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2019年3月12日火曜日

「響子」

土日に見た、向田邦子ドラマシリーズ。リモコンで前と次を操作しつつ整理した。新春向田邦子ドラマシリーズは10周年を迎えていた。主演は田中裕子、母親役は加藤治子が決まりだった。当時若手として売り出し中の、小泉今日子、小林薫がいた。又、映画ツゴイネル・ワイゼンの監督藤田敏八もいた。物語の中心は昭和14・15年である。後年大人気シリーズとなった「寺内貫太郎をシリーズ」の原型もあった。演出は久世光彦、脚本金子政人、音楽は小林亜星大先生の黄金コンビである。全シリーズの中に出てくる、蓄音機から流れる音楽は実に良かった。三木のり平、名古屋章など芸達者が見事に配されている。ドラマの中心はそこにいない亡き「父親」であり、座敷に置かれた四角い御膳やちゃぶ台である。そこで母親と姉妹が語り合う。向田邦子の凄さは、まるで広角カメラのレンズのように捉え、まるで点描画を描くように、一つ一つの描写を書き出す。それはかつて日本の生活の中で生きていた何気ない行事一つ一つに現れる。年の瀬、お正月、訪れるお客さん、お通夜や形見分け、食事をする時の姿勢、お届け物やお返し物。ご近所づきあい。お見合いの儀式。などなど、虫メガネで見るようにそれらを書く。約90分を5本450分のドラマのセリフの中で、驚くことを知った。向田邦子はこのシリーズの中で、“お金”にまつわることをいっさい書いていなかった。家族の中心である。食事をしたり語り合う、茶の間に置いて(ここは応接間にも、寝室にもなる)お金の話は禁句だったのだろう。向田邦子はお金にまつわる話が、きっと嫌いだったのだろう。純文学の主題は、金、女、あるいは男、あるいは同性、堕落、転落、逃亡、不貞、不義密通、エセ友情。きっと落語好きだったのか人情話的なヒューマンとユーモアを書いたが、実は激情家であったと思う。そして純文学者であった。母親役の加藤治子は決して心から笑わず、その目は鋭く静かな殺気があった。石材店の娘「響子」という一篇において、母と妹のところに病身の夫と同居している。そこには三人の石工職人がいる。その中の一人、小林薫には、愛人がいる。ある日、響子は口の中に石の欠片を入れ、職人と相対する、そして二人はキスをする、響子の口の中から職人の口の中へ、石の欠片が口移しされる。その後二人は墓地のスキ間で逢瀬を重ねる。そして・・・。「響子」という名は、石を打つ響きから名付けられた。私はこれがいちばん好きなシーンだった。やはり向田邦子自身、激しい恋をしていたのだろう。道ならぬものを。何故あの日台湾の空の上にいたのだろうか。そして飛行機は墜落した。「忘却の水を飲む」という言葉がある。生前いかに名を馳せた人物でも、ひとたび冥府を流れる河の水を口にすると、地上での存在を忘れられる。すぐに忘れられる。だが私は向田邦子を忘れない。(文中敬称略)


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