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2010年1月14日木曜日

人間市場 深刻劇市篇

新国劇の主役は、島田正吾と辰巳柳太郎と特別法律で決まっていた。可愛い子分のお前達と別れ別れになる門出だ。万年池に・・・と続く名場面は国定忠治だ。

コチラの深刻劇の主役は毛髪である。毛髪が頭皮と別れ別れの門出となるとハゲである。生ハゲである。恐いお面を被った顔で子供を泣かす、なまはげの祭りとは違う。冗談を言っている場合ではない、冗談じゃないのである。

ある女性の統計によると、お見合いで一番ゴメンナサイをするのはハゲの人であるという。ハゲにもその人の数だけ個性がある。5円パゲからツルパゲまで、このハゲのハンデを埋めるのは巨万の富とか巨額の資産しかないのに、フェラーリやマセラッティを持っていてもハゲは嫌なの、とのたまう女性がいる。

何と残酷、何と無情ではないか。金も無力なのだ。


世界中でハゲになりたくてなった人は、国連の調べでも一人もいないという(?)。毛が一本、二本と抜ける度に父を憎み、遺伝子を憎み、一族の血を憎む。朝起きる、枕に毛が。頭を洗うのが恐い、でも仕方ない。洗った頭をタオルで拭く、タオルに毛が。鏡を見る、おでこが昨日より0.1ミリ広くなった。ヤバイ、明日0.2ミリ、明後日0.3ミリ・・・やばい、やばい。せっかく、好きな女性が出来たのに。

ハゲを意識するのは小学生から、早熟の子は物心付いた時からという。お父さん、パパ、ダディの頭を見て半分毛がない。隣のオジサンフサフサ。何で、どうして、やめて。きっと僕も、俺も、私も必ずハゲる、遺伝する。その恐怖におののく。

ハゲ=モテない、単純一時方程式である。小さな時から異常によく頭を洗う。シャンプーをバチャバチャかけ、ゴシゴシ洗う。高見盛が恐怖心を取り除く為に顔をバンバン叩く様に、頭をバシバシ叩く。顔にニキビが出る青春の頃は、もうハゲ恐怖シンドロームである。野球部に入ったのに、なるべく野球の帽子を被らないで先輩に怒られる。

中学、高校、大学、入社。一年留年下ので24歳である。次兄は28歳、長兄は31歳。父の頭の毛髪はチョンマゲを切った侍の様である。長兄はやたらに育毛剤を買ってくる。通販でも買っている。毎月の投資額は15000円位。次兄も又毎月投資をし額は13000円位だ。父はもう、育毛は諦めカツラのカタログを取り寄せている。

聞くところによるとシャンプーのし過ぎ、頭皮叩きすぎはかえって悪いのだという。チクショウ、シャンプーのコマーシャルめと思った時は手遅れになっている。人間の毛髪は、正しくは伸ばし放題にしておけば腰辺りまで伸び、自然に脱毛し、自然に育毛するのだという。基本的にはハゲになる構造になっていないという。抜けたら生えるのである。しかし、抜けても生えない。

日本語の仲で、一番人を傷付ける言葉はハゲではないだろうか。チビとかバカとかマヌケは、笑ってだから何だっつうのと反撃が出来る。頭に真っ黒な髪があるからだ。髪は勝負する為の強大な力なのだ。

それにしても、テレビのコマーシャルで人の弱みにつけ込んで色々なメーカーが心くすぐる様な事をやっている。あれも駄目だった。最近、櫛を入れるのが恐い、シャンプー恐い、頭ゴシゴシ恐い、タオルでふきふき恐い、鏡見るの恐い、家出るの恐い、歩くの恐い、電車の恐い、会社に入るの恐い、エスカレーターが恐い、女性の目が恐い。これじゃ引きこもり、対人恐怖症、出社拒否。

ハゲで良いじゃない、ファッションじゃない、上等じゃない、悔しけりゃハゲてごらんよ、文句あるの?無いでしょ。お、君いいハゲ方じゃない。おや、先輩ビシッとハゲ決まってますね。何だ久し振り、順調にハゲてるじゃない。や〜来た来た、絶妙バーコードが。相変わらず仕立て上がってるじゃないですか、一本一本勘定出来ますよ。キレイだな、ビューティフルですよ。

様々なハゲが集まって来た。この集いは、第一回脱毛・育毛を誇る会。又は、脱毛・育毛真剣比較討論会。又は、脱毛・育毛世界サミット等の名称を決める会である。一応、会長は毛沢山氏である。ちなみにハゲが原因で死んだ人は統計上いません(?)

2010年1月13日水曜日

人間市場 干し柿市篇



その人の名を神崎東吉という。

幻冬舎を定年となり同士たちと無双舎という出版社を立ち上げた。近頃出会った人では出色の人である。

すこぶる柔和、すこぶる鋭い、すこぶる官能的、すこぶる気配り、なにしろすこぶるだらけの人なのです。

父君は直木賞作家。その血を色濃く受け継いでいます。一度私が書いた小説の原稿を読んでもらったら、真っ赤に直され血だらけとなりました。原型をとどめないものとなりました。私の原稿をあそこまで真っ赤にしてくれた人は後にも先にも神崎東吉さんです。あそこまで直されると何かとっても気持ちがいい気分です。ジムでたっぷり汗をかいて体に溜まった毒素が毛穴から出た後の爽快感です。

よく小説家は編集者が育てるといいます。新人の作家などは突っ返された、見る影もなくなった自分の原稿を見て自信喪失、インポ、生理不順、ヤケ酒、カラミ酒となってしまいます。この原稿ボツ、これもボツ、これもボツとなるのです。編集長がオイ、ボツボツいいの見つけろなんて怒鳴るのです。

神崎東吉さんは薄い髪で小太りです。一見優しいのですが目が魔の様に鋭いのです。今三冊の本を一緒に進めています。山梨県に縁があり先日「枯露柿」という干し柿を送ってくれました。これが何と美味しい事か、例えは悪いが豊満な女性の密かな部分の様。たっぷり肉厚、深い割れ目。決して甘過ぎず気品あふれ一口歯を入れれば粘りが強く抵抗する。元華族かなんかの家柄のいい少し年を召した女性。服の下の体はグラマラス、下腹部には少し肉が付き甘味を帯びた香りを放つ、ルノワールの裸婦の一部分が干し柿になった様なのである。高貴なる淫靡とでも表現しておく。

市田柿とは一線を画す。一度ぜひ食して欲しい逸品である。

この間久しぶりに中学時代のクラス会があってさ、二十人位集まったよ。

あいつ憶えてる?みんなで追っかけたあのクラス一番の美人、すんげえ変わっちまっていてさ驚いたよ。すっかり痩せてやつれてさ、そうまるで鄙びた干し柿みたいだったよ。人間あそこまで変わるかな、当たり前だよ。三十年も経っているんだから。そうだよな、月日は残酷だよな。

顔なんか厚化粧で白い粉が浮いていてさ、目尻なんか下がってたるんでんだよ。

判った判ったもう止めろ、酒が不味くなる。だから俺は行かないんだ、人生長くやっていれば色々あってしんどい、辛い思いが顔に出るんだ、お前だって見られたもんじゃないぜ。すっかり鄙びた干し柿みたいだぜ、ぺったり長い顔に縦皺だらけさ。よせやい、干し柿だなんて。昔読んだ古典にこんなのがあった。

絶世の美女に恋をした男がいた。その美女は不幸にも死んでしまう。男は悶々とした日々を過ごす。そしてある日美女の墓に行く。どうしてももう一度あの美しい顔を見たい、そう思い一心不乱に墓を掘るそして美女を見つける。しかし美女はすでに白骨となっている。男はその白い骨を集め箱に入れ持ち去る。

それから数年後あるお寺で修行を重ねる一人の僧侶がいた。その僧侶は骨を持ち去った男であった。自らの一生を美女の為に供養する事を決めたのだ。

美女と男は一度も言葉も交わした事のない間柄であった。

2010年1月12日火曜日

人間市場 鰆市篇

不器用な私が魚を釣って来た時、1500円を払うと三枚に、刺身に、切り身におろしてくれた魚屋さん夫婦が店を閉めた。20年余、ソーセージといえばこの店の物しか家の者は食べない肉屋さんが消えた。おでん大好き家族の支持するおでん種の店が消えた。おめでたい時に欠かせない、美味しいお赤飯を作ってくれる和菓子店が消えた。何かにつけ駆けつけて来てくれた電気屋さんが消えた。若い夫婦がやっとの思いで作ったという小さなパン屋さんがあっという間に消えた。高原野菜が絶品だった八百屋さんが消えた。メンチコロッケが抜群だったお総菜屋さんが消えた。喫茶店を改良してカレーライスだけを売って大好評だったカレー屋さんが消えた。

「長い間のご愛顧ありがとうございました。当店は○月×日に閉店させていただきます。」

この文を書いている主人、それを見ている奥さん、家族、そしてそれを貼るセロテープ、ガムテープ、画鋲も辛い。出来る事ならもう少し頑張ろう。でも、このままじゃどうしようもないじゃない。でもお父さん、借金膨らむばかりだよ、と息子。ん、でもな。時代の流れよ、しょうがないじゃない、と娘。でもな、俺に他に何が出来るんだよ。もういいじゃない、毎日毎日こんな事話してたら病気になっちゃうわ、と娘。駅前に大きなスーパー出来たし、もう駄目なんだよお父さん。後4年で年金が少しでも入るし、でもな、たかが知れてる額なんだぜ、なあ母さん。せっかくの仕入れた物、作った物捨てるのは死ぬ程辛いからね。

長い、暗い、辛い、切ない会話が続いていた筈である(想像です)。人は何が辛いかって、自分が丹精込めて使ってきた物を捨てる時程辛い事はないと思う。生涯かけて店に並べてきた物を捨てる時程辛い事はないと思う。昨今はコンビニ大手が大手メーカーに対し、こんなもん売れませんよとか、こんな品、こんな味、こんなパッケージ置けませんよとか、生々しいシーンがテレビで流れる。その昔酒屋さんだった所が一番コンビニに変わっている。24時間夫婦で経営、アルバイトの人間に売り上げを取られない様、商品を万引きされない様、売り場の裏のビデオモニターを見続ける。コンビニの本部からお姑さんみたいにあれこれ注意される。あ〜あ、もうやってられないと近所のコンビニも消えた。ブックオフという得体の知れない本屋になった。本屋で万引きされた本がここに集まるという。

消えた人達によくやって来たじゃない、消えた方がきっと幸せですよと声をかけたい。頑張って来た人には、きっと良い事がある。ほら、息子さんの就職もちゃんと決まったし、娘さんも大学に自力で入った。嫁に出した娘さんに赤ちゃんが出来た。幸せじゃないですか。私の大好きな魚に鰆がある。みんなにきっと春が来る。活きのいい春が来る。

2010年1月11日月曜日

人間市場 馬と鹿市篇

世に「犬死」はしたくないとか、あれは犬死だという言葉がある。
しかし猫死だとか、鳥死だとか、魚死だとかは聞いた事がない。
しいて挙げると豚死という言葉がある。犬死は美学が見えるが豚死は馬鹿に見える。この馬鹿にしているという言葉も、何故馬と鹿を選んだのか説明してくれた先生や博学の徒もいない。馬の後を鹿が追いかけたという説が幅を効かせている。

拙者、殿への忠心ため腹を切る。待て、早まるな。今お主が腹を切れば相手の思うつぼ、犬死に。これが、待て、早まるな。今腹を切ればお主は豚死だ、となると甚だ緊張感に欠ける。犬は忠心の証しであったのだろう。

犬千代はいても、猫千代、豚千代、鳥千代はいない。猫といえば鍋島藩の猫騒動、猫屋敷、化け猫、猫なで声。不義、不忠、裏切りの証しである。あいつは猫みたいに良い奴だとは言わない。

愛犬家というと海辺を散歩する姿は何かいい感じに見えるが、愛猫家というと少し恐い。犬は化けて出ないが猫は化けて出る。よく犬は人になつき、猫は家になつくという。人間を単純に犬科か猫科で分類すると付き合い方も上手くいく。

ああこの人は猫なで声だな、腹の中できっと舌をベロッと出してるなと判る。犬科の人は正義感が強いが、敵に吠えるその口で味方にも噛みつき困らせるのがいる。忠犬でも悪い例えで言われる事がある。曰く、あいつはまるであの人の飼い犬だ。お手もするし何でも尻尾を振って付いて行く。やだねぇああいうの、ああまでして出世したいかね。こんな風である。逆もある。あいつは偉いね、落ちぶれたけど最後まで恩人に付いて行って自分の人生を犠牲にした、忠犬物語だなとかである。一度自分の回りの人を犬科か猫科に分類してみるといいかもしれない。いや、下らんことかもしれない。


さて、馬鹿は何故馬と鹿か。いずれも悠々たる生き物である。名馬の誉れは数多い、馬は武士の魂であった。鹿といえば優美この上なく都には欠かせぬ生き物である。その角は気高く、誇りに満ちている。馬が武の象徴なら、鹿は雅の象徴である。白馬、白鹿、見事である。それが馬鹿と書かれると途端に切なくも悲しく、淋しいものになってしまう。それに怒ると馬鹿野郎である。こうなるともう、武の象徴、雅の象徴でもない。いつ、いかなる時にいかなる理由で馬鹿という言葉が生まれたか歴史の大きな謎である。博学の友に聞く事としてここは終わる。


あっ、猫が又魚を持って行った。
「コラァー」
あっ、犬が買ったばかりのソファーに又穴を開けた。
「馬鹿め、何してんだ。あ〜あ」
「猫だって犬だっってストレス溜まってんのよ、しょうがないじゃない、絶対ぶったりしないでよ」
愚妻が言った。
「猫は恐いわよ、ず〜っと恨まれるからね。犬だって昔は狼だったんだからガバッと噛むわよ」
お〜よしよし、猫なで声を出し、お〜よしよし、猫を手なづけるのであった。猫は転勤になった義姉の家に仮住まいしている時、義姉が帰ってくるまでお願いねと置いていっていたのだ。お互いに腹の擦り合いが長く続いた。馬鹿という生き物にはまだ会った事はない。何処のペットショップにも売っていない。何か一番仲良くなれそうな気がする。

2010年1月10日日曜日

人間市場 天才市篇

この世の中に凄い人は沢山いる。
100mを9秒台で走る。100mを46秒台で泳ぐ。鉄の球を90m以上飛ばす。
一本の棒で5m以上もの高さを超える。走る、泳ぐ、投げる、飛ぶ。
より高く、より速く、より遠く。オリンピックの選手は皆凄い、超人である。
プロ野球、プロテニス、プロレス、プロゴルフ、プロバスケット、プロフットボール、プロサッカー、プロは皆天才である。

しかし恐縮ながら、この人達は人生の相手にして恐いかというと首を傾げたくなる。叱られるのを承知で言えば、一歩間違うと馬鹿みたいなのである。
例えばサッカー馬鹿、野球馬鹿、ゴルフ馬鹿、テニス馬鹿、格闘技馬鹿というように、とめどなく馬鹿がついて回る。お前それしか出来ないのかとか、お前他に話題はないのかと馬鹿にされる。その道にのめり込んだ為に、他の道を知らない。その道しか知らない為に人生の迷子になってしまう。

故に、まさかあのスポーツマンがという人ほど間違いを犯す(Tウッズもそうでした)。過ぎたるは及ばざる如しである。何も道を極めたるを侮辱する気は更々しない。見上げてごらん夜の星をである。私が声を大にして言いたいのは、色んな人と出会い色んな遊びをしなさい(手錠をかけられる遊びではなく)という事である。

世にも恐い人がいる、底光する様な人がいる。総じて、目立たない、どこにいるか判らない、何を考えているのか判らない、吹けば飛ぶ様な感じである。昔から「あの馬鹿が」等と言われたりする。どっこい、こういう人が一番手強い。凄い、えらい、恐い。

プロスポーツの人の様に、凄い事が凄い数字とか記録で判れば、凄いですねと言えるけど、ものすごい人は判断不能なんです。
記録では表されないんです。
吹けば飛ぶ様な将棋の駒の様な人、部屋の片隅で黙々と答えのない答えを探している人、公園なんかでボーッと空を見ている人、湖面に向かって石ころを投げ続けている人、会いたいですね。
オーラを頂きたいです。皆さん、皆さんが小馬鹿にしている人の中にいるんですよ。凄い人、恐い人、天才が。あのアホがと思っている人、是非ご紹介下さい。

2010年1月9日土曜日

人間市場 凄い人市篇

人生長くやっていると色んな分野の凄い人と出会える。

ここに紹介する人は、ウルトラ級に凄い健筆家である。大江戸八百八丁に生きる人々の世界を題材に、もの凄いピッチで本を出版し続ける。

かつては広告界の大巨匠であった人である、ソニーが初めてトリントロンカラーを世に出した時、「僕タコの赤ちゃん、今生まれたばかり」のコマーシャルで国内外を問わず世界中の賞を総ナメした。
プロデューサー、コピーライター、クリエイティブディレクター、作詞家。

まだ新人だった真野響子さんをカティサークのコマーシャルに起用、わずか3000ケースだったカティーサークを一気に30数万ケースにまでした。記憶が正しければ、一位ホワイトホース、二位ブラック&ホワイト、三位J&B(?)。どん尻だったカティーサーク36万ケースは一気に二位になった。


が、巨匠はある日全ての栄光を捨てて一からスタートした。小説家へ転身したのである。
名は、望田市郎から本庄慧一郎へ変わった。
鮮やかな行動であった。全てを捨てて新たにデビューする。言うが容易いがこれは大変な事なのです。生死をさまよった大病を克服し、鮮やかな転身をした。愛妻が巨匠を支えたのだ。御年○×歳、数字は伏せる。ぜひアクセスして欲しい。人生のギアチェンジに年齢は関係ない事が判るはずです。時代小説、官能小説、歴史小説、ジャンルはデパートの食堂の様になんでもござれ。次から次へ筆は走りまくる。

私の大尊敬する人、見本とすべきご夫婦である。石神井公園辺りで刀は差していないが、万年筆を胸に忍ばせ、短髪、少々丸めの体、鋭い目、身長160センチメートル位の柔らかな殺気を放つ人がいたら、その隣にしっかりと寄り添う品格あるご婦人がいたら、本庄慧一郎さんだ。男の人なら切られない様、女の人なら一度も味わった事のない官能の世界に呼んでもらって下さい。
あいさつはただ一つ「愛読者です」この一言で、鋭い目はウサギの様に優しくなり、家にいらっしゃい、コーヒーか紅茶か緑茶でも、となるはずです。ケーキとか和菓子なんか出るかもしれません。スコッチが一杯出るとしたら勿論かティーサークのはずです。

追記、ある倦怠期を迎えていた中年夫婦が一冊の本を代わる代わる読んだ。その夜夫婦は青春時代の様に激しく求め合った。疲れていた夫婦は疲れを知らぬ夫婦となり、口論する事も亡くなったという。本庄慧一郎の官能小説のとりこ、エロスのとりこになってしまっていたのだ。
ハーレクインロマンを読んでいたマンネリ夫婦はそれを全て茶袋に入れ、ガムテープを貼り粗大ゴミの日に出した。

2010年1月8日金曜日

人間市場 車内市篇

57歳だという。
少し小太りの運転手さんだった。深夜、東京から家まで速ければ一時間程である。
私は車内の小さなライトを点け夕刊紙と本を読んでいた。

「お客さん、目が回らないですか?」
「別に、どうして」
「たいがいの人は暗い中で小さな文字を読んでると、気持ち悪くなるっていいます」
「あ、そう、こうやって車の中で読むのは昔からの習慣でね、また楽しみなんだよ」
「運転手さん、もしかして青森の人」
「判ります。いや、つい先日青森にあるお城に行ったんですよ」
「あ、弘前城」
「そう、その時立ち寄った弘前城の側のおそば屋さんの女将さんと同じ訛りだったので」
「あのそば屋はちょっと高いでしょ」
「まぁ場所がいいし、中々風情があったよ。弘前城は綺麗だね。お城も綺麗だけど手入れが抜群だね。日本一じゃないかな。どの城も行ってみると観光客のゴミだらけだもんね。弘前城はゴミひとつ落ちてない感じだったなぁ」
「みんな一生懸命城を守っているからね。ねぷたと同じ、青森の二つの命だね」
「そうかもしれないね。春、桜の季節にもう一度行って絵葉書のような風景を見てみたいよ」
「春は綺麗だよ」
「そうだろうね。運転手さん何で東京に出てきたの?青森の方がいいじゃない。東京はよくないよ、何もかも、今読んでいる記事にも信じられない事件が沢山載っているよ」

「お客さんお歳は」
「幾つに見える」
「同じ位ですかね」
「まあそんなところだよ」
「体の隅から隅まで、心の端から端まですっかり汚れちまったよ。何のお仕事です?こんな深夜に遠くまで。有り難いことですが」
「まあ、ヤクザな仕事ですよ」
車は戸塚を過ぎ、家まで後二十分程である。渋滞もなくスムーズだった。

「女房がね、二年前に癌で死にましてね。七年前に乳癌の手術をして成功したと思っていたんですが、移転してましてね、肺やリンパや他のところにも、もうあっという間でしたよ。癌って奴は恐いですね、骨と皮になってね。小さなリンゴ園をやっていたんですが、何年か前のリンゴ台風ってやつですっかり狂っちまいました。リンゴ園は手放すわ、女房は癌になるわ、一人娘はグレちまうわ、散々でした。何か痩せて元気ないんで、病院行けと言ってたんですがね、無理して我慢していたんでしょう、可哀相な事をしました」
車はもう十分ほどのところまで来た。車内灯を消した。

「グレた娘が東京へ出たきり、生きてんだか死んでんだか判んないですよ。それで探しに東京へ出て来て、タクシーだと色んな所を探せるかと思ってね。田舎者がどうやって食って生きてんのか。お客さん健康第一、体だけは気をつけてくださいよ。癌は本当に恐いからね。今日はこんなに遠くまでの良いお客さんに当たって良かったよ。ありがとうございます車代と高速代の領収書です」
「あ、運転手さん、これ沖縄の焼酎友達から貰ったんだけどプレゼントするよ、娘さんきっと見つかるから、連絡だけは取れるようにしておいた方がいいよ。親子の情は切っても切れないから。お酒だから、めっからない様にしなよ」

運転手さんは車から降りて深く頭を下げてくれました。言葉は凄く訛っていたけど動きは訛ってませんでした。
午前四時半、空が少し明るくなってきていました。
ちょうど新聞屋さんが朝刊を持ってきました。それを受け取りました。
静かな住宅地にエンジンの音とヤクザなご主人の帰りを喜ぶ愛犬が家の中で猛烈に吠えています。
こんな稼業、いつまで続けているのだろうか、そう思いながら家の錠を開けました。
この稼業は心技体が一つに、そして強固に繋がらないと下手を打ってしまいます。
お客さんに迷惑をかけてしまいます。

そろそろだな、自切りをかけるのも。キチッと自切ってビシッとケジメをつけなければな。
来たばかりの朝刊を見ながら、少し強めの酒を二杯あおりました。

2010年1月7日木曜日

人間市場 先輩市篇

私に大好きな先輩がいました。今は秋田に帰って余生を送っています。この人が酒を飲むと一大事、二大事、特大事となります。デザインの天才と酒癖の悪い天才が同居しているのです。何回も警察にもらい下げに行きました。

一、 無銭飲食

一、 不法侵入

一、 下着ドロ

一、 暴力行為

一、 公務執行妨害

つまりは金が無いのに飲んで人の家の庭に入り、そこにかかっていた洗濯物をポケットに入れて出てきた家の人に手を出し、駆け付けた警察官を殴り付ける。それでご留置となる訳です。

次の日は全く青菜に塩、何にもオボエテネエーンダー、イヤ~マイッタマイッタなんて言うのです。でも天才的に器用な人でした。

一度電話が入り、ちょっと来てケロ、どこにいるの?築地の「江戸銀」っていう寿司屋知ってる?ちょっと腹減ってカウンターで寿司食ったらえらい高いんだ。金ねえんだ来てけれ。で「江戸銀」へ。一番奥のカウンターという事は一番いいネタ一番高いとこ、本人はケロッと側の小さな川の流れに泳ぐ金魚なんか見ている。

マイッタマイッタ、東京の寿司はなんて高いの。ウニ四貫、イクラ二貫、トロ二貫、赤身二貫等々、あろう事か伊勢海老の味噌汁も。もう飲んで食べて大ゴキゲン。スマン、スマン、ウマカッタ!幾ら持ってると聞くと小さな財布に四つ折にした千円札が二枚だけ。

ここは高い店なの、この場所は特に高いの、知らねえ~もん、スマンスマンいつもスマン、さっ帰ろうと連れてお支払い。な、なんと2万3200円、これだもんね、さあ帰ろうとお店を出たのが午後一時四十分位。先輩ヨレヨレ。この人には二冊も三冊も小説が書ける位の尻拭いをし続けたのです。いい人なんです、大好きなんです。

ある日電話が入りました。ちょっとある所に来てというかなりヤバイ感じ。千鳥ヶ淵側のホテルのロビー、恐いお兄さんが二人先輩をサンドイッチにしています。俗にいう切り取り屋。銀座のクラブのつけの取立てです。

銀座でも有名でとんでもなく高いクラブ。帰りは大和のハイヤー呼び放題。

溜まったツケが約300万、さあどうするとなったのです。とてもそんな金はない。

そこで私はある提案をお兄さんにしました。毎晩先輩をお店に出します、そして先輩の友人、知人に私がこの状況を詳しく説明してお店に飲みに来る様にします。三ヶ月位で必ずツメます(払う)だから今日はこれまでにしてねと、本当かというから名刺を出し何かあったらここへいつでもと。

次の日から夜になると先輩は二軒掛け持ち、私といえばありとあらゆるルートにハイ出し(出て来い)をかけました。

お店は大繁盛、ボトルキープは来ない内から割当を決めて入れておく。(先輩はそれほど人気者だったのです)オーナービックリ、マスタービックリ、兄さんビックリ、ホステスビックリ大会です。なんと一ヶ月と少しで完済です。

実はこれからの方が大変な事になたのです。ず~っと、ず~っと、ず~っと尻拭いをし続けたのです。でも大好きな人なのです。

2010年1月6日水曜日

人間市場 元気市篇




杉浦昌さん七十歳。この人には心から敬意を表す。

小さい、細い、でも凄い。右手がなんとも細い。生まれついての体であるという。なんでもポリオの影響であったと、底抜けに明るく、前向きの人。中央大学法学部出身、ご当地のマラソン大会の時は目の不自由な人と紐で繋がり併走する。杉浦さんはいつも首から紐を輪にしているその中に右手を入れている。

その杉浦さんに江ノ島バナナボーイズというチームの選手たちを紹介してもらった。

この人たちは、みなさん体がご不自由な人たち。車椅子を自分で操作して体育館に集ってくる。ローリングバレーというスポーツをするためだ。下半身が不自由な為、みんな床に座り、転がる、体中の使える所を思い切り使う。手足の関節にはサポーター、ネットの上にはボールが上げれない為、ネットの下をボールシュートするのだ。

四、五人ずつが左、右に分かれて試合をする。全国大会を目指し練習する。コーチは健常者の若者二人。声にならない声を出し、叫びにならない叫びを出す。

杉浦さんの解説によると、ああやって怒っているのは、もっと自分の使える所は使えと言っているのですよ。

写真を撮っていいですかねと言うと、全然OKですよと言った。みんなたっぷりと汗をかいている。若者から中年、老人まで。杉浦さんは言う、この人たちは決して自分たちを見て同情をしなくて。逆に自分たちを見て元気になって欲しいと言ってるんです。練習が終わったらみんなでビールを飲むんですよ。ハンデがあるからって家の中に引き込んでいない様に、そう言いました。

五体満足の私は元気を沢山もらいました。反省もさせてもらいました。みんなちゃんと仕事をしているとの事。元気を出せ五体満足の人よ。

2010年1月5日火曜日

人間市場 笑い顔市篇


日本画壇の最高峰であった、小磯良平。

現在の東京芸術大学在学中23歳の時、日展の特選に入選、開校以来の秀才と言われた。

晩年ある事業家に肖像画を頼まれた。その出来栄えを見て実業家は気に入らなかったと言う。それから数年後その実業家が死んだ。

棺に入ったその顔を見て人々は息をのんだと言う。小磯良平が描いた肖像画にそっくりであったのだ。

小磯良平は好んで人の顔を描いた。その対象である人間の深部をその先の顔を見ていたのだろう、恐るべしである。


先日亡くなった関西大学教授の木村洋二(61歳)は笑い顔を計る発明家であった。30歳の時、山で採ったキノコを食べてその毒にあたった。笑いキノコであった。三時間笑い転げたという。笑いが納まった時、不思議なすがすがしさを感じたと共に何かを悟ったのだ。笑いはコンピューターの再起動みたいなもの。フリーズした時、つまり苦しい時、悲しい時も笑い飛ばせば新しい世界が現れる、と。以後「人間にとっての笑い」が学問上のライフワークとなる。

そして、「笑い測定器」なる物を開発する。計測単位を「AH・アッハ」と名付けた。最高の爆笑は一秒当たり5アッハが目安という。愛想笑いなどには反応しない。

アッハが世界を救うよと、アッハハハハとアッハ5で笑っていたとも伝えられる。この頃、この国の民は爆笑しない。笑わない民となってしまった。

ある友人の友人の話である。

その人は生まれながらの笑い顔であった。眉が八の字、頬は緩み口はいつも開いていた(鼻が悪かった)。眼がクリクリと大きくビックリした時の目であり、目尻が下がっていた。人から見ると笑って見えるのである。入園式の時、笑ってはいけませんと叱られ、入学式の時笑ってるなと叱られ、中学生の時授業中に笑うんじゃないと叱られ、高校生の時に笑いながら走るなと叱られ、大学生の時教授から笑ってる場合かと叱られ、会社の面接の時何笑ってるんだと怒鳴られた。父親が死んだ時お通夜の席で笑っている気が知れないと親戚の人からビールをかけられた。笑っている場合じゃないと思っても顔は笑っているのである。笑っている場合じゃないのにマッハ5クラスなのです。

でもなと、友人に言いました。怒っている顔よりかいいんではないかと。一年中怒った顔はしんどいぜ、俺知ってるんだそういう顔の人。そんな話をしていたら友人の友人がお店に入って来ました。お待たせお待たせみたいな感じではなく、静かに紳士然としてバリッとスーツを着こなして、でも本当に顔が笑っていました。いい笑顔でした。でも相談された話の内容はすこぶる深刻、すこぶるデンジャラス、すこぶる打つ手無し。でも笑ってました。

小磯良平の画集を久々に見ていたら思い出したのです。友人の友人はきっと、どんな苦境の中にいても笑ってくれている筈です。


※写真は読売新聞より。