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2010年2月28日日曜日

人間市場 さげまん市

亡き伊丹十三が「あげまん」という映画を作った。
文字通りその女性と出会い一緒になりどんどん運気上昇して成功者となる。これが「あげまん」二人して上手くいったね等と話ながらアツアツの肉まんに唐辛子とソースをかけて食べ合う。


一方その女性と出会い一緒になったばかりに次々と問題が起き、疫病神の様になるのが「さげまん」と論理的かつ実証的に証明されている。
私の好きなムコ殿こと藤田まことが死んだ。必殺仕事人中村主水は彼にしか演じられない。渥美清のフーテンの寅に匹敵する役であった。

「あげまん」と「さげまん」は、東京神楽坂は五十番の肉まんと神戸の豚まん位の差しかないが結果は大きく違う。中華街には「ニセまん」がある、中国人の女性には要注意せよだ。とんでもなく美しい中に奈落が隠されている。例えば藤田まことは妻の事業失敗で30億以上の借金を抱えたという。上昇気運は一気に萎み奈落の底へと向かった。
大病を次から次へと発病した。借金のストレスが必殺仕事人を必殺へと導いた。
憎しみを晴らすべき相手が妻では手をかける訳にはいかない。ジャンボ尾崎も又、妻の事業失敗を自らの放漫経営で高度一万メートルから一気に奈落へ墜落し炎上した。クラブを杖替りにしてゴルフ場をトボトボ歩く姿は見ていて悲しくなる。ジャンボとチョンボがその坐骨神経病の後ろ姿に沁み出る。

ちょいと見た目に自信があり、自分は頭がいいと錯覚し銀行屋や金貸し屋にチヤホヤヨイショされると頭に上り、ゴルフ等に接待され帰りにカラオケを歌い温泉マークのホテル等で叫声を上げ、すっかり骨抜きにされる。残りは使用済みのティッシュペーパーと借用書ばかり。

何故ゴルフ場のまわりに温泉マークのホテルが多いかは単純にして明快である。
銀行マンだと思った男の背中に立派な刺青がなんて事は日常茶飯事なのである。毎日日本中で行われている。オイ、お前最近よくゴルフ行くな、服装がやけに派手になったな、あたりの会話ならいいが。オイ、このマッチは何だ、ホテルじゃないか誰と何時行ったんだ、バチーン、バカーンとなるともう危ない。
よく男は石橋を叩いても渡らないが、女性は石橋が見えなくなるという。特にある年を越えて性の悦楽の虜になった女性はつるべ落としとなる。

藤田まこと、ジャンボ尾崎の奥さんは決してそんな事は無い筈であると思うが。自己破産が続出しているその原因は酒、女、博打と相場は決まっている。恐怖の三つ巴だ。女の次に男も入り、博打の中に投資が含まれて来た。五つ巴となった。中国の故事に「雌鶏が時を告げれば国滅ぶ」家庭も又同じである。

一番最強の結果を一つ紹介する。ある一人の経営者の自慢は妻であった。酒を飲むと妻自慢、美人、高学歴、高キャリア、ピアノ、バレエ、茶道、香道、料理、暮れの第九の合唱、幼稚園、小学校の父母会の仕切り屋等、何をやらしてもリーダーなんだと言う。酒の席で一番嫌われるのが身内の自慢、特に妻と子供の自慢だ。何で俺が金払ってテメエのバシタ(妻の事)やガキの自慢話を聞かなイカンのや、このドアホと凄く品の無い展開になる。

玉川上水で心中した太宰治は無理心中に引きずり込まれたという説がある。
川の土手にその跡が残っていたとある。何回も心中をした太宰治はあの頃作家への手応えを感じていたからだ。相手に俺は生きたい、生きたいと言ったのかもしれない。
そんなに生きたいの、文学の方が私よりいいのね、私を愛していないのね。などという修羅場があったのかもしれない。降りしきる雨で増水した玉川上水は深い「さげまん」で浮かぶ事は無かった。

現在日経新聞の名物コラム、私の履歴書にジャンボ尾崎のライバルであった青木功がその半世記を載せている。赤いシャツに白いズボン、頭は短髪、シャンメエ、シャンメエと言っていた男は、一人の女性との出会いで世界のエ・オ・キとなり名誉あるゴルフの殿堂入りまでした。こちらは特上の「あげまん」であった。頭は長髪、ファッションはシックになり一度はベストドレッサーに選ばれ千葉訛りの英語を話す、ヘ〜イ、ジャックなんて。
ライバルジャンボ尾崎の借金はあまりにジャンボ過ぎた様だ。
ゴルフの季節が始まった。

1 件のコメント:

sakon さんのコメント...

死ぬ前に、自分の家内を、あげまんで良かった~と思いたいです。