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2010年3月12日金曜日

人間市場 他人市


この世の中では、兄弟、姉妹、兄姉は他人の始まりと言われて来た。

あるドキュメント番組を見た記憶がある。それは浅田舞と真央姉妹の少女の頃の作品である。一つの大会があった、姉舞は一位となったが真央は転倒した。
姉は控え室の入り口で泣きまくる妹にあっ、真央が悔しいって泣いている見て見てという様な茶化した風景であった。その頃は姉の方が希望に満ちていたのだ。
しかし妹は練習を重ね悔しさをバネにし才能を磨いた。

いつしか立場は逆転していった。
妹は浴び過ぎる程の脚光を浴び、昨年だけで数億以上のギャラを手にしたという。勝ち誇る電話で報告を受ける度に姉は、そう良かったねオメデトウ本当にオメデトウと言い続ける月日となった。正常な神経を保つ事は難しかったのではないだろうか。持って生まれた才能の差とは残酷だ。心のどこかで真央が失敗したらどんなにいいだろうと思いつつ、表面上姉は妹を励まし続けたのではないだろうか(想像ですが)。試合が終わると一番に姉に連絡した。

「勝者には何もやるな、すでに栄光の全てを手にしたのだから」と言ったのはA・ヘミングウェイであった。もし栄光を一人の男性に置き換えて見よう。一人の男性を姉妹で愛してしまったら果たしてお互いに譲りあえるだろうか。

私は浅田姉妹の為には今回は銀メダルで良かったと思う。
きっと姉は心から妹をねぎらうだろう。本当によくやったねと、金メダルであればそうはいかない。キム・ヨナと真央ちゃんの実力はかなりあった。
三度も大きなミスをしたら終わりだ。

キム・ヨナは堂々とし、気高くそして誇り高く自信にあふれ王家の娘の様であった。
母親が言った言葉に驚いた。六歳から一度もおやつを食べたことがない、太ってしまうから。真央ちゃんは試合後クッキーを食べたという。
キム・ヨナは全然緊張しなかったとも言った。そして既に次を目指している。
失敗をしない様に必死で演技する真央ちゃんと自分の演技をすれば何の問題もないという自信の違いが全てに出た。

金と銀の差は途方もなく大きい。99.9点はそこで終わり、100点には未だ未だ200点、300点があるからだ。首席と次席、一位と二位、優勝と準優勝その差が大きい差である事に気づかないと超一流のプロにはなれない。
孫子曰く勝ち戦に学ぶ事小なりで、負け戦にこそ学ぶ事大という。勝ち戦には偶然が味方しているからだ。
キム・ヨナを一人ぽっち(みんなから白い目で見られながら)で応援したのはキム・ヨナに超一流を見たからだ。真央ちゃんは残念ながら未だ一流なだけだ。しかしのりしろがまだある。おやつを控えれば。

歴史的には栄光を手にした人が栄光の人生を過ごすとは約束されていない。
宇宙飛行士の多くが数奇な人生を歩んでいる。
一説によると神を見てしまったのではという学者がいる。
又、青い小さな地球を見て人間の業深き営みに人間とは何であるのを感じたのだろうか。
ある者は宗教の伝道者に、ある者は哲学者に、そしてある者は気を病んでいる。
宇宙から帰還した日、彼等は世界中の栄光を集めていた。
オリンピックの金メダルを質屋に売った者もいる。金メダルが邪魔で酒に酔う事も許されず、女性を抱く事にも気を遣い過ぎ不能者となり、家庭が崩壊した者もいるという。

しかしパーキンソン病で手を震わせながら聖火に火を付けた時、モハメドアリは金メダリスト、カシアスクレイに戻った。かつての様に蝶のように舞い蜂の様に刺す事が出来なくなっても。カリスマのオーラが出ていた。

作家なかにし礼氏は兄にとことん付きまとわれ、借金を背負わされ続け、殺意を抱いたと本に著している。天才の才能は全て兄が持って行ってしまったのだ。
親子の間となると佐藤愛子の「血脈」、山口瞳の「血族」を是非お読み頂きたい。
夫婦物となると「チャタレイ夫人の恋人」「フリーダ・カーロ」「火宅の人」、映画では「夫婦善哉」「赤い殺意」「復讐するは我にあり」が好きである。

2010年3月11日木曜日

人間市場 仕上げ市

三月六日、七日五反田マックレイスタジオにていよいよ今年のカンヌ国際映画祭に出品する「夢魚」の本編集、ナレーション録りだ。

この映画にセリフはひと言しかない。
「人間は犬以上人間を愛せない」これだけだ。ナレーターは中野裕之監督にお願いする。中野さんは凄くいい声なのだ。
この映画の主題は、言葉の持つ非人間性、暴力性だ。思えば私の人生は言葉によって人を傷つけて来たのだ。神はいるのか、何故この宇宙に人間だけ言葉を与えたのか。
この映画は自省の映画でもある。
主題を観念的に表すものとして次の要素を重層的に組込んだ。詩的世界である。犬、掟、習俗、四つの面、おかめ、小面、ひょっとこ、鬼、それは人間の中に潜む喜怒哀楽である。
犬は人を決して裏切らないが人は簡単に人を裏切る。

一人の女神に悪魔性はあるのか、四人の女神の中に何が潜んでいるのか、主人公はバロック時代の先駆者、天才でありの人殺しでもある画家カラヴァッジョに心酔していた。
無防備に口から発した言葉は銃弾より強く、鋭利な刃物より人をえぐり傷つけている。

たったひと言で一生治らぬ心の病にする事もあり生涯の殺意も呼ぶ。
私は何人の人間を奈落の底に落として来たのだろう。犬以下の人間なのだ。
どうしてもこの主題を作品にしたかった。
監督には中野裕之さんの秘蔵っ子、平間絹乃さん。撮影は名手猪俣克己さん。
音楽は天才伊藤求さん。全体をプロデュースしてくれたのはキッチンの奥野和明君、制作は抜群のキャラクター森美香さん、スタイリストは石川香代子さん。

昨年十一月長野県の標高約2000mにあるJR小海線佐久広瀬駅から始まり御岳山、奥多摩、秋川渓谷そして都内のハウススタジオで四人の女神の撮影、深夜の品川埠頭、新橋の街と進んだ。あきる野市乙津村では皆さんのご協力を頂いた。村の総代の乙津つねよしさんは十六代、なんと関ヶ原の合戦の頃からだと聞いた。撮影中山の中から何回も何回も木を運んで来てくれて焚き火をしてくれた。

餅つきをした後食べたきな粉餅は絶品だった。自費で製作する映画は一銭も無駄に出来ない。スタッフは手弁当だ、映画野郎の集まりなのだ。
マックレイという会社には機材を含め毎度ご協力をして頂き心より感謝する。寒さの中で一日中立っていると若くない体には猛烈にこたえる。
しかしクリントイーストウッドは八十歳で新作を撮っているマンモスだ。

右に死ぬほど愛する女性がいる。左に死ぬほど製作した映画がある。どちらを取るか当然左の映画だ。ならば愛する家庭とどっちを取るかと聞かれたらやはり左の映画と答えるだろう。
映画の中に一匹の鯉がインサートされる。
これは主人公の中の沼の様になった沈殿する思考の動きである。カラヴァッジョは一人の人間を殺し逃亡の末三十九歳で死んだ画家だ。二点選んだ絵は「救い」を表した。遠景のシーンで主人公がかつて心を奪われた女性と再会する。このシーンは大好きな画家ブリューゲルの冬を意識した。言葉を話す人間は掟の中にいて掟に滅ぼされる。

三月十日の出品の為に総仕上げ、フランス語と英語で字幕を入れなければならない。この映画を通し私が傷つけてしまった人々にお詫びをしたい。わずか十二分に魂を込めた。世界の首席を目指す。音楽のコンセプトは犬が付けていた鈴の音、そして賛美歌、日本的習俗性とヨーロッパ的宗教性のフュージョンだ。

私は今度生まれ変わるとしたら人間は絶対に嫌だ。言葉に支配されたくないから。「犬」がいい。心から人を愛せるから。人に尽くせるから、邪心無く。但し権力の犬には決してならない。

2010年3月10日水曜日

人間市場 冷雨市


ずーっと目をつぶってそのまま起きない状態を医学的に「死」という。

代々幡斎場の朝は激しい冷雨。友人の意志は見事だった。
葬儀無用(ささやかな送る会)、坊さん読経無用、位牌無用、親族は息子三人のみ(実姉と本妻は来ない)、後は友人が四十人ほどの通夜であった。
遺影は無く、数枚のスナップ写真のみ。満開の桜の木やたくさん花がお棺を囲んでいる。
ビールと日本酒とお寿司だけ。小さな部屋で二時間でお終い。

翌日は十一時から火葬のみ、二十人程が集まる。ホテルに泊まっていた私を待っていたのは渋滞と交通規制として雨、又雨。
東京マラソンが原因であった。ホテルからタクシーに乗って幡ヶ谷を目指すがあちこちが規制中、新宿近辺は入れない。どこから集まったのか雨合羽や奇想天外な格好をした人、人、人。今日は決して怒るまいとタクシーの中で目をずっと閉じて今は亡き友との思い出を追う。

運転手さん幾つと訊ねると六十八歳ですと応える。直葬って知ってると言うと今向かってますと応える。違うよ、直行と間違っていない「直葬」だよ。
知りませんなんですか。どこ出身なの?香川です。何でまた東京に?向こうじゃ全然食べて行けないんですよ。

そうなんだ、この間四国四県の事で面白い事知ったよ。知ってますよ、金が入ったら高知人は酒を飲む、愛媛人は買い物をする、徳島人は商売を始める、香川人は貯金をするっていうのでしょ。そうそう運転手さん香川人だから平均貯蓄1650万なんだ。よして下さいよ貯金なんてゼロ、無しです。あれば女房子供を置いて右も左も判らない東京に来ませんよ。福岡と大阪にもいたんですが全然駄目でした。
何といっても東京には人が多いですからね、それにしても凄い人ですね、時間大丈夫ですか。今のところはね。寒いのにこんな雨の中余程走ることが好きなんでしょうね。

先ほど言った直葬ってなんですか産地直送ですか。
違う違う、この頃はね多くなっているんだ。親族や親しい友人だけで送る会をしてそこで次の日に火葬する。坊さんも来ないんだ。
えー、坊さんが来ないお葬式なんてあるんですか。そう、だから坊さんも最近は丸儲けとは行かないんだ。立派な戒名付けてウン百万円、ウン十万円とはいかないんだよ。元々値段なんてあってない様なもんだからね。俺も死んだら直葬って決めてんだよ。

本当は山ん中に埋めてくれるのが一番の理想なんだ、昔の土葬だな、土に還りたいからね。家にいるとさ、よく電話がかかってくるんだよ、お墓もう決めましたとか、嫌だねああいう電話、この間中年おばさんが同じ事聞いてきたから、ああ、お墓沢山持っているよ安く売ってやろうかって言ったら、ご冗談をでも本当ですかなんて言っていたよ。

十時までには着きたいけど間に合うかな。頑張ってみます、ラジオでもつけますか、チリで大地震日本にも津波が来るって言ってましたよ。そうか、あっあそこのコンビニに寄ってくれる、コーヒーと新聞買うから何かお茶でも飲む。いいですいいですよ。
こんな雨の中走ったら死人が出るんじゃないかな、俺素人のマラソンランナーって好きじゃないんだ、なんか貧乏たらしくて格好よくないしな。外人は格好いいけど。日本人はスポーツウエアが似合わないんだよな、胴長短足だから。

皇居の周りなんか中高年の溜まり場だよ。なにしろ金は使いたくない、長生きはしたい、淋しいから人に会いたい、で集まって来るんだ走るだけだからスポーツ予算は少ないしな。バックパックにタオル、ポカリスエット、ミカン1個、ゆで玉子1個、おにぎり2個、ランニングシューズでいいんだから、まあ〜後はあの世に向かっていかに早く走るかだ、中高年のランニングなんて筋肉は少々付いても体にとってはよくないんだよ、科学的にも証明されているからね。長生きしたけりゃ家の周りを二、三十分散歩すればいいんだ。

お客さん、着きました。虎ノ門のホテルから1980円、十時十八分でした。
我が友はバイク野郎でエライ格好のいい男だったのです。

2010年3月9日火曜日

人間市場 ゴルファー市


ビール缶(350ml)のカロリーは平均約150キロカロリー、コンビニで売っている梅干しのおにぎり一個分である。
アルコールは体内で水と炭酸ガスに分解されるか、汗や尿として排泄されてしまうからカロリー源としては残らない。実際にカロリー源となるのはビールでは大麦、清酒なら米、ワインなら葡萄のエキスによるものだ。その量は少なく、ビールも清酒も公表されている4分の1ほど。アルコール飲料は、本来低カロリーといえる。

お酒を飲むと太るとすれば長時間座ったまま動かず一緒に食べる料理のせいだという。ビール腹について、メタボリック症候群が注目されるようになり、ウエストの引き締め効果を謳った民間療法が多い。しかし、科学的に検証した研究から、ウエストだけがスマートになる方法は存在しないという事が判ってきた。
ウエストは体重と並行して増減しているに過ぎない。もしビールの様にお腹が出て来たら単に太っただけという事だ。

お腹が出てくる理由がもう一つある。年を取るにつれ、腹部の筋肉などが緩んでくる。その為一層、お腹が目立ってしまう。お酒を飲むだけで太ったり、お腹が出たりする事はない。何かのせいにする前に食べ過ぎない事、ほどよい運動をする事だと。

(新潟大学教授 岡田正彦)中年太りとは貫禄が出たという事と思えばいい、むしろ六十代を過ぎ七十代になった人間が痩せ細り尚かつ息をゼイゼイしながら走り又は歩き、アジの干物やメザシの様になり、スーツのウエストはダブダブとなっている、その方が余程問題だ。
長生きの為などと思っている人がいたら余計な事はするな、あなたの人生そんなに長くないのだから。長生きしたければ目的を持ち、よく学び、よく行動をしなさいと言いたい。

オネーサンお酒お替わりね、それと串カツ二本、鶏の唐揚げ、それとヤキトリ三本、それと枝豆と冷や奴、ししゃもよろしく。とりあえず(あくまでもとりあえず)がスタートだ。(あるお客さん)私はシンプルにグラスビールと板わさと湘南しらす入りおひたしのみ。
オバサーン、ビール大でよろしく、それと天ぷらの盛り合わせね、後から鴨せいろそばよろしくね。年の頃は七十前後だ。友人であろう仲間とゴルフの帰り(湘南シーサイド)お店はその側のしらすが売りの店。
しらすが売りならしらすだけにしろと言ったらそれならお店は潰れますだと、なるほど正確な分析だと思う。

あそこはさぁ〜やっぱり横の出すんじゃないの、あの距離でOKくれないのはお前嫌な性格だな、当たり前だよ握ってんだから。
お前バンカーから二度ホームランした時目が潤んでたぜ。潤んでなんかいないよ砂が目に入ったんだよ。それにしても前の組の中にいい女がいたね。一緒の恰幅のいい老人、あれはきっとかなりの人だな。堅気の女かな、そうだなシックなウエアだったしキャリーバックもいい色だった。
平日に二人で羨ましいね全く。俺たちなんか割引サービス券だもんな、ワッハハハ。
あいつが来ないと淋しいな、仕方ないよ、胃を3分の2取ったのだから。
負けず嫌いだからドライバーが飛ばないのが悔しいんじゃないの。チョコレート払いたくないだろうしな、ワッハハハ。すいませんお姉さん、ネーチャン焼酎ロックで氷は多めにね、だってさ。
今日の若い方のキャディ大学のゴルフ部だって、みんなが帰ってから暗い中練習するらしいよ、陽に灼けてカッコいいよな。四人共足を放り出しながら。

連れの女性が言いました、私ああいう美意識の無い人たち苦手なんです、嫌いなんですと怒っていました。
昔ゴルフをよくやっている頃、自分もきっとあんな感じだったんだろうな。桑原桑原だ。三人とも見事な程ビール腹ではなく老人腹でした。私から見てもよく飲み、よく食べてました。あっ、一番太った男の枝豆が飛び出して隣の席の人に当たったみたいだ。
茅ヶ崎市柳島海岸近くの人気店にてです。

ゴルフ好きの方々、ゴルフは紳士のスポーツである事を決して忘れずに。


2010年3月8日月曜日

人間市場 童話市

赤いハマナスが狂い咲く。
北の国のずっとずっと外れの島の事です。昔ある国がたくさんの爆弾を落としその穴がやがて沼となりました。人々は天から降って来た物がつくったので天沼といいました。その沼は冬になると厚い氷が張りました。

春から秋になると色とりどりの鳥たちが集まりました。遥か遠くからも鳥たちは来ました。その沼のほとりに小さな鳥の学校がありました。
この学校は生まれてから六十五歳までいなければなりません。六十五歳になると命を卒業するのです。その鳥の学校に一羽の美しい鳥がいました。

少年鳥たちはその美しい鳥の関心を得ようと近づきました。美しい鳥はそんな少年鳥たちにクッククックとノドを鳴らしました。少年鳥たちは自分に関心があるのだと思い自分勝手に喜びました。先輩鳥たちはそんな少年鳥たちを囲んでは羽根を抜いたりしていじめました。
ある風の強い日、十四歳という一羽の少年鳥が遠く貧しい島からやって来ました。その少年鳥はとても乱暴鳥でした。何度も何度も仲間と諍いを起こしました。弱い鳥をいじめる先輩鳥たちをやっつけました。

美しい鳥はそれを見ていて一度自分の美しい羽根を抜いて渡しました。ほんの少し茶化したのです。美しい鳥には取り巻く鳥がたくさんいてそんな事をするときっといい気になるわよと言って笑いました。
十六歳になった時、乱暴鳥は追放される事になりました。自分の身に憶えがないのに罪を着せられたのです。ある密告鳥が美しい鳥に美しい羽根をもらった事に嫉妬したのです。
追放されて行く時、乱暴鳥は美しい鳥を探したのですが美しい鳥はすっかり忘れていました。先輩鳥に気を奪われていたのです。乱暴鳥はそれから悪い鳥たちしか居ない島に行き、ますます乱暴鳥になっていきました。

でも夜になると必ず美しい羽根を見つめていました。
島が吹き飛ばされそうな北風の日も、島が真っ白の小高い山の様になる雪の日も、稲妻が光り狂う日も夜になると美しい羽根を見つめていました。島から島へ乱暴鳥は飛ばされて行きました。すっかり年を取った乱暴鳥は木から木へと飛ぶ事も出来なくなっていました。
少年鳥の頃は乱暴鳥であったが歳を重ねる度に島の鳥たちを不幸から救ってあげていきました。

ある嵐の日、一羽の女鳥が舞い込んで来ました。その女鳥はあの天沼の鳥でした。美味しい食べ物と水をあげながらあの美しい鳥はどうして居るだろうかと訊ねました。あの美しい鳥なら名門の鳥と一緒になり三羽の子をもうけ幸福にしていると聞いたのです。
夜美しい羽根を見ながら今日までの月日を数えました。もう六十三歳になっているはずだ、自分と同じだから。あの島の学校では六十五歳でこの世から卒業しあの世へ飛んで消えて行くという掟がある。

どうしても、もう一度あの美しい鳥に会ってあの世に飛んで行きたい。その夜から来る日も来る日も同じ事を考えていた。
しかし体は急速に衰えて行きました。島にある一本だけの梅の木にポツンポツン白い花が咲くのを合図にして年老い鳥は島を飛び立ったのです。
だがやはり思った様に風に乗る事が出来ない、必死に上を目指すが思うように行かない、何度も海に落ち体を濡らしました。
波に揉まれながら美しい羽根を握りしめて持ち何とか風を起こしてくれと願った時、大きな竜巻が起き一気に上に昇ったのです。
年老い鳥は最後の力を振り絞って飛んだのです。きっともう一度会うんだと思って。青空の中に真っ白いまるで人間の耳朶の様な雲が見えてきたのです。きっとあの雲を越えればあの島のはずだ。雲はどんどん近づき大きな壁となりました。あっと思った時年老い鳥は雲に思い切り当たったのです。

羽根がバラバラになってしまいました。何もかももう見えなくなり体も冷たくなり年老い鳥は激しい波の上で息を絶えました。濃い鉛色になった海に虹色の美しい羽根が浮かんでは消えていました。

美しい鳥は親子水入らずで吊り橋の上で遊んでいると娘鳥にいわれたのです。母鳥様の大きな羽根が抜けて飛んでいきましたよと。
その日から天沼にあった水が引き始め渇きヒビ割れたのです。そのヒビに大きな美しい羽根が刺さっていたのです。あの吊り橋は落ちて無くなりました。

美しい鳥は決して死ぬ事が無くなり永遠に天沼の学校で生き続けたと伝えられているのです。ある旅鳥が言いました。二つの美しい羽根が大きなまるで人間の耳朶の様な白い雲に二つの美しい羽根が重なり合って刺さって居たのを旅の途中で見たと。

息を絶えた乱暴鳥は中空の中にいました。あの美しい鳥と巡り逢う事がきっと出来る。ずっとずっと雲の上から見守ってあげよう、何か不幸が起きたらきっと、きっと、そう思っている内に体中の羽根が強い風にさらさら一羽根一羽根とちぎれていました。

あっ、お母様空を見て凄い羽根の嵐よと美しい鳥の娘鳥は言った。美しい鳥はそれがあの乱暴鳥の羽根たちとは気付かずにその日の食べ物を用意していたのです。

2010年3月5日金曜日

人間市場 怒られ市

怒られ上手という言葉があります。

豊臣秀吉と明智光秀の差は、織田信長から怒りをぶつけられた時の目つきや態度にあったという歴史家がいます。
例えばコラッ猿って怒ると猿はひたすら平伏してヘヘェ〜と頭をこすりつけた様です。逆に光秀は文武両道に秀でたプライドの固まりの様な男。オイ、キンカン頭(アダ名です)何だコレは!と扇子で広くなった額をぶたれた時、ムッとして信長を睨み付けたと言います(本当の事は誰も見ていませんが)。

勘の鋭い信長は光秀に対し、コノヤローきっとオレの事を憎んだなと思いそれ以来イジメにイジメ、そして領地を捨てて中国攻めに向かえ、領地は勝った所をやると命令したのです。又、信長は光秀の実力と人脈と教養を恐れたからともいいます。

社長と部下、上司と部下、部下と後輩も同じです、取引先とも同じ。今トヨタの社長が謝罪の旅をしています。悲愴感が漂っています。人に謝罪するなんて生まれてこの方一度も無い筈ですから。あれだけの大会社の社長が仲間内とはいえボロボロ涙を流し、鼻水を流してはいけません。悔し涙は一人で流すのです(武士の美学です)。

人の前でも怒っていい者、プライドが高いとか、気に病む者は人には見えない所で怒るのです。ムッとする、耳たぶが赤くなる、目付が鋭くなり睨みつける、バカヤローやってらんねえよみたいな態度を取る、そんなに信用出来ないなら自分でやって下さいよなんて言ってフテくされる。仕事が人一倍出来ないくせにプライドの高い人に多いです。
会社にとってはいずれいらない男となるのです。役に立てないしお客さんからあの人は直ぐにムッとなるので来させないでとなるのです。

会社をやっていくのは、人の個性を見つけて伸ばす、そして独立させ外に出してあげる、一人になると自分で食べて行かねばなりません。決してムッとしないのです。だから見極めてやって機会を与える、これが本当の愛情なんです。

夫婦も又同じ、亭主が怒ると可愛い気なくムッとした顔をして部屋に入る。部屋が無い時は外に出て行く。自分の欠点をバッチリ言われると余計にヒステリックになり、返す刀で亭主の日頃の行状や言われたくないハゲ、デブ、クサイ、本当に変わり果てたわねなんて平気で言う。君こそ、なんて言った途端に人を傷つけないで、サイテーよなんて総攻撃。(ちなみに私の愚妻は無視の固まりです)

この間私の友人はあんまり大きな声で怒鳴られた時、奥さんの義歯が外れて飛び出して金具の部分が目ん玉に当たり失明寸前になりました。
ブーたれる、フテくされる、人の身内の悪口を言う、出世をしないとか給料が安いとか言いながら自分は金遣いが荒い、似合いもしない服や靴を買う、カードを切りまくる、どんどん怒っていいんです。どこにそんな金があるんだと。

三つ指ついてすいませんでした、ゴメンナサイ、許して、反省してますと言ってホロホロ涙を流したらその日だけ限定で抱いてあげて下さい。どう抱くかはお任せします。
どんなに辛くても一度だけと思って、目をつぶって、鼻をつまんで、歯を食い縛って(義歯を外してもらって)。これが俺の運命なんだと言い聞かせて。決して泣いたりはしないで下さい。直ぐつけ上がりますから。やっぱりワタシを愛してるんだなんてね。
怒り甲斐が悪い相手なんです。(痴人の愛です)

2010年3月4日木曜日

人間市場 モス市

四歳と五歳の孫たちの頭の中は見てみたい程面白い。

例えば、ご声援ありがとうございましたは→五千円ありがとうに。
お気持ちだけですは→気持ちっていうお餅食べたいからチョーダイとか。
会社が倒産したは→会社にお父さんがいるのとか。
セクハラって→どんなハラーしてんのとか。
マグロって赤いのに→なんでマグロなのとか。
マンジュウは一個しか食べなくてもマンジュウなのとか。
サンドイッチは、何で一度だけなのに→サンドなのとか。
遠くからバイクで来るのに、なんで→おそば屋さんて言うのとか。
フーフ、ふうふといっているのになんで→冷たい冷たいと今日来た人は言うのとか。二人の孫と三人で話をしていると次から次に答えにくい問題が出る。
お菓子っておいしいのになんで→おかしいのなんて追加される。

パパママは友人の結婚式でいない、バァバァは鎌倉へ、でグランパは一日二人のお相手。なんでなんでの質問はモスバーガーでの事。
なんでモスっていうの、なんでハンバーガーっていうの、チキンタッタってなんで立ってないのとか。慣れないグランパはもうてんてこ舞い。なんでなんでとこっちが世の中に聞きたい事ばかりだが孫が相手じゃ仕方なし。

番号札持って待ってて下さいと言われテーブルに。怒っちゃ駄目と心に言い聞かせる。
出掛けに孫の前では絶対大人しくしてねと言われていたからだ。何しろ自分では何も出来ない子供みたいなんだから。一杯子供がいるが、ウチの孫が一番美男美女って、天才なんてよその人もそう思ってるんだろうな。
あの女子高生たち、あのオバさんたちアゴが外れそうなのを食べている。あっオジイチャン、ケチャップでシャツが真っ赤だ。からしもいっぱい付いてしまった。

目の前は江ノ島海岸だ。
モスが終わったら孫より自分の方が好きな江ノ島水族館へ、アシカのショー、シャチにエサをあげるショータイムだ。あの高足蟹のやつまだじっと動かずにいるんだろうか。
オオサンショウウオはまだずっとあの穴の中でじっとしてるんだろうか。
アジの大群はサラリーマンの大群みたいに忙しく動き回ってるんだろうか。

なんで魚は魚で人間は人間なんだ。逆に魚たちの方が人間たちを見てアンタたち何みてんの余程暇なのね、なんて思っているんじゃないのかな。
オッ来た来たハンバーガー、そう言えばいつか肉屋にいた男がこんな事言っていたな。
粗挽き合い挽きという肉は馬肉との合わせの事ですからねと。
そう言えばハルウララちゃんどこへ言ったのかな、まさかハンバーガーになっていないだろうな。この間寿司屋で食べた馬刺しの握りは旨かったな。

ゆっくりたべるんだよ、もっと椅子を前に出しなさい、なんて比較的のどかな自分を楽しんでいたらウルサイ集団が入って来ました。
中国人観光客です。春慶節の休みとかでいるわ、いるわ大行列、のどかな気分は突然リングの上のボクサーの様になってきました。ちゃんとルールを守って並ばない、一度に色んな人がオーダーをする。空いている席を喧嘩越しに奪い合う。
ハンパーカ、ハンパーカの大合唱大会の始まりです。今世界はこの国抜きには語れない、米国も日本の景気もこの国次第なのだから。一つ空いていた私の隣の席に来々軒のオヤジの様な人が断りもなしに座った。

ニーハオ位言えってんだよと思ったが、今日ばかりはそうはいかない。我慢ガマンだ。

2010年3月3日水曜日

人間市場 恐竜市

恐竜期は一瞬にして終わったという。
巨大な隕石が地球に落ち一気に温度が下がり絶滅した。
誰も体験した人はいないから一つの学説である。およそ巨大なものは一瞬にして崩壊する。

トヨタ自動車という恐竜がいる、乾いたタオルでも絞りに絞る経営をして来た。確かに日本の車社会の歴史はトヨタが作って来た。
はじめカローラ、次にマークⅡそしていつかはクラウンにと人生の階段に例えられた。
課長、部長、そして役員にという図式だ。

空飛ぶ恐竜日本航空が2月19日株価一円で48年の歴史に幕を閉じた、墜落である。トヨタは拡大経営、下請け、イジメ、一族経営のツケが回って来ている事に気付いていなかった。あるトヨタ関係者は、トヨタは「鬱」製造会社だと言っていた。

トヨタに関係した業者の中に夥しい「鬱」の人が生まれるという。
勿論社員はもっと多いという。そのトヨタにリコールという隕石が落ちた。始めは小さな石ころ位に思っていたのが甘かった。商売の基本が忘れられていた。
ある役員が運転している人の感覚の問題ではないか、車には問題がない深くブレーキを踏み込めば問題ない、この一人の阿呆な役員の姿にこそ現在のトヨタの惨状があった。

創業者の正統の血筋の新社長にいい城代家老が付いていなかった。茶坊主人事のツケであろうボンボン社長は大のF1好き飛ばす事に生き甲斐を求めていた(耳に痛い事を言う人間も飛ばした)、即ちあんまりブレーキ系統に関心がなかった。歴史はそれを作った者によって滅ぼすという事実に当てはめれるとトヨタは豊田一族によって滅びるという事になる。
ホンダはそれが判っていており本田宗一郎は見事に一族の血の支配をさせなかった。自信も判断ミスが起きない内に第一線から身を退いた。今のホンダは本田ではない。もうバタバタのワンマン親父を知る者も少ない。

愛知県名古屋市は日本の独立国という。極めて特殊な県だ。信長、秀吉、家康を製造したからとプライドが高い。友人が名古屋に転勤になって取引先に行ったら単身でないでしょうね、お墓はもう買いましたかと、真顔で言われたという。つまりこの地に骨を埋めるつもりでしょうねという事なのだ。

新聞は中日新聞、中日スポーツ、野球は中日ドラゴンズ、あの読売ですら大苦戦した。一説には東京への反抗心の固まりだと学者さんは言う。
結婚する花嫁は透明な荷台の中に嫁入り道具を入れて見せて回る、離婚すると見せて回った物はソックリ持って帰る。

一銭の無駄使いもしない、口から出す息でも倹約するという冗談もある。名古屋商人、近江商人、佐賀商人が通った跡はペンペン草も生えないと言われて来た。反面地場産業が育って強い。旨い味、凄い技術、革新のアイデア、気が付けば名古屋産である。ハカシモアルデヨオー等とコテコテの名古屋弁と付き合うとかなり言語感覚の調子が外れる。

ある民俗学者の県民性分析によると、閉鎖的、秘密主義、権力志向、中央への反発が強い。一番の特技は責任を人になすりつける。自己を弁護する自慢体質とか。この度のトヨタ経営陣の不始末を見ると見事にヘボだと思っていた学者の説が当たっているではないか。トヨタの社長の目はどんより輝きを失った、顔はパサパサになって来た、表情が「鬱」ぽくなって来た。しかし米国の公聴会でいい訳をしまくるのだろうか。先日、後輩が五年間トヨタの担当を終えて東京へ帰って来て電話をくれた。後輩のひと言を紹介する。「鬱にならず無事生きて帰って来ました」だった。

もう一つJALという恐竜は完全に政治家と組合の利権にされ滅びた。
巨像が食いつぶされ身売りされたのだ。これからも次々と恐竜たちが滅びて行く。
私などは蟻ん子の様な物、はなから滅びているから失うものは何もない。戦い続けて戦場の露と消え去るのだ。

その昔大きい事は良い事だと言ったが今はその逆、大きいところ程危ないのだ。
少数にして精鋭なるところが生き残って行く。
百貨店は三十五貨店位にしないと終わってしまい、安売り電気屋さんに取って替わられる。大好きな銀座が秋葉原になる日はそう遠くない、バッタ屋の街になる、中国人がワタシヒャクマンカッタヨ、オカネタクサンアルノコトヨ、カッテモカッテモオカネヘラナイヨ、チュウコクセカイイチノコトヨなどとワンタンとシュウマイを食べながらウルセイ事、ミャーミャー猫の集団だ。中国という恐竜もいずれオワルノコトヨ。インディアンウソツカナイ、中国人みんなサボル、ウソツク、SEXバカリ。

中国は七面鳥、頭のトサカだけ赤い共産主義で全身は資本主義だと言った人がいる。人口13億人とも15億人とも18億人とも言う。計測不能、一人っ子政策だから二人目から隠しちゃう。広すぎて全然判らない国、大盛チャショウワンタンメン、トッピングに海苔、モヤシ、メンマ、ネギ、ニンニク、もうゴッタゴッタなのだ。
追伸:元朝青龍が夢の中でこう言ってました。トヨタの黒星の決まり手は「つるし上げ」と。
古来より日本の武士はひと前で「つるし上げ」されるを恥として、又、弁明を恥とした。今回の問題は現社長の前の責任者、奥田会長、張社長でもある。
もしトヨタを守るのであればこのご両人が公聴会の始まる前に見事腹を切って果てる、責任は我々にあると一筆したためそうすればトヨタは守れる。豊田一族はどうか判らないが。

若き織田信長を諫めるために腹を切った守り役、平手政秀の様に。
信長の生涯で泣いたのはただ一度、平手政秀の死を知った時だけと伝えられている。
手柄は自分、失敗の責任は部下へ。この国の滅びよう問題はここ一点にある。武士道の国は無士道の国となった。

2010年3月2日火曜日

人間市場 ババタリアン市


2月21日(日)寒さが去り一気に春の暖かさとなった。

原作を読んでいた映画を見落としていたのが国府津のシネコンで上映してるので観に行った。東海道線の中が老人達で一杯だった。六十歳から七十五歳位が主役である。
小さなリュックサック、サイドにペットボトル、スポーツウエアにキャラバンシューズが定番のスタイルである。

国府津でどっと降りた。何でこんなに老人達が多いのかと知った。(私もその老人の一人、映画は千円で観れる)曽我の梅林が見頃なのだとタクシーの運転手に聞いた。
河津桜が満開だとも聞いた。私は人間の集団が大の苦手である。特にババタリアンの集団に出会うと情緒が不安定になる。クサイ、ダサイ、ウルサイからだ。

小田原シネコンコロナに着くとそこはもう異次元の世界であった。
入ると直ぐにUFOキャッチャー、右にはスーパー銭湯。その隣にはボーリング場、どこに映画館があるか判らない。ズラ〜と人の列。ガキがウルサイ。
何事だと思うとグルグル回して赤い玉がコトンと落ちる、くじ引きだ。二階から一階の入り口まで並ぶ位だから余程いい景品が貰えるのだろうと思い聞いてみると、何だい食事のサービス券(五百円相当)みたいなのが当たるという。
切ない悲しい行列であった。当然行列の主役はババタリアンと老人達である。


名古屋のパチンコ屋が始めはパチンコ店として経営してたらしい。
オープン当時は大変な賑わいだったが、パチンコやパチスロの射幸性が強い爆裂機が禁じられ一発何十万も儲ける事が出来なくなったのだという。
それでもってパチンコ屋さんはスペースの活用を考え現在の混然バラバラとなり国府津のコロナ(太陽)となった。
名古屋人とはとんかつとキャベツをそのままご飯に乗せ味噌をかけてしまったり、長い鰻を短く四角く切ってご飯と混ぜ混ぜしちゃう等という神をも恐れぬ大胆不敵な事をしてしまう。

それ故コロナもとんでもない空間となる。ボーリングのピンが弾ける音を聞きながらお湯に浸かり、体から湯気を出しながら映画を観る。イタリアンの横にうどんがあり、その横に何でもありのレストランがあり、その前にはチョコパフェその横にハンバーガーともう頭がこんがらがってしまう。(正確ではないかもしれない)

やっとこさ映画館を見つけていざホットドック(マスタード&ケチャップ)アイスコーヒーを買う。フライドポテトを揚げてもらっている間に、映画の題名を言ってチケットを買う。何だか悪い胸騒ぎ、全然人が並んでいない。一時二十分上映開始だ。オーイ上映開始だぞと声は出さないが心では叫んだ。

142席の中には何と二人しか観客がいなかったのだ。きっと予告編が終わったら頃にどっと入って来るだろうと思ったが全くその気配なし。とうとう二人だけで見終わった。
それ故全然盛り上がらない。映画はやっぱり観客が一杯がいいのだ。
国府津の人々には悪いが全然アカデミックでない所だ。

映画の題名は言わない方がいいと決めた。ホットドックもホットでなくクールだったし。映画も全く原作に負けてるし、森山直太朗の主題歌が暗くて、甲高くてたった二人には息苦しかった。
あ〜あついてない日曜日の前半だと思いつつ、国府津の駅に行くとオバチャン、オジチャンの群れだ。切符を買うのに一苦労、さっさと買えよと思わず口に出す。列車に乗るとそこは梅や桜見物の宴会の延長戦。

イカの薫製の臭いがプ〜ン、ホタテの薫製、笹カマボコ、亀田の柿の種、ポテトチップス、ポンキッキ、カラムーチョ、なんたる臭い、ワンカップ、ビール、発泡酒、焼酎水割り、ハイボール。とにかくよく喋り、よく飲み、よく食べる。
熱海から、小田原から、乗って来ていたのです。そこに国府津からの乗客が合流もう頭がクラクラ。臭いに敏感体質な者としては耐え難きです。

四人の客が平塚で降りました。座席にはさきイカが何本も、タコの薫製が何匹も座っていました。ちゃんと掃除して降りろっていうんだよ、まったく。

2010年3月1日月曜日

人間市場 ロンリコ市

頭の痛い思い出ほど忘れない。

銀座コリドー街に一軒のクラブがある。
一見何の事はない、入ると直ぐ左に大きなグランドピアノ、正面に半円状のボックスがあり、奥にカウンターがある。このクラブにはテレビ、芸能、スポーツ等各界の親玉がくる。
この店に来れる様になればそれはかなりの事。何故ならそれはこの店が日活のスターが大好きな店であった事、歴史は夜作られる、歴史はこの店で作られた。

大スターの趣味は(ヨット以外で)美空ひばりさんと同じカラオケ。この店にはカラオケがないのでピアノに合わせて歌を唄うではないですか。
この店の下に仲宗根美樹の店があった。いつもヘベレケ腰抜け状態「病葉は今日も流れる街の谷川は流れる」の人です。

何度か友人と行きました。ある日、次の日はグアム島へという夜がありました。私は若者を一人連れてきました。(今はフランスで画家として成功しています)まあ、飲んで飲んで喋って騒いで真夜中にそろそろ仕上げと生きましょうよと兄にい(こう呼ばれてました)と名物プロデューサー、アタシらに忠誠心を表す為にこうやってと言って革靴を脱ぐ。
こん中に酒を入れて一気をし回し飲む、仕上げはロンリコ(75度)で一気です。
別名“コテン”です。みんな二、三杯飲んだら“コテン”ですから。

大スターはグイグイでしたよ。で私の若者、じゃ僕は私のためにロンリコ飲みますと言いショットグラスにロンリコを注いでもらう。
女の子たちはそれから何が起きるか判っている。
私とプロデューサー、広告代理店の友人、そして若者、よ〜しと一杯グイ、ウワァ〜来る、体中に猛烈な熱が走る。二杯、三杯、四杯、その後は一切記憶なし。

所は成田の全日空ホテル、部屋のベルが鳴る明け方5時頃、ロビーにお客さんが忘れ物をお持ちですと言う。頭は割れそうに痛くガンガンを通り越してキリで突き刺され除夜の鐘で殴られる様。若者は隣のベットの下で吐くだけ吐いて死んでいる。
何とか下まで降りてグアムに行く為のバッグを受け取る。全てお店に忘れて来ていたのです。(届けて暮れた人は本当に親切な人なのです)

その後も一切記憶なし、気がつくとグアムの空港。熱い、ジトっと凄い湿気。
足許を見るとなんと全日空ホテルのマークの入った白い薄っぺらな草履。
バッグの中に脱いだ靴、アルコール臭い。そうか靴の中に酒入れて飲んだんだ。
若者はもう全然使い物にならない、キモチワルイ、アタマイタイ、見れば片足が裸足で片足がインターコンチネンタルのスリッパだ。ボー然と立っていると、ハ〜イと現地のコーディネーター、間違いなくこの二、三日が自分と若者の命日になるのだと思った。

それから十数時間後すっかり復活、私と若者とみんなは楽しい酒を飲んでました。若者は出す物は出し絶好調、当然私の名を呼び捨てです。お前エラソーにしてんじゃねぇよなんて(酒グセよくないのです)。
頭に来たからよし、ロンリコあるか、あったら持って来い、ロンリコで一気だと言ったら若者は逃げ出し、泣き出したのです。

お願いです、それだけは勘弁して下さい、他の事なら何でもしますからと。赤坂の行きつけの店で、仲間に素っ裸にされローソクをたらされてムチで打たれるとBVDのパンツの一部分が大きく盛り上がるのです。一度パンツのまま赤坂の街を逃げ回りました。月日は流れ今やパリの大画家です。

馬鹿になれない男は私の所にいられなかったのです。私は本当の馬鹿になってしまいました。
パリに行ってもう一度ロンリコを飲ませたいのです大先生に。