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2010年3月1日月曜日

人間市場 ロンリコ市

頭の痛い思い出ほど忘れない。

銀座コリドー街に一軒のクラブがある。
一見何の事はない、入ると直ぐ左に大きなグランドピアノ、正面に半円状のボックスがあり、奥にカウンターがある。このクラブにはテレビ、芸能、スポーツ等各界の親玉がくる。
この店に来れる様になればそれはかなりの事。何故ならそれはこの店が日活のスターが大好きな店であった事、歴史は夜作られる、歴史はこの店で作られた。

大スターの趣味は(ヨット以外で)美空ひばりさんと同じカラオケ。この店にはカラオケがないのでピアノに合わせて歌を唄うではないですか。
この店の下に仲宗根美樹の店があった。いつもヘベレケ腰抜け状態「病葉は今日も流れる街の谷川は流れる」の人です。

何度か友人と行きました。ある日、次の日はグアム島へという夜がありました。私は若者を一人連れてきました。(今はフランスで画家として成功しています)まあ、飲んで飲んで喋って騒いで真夜中にそろそろ仕上げと生きましょうよと兄にい(こう呼ばれてました)と名物プロデューサー、アタシらに忠誠心を表す為にこうやってと言って革靴を脱ぐ。
こん中に酒を入れて一気をし回し飲む、仕上げはロンリコ(75度)で一気です。
別名“コテン”です。みんな二、三杯飲んだら“コテン”ですから。

大スターはグイグイでしたよ。で私の若者、じゃ僕は私のためにロンリコ飲みますと言いショットグラスにロンリコを注いでもらう。
女の子たちはそれから何が起きるか判っている。
私とプロデューサー、広告代理店の友人、そして若者、よ〜しと一杯グイ、ウワァ〜来る、体中に猛烈な熱が走る。二杯、三杯、四杯、その後は一切記憶なし。

所は成田の全日空ホテル、部屋のベルが鳴る明け方5時頃、ロビーにお客さんが忘れ物をお持ちですと言う。頭は割れそうに痛くガンガンを通り越してキリで突き刺され除夜の鐘で殴られる様。若者は隣のベットの下で吐くだけ吐いて死んでいる。
何とか下まで降りてグアムに行く為のバッグを受け取る。全てお店に忘れて来ていたのです。(届けて暮れた人は本当に親切な人なのです)

その後も一切記憶なし、気がつくとグアムの空港。熱い、ジトっと凄い湿気。
足許を見るとなんと全日空ホテルのマークの入った白い薄っぺらな草履。
バッグの中に脱いだ靴、アルコール臭い。そうか靴の中に酒入れて飲んだんだ。
若者はもう全然使い物にならない、キモチワルイ、アタマイタイ、見れば片足が裸足で片足がインターコンチネンタルのスリッパだ。ボー然と立っていると、ハ〜イと現地のコーディネーター、間違いなくこの二、三日が自分と若者の命日になるのだと思った。

それから十数時間後すっかり復活、私と若者とみんなは楽しい酒を飲んでました。若者は出す物は出し絶好調、当然私の名を呼び捨てです。お前エラソーにしてんじゃねぇよなんて(酒グセよくないのです)。
頭に来たからよし、ロンリコあるか、あったら持って来い、ロンリコで一気だと言ったら若者は逃げ出し、泣き出したのです。

お願いです、それだけは勘弁して下さい、他の事なら何でもしますからと。赤坂の行きつけの店で、仲間に素っ裸にされローソクをたらされてムチで打たれるとBVDのパンツの一部分が大きく盛り上がるのです。一度パンツのまま赤坂の街を逃げ回りました。月日は流れ今やパリの大画家です。

馬鹿になれない男は私の所にいられなかったのです。私は本当の馬鹿になってしまいました。
パリに行ってもう一度ロンリコを飲ませたいのです大先生に。

1 件のコメント:

しきろ庵 さんのコメント...

誰でしょうね。気になりますねー!
今度内緒で教えて下さい。