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2010年3月12日金曜日

人間市場 他人市


この世の中では、兄弟、姉妹、兄姉は他人の始まりと言われて来た。

あるドキュメント番組を見た記憶がある。それは浅田舞と真央姉妹の少女の頃の作品である。一つの大会があった、姉舞は一位となったが真央は転倒した。
姉は控え室の入り口で泣きまくる妹にあっ、真央が悔しいって泣いている見て見てという様な茶化した風景であった。その頃は姉の方が希望に満ちていたのだ。
しかし妹は練習を重ね悔しさをバネにし才能を磨いた。

いつしか立場は逆転していった。
妹は浴び過ぎる程の脚光を浴び、昨年だけで数億以上のギャラを手にしたという。勝ち誇る電話で報告を受ける度に姉は、そう良かったねオメデトウ本当にオメデトウと言い続ける月日となった。正常な神経を保つ事は難しかったのではないだろうか。持って生まれた才能の差とは残酷だ。心のどこかで真央が失敗したらどんなにいいだろうと思いつつ、表面上姉は妹を励まし続けたのではないだろうか(想像ですが)。試合が終わると一番に姉に連絡した。

「勝者には何もやるな、すでに栄光の全てを手にしたのだから」と言ったのはA・ヘミングウェイであった。もし栄光を一人の男性に置き換えて見よう。一人の男性を姉妹で愛してしまったら果たしてお互いに譲りあえるだろうか。

私は浅田姉妹の為には今回は銀メダルで良かったと思う。
きっと姉は心から妹をねぎらうだろう。本当によくやったねと、金メダルであればそうはいかない。キム・ヨナと真央ちゃんの実力はかなりあった。
三度も大きなミスをしたら終わりだ。

キム・ヨナは堂々とし、気高くそして誇り高く自信にあふれ王家の娘の様であった。
母親が言った言葉に驚いた。六歳から一度もおやつを食べたことがない、太ってしまうから。真央ちゃんは試合後クッキーを食べたという。
キム・ヨナは全然緊張しなかったとも言った。そして既に次を目指している。
失敗をしない様に必死で演技する真央ちゃんと自分の演技をすれば何の問題もないという自信の違いが全てに出た。

金と銀の差は途方もなく大きい。99.9点はそこで終わり、100点には未だ未だ200点、300点があるからだ。首席と次席、一位と二位、優勝と準優勝その差が大きい差である事に気づかないと超一流のプロにはなれない。
孫子曰く勝ち戦に学ぶ事小なりで、負け戦にこそ学ぶ事大という。勝ち戦には偶然が味方しているからだ。
キム・ヨナを一人ぽっち(みんなから白い目で見られながら)で応援したのはキム・ヨナに超一流を見たからだ。真央ちゃんは残念ながら未だ一流なだけだ。しかしのりしろがまだある。おやつを控えれば。

歴史的には栄光を手にした人が栄光の人生を過ごすとは約束されていない。
宇宙飛行士の多くが数奇な人生を歩んでいる。
一説によると神を見てしまったのではという学者がいる。
又、青い小さな地球を見て人間の業深き営みに人間とは何であるのを感じたのだろうか。
ある者は宗教の伝道者に、ある者は哲学者に、そしてある者は気を病んでいる。
宇宙から帰還した日、彼等は世界中の栄光を集めていた。
オリンピックの金メダルを質屋に売った者もいる。金メダルが邪魔で酒に酔う事も許されず、女性を抱く事にも気を遣い過ぎ不能者となり、家庭が崩壊した者もいるという。

しかしパーキンソン病で手を震わせながら聖火に火を付けた時、モハメドアリは金メダリスト、カシアスクレイに戻った。かつての様に蝶のように舞い蜂の様に刺す事が出来なくなっても。カリスマのオーラが出ていた。

作家なかにし礼氏は兄にとことん付きまとわれ、借金を背負わされ続け、殺意を抱いたと本に著している。天才の才能は全て兄が持って行ってしまったのだ。
親子の間となると佐藤愛子の「血脈」、山口瞳の「血族」を是非お読み頂きたい。
夫婦物となると「チャタレイ夫人の恋人」「フリーダ・カーロ」「火宅の人」、映画では「夫婦善哉」「赤い殺意」「復讐するは我にあり」が好きである。

2 件のコメント:

sakon さんのコメント...

一流と超一流にはそれだけ大きな差があるのですね。大会や競技の大小に関わらず、一生懸命打ち込んでいると、そういう違いを実感することがあります。

imagachance さんのコメント...

北野たけしがフランス文化省からコマンドゥール賞を受賞し、同時に開催したパリでの個展の様子をテレビで見ました。不思議と東本さんの個展を思い出しました。私的には東本さんの作品のほうが、個性と独創性があって、ズット好きです。また東本さんの作品が見たくなりました。キットカット!