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2010年2月27日土曜日

人間市場 文学賞市

2月20日の朝刊に作家、五木寛之氏直木賞の選考委員辞退とあった。

その原因は直木賞を受賞した佐々木譲氏の作品の選評の中について過ちがあった。
「破顔」という表現についてその表現が作品の中になかったのに、その「破顔」について選評してしまった。文藝春秋は我々のミスで五木寛之氏にはその責がないと言う。五木寛之氏は思い違いをした、一行たりともミスがあれば辞退をしなければいけないと格好いい事を言っている。はからずもこの国の文学賞がいかにいい加減かを物語った。

想像するに五木氏は佐々木氏の本文を読んでいない。出版社の五木氏担当が間違って書いたのだろう。
今の文学賞はまず売り出したい作家に出版社が目を付ける。作品よりも作家の成り立ちが重要となる。元広告マン、凄い不美人、元自衛官、元労働者、元住職、元無頼人、元警察官、元不良教師、元借金魔、この元が大切なのである。
文章力、構成力、展開力等は二の次、三の次。どうしたら本が売れるかが重要なのだ。芥川賞、直木賞は文藝春秋を起こした故菊地寛が雑誌を売る宣伝のために作ったという賞(本人が言っているのだから)それでもかつてはそれなりの作家志望がレベルの高い作品を書いていた。
あの太宰治が芥川賞を下さいお願いしますと選考委員に手紙を出しまくっていたのだから。
文藝春秋が仕切って割り振る、編集者たちが自分たちがざっと読んで候補作を作り、更に談合らしき事をし、数点に絞りその内容をダイジェストに書き、ここがへそという部分を選考委員に渡す。委員は銀座かなんかで一杯飲んでホテルか自宅か愛人宅かなんかでチラッと読んで、ちょいと朱を入れて編集者に渡す。
そして○○ちゃんこっちおいでなんて事になる。真正直な作家は選考委員を辞退する。
この頃ベストセラー本は出ない、プロットはほぼ編集者が作る。人気作家は出版社と編集者のパペットなのだ。文章は書けるが着想力のない人。
着想力はあるが文章がかけない人。それが補完しあって文学賞が一丁上がりとなる。村上春樹は芥川賞も直木賞も受賞してないから、184の中でこの仕組みを書いていた。(腹いせかもしれないが)


友人がある本を出版社から出す事になった。
原稿を編集者に渡すと後日見る影もなく真っ赤になって渡された。ヒドイじゃないかこんなに朱を入れてと怒って私の処に来た、あまりにヒドイですよねと。編集者にどうなの?と聞くと、編集者は応えた、あの文章の方がヒドイのだと私に言った。両方から話しを聞いたから間違いないだろう。
口述筆記とは作家先生が喋るのを編集者が書く。スポーツ選手や芸能人の本はゴーストライターが書く、一本幾らで。大ベストセラーになってもゴーストライターには印税は入らない。友人のゴーストライターはあまりに自分が書いた(?)作品が売れに売れたが、その割に銀座で酒も飲めない。喋った人間はチヤホヤまみれ、チクショウ、バカヤローと頭に来て酒を飲み塩豆を食べ過ぎ(大好きなのです)胃を痛め血を吐きぶっ倒れた。今酒は飲めない。
絵描きも又、大先生は弟子の描いたのにチョコチョコ手を入れてウン千万円、人気建築家でタチの悪いのは、優秀な弟子たち生徒たちが一心不乱、不眠不休で作った図面にチョコチョコっと口を出し手を入れてウン千万円。又は、いいアイデアをソックリ頂く。そうでもなければ10本も15本も同時進行出来ない。
全く世の中いい加減になってしまった。若い優秀な才能が出来の悪いよこしまな大人たちのために潰れていっているのが許せない。
出版社の編集者たちも一部の誠意ある人を別にして出版ブローカーとなってしまった。自費出版を応援しますなんて言って詐欺まがいな事をしている(大手出版社)。
三度酷い目に遭った。
まあ五木寛之氏の件は私が日々言っていた事が実証されて留飲を下げた。
出版不況は成るべくして成ったのだ。いい編集者を育てないといけないのだ。他の業界でも勇気を持って若い才能に機会を与える、そうしないと本当にこの国は才能の墓場になってしまう。
ちなみにプロの作家が一番欲しがるのは「野間文芸賞」である。こればかりは本人が書かなければいけないからだ。

1 件のコメント:

sakon さんのコメント...

そういうことが罷り通る世界が多いのですね~。。悲しくなります。。