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2010年3月17日水曜日

人間市場 愛犬市


俺は小さい頃可愛がっていた犬を行政によって殺処分された。
犬の命と人の命と何処が違うのだ。そう強く迫られるとそれは、と一瞬戸惑う。
エセ正義感はどちらも同じ命だと言うだろう。

この問いかけをした人間は犬への愛情を殺人事件という重大な行為に発展させた。
歴代の厚生事務次官を狙い続けそして実行したのだ。となると猫の命も奪った者も、イノシシ、シカ、クマの命を奪った者も河を泳ぐ鯉を殺した者も全て殺人の対象となってしまう。ペットを愛する人にとってはヘビだって。マングースだって、カメだって大好きな生き物なのだ。

ある日の夕刊に一人の動物病院長の切ない記事があった。
今イヌやネコが年間三十万匹以上、一説によると四十万匹以上とも殺処分にされているという。大学を出てから秋田県の職員になり三十五歳から三年間捨て犬の処分をした。
一回に注射したのは百二十匹。毎週、翌日の処分の準備をする木曜日は出勤したくなかったと言う。逃げられない、辛い、捨てる人間を憎んだ。
その後動物管理センターができ、五十三歳から二年間所長を務めたその時は、炭酸ガスでの処分になっていた。犬のアウシュビッツだったのだろう。甘えてくる子犬を処分する時ほど切ない時は無かったという。

ある先輩は八万匹を処分したという。
自分自身バイクの事故で右足を膝下から失った時、何度も死を実行しようとした。命の大切とは子供達に何とかそれを教えたい、イヌの命の音を聞かせた。定年の五年前に退職、徳島県の友人の動物病院で約一年の研修を受けてから開業した。

飼い主が落ち込むと、ペットが体調を崩すという。心の不安がペットに伝わるのだ。
私も今まで三頭の犬を飼った。始めは茶色の毛の長い雑種であった。
とても気の優しい犬だった。名は「ブッチ」であった。七歳の時私の目の前で車にはねられた。
二頭目は真っ白い紀州犬の血が入った雑種であった。
名はやはり「ブッチ」とした。鎌倉の知り合いから貰った。性格は激しく日々予断を許さない性格であった。よく噛んだ、飼い主に似るからねと人から言われた。
十三歳の時、市から賞状をもらったがその後病院で死んだ。息も絶え絶え私と愚妻の顔をじっと見ていた。ミルクを出してあげると少しだけペロペロと舐める格好をした後死んだ。この二頭が死んだ日自分の中にこんなに涙があるのかと思う程人前もはばからず泣き続けた。

三頭目は家族で横浜そごうにあったペットショップで小さかった娘がどうしてもこの犬が欲しいと言ったので子供の情操教育の為にいいだろうと買った。未だ目が見えない位だった。名は娘が「アラシ」とつけたミニダックスフンドだった。
毛が長くプライドが高く気品のある犬だった。家の中で飼った。
深夜、明け方に仕事を終えて帰ると短い足でコトコト音を立て玄関にチョコンと座り帰りを迎えてくれた。抱き上げてやると嬉しそうに腹を出した。
抱いているとゴロゴロ鼾をかいて寝てしまった。この犬にどれほど慰められたか計り知れない。

「アラシ」は家の王様であった。家族全員の王様だった。十七歳で深夜の病院で息を引き取ったやはり長寿の覚状を受けた。深夜二時過ぎ娘も船橋から駆けつけた。息子達、孫達に囲まれ息を引き取った。全員ウアーと号泣した。一番面倒見ていた愚妻はヨロヨロと泣き崩れた。一頭目は庭に埋めてあげ、二、三頭目は白峯寺というペットのお寺にいる。

私の会社の隣にペットショップがある。小さな犬や猫たちが仕入れられて来る。狭い中に入れられ値札をつけられている。大きくなると売る事もできず育てるには経費がかかり大学病院等に送られ解剖の実験台になる。
前を通る度にいた筈の犬や猫がいなくなると気分が重くなる。
もう犬を飼うつもりはない、飼っている内に私の方が先にあの世に行ってしまうから、でもあのお腹のプヨプヨした感触、肉球の柔らかさ、かわいい寝息と柔らかい毛の感触、コトコトする足音が忘れられない。

部屋に飾った三頭の写真が私の心を和ませてくれる。
ペットを飼う人たちよ、買ったら飼え!飼えないなら買うな貰うな。ペットは主人を選べない。ペットは言葉が喋れないのだからよくよく覚悟を決めて飼ってほしい。
犬は神「犬神」だよ。

過日ある大先生と食事をした。大先生も又、大の愛犬家。「三四郎」という愛犬を失った。以来犬の出るドラマや映画を観るとご夫婦で泣きまくるとその目が潤んでいました。この間海辺を散歩していると自分の犬に対して蹴りを入れている男女がいました。当然私は男の足を蹴ってやりました。それでも愛犬家と。すいません、躾ですと謝ったが犬の目は怯えていた。私の方をみてありがとうと言っていた(?)
こういう男女が自分の子供に対しても手を挙げたり足を出したりするのだ。
ペットはファッションでは飼えない「愛情」だ。

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