代の事件で裁判官たちが、警察の調べに不審を持ち、自分たちの目で現場検証をするなどというケースは少ない。裁判官たちは犯行現場を徹底的に再現する。検事の主張は、弁護士の主張によって敗北する。男は無罪を勝ち取る。検事と弁護士の法廷闘争は、勝った、負けたと総括する。ある学者の説によると、人間は10日間一睡もさせない状態で、お前がやった、お前がやったと言い続けられると、俺はやったんだ、私はやったんだ、と思い始める。罪を認めれば、ゆっくり寝かしてやる。かつ丼でも、天丼でも好きな物を食わしてやる。悪いようにしないからなと、言われると、“私がやりました”となる。そして冤罪は生まれる。有史以来、無実で死刑になった人間は数知れない。ボクシングの聖地“後楽園ホール”に行くと、ずっと、ずっと、ずっと前から、「袴田巖」さんを冤罪から救いたい、再審を要求する呼びかけのポスターが貼ってある。そして遂にその時が来た。確か柳田國男の日本人国記によれば、日本でいちばん悪い人が少ないのは静岡県人だとあった。欲深き人間が少ないのだとか。静岡県清水市味噌商殺人事件の真犯人は誰れであったのか。弟のために90歳になるまで、再審を求め闘い続けたのはお姉さんだった。“イワオハ、ヤッテナイ”袴田巖は無実だと。世界で最も長く拘置された元ボクサーは、50年近く容疑者、死刑囚生活を経て、87歳となり正気を失っているが、やってない事は、やってないと分かっているはずだ。兄弟は他人の始まりという言葉があるが。袴田姉弟の絆は太くて強い。そして世界チャンピオンのベルトより価値がある。再審開始というベルトを獲得した。我々一人ひとり、いつでも冤罪になる可能性がある。一度でも指紋を取られた経験のある人は、その可能性はさらに高まる。90歳になった袴田巖さんのお姉さんと、恋人の無実を信じて闘う、芦川いづみさんの美しい顔が重なって見えた。国家権力とは、捏造を生むための権力でもある。何故か元総理大臣故安倍晋三の現場検証は容疑者が同行されずに終った。そこは小さな花壇となった。闇の奥でそれを許されない何かがある。この国は怖しい支配下の中にある。(文中敬称略)
2023年3月25日土曜日
つれづれ雑草「1万円」
春雨じゃ濡れて行こう、であったが少々雨は強かった。前回一分遅刻して観れなかったので、今回は30分ほど前に試写会会場に行った。春雨が強く、全身を濡らした。私は傘を買って持つということはない。そのかいあって今日まで、ロケで雨によりスケジュールを変更したことはない。絶対的な晴れ男である。“プロデューサーは傘を持つな”を貫いているのだ。やさしくて親切な「葛西 薫」さんから、電話があり先日は一分遅れで入れなかったとか、ボクから連絡しときますと言ってくれた。いや私に非があったので、次は早く行きますよと言った。作品名「せかいのおきく」は、ピタッと時間通り始まった。長い間いろんな映画を見てきたが、糞尿をドボドボと桶の中に入れるというシーンから始まったのは、この作品が初めてである。江戸時代の中期、一人の若者は糞尿を肥料として使う農家に売って生計を立ている。もう一人の若者は、紙屑を集めて売っている。映画は底辺で生きる若者の青春映画である。モノクロスタンダードサイズのフィルム(今どき珍しい)で撮影したのは、達人「笠松則通」さん。静かなること山の如しであり、剣豪の如く、近寄り難き凄みがある。糞尿も香り高く美しい。雨のシーンが多いが、それは映画界全盛時代であった、昭和の数々の名作をも凌ぐ。最下層でも明るく生きる二人の若者、武家の娘を演じる「黒木 華」が絶品だ。糞尿売りを「池松壮亮」紙屑売りを「寛一郎」が演じる。この作品は、美術監督である原田満生が発起人となり、気鋭の日本映画製作チームと世界の自然科学研究者が連携して、様々な『良い日』に生きる人々の物語を「映画」で伝えるプロジェクトの第一弾なのだ。人間は飲んで食べて生きる。食べたもの飲んだものは、“糞”となり“尿”となって出る。近代になる前まで、糞尿は畑で肥料としてまかれ、野菜を育てた。人はその野菜を食べ、それはまた糞尿となり野菜を育てた。サーキュラーエコノミー(循環型経済)の最先端が江戸時代の日本の風景にあった。「YOIHI PROJECT」として、今後も運動化するという崇高な志がある。バイオエコノミー監修として、藤島義之/五十嵐圭日子が参加して、今日の物質文明、これからの地球環境問題への底深いテーマがある。自然との共生とは、バイオエコノミーのポイントとは。大金持ちの“糞”は金色ではない。貧乏人の“糞”も大金持ちと同じだ。高貴な娘も、貧しき娘も、糞尿は平等なのだ。あることで声を失ったおきくは、恋をする。彼に伝えたい言葉がある。つらく厳しい現実にくじけそうになりながらも、心を通わせることを諦めず生きて行く。「せかいのおきく」は愛おしい青春物語であった。近々公開(2023年4月28日[金])なのでぜひ映画館へ行ってほしい。私も封切りと同時に映画館の大スクリーンで、美しく、香り高き糞尿を観る。数々のヒット作を世に出してきた、阪本順治監督の代表作となり、デジタルな映画界へ一石を投じるだろう。糞尿まみれの政界を生んだのは、投票者である我々国民だ。ガーシーなる人間に28万余票が投じられたのは、既存の政治家への諦めだろう。国家権力とは恐ろしい力を持っている。自分たちは糞尿まみれだが、議員特権で守られる。ひたすら利権を追う。野党も大マスコミもガッチリ弱味を握られて、糞尿になっている。それらはリサイクルに使うことすらできず、ネット上の情報を、食べて飲んで糞にしてぶつけているだけだ。自分の足で調べている議員は少ない。朝日、毎日、読売などの大新聞も同じであり、気骨ある記者が書いた記事はボツとなり、その身は地方の彼方に飛ばされる。NHKをぶっ壊すと言っていた政党が、逆にぶっ壊わされてしまった。雨の辻堂駅には、各党の市議会委員のサポーターが、手渡しのチラシを渡しているが、それを手にする人は殆どいない。バカ者め市議会委員が、高級車レクサスやアウディに乗っている。選挙が近づくとそれを隠して小型車に乗る。発想がセコイのだ。SUVの大型車に乗っているバカ者が共産党員なんて、私には信じられない。安倍晋三(故人)という強力な後盾を失った“高市早苗”が徹底的にさらし者にされている。森功著「国商」ではJR東海の社長だった故葛西敬之がいかに安倍政治を動かしたか(あるいは動かされていた)が克明に書かれている。又、伊藤博敏著「同和のドン」には、上田藤兵衞(78)がいかに、同和運動、自民党、山口組、バブル紳士、闇社会と共にあったことが克明に書かれている。つまるところ、戦後から現在に至る“深い闇”の世界である。それは生きていた人間が、何人もこの世から消えた、闇の狩人の歴史でもある。金(カネ)と銭(ゼニ)は汚れた人間に、多く渡るようになっている。真面目な人間は馬鹿を見るのだ。税金をしぼりとられて、年末調整で戻ってくるのは、わずか一万円とのことであった。Shit!(文中敬称略)
2023年3月18日土曜日
つれづれ雑草「子どもたちの夢」
本日土曜日東京発小田原行に乗車した。会ってうれしい花一匁みたいに、14人の仲間と久々に会い、銀座の貸会議室にて、とある作戦会議をした。午後一時半から二時間ほどであった。あと二人はパソコンで出席してくれた。十代の頃100メートルを10秒台で走った快速の男が、私たちの若頭である。今では東京コピーライターズクラブの会員であり、先生でもある。中央大学の法学部を出て、何故か私の会社に入ってくれた。正義を貫く熱血漢でもある。黒髪だった青年は、銀色の髪となり、いよいよこの国の広告界の幹部となってくれるだろう。会議はこの若頭が仕切ってくれた。会議が終り外へ出ると、どしゃぶりの雨であった。やっと来た赤い空車の文字のタクシーに乗って東京駅八重洲中央口へ。改札口から中へ進むとそこは人の渦、えっこんないるのかよと思うほどの状態であった。この国の民はみんなみんなちゃんとマスクをしていた。マスクをしていないのはポツンポツン。外国人たちもみんなマスクをしていた。マスクを外せば四角い顔の人も、三角形に近い顔の人も、まん丸の顔の人もマスク&マスク。恐い顔の人も、つまんない顔の人も、楽しい顔の人もマスク&マスクであった。小田原行に乗ると、隣りに若いカップル。男は26歳位でメガネをかけたマジメな会社員風、女性は同じ位の年令で、ポッチャリ顔の看護師さん風であった。何故顔が見れたかといえば、二人はマスクを外して“おにぎり”を食べ始めたからだ。但し二人はフツーの食べ方をしていなかった。それはおにぎりを“お箸”で食べていたのだ。二人共ビニールみたいのに入れた、手作りの大きめの海苔のついたおにぎりを、お箸で一粒二粒三粒、多くて十五・六粒を箸箱から出した“マイバシ”で食べる。それは私にとって初めて見る、ほほえましい食べ方であった。中に大きな梅干しが入っていたのを食べた時、すっぱかったのか男の人がピクッ、ブルルと動いた。私も釣られてピクッとした。二人はそれぞれ一つのおにぎりを食べ終わるのに、東京→新橋→品川→川崎までかかった。夫婦だろうか、恋人同士だろうか。この世には夫婦の数だけ偶然の出会いがあるのだなと思った。それは奇跡的な出来事なのだ。先日ある調査があった。小学生、中学生、男女に尊敬する人は誰れですかの問いに、小・中学生共に「お父さん、お母さん」と答えた。将来はどんな道に進みたいですか、あるいは成りたいですかの問いに、一位が会社員であった。それも公務員が人気であった。かつてはプロ野球の選手とか、サッカーの選手とかが上位であったが、それは上位にはない。ユーチューバーというのが、男の子の第三位にあった。プログラマーもあった。宇宙飛行士とかがあると思ったが、長引くコロナ禍で家に居る父親がテレワークなどで、自分たちのために働く姿を見たからだろうか、それを支える母親の姿に心打たれたのだろうか。子ども心にリストラとか、廃業とか、閉店とかの現状を見て、やっぱり潰れる心配のない大きな会社に入りたい、公務員になりたいと思ったのだろうか。おにぎりをお箸で食べる二人に子はいるのだろうか、あるいは将来子を持つのだろうか、その頃この国はどうなっているのだろうか、と思いつつ窓の外の雨模様を見ていた。子どもたちの将来の夢が、会社員、公務員なのか、これがいいのか否かは分からない。宇宙飛行士とか、探検家や博士とか発明家が夢であってほしいなと思ったりする。大好きな大相撲大阪場所で横綱を目指していた、大関貴景勝が怪我をして休場となった。これにて昭和以降ではじめて、番付から横綱、大関がいなくなって、関脇が最上位となった。一説によると、怪我が多いのは稽古が厳しくなくなったからだ。むかしのように、気絶するほどぶつかり稽古して、バケツの水をぶっかけられて、又、ガチンガチンに“シゴカレ”る。今ではパワハラでありえないが、実はこうしたやり方の時代の方が怪我が少なかったのだ。「土俵の怪我は、土俵で治せ」が格言であった。子どもたちがプロ野球選手になりたいというのは、かつてはずっと第一位だった。テレ朝とTBSがWBCワールドベースボール・クラシックの放映権を買った。NHK、フジTV、日テレ、テレ東はスルーした。テレ朝とTBSのモーレツな、大谷・ダルビッシュの露出効果で、放映全試合が視聴率40%を超えた。紅白歌合戦以上である。もし、大谷とダルビッシュの両選手がいなかったらと思うと、ゾッとする。日系の外人頼りになっていたかも知れない。いよいよマイアミでメキシコと準決勝だ。ガンバレ、佐々木、村上、アレ次の名が出てこない。そうだ、山本、岡本がいた。吉田だっている。今夜、私はおにぎりをお箸で食べてみようと思っている。中味は“おかか”とやはり“梅干し”だ。ピクッとして、ブルル。ネギとおとうふの味噌汁、それと黄色いたくあんだ。(文中敬称略)
2023年3月11日土曜日
つれづれ雑草「今日は、3.11」
脳内が韓国料理のビビンバ(まぜこぜ)状態になった時は、次の中から見るものを選ぶ。(一)「仁義なき戦い」シリーズの映画を見る。(一)「鬼平犯科帳」のドラマシリーズを見る。(一)「山本周五郎」の小説の朗読を聴く。(一)「立川志の輔」の落語を見て聞く。(一)「アフリカの猛獣」たちの生態ドキュメントを見る。(一)「歴代死刑囚」の起こした事件を特集した作品を見る。(一)「皇帝ペンギン」の子育ての感動を見る。今はビビンバ状態が怒り心頭状態に変わり(一本の電話で)脳内が激辛のカルビクッパの如く、真っ赤になって怒っている。それ故クールダウンさせるために、ショパンのピアノ曲集を聴いている。クラシックはベートーベンの第九と、ショパンのピアノ曲しか知らない。3.11の大震災の事も今では阿呆みたいに大騒ぎしている、WBC世界野球大会のボー大な情報にかき消され、忘れ去られている。今日は3.11の日だから、お祭り騒ぎのイベントは止めるのが人の筋というか、国の道だろうと思う。スケートの「羽生結弦」という選手が、3.11以後の大会で、ショパンの「ピアノ曲バラード第一番ト短調作品23」を演技曲として選んだのを知った。この曲は乱れた心を静かにしてくれる。会社社会は人事の春、どこの会社も(小社の私共は人事のしようもない)ジンジ、ジンジで裏切り、密告、寝返りの仁義なき戦いをしている。SNSの時代は“シン詐欺の時代”といつてもいい、悪知恵の働く者共を、鬼平に退治してもらいたいと思う。学童の子どもたちが、すしづめ状態の部屋にいる記事を知ると、山本周五郎の小説の主人公である、貧乏長屋の生活が見える。切なくて悲しくて、力強くて、逞しい市井の民。ならば長屋の八さん、熊さんの落語で笑いたいので、立川志の輔となる。そういえば笑点の新メンバーに春風亭一之輔がなった。故二代目円楽の変わりだ。女子大学生に猛毒タリウムを飲ませて殺した(今は容疑者)と思われる男と女性の関係に、アフリカの猛毒のオスとメスの関係を見る。人間だけではなく、別れ話には(?)血の臭いがある。幼い我が子を殺す親が増大している。少女を何人も殺した死刑囚が、執行日に言った一言は、「えっ風呂じゃないの」であった。わずか3000円ばかりを奪うために、二人も殺して、死刑になった人間もいる。皇帝ペンギンの子育ての映像を見ていたら、きっと事件を起こしてないのではと思う。サイの親と子、カバの親と子。バカはそこにはいない。大学生が両親を殺したというニュースを見ると、十三階段をリアルに表現した、故大島渚監督作の「絞死刑」を思い出す。最新作では、阿部サダヲと岡田健史主演の「死刑にいたる病」を思い出す。少女の爪に異常に執着するのが主人公だった。人間は誰れもが多かれ、少なかれ多重人格者である。ギリギリのところで踏み止まっているのが、ちょっとした事で血が逆流して、新たな自分が狂気を放つ。ある小説では、実直を絵に描いたような主人公の男が、いつも通り家に帰り、前日台所のここをキチンとしておいて、と言っておいたことをしてなくて。包丁を手にして妻を刺す。人間の心は暗くて、深い闇を持っている。脱いだ靴が揃ってない、閉めたカーテンが少し開いている。台所の食器が洗ってない。ただそれだけで長い間溜まっていた心の闇が鮮血と化す。SNSの時代は人間の獣性を呼び起こす。私たちは今アフリカのサバンナの中にいるのと同じだ。人工知能AIが進化すると、人間は人間のことだけしていればいいらしい。あとはすべて人工知能AIがやってくれる。とすると、食べて飲んで日々SEXをしているか、ずっと寝ているか、走ったり、歩いたり、山に登ったり、釣りをしていればいいのだろう。学問はいらなくなるのだ。七人のピアニストがショパンの同じ曲を弾いているのを見て聞いている。今は辻井伸行さんだ。盲目の天才ピアニストに心打たれる。五体満足の人間が、今日はどうやってヒマをつぶすか、なんていうのを見聞きすると、生きているのに死んでいるなと思う。体が不自由な人に対して、又その世話を、献身的にしている人に対して、伏して詫びろと言いたい。きっと何か出来るはずだ。やさしき心あれば。人生にヒマはない。サンマーク出版から、「千に一つの奇跡をつかめ!」という本が出ている。大尊敬する「千本倖生」さんという、大天才の書いた本だ。奇跡に向って挑戦をつづける起業家だ。先日出版の知らせを受けてすぐに拝読した。巨大電電公社にいたのだが、そこを去り、敵に回し、通信業界に革命を起こした中心の人だ。今は風力発電に心血を注いでいる。私のようなバカ者にも声をかけてくれる。若者よぜひ読みたまえだ。人と人との奇跡的な出会いに感動する。“ボーと生きてんじゃないよ”チコちゃんに叱られないようにと、心を新たにしている。春は誰れにも等しくやって来る(文中敬称略)
2023年3月4日土曜日
つれづれ雑草「一分の掟」
2023年2月25日土曜日
つれづれ雑草「少年と老年」
新橋駅前に名物の蒸気機関車がある。その前を通称SL広場という。過日夕方、友人とそこを歩いていると、NHK党の党首がダウンのロングコートを着て、マスクを握って演説をしていた。聴衆は約20人位であった。かつてNHKのニュースで報じていたといえば、国民はそのニュースを信じていた。だってNHKだもんと。現在毎月5000円近く預金から引き落とされている。安倍長期政権になってから、私はNHKのニュースは信じてはいけないと思っている。だってNHKだから。若者たちはNHK料金なんて払ってない。そもそもテレビあんまり見ないからと言う。NHK党の立花氏の話を聞いていると実に説得力がある。NHKでは会長側近をして、NHKの裏の世界を知り尽くした人間が、NHKをブッ壊すと拳を上げる。NHKと電通、NHKと芸能界、NHKと新聞・雑誌社、NHKと高校野球、NHKとオリンピック、NHKと政界、財界。“どうする家康”どころではなく、どうするNHK料金をとなる。忖度まみれのニュースに、真実はあるのかと国民は思い始めた。法の盲点をつくように、ガーシーなる暴露人間が28万余票を得て参議院議員となった。SNS時代ならではの出来事である。仮にヤクザ界のスターや、地下格闘家のスターが同じように立候補したら、一人や二人は確実に当選するだろう。ユーチューブを見るヒトビトたちから、絶大な支持を得ることができるからだ。SNSは一夜にしてスターを生み、一夜にして奈落の底に落とす。宮台真司教授は「クズ、クソ、トンマ」を連発していたら、暴漢に襲われた。犯人は自殺したというが、二週間近く親兄弟は気づかずにいたと、NHKニュースは報じたが、引きこもりを心配して、わざわざ家の近所に住まいを与えていたという。やさしい親の姿や言葉は、全く見えてこない。実に不可解だと思う。エール大出身が売りの成田なる人間は、「ジイさん、バアさんは切腹しろ」なんて言って消えたらしい。私は“やっとこ”、“さっとこ”、ユーチューブなるものの一片を見ることができるようになったが、実に恐ろしいメディアだと思う。それをチェックしているのが内閣の内閣情報調査室、通称“内調”では、数多くのスタッフが誰れが何を言っているか、どこが何を書いているかを調べている。話題を呼んだ映画「新聞記者」では、松坂桃李が、内調のスタッフ役で、正義感(?)により某新聞記社に情報をリークする。私のブログもチェックされている可能性がある。SNS社会はヤクザ者の世界より恐ろしい。ヤクザ者でも金筋の中には、筋を通すとか、道を外さないとか、仁義を守るとして生きている侠客もいる。そもそも参議院議員の懲罰委員会の委員長が、疑惑の総合商社といわれた、鈴木宗男議員である。どうなのこのコントみたいな世界は。私は「NHKスペシャル」と、「将棋フォーカス」(Eテレ)、「チコちゃんに叱られる!」、大相撲、「BS映像の世紀」は見るようにしているのだが、ニュースは災害の時以外は斜めに見ている。どうするガーシー議員。ひょっとして三浦和義みたいになるかも知れない。「邪魔者は消せ」という映画があった。3.11の年に生まれた少年たちは小学校六年生となり、今春中学生になる。先日五年生との親善試合があり愚妻と見に行った。ちっこかった子たちが、すっかり逞しくなった。その夜、保護者が制作したという卒団のDVDを見た。約45分の作品は、私も顔負けのすばらしい感動作であった。卒団式で少年たちはみんな泣いて見たという。私たち家族も泣いて見た。あと10年後少年たちはどうなっているだろうかと思った。この救いようのない国をつくったのは、私たち大人だ。女性記者に睡眠薬のようなもの(デートレイプドラッグを使用したという女性の主張に関しても、「的確な証拠がなく、真実とはいえない」という二審の判決が確定[22年7月]したとのこと)入りの酒を飲ませてレイプ(?)した、元TBSの山口敬之という男が、ヌケヌケとジャーナリストとして能書きを言っている。安倍晋三というバックを失ったこの男は、きっとムショ入りとなる日が来るだろう。枕を高くして眠ることはできない。ワッパ(手錠)がその日を待っている。ユーチューブを見ていると、映画が見れなくなるので余り見ないことにした。少年と同じように老年に感動した。九十一歳になるクリント・イーストウッドが、「クライ・マッチョ」という映画を、製作・監督・主演で生んだ。キネマ旬報の外国映画部門の第4位。少年の頃♪~ ローリング! ローリング! ローリング! ローハイド! の音楽で始まる西部劇ドラマを夢中で見ていた時は、若き脇役であった。何度か結婚して、何度も離婚した。ハリウッドはおろか、全世界の映画人にとって生ける伝説となった。背中は曲がっても、トボトボとしか歩けなくなっても、クリント・イーストウッドは、原寸大の自分をスクリーンにさらけ出し、闘鶏好きの悪ガキに説教をする。そして、超ボディコンの女性とダンスを踊る。ちなみに“マッチョ”とは、少年が愛し名付けた闘鶏用の鳥の仇名だ。言うことを聞かないと、このマッチョをフライドチキンにするぞと少年に言う。やがて少年と老年は心を通して行く。ストーリーは定番だが、1980年代の荒野を走るオンボロのシボレーに泣けてくる。荒野でベンツとかBMWを決して走らせてはならない。日本車で許されるのはただ一つ、それは“ダットサン”だ。椿の花がホッコリ咲いた。春はすぐそこにある。(文中敬称略)
2023年2月18日土曜日
つれづれ雑草「パタゴニア」
こんな歌があった。♪~ もずが枯木で ないている おいらはワラを たたいてる わたびき車は おばあさん コットン水車も まわってる みんな去年と 同じだよ けれども たんねえ もんがある 兄(あん)さの薪わる 音がねえ バッサリ薪わる 音がねえ……。百舌(もず)という鳥は獲ってきた生き物を木の枝に刺しておくという。この習性を“モズのはやにえ”というらしい。「もずが枯れ木で」は、サトウハチローの詩「百舌よ泣くな」を原詩にした歌。兄さは戦争に連れて行かれて死んだのか、それとも病気とか事故だろうか。少年の頃よく口ずさんだ気がする。淋しい歌だが、田舎の風景が見えてくる。画家「向井潤吉」が生涯描きつづけた、田舎の絵。昨年未心を鬼にして“本などを処分”したが、向井潤吉の画集は処分できなかった。“百舌”という鳥はモズ科の留鳥と辞典にある。何故獲ってきた蛙などの小動物をすぐ食べずに、枝に刺して飛び立って行くのだろうか。残忍な鳥なのか、それとも慈悲深い鳥なのか。私は“百舌”という字を見ると、自分が喰うためにやってきた仕事の所業を感じる。人は広告のことをこう言う。“どうせ広告のことだから、誇大広告ばかり”だと。私は百はおろか、千も万もどうせ広告だからを、舌先三寸で語ってきた。そんな気がしている。時々、夢とかロマンを語れる仕事があると、心の中に“少年の風”を呼び起こした。馬とび、竹馬、ベーゴマ、メンコ、型抜き、柿ドロボー、たき火でやきいも、やきぐり、ゴロベースの野球、水門のある川での水泳、戦争の時米軍の爆弾で生まれた池での魚釣り、運動会、初恋。貧しいながらも明るく、兄姉六人同じ蚊帳の中で寝た。だがしかし月日とは残酷なもので、“みんな去年と 同じだよ”とはいかない。同じ母親の子宮の中で育って、同じ母親の乳を吸って育った兄姉も、他人よりも他人となってしまう。“兄弟は他人の始まり”というが、古(いにしえ)の頃よりそうであったのだろう。「血は血でしかあらがえない」とシェークスピアの悲劇は語る。“人類は皆兄弟”と言ったのは右翼の巨頭笹川良一であったが、これは孔子の言葉の引用だろうか。また、キリストの教義にも同様の思想があるらしい。私と思想は違うのだが、たった一つの太陽と、たった一つのお月さんのおかげで、人類80億人近くが地球上の兄弟として生きている。地球は母の子宮と同じである。だがトルコ、シリアの大地震。ロシアとウクライナの戦争、それにより大儲けする、アメリカ、中国、イギリス、フランス、ドイツ、北朝鮮、そして日本のウス汚れた政治家と、軍需産業。地球レベルで、兄弟は他人の始まりとなっている。地球全体がギリシャ悲劇の中にいる。アフリカから出発した人類の旅(グレート・ジャーニー)は、やがて四方八方に広がり、交配に交配を重ねて、異なる人種と言語を生み、現在二百数十ヵ国となっている。その歴史は血で血を洗う、戦争という殺人の歴史である。つまり地球人という死刑囚なのだ。日本には現在確定死刑囚は106名(二ヶ月前)、令和になって死刑を執行されたのは全七名である。何故か政治家はいない。地球が天罰によって裁かれる日は近い気がする。犯罪人地球人よ、地球を殺した罪に情状酌量の余地なし。よって死刑に処す。しかしこんな地球人がいることを知ると、実に爽快な気分になる。「死んだ星(地球のこと)では何もできない」アメリカのアウトドア用品の大手、パタゴニア創業者の、「イボン・シュイナード」さん(八四)は、気候変動への危機感をずっと語りつづけてきた。そして会社の利益を環境保護に充てる仕組みを考えてきた。そして資産三十億ドル(約三千九百億円)の持ち株を手放して寄付をした。アメリカの環境保護運動家「デビッド・ブラウアー」が「死んだ惑星でビジネスは生まれない」と言ったように。イボンさんは中古の日本車に乗って出社する。感謝祭翌日の大規模セール「ブラックフライデー」で、“このジャケットを買わないで”という広告を出した。衣料品の会社にできる最も責任ある行動は、服を長持ちさせること。買う前に考えてみてください。そういうことなのだ。ユニクロの創業者にこの精神はあるのだろうか。大量に作って、大量に放棄する。やがて天罰が下るだろう。先日銀座シネスィッチで、「土を喰らう十二ヵ月」を観た。観客は私を入れて八人のみであった。携帯とか、パソコンとか、テレビのない生活風景の映画は、向井潤吉の絵画のようであった。文明人は結局お百姓さんに勝つことはできない。動物が植物に勝てないように。百舌は出てこなかったが、いろんな生き物たちが生きていることを楽しんでいた。私が通った小学校は東京都杉並区沓掛町にあった。学校の周辺には坂があり、林があり、畑があり、水門があり、爆弾池があり、高射砲の陣地の跡があった。初恋の思い出もある。昨夜グラフィックデザイン界の大巨匠「井上嗣也」さんと、その高弟子「稲垣純」さん、兄弟分と4人で、井上さんの最新作の本の出版祝いをした。3万点の中から選び抜かれた、中国人写真家の作品集は、圧倒的にすばらしいものである。昭和の日本のような写真に、沓掛小学校に通っていた自分の姿を見た。リトルモア社から刊行されている。今年もNo.1になると思う。本の題名は「Chaos Wing Shyo Tsuguya Inoue」(文中敬称略)