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2019年3月29日金曜日

「異様な世界」

春は転勤の季節である。私が一年の内に一度くらいは頼む「なんでも屋さん」の会社がある。現在引越しの季節で大忙しだ。引越し業は人手不足で、価格はうなぎ上り。「なんでも屋さん」は、そこに住んでいた住民の習慣や習性をよく知っている。若いヒトのほとんどはゴミ屋敷的であり、異様な異臭の中に住んでいる。つまり掃除のできないヒトたちなのだ。彼氏と会う時は猫なで声で、趣味はお掃除です。なんてばっくれて言う。「なんでも屋」さんが言うには、若いヒトの部屋はもう「夢の島」だ。バスタブには使い切った化粧品やゴミを処分したビニール袋がビッシリと入っている。キッチンにはレトルト食品を食べた後の山、黒いビニール袋が部屋の半分以上を占拠している。あるテレビ番組を見てビックリした。デートの時は趣味はお料理ですなんて平気で言う。近頃の若いヒトは、何より図々しいんです。少しオマケしてばかり言うんです。掃除をしない女性で、結婚生活を長く続けられたのはあまりいない。しかしダンナかキレイ好きだと長続きをする。「なんでも屋さん」に、本の出版をすすめた。若い男子が50%以上女性関係、とりわけ結婚に興味がないと言うのは、きっと異様な世界と、異臭を知っているからだろう。そこでラブホテルだけは大繁盛する。その中が盗撮されていると言う。よって私は監視カメラや盗撮のない大自然の中で、思う存分にをススメる。虫さされに合うので、キンカンを忘れずに。



2019年3月28日木曜日

「廊下トンビ」

春が春の仕事をしにやってきた。南から北へ桜を連れて。そして花冷えと春の嵐も連れて。午前3時43分31秒、雨戸が強風でガタガタと音を立てている。実のところ、春はあまり好きではない。なぜかといえば、お付き合いをしている会社の中に人事と言う風が吹く。好い話もあれば、辛くシンドイ話もある。えっあの人が飛んで行ったのとか、あの人が、あの人による仕掛けで、あの人の下になったとか、勇ましいこともある。あの人が、あの人にアタマに来て、アゴの骨を殴って砕いたとか(これは本当にあった話)春は廊下トンビというどの会社にもいる、会社の人事話大好きな人間が、ガセネタをアチコチに流していく。私はそんなトンビを何羽も知っている。真っ先に私に連絡してくるトンビもいる。娘や子ども、それも幼子を持つ人や、年老いた父母のいる男にとって、春を好まぬ会社員は仕事が手につかない。アノヤローブチ倒してやるとか言って、やけ酒をガンガン飲んで、カラオケ屋で大暴発する。私はそんな男たちを観察する。そこに人間性が見えるからだ。ザマーミロあの人ついに島送りだ。と言って田端義夫の「島娘」なんかを歌う。逆に「帰り船」なんかを歌って我が身を慰める男。長渕剛の「とんぼ」も歌う。東京のバカヤローとかいうフレーズに力が入る。お前どこへと聞けば北海道稚内のアザラシの缶詰工場(トドもある)行きだと、手足をバタバタさせ奇声をあげる。思わぬ大出世をした者なんかは故北原謙二のボクにはボクの夢があり、君には君の夢がある。なんて余裕を見せる。正論、苦言を発する者は、リストラ部屋に入れられ辞表を出すのを期待される。机一つ、椅子一つ、仕事なし、そんな人がズラーと閉じ込められている。妻子や家族のために男は耐えて生きる。オカアチャンはホテルでランチバイキングなんかで騒いでいる。近親憎悪の人事はやがて「八つ墓村」みたいになる。午前4時35分38秒時代は荒れている。楽しい兄弟会を過ごした後これを記した。

2019年3月27日水曜日

「インターンに学ぶ」

昨夜「マイ・インターン」というロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイ主演の映画を見た。アメリカ映画の伝統的軽コメディである。が、一夜にして歴史が変わる現代社会をしっかりと描いていた。世界的に起業家は20代から30代である。「プラダを着た悪魔」でファッション雑誌社に入った。新入社員アン・ハサウェイがメリル・ストリープの演じる凄腕編集長に鍛えられていった映画のパロディでもある。70歳で電話帳印刷会社の営業部長を定年になったロバート・デ・ニーロが妻に先立たれて一人暮らし、人材登録会社に仕事をしたいと登録する。そして採用になったのが、主婦からネットによるファッション販売(ゾゾタウンみたいなもの)が大ヒット、わずか1年半くらいで220人の社員を持つ会社になる。妻は何しろ忙しい。一人娘の世話や家事は夫がする。妻はあっという間に会社のボスに、まい日分刻みのスケジュールで眠る間も無く働く。ロバート・デ・ニーロはアナログ人間で、パソコンも使えない、初歩から学ぶが経験豊富で、グッドなアドバイスをボスであるアン・ハサウェイにする。マイ・インターンとは社長付見習いの仕事であった。広いオープンオフィスの中を自転車に乗って、アチコチ移動するボス。じっくりと落ち着いて出来立ての会社の悪いところを、経験を生かして治すインターン。子どもと大人の違いがその経験の差にある。当然アン・ハサウェイの演じるボスは信頼して行く。私にも現在、経験豊富な元広告代理店にいて、クリエイティブディレクターとしてお世話になった人が、定年後来てくれている。その姿、その声、その存在感に心がほっとする。最高の相談相手になってくれている。期待の新人女性もこの一年で飛躍的に成長した。何よりうれしい。会社は人と人が入り交じる間、つまり人間的であればいいと思っている。喜怒哀楽が共に享受できればいいのだ。年配者の経験、若者の感性、若い時は老人と交わり、老いては若者と交わる。これを「忘年の交わり」という。

「新元号への提案」

平成も終わりに近づいた。そして何が残っているかを考えた。拝金主義の結果、それは身内という「凶器」「狂気」「脅威」だ。さらに財産や資産分与などが、複雑に絡むと、親戚一同がその対象になる。 平成の終わりは老人犯罪の始まりである。まい日のように老人が事件を起こす。クルマの運転による人身事故は日常茶飯事。老人が妻や我が子を殺す。隣人を殺す。老人大国となった日本は、老人犯罪大国になった。老人介護への不満。老人への身内の冷酷さ。その存在への悪意。日本国政府全体の老人イジメ。私たちはベラボーに税金を払って来たのは、老人への思いやりある政治、子育てへの支援や教育への期待。若者の将来への応援。そして災害大国日本を守るべき 防災対策などである。かつては70代、80代が20代、30代、40代、50代を殺すなどは、異常だと言われ特別な事件であった。今、下手に老人(私も老人)を扱うと、その手に凶器を持って現れる。老人は日々イライラ、ムカムカしている。身内同士の争いが そのイライラ、ムカムカを暴発させる。誠にもってオドロシクてヤバイ時代を平成は生んだ。とても辛い、とても悲しい。とても言葉でいい尽くせない。みんな一生懸命働いて、税金を払っているのに。ノコギリの刃みたいなギザギザの時代となってしまった。日本人よ老人にやさしくしよう。助け合いをしよう。家族とか身内一族ほど実は恐い。私もその悩ましい中にいる。新しい元号は私なら「家族」にする。

2019年3月25日月曜日

「街が消えて行く」

私が生活を営んでいる街に辻堂商店街がある。駅のロータリーをはさん東西に50軒くらいの店があった。私の愛用するボールペンの太字と細字、unibollの太字は原稿用、細字は校正用に使用していた。四百字詰めの原稿用紙はコクヨである。土曜日それを買い求めている、松本文具店に行くと、来週いっぱいで閉店すると言われた。えっホントと小さなオバアちゃんと太った娘さんに言った。もう無理なんです。来週は全品半額です。太字のボールペンの芯はいつも一箱買うのだが、5本しかなかった。その文具店の斜め前にあった、小さな書店も閉店した。腰越港に上がるいい魚を出していた鮮魚店も終わった。5本の芯を買って、その横隣にある魚屋さんに立ち寄った。小型のイカがひと皿に3ハイ600円であった。まったくイカが高いんですよと顔なじみのオバさんが言った。真鯛の三ツ切りがあった。それも600円。浅利が少しで200円。それを買って帰った。普段は自分で買い物はまずしない。おでん種の店もいつのまにか空き地になっていた。和菓子屋さん、おにぎり&おいなり屋さん、ケーキ屋、オモチャ屋さん。紳士ものの洋品店も消えた。絵の具を買っていた画材店も閉めた。40年以上の付き合いの店がみんな閉めていく。しょんぼりと家に着くと、47年間我が家のように利用していた、東京のお寿司屋さんが4月19日をもって閉店するという手紙が来ていた。先月行った時はまだそんなことは言っていなかった。人と街との関係がインターネットの時代になって、すっかり変わってしまった。今はスーパー、ドラッグショップ、コンビニ。 話す相手はウーさん、マーさん、ハンさんたちに変わった。やっぱり昭和はよかったなと思った。文具店、書店、画材屋さんのない街の未来はツライ。人の心と共に街は消えて行く。作家故開高健は家を引っ越す時は、まずお豆腐屋さんを探したという。
そして茅ヶ崎に引っ越してきた。豆腐屋さんは、すでにない。



2019年3月22日金曜日

「海に誓う」

黒に近い濃緑色のような海に、青光りする白い波が激しく押し寄せていた。3月21日の海岸にサーファーは一人もいなかった。外気は暖かであったが、強い風が吹いていたからだ。防竹林と防竹林の間の空地で一組のパーティ(大人と子ども8人くらい)が、 バーベキューをしていたが、強風で切り上げにかかっていた。12時40分頃だった。小二の孫が少年野球に入り、海岸近くの学校で朝から練習をしているというので見に行った。丁度昼食タイムで孫は友達とおにぎりを食べていた。で、ちょっと海岸へ足を運んだ。目に砂が入り、シューズの中にも砂が入ったが、誰もいない海は、自分の所有物のようであった。週末ショックを受けた。新しい文化を生みたいとの思いを込めて、いろんな人に、いろんなリクエストをしていたのだが、私の悪相と一生懸命に発した言葉が、学術的世界の人には脅迫感を与えてしまったようだ。私は立ち止まるべきだと思った。又、考え直すべきとも思った。一生懸命が相手に迷惑をかけていたのだから。取らぬ狸の皮算用みたいな話は、フツーの社会の人々には理解ができないはずだ。申し訳ないと心からお詫びをした。そして私はこのプロジェクトからの離脱を決めた。(それなりの道筋はつけたので)私は私に命令を下した。 クリエーターの自分に戻れと。そうすれば  "もううんざり”から開放されるからと。荒々しい海をずっと見ていると心が洗われて行った。♪〜人人のために よかれと思い 西から東へ かけずりまわる やっとみつけた やさしさは いともたやすく・・・。泉谷しげるの「春夏秋冬」を口ずさんでいた。午後TSUTAYAに行き、5本の映画を借りて帰った。海を見ていたせいか、ずっと、ずっと前に見たロマン・ポランスキーの「赤い航路」を再度見ようと思い、借りて帰り、早速見た(140分)。日本でも今富裕層に人気の豪華客船の旅の話だが(かなり内容を忘れていた)ポランスキーだけに一筋縄ではいかない。シナリオが実に素晴らしい。陸での話と海の上での話が見事に組み合って行く。小説家と肉感的なダンサー、その異常な性態と性欲。そして性を失っていくプロセスが主体だが、国際船のクルーズだけに、毎夜狂宴(?)と性宴(?)が行われる。あることわざがある。 「女の愛」イタリアの女性は気性で愛す。スペインの女性は快楽で、ドイツの女性は官能で、ロシアの女性は堕落して、東洋の女性は習慣で、フィンランドの女性は義務で、イギリスの女性は本能で、アメリカの女性は打算で、フランスの女性は心で愛す。さていかなる映画かは借りてみてくだされ。ある哲人曰く、「年を取った馬鹿は、若い馬鹿より始末が悪い」やはり海は大きい事を教えてくれる。天気晴朗なれど波高し。私は私の道を行く。そう海に誓った。


2019年3月20日水曜日

「戦わない文字」

「鬱」この文字ほど見たくない文字はない。さらに「憂鬱」となると、見ただけで気分が重くなる。確か故夏目雅子さんが、結婚相手となる作家、伊集院静さんを評して、この鬱という字をサラサラって書けるんですよと、インタビューで語った。世の男たちはオレも書けるようにならねばならないと、辞典を虫メガネ(ルーペ、この時はハズキルーペではなかった。)を見て、鬱に挑戦をしたという。「鬱」ということに対して、ある医学雑誌にこう書いてある。この病は死ぬよりもつらい、もっとも気をつけなくてはならない副作用は、「自ら死を選ぶことであると」。3月17日日経新聞文化欄に、いつも読んで勉強させてもらっている『「遊・遊」漢字学』というコラムがある。漢字学者の「阿辻哲次」先生が書いている。鬱を分解すると《林》《缶》と《》《》《彡》になる。《》は二本の柱で、その間に《》(キビから作った酒)を入れた。《缶》(酒壺)をおき、それを覆って密閉する形が《》で《彡》は酒の香りがあたり一面に漂っているさまを表す。(原文ママ)かなり複雑な構造だが、要するに「鬱」とは祭祀に使う酒の香りがあたり一面に立ち込めているめでたい状態を言うらしい。「しげる、さかん」という意味を表した「鬱蒼」の「鬱」がその意味であり、またさかんに集まることから「ぎっしりふさがる、こもる」という意味になった。「憂鬱」とはたくさんの心配事がこもっている状態のことである。こう書いているだけで気分は重くなる。私はかなりの経験者であった。負けてたまるかと生きて来た。ただ健康な人は気をつけてください。カウンセラーの言うところによれば、1日に何回も「あ〜疲れた、あ〜もう嫌だ。そしてこの頃よく眠れない」この3つを発している人は、すでに「鬱状態」になっているので、周囲の人が気をつけて決して無理をさせないでください。「鬱は心の風邪」なんて呑気なことを言ってはいけません。「ガンバレ」は禁句。借金は命とりとなります。逃げるが勝ちなのです。ちなみにこの世は不条理で、お金を借りた人間より、貸した人間の方が「鬱」になります。 しっかりと断る勇気を。今、「鬱の人」はドクターを信じて、決して焦らずゆっくりと、きっとよくなりますから。と、言っても国の病院は2時間以上待たされて、診察はわずか3分〜5分で終わりです。すこぶるカウンセラー後進国なんです。ある人によると戦国時代の大名は、ほとんどが躁鬱状態になっていたらしい。鬱とは決して戦わず仲良くなること。

2019年3月18日月曜日

「逆さまの望遠鏡」

望遠鏡を普通に見れば遠くのものが大きく近く見える。が、その逆は目の前のものも遠く小さく見える。齢を食ったせいか、ヤキが回ったのか、それとも人生の終わりに近づいたせいか、遠い、遠い過去のことばかり思い出す。それはきっと今よりずっと、その頃の方が楽しかったのだろう。いい友やいい仲間、いい先輩や憧れた男の人たち、初恋の子、腐れ縁になったが美しく魅力的だった女。かわいい後輩たち、大嫌いだった勉強、大好きだった喧嘩。そして殴り合った後に認め合った友。一生お互いに忘れないようにと同じ箇所をナイフで切って流れる血をすすり合った。世話になった女にも受けた恩は大人になっても忘れないからなと、ナイフで切った傷。あたしも忘れないわと、同じように自分の体にナイフで傷をつけた女。生きていれば老婆となっているだろうが、傷は消えてないはずだ。施設に入所などしていれば、おばあちゃんなんで太モモに こんなに大きな傷があるのと問われたはずだ。望遠鏡を逆にして見ると遠い過去が映画のシーンのように思い出す。この頃、 深夜になると血と涙と友情と、未だ仲良かった、兄弟姉妹たちとのことを思い出している。「黒い傷あとのブルース」という曲があったが、そんな気分だ。過日少年時代を過ごしたところを、ロケハンをかねてクルマで通った。広いと思っていた道はこんなに狭かったと思った。広々とした畑だったところには、家が立ち並んでいた。やさしい母と過ごしたところには小さな家が建っていた。喧嘩ばかりしていた神社は思い出よりずっと小さかった。体に残した傷を見て、男らしかった奴、根性があった奴、しぶとかった奴、手強かった奴、勝負がつかなかった奴、その男たちの顔を鮮明に思い出した。みんな生きてるのかい。同じ場所につけた傷を見てオレを思い出してるかい。この頃はスヤイ(安い)奴が多い。あの頃はまい日がこれ以上なく楽しかったな。何もなかったけど、友情と愛情はあったからな。オレには今、飲み分けの兄弟が二人いる。天才的根性者と洒落者だ。今一本の映画のシナリオを書いている。望遠鏡を逆さまにした日々をテーマに。失ったものを手に、石川啄木じゃないが、 "これを仕上げて死なんとぞ思う”こんなブンキ(気分)だ。 天才中野裕之監督とやりたいんだよ。


2019年3月13日水曜日

「合羽橋にて」


会えば年がら年中、同じことばかり話しをしている。この頃それが自分でないかと思う時がある。 目新しい話が出来なくなったら、あまり人と会わない方がよい。相手に悪いし、自分がつまらなくなってしまうからだ。相手は内心また壊れたレコードみたいに同じことを言っている。やることがあるのにいい加減にいい迷惑だと顔に描いてある。日本人も昔は芸術、文化に投資する経営者が多くいた。そのおかげで古今東西の文化が守られて来たり、芸術品が守られている。例えば大原美術館、五島美術館、根津美術館、山種美術館、ポーラ美術館、ブリジストン美術館、等々日本全国に私財を投じた芸術の館がある。私の好きな言葉の一つに、「シンドラーのリスト」の主人公の言葉がある。金はどんな汚い手を使って稼いでもいい。だがその金を全部きれいに使えばいいのだ。もともと金は不浄のものである。人材を育てるものは、極貧になってもいい。若い人に資金を投じる人がすっかりいなくなってしまった。日本中にタンス預金的なのが1500兆円近くもあるという。このほんの一部が気合を込めて投資されれば、日本の芸術文化は育ち、守られる。元サムライの渋沢栄一さんは長屋のようなところに住みつつ、400社とも言われる会社を生み育てたという。その意志を継いだ者が日本の学者たちを養い育てた。昨日あるところに、将軍家剣術指南役の柳生一族の家訓が載っていた。私もこれを常日頃心がけている。(才の三段階)(一)小才は縁に出合って縁に気づかず。(一)中才は縁に気づいて、縁を生かさず。(一)大才は、袖すり合った縁をも生かす。家柄とか学歴とかで人を見分けていると、実はすばらしい才能を見過ごしてしまう 。私たちの仲間に近々、中国人の若者が加わる。縁をとりもってくれたのは業界の大御所である。先日その若者に会って、その才を見込んだ。実に楽しみである。会社なんてものは、利用するだけ利用すればいいんだ。私の仕事は人材を見つけて、大きな木材に育てることだ。「日々是新人」でありたい。昨日は手招き人形づくりを探しに、合羽橋を歩いた。聞けば人形師のは瀬戸から中国へ伝わっているとか。かつて仕事仲間であった男が、浅草橋で日本の伝統を守る職人たちを守る、会社&ショップを立ち上げた。昭和の名残を大切にしながら、夫婦で仲良くショップをしていた。心から嬉しく思った。友人と二人でレモン入りハチミツジュースを飲んだ。 職人気質は純粋である。不器用で頑固である。そして金勘定は無頓着である。そんな代々続けてきた職人芸を売る人たちを守りたいものだ。久々に合羽橋を歩いていてそう思った。

2019年3月12日火曜日

「響子」

土日に見た、向田邦子ドラマシリーズ。リモコンで前と次を操作しつつ整理した。新春向田邦子ドラマシリーズは10周年を迎えていた。主演は田中裕子、母親役は加藤治子が決まりだった。当時若手として売り出し中の、小泉今日子、小林薫がいた。又、映画ツゴイネル・ワイゼンの監督藤田敏八もいた。物語の中心は昭和14・15年である。後年大人気シリーズとなった「寺内貫太郎をシリーズ」の原型もあった。演出は久世光彦、脚本金子政人、音楽は小林亜星大先生の黄金コンビである。全シリーズの中に出てくる、蓄音機から流れる音楽は実に良かった。三木のり平、名古屋章など芸達者が見事に配されている。ドラマの中心はそこにいない亡き「父親」であり、座敷に置かれた四角い御膳やちゃぶ台である。そこで母親と姉妹が語り合う。向田邦子の凄さは、まるで広角カメラのレンズのように捉え、まるで点描画を描くように、一つ一つの描写を書き出す。それはかつて日本の生活の中で生きていた何気ない行事一つ一つに現れる。年の瀬、お正月、訪れるお客さん、お通夜や形見分け、食事をする時の姿勢、お届け物やお返し物。ご近所づきあい。お見合いの儀式。などなど、虫メガネで見るようにそれらを書く。約90分を5本450分のドラマのセリフの中で、驚くことを知った。向田邦子はこのシリーズの中で、“お金”にまつわることをいっさい書いていなかった。家族の中心である。食事をしたり語り合う、茶の間に置いて(ここは応接間にも、寝室にもなる)お金の話は禁句だったのだろう。向田邦子はお金にまつわる話が、きっと嫌いだったのだろう。純文学の主題は、金、女、あるいは男、あるいは同性、堕落、転落、逃亡、不貞、不義密通、エセ友情。きっと落語好きだったのか人情話的なヒューマンとユーモアを書いたが、実は激情家であったと思う。そして純文学者であった。母親役の加藤治子は決して心から笑わず、その目は鋭く静かな殺気があった。石材店の娘「響子」という一篇において、母と妹のところに病身の夫と同居している。そこには三人の石工職人がいる。その中の一人、小林薫には、愛人がいる。ある日、響子は口の中に石の欠片を入れ、職人と相対する、そして二人はキスをする、響子の口の中から職人の口の中へ、石の欠片が口移しされる。その後二人は墓地のスキ間で逢瀬を重ねる。そして・・・。「響子」という名は、石を打つ響きから名付けられた。私はこれがいちばん好きなシーンだった。やはり向田邦子自身、激しい恋をしていたのだろう。道ならぬものを。何故あの日台湾の空の上にいたのだろうか。そして飛行機は墜落した。「忘却の水を飲む」という言葉がある。生前いかに名を馳せた人物でも、ひとたび冥府を流れる河の水を口にすると、地上での存在を忘れられる。すぐに忘れられる。だが私は向田邦子を忘れない。(文中敬称略)