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2011年2月8日火曜日

湘南の嵐便り 「一殺多生」


王陽明
私は陽明学信者でもなければ行動右翼でも、思想右翼でもない。

ただこの頃振り返って見ると日々それに近い言動をしているのに気が付く。
私は高等教育を受けていない。それ故「実学」に頼るしかない。

「実学」とは知りたい事、みたい物、行きたい処、会いたい人、触ってみたい花々や木々、聴いてみたい鳥の声や川の音等々全ての五感を惜しみなく使って学ぶしかない。

映画、音楽、歌舞伎、舞台、落語、ストリップ、浄瑠璃。興味を感じたら即行動に移す。
街を村を集落を歩き、語り、食べ、飲み、人間の魅力を肌で知り、又人間の知恵や伝承や民話を知る。

井上日召氏
法廷内で深編笠を被る血盟団事件の被告

井上日召という行動右翼(血盟団事件の首謀者)が「一殺多生」という言葉を書いていた。
自分一人の命を掛けて多くの命を生かすという意味だろうか。私はこの言葉が好きで座右の銘としている。一人の悪者が沢山の人々を苦しめているとしたら自分の命を捨てる覚悟でないと人は動かせない。

この頃(2040代)の男女は半分くらい性交渉に関心がない。面倒くさいという調査データが出た。
女性は男にひ弱さを考え、男性は女性に逞しさを感じる。メールやインターネットで繋がっていればそれでいいという。ツイッターの方が余程面白い。
セックスに興味がないというデータ
いよいよインターネットは人間の本能まで侵略してしまった。
インターネットがあれば誰にも会える、何処にも行ける。

最近こんな光景を見た。我々は千葉の山の近くに居た。そこに三人の少年が居る。
一人は長野から来た男の子、二人は都会の子。誰か小さなカエルを二、三匹捕まえて来てくれと言った。側に居たお百姓さんは蛇が出るから危ないよと言った。二人の都会の子は恐いと言って山の中に入らない。長野から来た子は山の中にどんどん入りやがて二匹の緑色のカエルを捕まえて来てくれた。

私はこれを実学と言う。

メールやツイッターでないと会話?が出来ないのだ。
20代の若者がフェイスブックというシステムを開発し4兆円の時価総額の会社をつくった。
しかしこの若者に待っているのはきっと仲間の裏切りや若死するような生き地獄だろう、そして人間の心の全てを失う筈だ(ホリエモンの様に)。
何故なら数学的、時代的に成功しているだけで実学をまるで学んでいない、時代はどんどん進化する。
映画「ソーシャル・ネットワーク」
つまり松下幸之助や井深大や、ジョブス(彼も癌で全てを失うが)にはなれないと思う。
カエルを自分の手で掴み取る事を学ばねばならない。机上の成功者の未来は暗い。

2011年2月7日月曜日

湘南の嵐便り 「カツ丼と天丼」


一冊の本を読んだ。昨年テレビ東京で「モリノアサガオ」という久々に見応えのあるドラマを見た。
死刑囚達の死を待つ日々と若い刑務官との交流だ。詳しくは是非マンガでも見てほしい。

この本はかなりお薦めです

我々もいつ殺人を犯し死刑囚となる可能性は十分にある。
又、冤罪という地獄の世界で首を吊られる事もある。今まできっと何人かが冤罪で殺され、何人かは冤罪を勝ち取り無罪放免となった。冤罪になった人間は大なり小なり事件を起こしている場合が多い。
それ故真っ先に目を付けられるのだ。どんな小さな交通事件でも一度指紋を採られるとヤバイのです。

指紋イメージです

ただ過去は過去でありでっち上げて死を与えるのは残酷の極みだろう。
読んだ本はある一人の刑事の死の直前の取り調べの現況だ。人間の取り調べの限界は十日が目途だという。十日間寝かせず食べさせず徹底的に同じ言葉を言い続けると人間は実は自分は本当に刑事さんの言っている通り犯罪を犯したのではと思いだすらしい。
平塚八兵衛の刑事一代より
そこにしっかり食べて、ゆっくり寝て、楽になれ、もし自分がやってないなら公判で無罪を主張すればいいんだ。今日は美味い物をご馳走してやる。この時一番効果があるのが「カツ丼」か「天丼」であるという。ラーメンライスやギョーザとタンメン、親子丼を頼む者は少ないという。

「鰻重」も人気があるが「カツ丼」と「天丼」の比較にはならない。刑事はラーメンかざる蕎麦が定番という。人間「カツ丼」を食べると元気が出て「天丼」の車海老を食べるとあー、もうどうでもいいやという位になるらしい。カレーライスやスパゲッティナポリタン等は論外である。

カツ丼
大概の犯罪人や冤罪の人も「カツ丼」と「天丼」には涙を流すという。眠い、ダルイ、頭ゴチャゴチャ、一生シャバに出れないかもしれない。十年、十五年、無期刑かも分からない。
又一人で何人もケジメをつけた金筋のヤクザも、弱い者を騙し続け銀座三昧をした詐欺師も「カツ丼」と「天丼」の前ではひれ伏し、「私がやりました」と言うらしい。

しかし公判では私はやってませんという事になる。
物的証拠が無い限り現代の刑事訴訟法では疑わしきは罪せずだ。

確定死刑囚はおよその物は差し入れられる。ただし「カツ丼」と「天丼」は許されない様だ。
その一冊を読んで以来未だ「カツ丼」と「天丼」を食べていない。

やはり天丼が大好きです
私の大好物だ。「玉丼」「親子丼」「いくらうに丼」「鉄火丼」等はほとんど食べない。
ある人間が久々に出所した。まずは美味しい「カツ丼」をご馳走する。
カツライスでは駄目なのだ。勿論天ぷら定食も駄目、「天丼」だ。

2011年2月4日金曜日

湘南の嵐便り 「酒とバラバラの日々」


むかしむかし、ジャックレモンの主役で名作「酒とバラの日々」というのがあった。
酒とバラの日々
アル中の主人公が何度禁酒を試みてもうまくいかない。バラ園の中に妻は酒を隠す。
家中狂った様に酒を探してもない。そしてバラ園の中をメチャクチャにしながら酒を探す。

気の弱い男、酒に逃げる男、別れた後元妻を訪ねもう一度やり直したいと願うが悲しくもそうはいかない。去って行く男、窓からその姿を追う女、そこに象徴的なBARの看板が逆文字で見える。

私はずとずっと酒とバラバラの日々だ。
こうして文章を書いているのも、明日は早いからと十一時に眠り薬と酒をコップに四杯飲んだ。電気を点けては消し、消しては点け、えーいブログでも書くかと思い書き始めた。

先日は突然油絵を描き出し布団類を絵の具だらけにしてしまった。軍手に付いた絵の具をそのままにして眠ってしまったのだ。一月中旬どえらく寒い日一杯飲むべえかと思って酒を探すと何もない。

頭の中にはどうしても書きたいいい物語が出来ている。パジャマにマフラー、足はビーチサンダル、黒のオーバーコートを着て近所のサークルKに一合半入りの「吉乃川」を三本買いに行った。
頭の中でジャックレモンが浮かんできた。
俺はアル中だなと思った。ほんのり酔っていた体は寒気の中で一気に正気になっていった。

チーズとサラミが少しあったのでそれを食べながら飲んだ。今書いている最中は何もない。
「吉乃川」が一本あるだけだ。眠る前に読んだ物がいけなかった様だ。



それは大好きだった役者、根津甚八の妻の手記だ。
人身事故を起こしてからすっかり極度の「鬱」状態となり廃人の様になってしまった。

青春の殺人者

「青春の殺人者」「さらば愛しき大地」シャブ中のトラック運転手に別れたくないと足蹴りされながらも捨てないでと言って黒い下着を脱ごうとする秋吉久美子が素晴らしかった。
親子で海岸に行き好きなだけ食べれーという父、新聞紙に包んだタラバガニを食べ尽くす親子。大好きなシーンだ。二つの映画はベストワンに輝いた。
さらば愛しき大地

私が今つくりたい映画の主役は根津甚八だ。
後はブラザートムの息子と高畑淳子の息子、この二人は未だ誰もいい役を付けていないが必ずいい役者になると確信している。「気配がいい」「使える」だ。題名はもちろん「酒とバラバラの日々」だ。

ロマン・ポランスキーのデビュー作「水の中のナイフ」みたいのか、シリアスか。
四国八十八カ所を巡る元チンピラのお遍路さんのロードムービーをつくりたい、コメディか。
ただハッキリしている事はつくるお金がない。

2011年2月3日木曜日

湘南の嵐便り 「気が付けば」


気が付けば一日中テレビを流していた日、気が付けばテリー伊藤、築地のだし巻き玉子問屋の息子である。
出し巻き玉子といえば・・・
いつの日かテレビを点けるとこの人がいる。
あらゆるチャンネルにあらゆるマンガの様な服装と眼鏡で現れる。
朝から晩まで一体どうやって移動しているのか、どうやって着替えているのか、一体頭がいいのかそれともただのテレビ大好きのミーハーなのか、何が才能なのか才能が無いのが才能なのか。
政治家からプロデューサーまで余程ヨイショとだし巻き玉子のつけ届けがうまいのか、善い人か悪い人か、主義思想も分からない特殊人間といえる。ギャラが安い、使いやすい、断らないのが特長なのだろうか。気が付くと阿呆であり気が付くと中々いい事を話している。
ただ私的には目障りな野次馬にしか見えない馬面の突飛な縁日の見世物の様な男なのだ。
テリー伊藤氏※タレント名鑑より

気が付けば伊藤惇夫、みすぼらしい元民主党事務局係。この男も目障りである。
気が付けば元検事若狭勝先生、気が付けば元通産官僚岸博幸氏、気が付けば弁護士田中千代重先生、気が付けば職業不明森永卓郎氏、気が付けば政界の太鼓持ち三宅久之氏等々、気が付けばあっちこっちに同じ顔が出ている。

脱官僚 岸博幸氏※総務省HPより

気が付けばハマコーさんはどうしたのだろうか。気が付けば姜尚中教授、気が付けば興奮するコラムニスト勝谷政彦氏、気が付けば東大の政治学者御厨貴氏が昔の名前で出ていますの様な毎度同じメンバーの政治談議の司会をしている、公平中立のはずの学者が特定の局に出てはいけない

気が付けば岸部一徳(この人は大好き、演技力抜群)もいる。
借金でオシャカになった弟岸部シローは最高に好きである。

岸部シロー氏

世の中気が付けば早二月。あの人は今、あの人は今日も。

気が付けば岡ちゃんこと岡田武史元日本代表監督はザッケローニ監督の反面教師に、あのW杯フィーバーは何処へいったのだ。人づてに聞けばチーム作りは全て反岡田イズムから始めたとか。

気が付けば戦場カメラマン渡部陽一氏がなんとコマーシャルに。酔っ払っているような呂律で喋っている。この調子じゃ戦場では死んでしまう、普段はちゃんと喋っているらしい。

気が付けば○×の第一人者、○△の第一人者、○×の第一人者と第一人者が様々に現れる。

その中で私が一番気持ち悪いと思うのが流通関係の第一人者という金子哲雄氏だ、その受け口の中からツバを沢山含んだ舌がベロベロ、それが食べ物を次々紹介していくだけでその食べ物が嫌いになってしまう。

金子哲雄氏※タレント名鑑より

大尊敬の天才作詞家なかにし礼先生も、硬派の映画監督崔洋一氏も気が付けばコメンテーターとして出ている。何だかんだといってやはりテレビは魅力なのだろうか。
気が付けばテレビで大相撲の八百長問題。きっとあの龍虎が出てくるはずだ。

2011年2月2日水曜日

湘南の嵐便り 「ダメなのは飼い主」


子は親を選べない。
同じ様にペットは飼い主を選べない。

私の友人が自由ヶ丘でペットの飼い主を躾ける教室を開いている。
年間に120150人程「通学?」するらしい。

犬にネイル!?※写真はイメージです
自称セレブと言われている人達が来る。皆さん立派な外車で来るらしい。
先日三匹のミニチュアダックスを飼っている自称セレブが飼い犬にネールアートをしていたらしい。
犬にとって足の爪は野性の名残だ。土を掘り、走り、引っ掻く事は野性的行為の為に欠かせない。
その大切な爪を切られ、赤だピンクだ金だ銀だと塗られたらたまったものでない。

そんな事は決してしてはいけないと飼い犬を躾けていたのにその「禁」を破ってしまった。
自称セレブは指を腕をガブリ、ガブリと噛み付かれ号泣して友人に電話をして来た。
何で、何でなの?○△ちゃんも、○□ちゃんも、○×ちゃんもちゃんと躾けたのに?


友人は違います、躾けたのは飼い主のあなたなのです。
想像するにコレに近い事はいくらでも起きているのだろう。

会社の1Fにあるペットショップです

私達の会社が入っているビルの1Fにペット用のグッズを売る店がオープンした。
およそ人間が使用している物が全てである。スーツ、ダウン、ベストなどの洋服、ベッド、冷暖房、おもちゃ、ゲーム?ペットの為のペット用の最高な食事類。

ペットは飼い主に似るという。私の家の犬達は狂犬の様であった(飼い犬に似ていない筈だが)。
その一方でかつては自称セレブ達が飼っていた高価なペット達があちこちに捨てられ地方自治体は頭を抱えている。当然全て殺処分される。
朝日新聞より

その数、年間30万頭近い。
愛媛県動物愛護センターの職員さん達の姿を描いた児童書「犬たちをおくる日」今西乃子著を読んでほしい。自分の犬がアホだからといって殺処分を頼んで来る人もいる。飼い犬に似るとしたら自分がアホだからという事になる。殺処分室に入れば15分程二酸化炭素を吸い込みジ・エンドとなる。
是非読んで下さい。

アホな飼い主は自分でお金を払ってドンドン入室してほしい。

ペットとは言葉を話すことが出来ない。犬は決して飼い主を裏切らない。
友人の躾教室のポスターを作っていて、アホな飼い犬を登場させ、犬に土下座して私がアホでしたどうか勘弁、許して下さいという姿を男と女で二種類作ろうと思ったがアホな飼い主にそんなアホなと断られた。抱いていた犬は畜生残念無念という顔をしてキャンキャン鳴きまくっていた。

ベンツ※写真はイメージです

ペットにアホと思われない様十分気をつけて下さい。
あっ、隣のペットショップに鼻ぺったんこのパグみたいな顔をした自称セレブが入って行った。
パグの耳に赤いリボンが付けられ体にはバーバリー風の服、首にはカシミヤのマフラー、勿論車はベンツです。車の助手席で小さな女の子が犬の為のビーフジャーキーを舐めていました。

2011年2月1日火曜日

湘南の嵐便り 「差し金」


差し金

あいつは会社の差し金だから気をつけろ。


差し金とはスパイの様な者をいった。ところが建築の世界では聖徳太子は「大工の神様」と言われている。大工道具の七つの道具に差し金「指金あるいわ曲尺とも」呼ばれるL字形をした金属製の物差しの事である。
金剛組という宮大工の棟梁達の企業がある。
聖徳太子が百済から招いた工匠達をルーツとする日本最古の企業である。
※写真はイメージです
現代にも継続されている。元々は棟梁が差し金を使って指示すること、采配を振るうことだという。
今この世の中で一番悪質な差し金は大マスコミである。
政党や検察、警察、官僚社会に様々な形で差し金を送り込んでいる。

ある噂によれば大マスコミの差し金達(幹部)は謝礼、商品券、お仕立券、又女性の接待付きの店に呼び出し(ご接待)又は、呼び出されて与えたり、与えられたりし互恵関係になる。
大化の改新後の時代から続いている歴史である。律令制度をつくり官僚を生んだ時から始まった。
商品券やお仕立券は金券ショップで換金されるらしい。

私がある年郵政省の仕事をした際、エレベーターで下まで送った時に郵政省(現在は総務省)の小役人二人が、君タクシー券を20枚ほどくれるかねと言ってきた。えっ、なんですかというと、いやーいいよいいよと言われた。その後郵政省の仕事は他に移った。

後で聞くとあの二人は上の差し金、ああやってアチコチでたかりまくっておこぼれを貰うんだよと言ってきた。阿呆らしい、ふざけんなと思った。

かつてカリスマディーラーといわれた男が中野坂上に会社を移転した。
その前は西麻布、その前は六本木ヒルズだった。早い話そのディーラーの差し金で動いたお金(投資)はことごとく失敗金となり消えていき男も落ち目の三度笠となっていったのだ。だがこういう男は反省とか責任とか矜持というものを持ち合わせない。どんなに落ち目になりながらも「俺に聞け」とばかり。
人のふんどしで相撲を取り続ける。

お年寄り達が残りの人生の為に貯めておいた命の金を騙し取る詐欺集団が手を替え品を替え現れる。
そしてお年寄りからむしり取る。

この国は騙した者勝ち、あまりに詐欺罪が軽過ぎるのだ。一億も一千億も大した差はない。
マルチ商法も同じである。私は一生帰ってこれない島送りにした方がいいと思う。
又は口から先に喋れない様みんな麻酔なしでタコ糸みたいな太い針金で上下の唇を縫ってしまう刑を作った方がいい。両耳は何も聞こえない様に鉄の玉で塞いでしまうのだ。

競馬や競輪の予想屋さんより当たらないファンド屋やディーラーには十分気をつけて下さい。
おいしい話には必ず毒が入っていますからくれぐれもご注意を。

電話が鳴った、もしもしオレだけどお母さんいる?本当の私の息子でした。今夜はデニーズで食事をしようという事でした。デニーズといえば梅宮辰夫家族は近所のデニーズによく行くらしい。
デニーズのラーメン

お気に入りのメニューは1・ラーメン、2・サーロインステーキ、3・デミグラスハンバーグ。
なんと私と同じでした。
特にラーメンはシンプルでいい味です。私は決してデニーズの差し金ではありません。

デニーズのサーロインステーキ
デニーズのデミグラスハンバーグ

2011年1月31日月曜日

湘南の嵐便り 「速さはいらない」


これを書いているのは午前三時三十七分である。

浅い眠りで直ぐ目が覚めてしまいNHKを点けた。そこには日本の鉄道史を伝えるSLたちの素晴らしい映像がひたすら無言で映し出されている。まるで巨大な昆虫の様なSLたちの雄姿。黒煙を上げ、黒灰色と白濁色を時に雄叫びを上げる様に、時に風に流され、時に緑の田園の中を白い蒸気を広げて走る。
※写真はイメージです

私は鉄道オタクではないのでその雄姿の種類はまるで分からないが、その姿は日本の原風景そのものである。波打ち寄せる海岸、強風に木々が揺れる山間。猛吹雪の中を雪を蹴散らし進む。

※写真はイメージです

春の梅や桜、夏の向日葵畑や入道雲の下、青い海、秋のコスモスたちそして紅葉の中、日本が大切にして来た四季の移ろいの中に黒い塊は力強く泣き叫び又、自信と誇りを持って黒煙を上げ蒸気の花を咲かす。
高い建物の街、日本家屋だけの村々、山河は友の如くSLを待ち続け迎え入れる。

※写真はイメージです

速い事は良いのだろうか。速さを求め得た物も多いが私は失った物の方が何十倍も多いと思う。
荒れ狂う漁村を走るSLたち、それに手を振る漁師たち。
人間はおよそ時速4㎞で歩くという。歩く中で人と人文化と文化、情と情が通い合った。仮に時速40㎞でも歩く事の10倍である、それだけで十分ではないか。

速さを競い合った為に今や帰郷するという行為すら情緒のない日帰り行為になってしまった。
なんと青森まで3時間20分で行けるのだから。日本人が日本人になくなってしまったのは速さへの挑戦だった。
青森新幹線

ある地方の表示にこんな看板があった。「慌てるな、昔はみんな歩いてた」遅い社会に戻るべしだと思う。知らなくてもいい様な情報が寸時に世界中から入る。

もし「神」がいるとしたらこの地球という数奇な星を消滅しようとたくらみ始めたのだと思う。

速い事は何もいい事でない。日本再生はSL時代に戻せだといいたい。
まるで巨大な墓場に立つ墓石の様なビルの中を走る新幹線、一分一秒遅れると酷い目に遭う乗務員、ヒステリックに遅れを怒る客たち。


今、時間は四時二分。画面には高い橋の上を走るSL、滝の水の流れの横を走るSL
強くて優しいかつての日本人の様である。全てが一幅の絵である。

思わず冷酒を飲みだしてしまった。もし、アフリカの大陸にSLが煙を上げ蒸気を放ちライオンやトラやキリンや象やシマウマたちと一緒に走っている姿を想像したら何とも複雑な気になってしまった。

日本よ「日本人に帰ろう」日本人の心を世界に知ってもらおう。
今再びのSLだ。「ゆっくりそしてのんびりと」

君が代と共に日の丸の旗が画面から流れ始めた。どうやら朝刊が来た様だ。ゆっくり読むとしよう。


政治家には「百年の計」が必要である。私ならこう言いたい「日本人に帰ろう」と。
これからずっと少子高齢化社会である。
故里は遠くにありて想うものなりだ。

2011年1月28日金曜日

湘南の嵐便り 「そもそも論」


「そもそも」という言葉は謙虚かつ育ちのよさそうな言葉である。

「そもそも」スイカは夏の物であり、「そもそも」キュウリは曲がっている又、「そもそも」人間は等しく欲深くして又、傲慢かつ嫉妬深く、ハウス栽培でつくられた同じ形をした「イチゴ」の如くでない。
悪い噂を流し、人の足を引っ張り、人の不幸を肴に酒を楽しみ、人の死すら歓迎する。

ここに「そもそも」という知的言語が乗っかると何か全てが許せるものとなってしまう。
そうだよな「そもそも」人間なんてそんなもんなんだよ。

石川啄木

「そもそも」人間に人間性を求める事自体が無理なんだよ。
石川啄木なんて借金魔だったし、泉鏡花なんて女郎狂いだし、太宰治に至っては自死狂みたいだったんだからな。あの人然り、あの方然り、あの女性然り、あの御仁然りなんだよな。

泉鏡花

だから文学は生まれ、いい絵画は生まれ、いい芸術や伝統芸やとんでもない経済人や政治家が生まれたんじゃないのかな。なんて友人と一杯飲みながら「そもそも」論を交わす。
太宰治

「そもそも」と云う言語は全てを解決してくれる魔法の様な言葉なのだ。
自らが悩み苦しんだ時にこの「そもそも」を持ち出すと気が軽くなる。又、勇気が湧いて来るものだ。

「そもそも人間なんだから」、時に強く、時に弱く、時にズル賢く、時には慈悲に溢れる。
「そもそも」なんで頭は一つか、目は二つか、耳は二つか、鼻は一つで穴は二つか、口は一つで歯は32本か、手は二本で足も二本、性器は一つか、頭に毛は生え、脇の下と胸と陰毛だけあるのか(時々乳首にも23本毛が生えるが)、胸は二つで、お尻の穴は一つ、全てがなんでなんでの事なのだ。

なんでなんで?


三つでなく二つか一つが多いのがかなり気になるのだが「そもそも」人間なんだから説明出来ないよなんてエライ学者さんやお医者に言われるとそうですねと言うしかない。

つまり何をいわんかというと「そもそも」我々は何の科学的かつ物理的にも証明できない得体の知れない生き物なのだという事だ。


例えばかなりの悪事を働いた者にオメェーなんて事しやがったんだと怒っても「そもそも」人間ですからと開き直られるとさてどうするかという事になる。裁く方も「そもそも」人間だから悩み、苦しみや変態性を持っている。有名な警視庁のSPが女性の風呂を覗いてパクられた。
お風呂を覗いたらいけません

「そもそも」人間なんだからで片付けられるか。
かつて足利尊氏の側近、高師直が塩冶判官高貞の奥方に想いを寄せ風呂を覗いたという有名な話が残っている。これも又、「そもそも」人間なんだからなのだろうか。


近頃少なくなったが銭湯の番台の二代目は見放題であり女性もまるで意識していない。
これは「そもそも」許されるのである。

「なんでだろう、なんでだろう」と一時期流行したテツ&トモを思い出すのだ。

2011年1月27日木曜日

湘南の嵐便り 「『江』を観て」


「江」※NHK HPより

NHKの日曜大河ドラマ「江」を録画しておいてもらって帰ってから観た。
一話、二話、三話。まず歴史的に目茶苦茶である。
勿論歴史の証言者は生きていないのだから完全なる間違いとは言えない。


絶世の美女と云われた「お市の方」になんで鈴木保奈美なのか、石橋貴明の娘を三人生んだ女優に浅井長政の妻を演じさせるプロデューサーや脚本家の見識を疑った。
お市の方※sanspo より

近年まれにみるミスキャストだ。

すっかりオバサン化したかつてのトレンディドラマの主役、首筋には何本ものシワがあり肌は荒れ表情はない。宮沢りえの「茶々」に至ってはその気性の激しさも何も感じない。
茶々※sanspo より
出戻り女房風であり「お初」に至っては長屋のおかみさんであり、主役「江」の上野樹里に至ってはどう考えたって数奇な運命を辿った不可思議性や神秘性がない。


初※sanspo より

まるで若者達の学園ドラマの主役である。
一人目立つ豊川悦司の織田信長、その姿はワンパターンである。
誰か全く今までと違った信長像をつくれないのか。

織田信長※sekai nippo より

例えば実はユニセックスで体は細く、小さく、女々しくであった。
歴史上誰も知らない人間が実は信長を操っていたとか発見がない。
家康、秀吉、光秀、勝家などが第二話でいきなり同席し、秀吉と家康が二人で酒を飲み交わす。
大地康雄の勝家が場を仕切る。全体に坂の上の雲と龍馬伝で金を使いすぎたのか、酷く安っぽいつくりである。四人の女性が派手な着物でゾロゾロ出る。

そこには信長に対する敵意も殺意もない。なんと「江」は信長に気をとられて行くという話である。
今年一年はもう期待できない。女性相手の脚本にしたのだろう、「篤姫」の様に。

sekai nippo より
大体捕虜の様な身の四人がいきなり夜天守閣に一人いる。
信長の寝室にすんなり入れるなんて馬鹿にするなと言いたい。

ひょっとするとこの脚本家は途中で変わるかもしれないと思った。支離滅裂であり過ぎる。
タイトルの「江」の舞いのシーンなんて下手で安っぽいCGでまるで完成度が低過ぎる。
会長人事で擦った揉んだしているからきっとこんな酷い事になってしまったのだろう。

やがて二代将軍秀忠の妻となる「江」、歴史的には一度も側室を抱かせなかったという。
秀忠は行動力不足、戦下手、優柔不断、恐妻家であり元祖草食系だったのだろう(35,000人の兵を持ち関ヶ原の合戦に向かいながら少数の幸田一族に勝てなかった上、合戦に遅れた)。


鈴木保奈美を見ていると何故か「とんねるず」が出てくるのではと錯覚した。
いっそ秀忠役を石橋貴明にしたらいいかも。