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2019年3月8日金曜日

「貧しい楽しさ」

平成の次の元号は何になるか、私はきっとその新元号の中であの世に行く。ただそれだけの話だ。先日大先生から向田邦子さんの話が出たので、TSUTAYAに行きかつての人気ドラマ久世光彦のシリーズを5本借りて来て一気に見た。音楽は敬愛する小林亜星大先生だ。脚本は金子政人さん。ドラマを見ていて昭和が懐かしくなった。小学生の頃を思い出した。家には門があり、玄関がある。畳の部屋があり丸いちゃぶ台がある。小さな庭石があり、庭ではたき火などをしている。台所の床の下には、漬物の樽がある。隣近所とは会話を交わし、お味噌や醤油などが切れてしまうと、ちょっと借りに行く。お返しは入れてもらったお皿に心ばかりの品を入れて返す。ご飯はおひつに入ってあり、食事は基本的に一汁一菜におかず一品ほど。焼き芋は何よりのご馳走であり、 たき火の中に入れて作った。スルメを入れるとクルクルと丸くなり、アチアチとしながら細くして食べた。台風が来るとなれば家族みんなで、金づちで釘を戸板に打ち込んだ。ガムの代わりに麦の穂をずっと口の中で噛んだ。竹の皮に梅干しを入れそれを何時間も舐めた。竹の皮に梅の味が染み込んでいい味がずっと楽しめた。子どもたちは、面子やベーゴマ、 石けりや缶けり、かくれんぼや、だるまさんがころんだをした。女の子はゴム飛びやおはじきやお手玉をした。シンプル・イズ・ベスト。貧しさが明るかった。貧しさが楽しかった。 学校から帰ると、カツオ節をカンナで削り、煮干しを七輪で焼き(練炭は品川)お醤油にひたした。シラスやチリメンジャコ、コウナゴなどの小魚を、冷や飯の上にのせ食べるのが常だった。今でも私はこれが大好きであり、死の前の食事に何をと言われれば、これを選ぶ。荻窪の丸福があればチャーシュー・ワンタンメン。煮玉子入りが希望であった。昭和は戦争と戦後の両方があった。死と生とが交差した。早朝には納豆、納豆とおばさんが売り回り、夕方になるとお豆腐屋さんが、ラッパを吹いてお豆腐や油揚げを売って回った。夜になるとチャルメラが鳴り、どんぶりを持ってラーメンを買ってもらった。兄弟姉妹は夏になると、一つ蚊帳の中に入って寝た。私は今そんな子どもの頃を思い出している。平成の終わりに血族についてふり返っている。 結論はあの世まで出ないで、追い回される。外は雨一雨ずつ春に近づいている。小さな庭に来ている椋鳥の夫婦はもうすぐ遠くへ飛んで行くだろう。何でもある時代は、いろんなものを失っていく。恐ろしい速さで。

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