ページ

2010年3月25日木曜日

人間市場 島国市

クリープを入れないコーヒー。福神漬けのないカレーライス。大根おろしのない秋刀魚。カラシのないおでん。甘鮭で食べるお茶漬け。キャベツのないトンカツ。ガリのないお寿司。ベースのない野球。温かいビール。そうです朝青龍のいない大相撲と同じ事です。

何が何でも把瑠都を大関にする為に八百長まみれの相撲ばかり、私の目は誤魔化されません。相手が一生懸命負け様と芝居をしているんです。相撲界の得意技なんです。お客は土日以外は半分も入っていない。取り組みは外人ばかり。どこが国技かといいたい。国際試合なんだ。

遊び好きの外人達は携帯メールでボヤキながらも明日こう行くからこうしろよなんて打合せ。大横綱だった協会のリーダーは夜の銀座で威張りくさって飲み代たかって、ふんぞり返って大騒ぎ、お店の女の子たちの嫌われ者No.1、優勝回数はNo.2。オイ、静かにしろと取り巻きに囲まれていた大横綱に言ったらNo.2は静かになりました。私たちが帰った後、大暴れをしたと次の日ママさんから電話がありました。ついでに高い請求の額も言ってました。あいつのも入ってんじゃないだろうなと言った。

輪島大士という強い横綱が居た。日大出身だった相撲部の隣が花籠部屋であった。必然的にそこに入門した。黄金の左は北の湖と輪湖時代を作った。ある夜数人の力士を連れて六本木のクラブに来た。ヘネシーのボトルを二本送るとゴッツアンですとニコニコ笑って挨拶に来た。その時言った言葉が可愛かった。今でも色紙にサインする時に「花籠」という文字が書けないんですよ、難しいんですよいっそひらがなか、カタカナにすればいいじゃないと言ったら肩をすくめて笑ってました。その後色々問題があって業界追放となりました。

ある年ラスベガスに行く用がありベニハナで食事しようという事になりそこに行くとドデカイジャイアント馬場、小さな奥さん、それと二つの大きな鞄を持った輪島の三人と隣同士になりました。横綱はプロレスに入門、ハワイで練習を重ねて来たとか。博打で親方株まで無くしたんだからベガスに来て博打なんてやったらダメですよと言ったら笑って肩をすくめてました。ジャイアント馬場さんはジャイアントな葉巻を吸っていました。
馬場さんは銀座の近藤書店のシンボルにもなった程の読書家で有名、又、座談の名手です。話が何しろ幅広く奥深く、面白い。やがて十六文キックの様なステーキが四枚出て来ました。奥さんは150g位。

深夜二時を過ぎた頃、ルーレット場やバカラの処に行くとやっぱりいました。輪島大士さんやっていました。振っていましたサイコロを。やっぱり一朝一夕には治らないのです。勝ったか負けたかは判りませんでした。プロレスへの道も厳しく志半ばで止めました。でも私はアウトロー的な人が大好きなんです。今も輪島大士ファンなのです。この頃いい顔しています。何場所か前にゲストとして相撲解説をしていました。久々に国技館に来れて嬉しかったと言葉を詰まらせていました。この企画は相撲協会にしてはいい事であった。

酒、女、博打、金、ゴッツアン体質、八百長、薬、相互補助、秘密主義。これをオープンにすると多分相撲協会は消えて無くなるでしょう。何しろ関取になったら自分のお金で何かを支払うという事が無い世界なんです。モンゴルの子供達が僕達の英雄は白鵬でも日馬富士でもない朝青龍だけだ、僕達も朝青龍を目指して横綱になるんだと目を輝かしていました。日本の土俵はモンゴルの草原の様になるでしょう。

チンギスハーンの血が占領するでしょう。柔術が柔道になり、今やJUDOとなった。かつては国技と言っていたのである。道着はブルーに畳はカラーに、ルールは国際ルールになり小よく大を制する事でなくなった。ロシアのサンボの様である。クロマグロだってほとんどスペイン産、日本人が捕り過ぎたからだ。中トロや大トロなんて昔は脂身(しみ)と言って縁起が悪く捨てていた。マグロは赤身だけ。寿司屋へ入っていきなりボク中トロ、ワタシ大トロなんて言ってごらん、いいカモが入って来たと思われゴッソリ取られるから。

この日本という国はホトホト自分勝手な国なのだ。未だ島国根性が抜けられない、世界中のカモなのだ。
ちなみにアチコチ世界へ行ってみて、日本の位置を正確に知っている人はほとんどいなかった。
インディアンは全然知らなかった、インディアンは嘘付かない。インド人はビックリしていた(?)

0 件のコメント: