ページ

2022年6月4日土曜日

つれづれ雑草「佐々木、イン、マイマイン」

この世では思わず言葉を失うニュースが洪水のように流れ、雨、霰のように降りそそぐことに耐えねばならない。東海道線午後九時二十三分東京発平塚行きに(小田原行きだったかも)乗った。四人掛けの窓側に白いマスクをした美人ぽい女性。マスク外したらどうなるかな、などと思った。ローファーの白い靴、オレンジ色のコットンの長袖のシャツ、いい色にしたブルージーン。私は通路側に座った。日本人はスゴイ昨日一日、マスクを外した人を一人も見なかった。女性はマスクを外したくないという。マスクをしていればほぼ美人風、ほぼチャーミングだからだ。私の隣に座っていた女性が、グレーの大きなトートバックから助六弁当を出した。オヨヨと思った。見かけと違ってかなり乱暴に包み紙を外し丸めてバッグの中に入れた。私は助六弁当大好きなのでこころが動く。おいなりさんと太巻きずしがビシッと箱詰めになっている。うわぁ~うまそうと思った。目の前には六十位のおじさんがいた。白いワイシャツに黒のズボンだ。片手に宝島社が出版している昭和の黒幕という文庫本を読んでいた。助六といえば歌舞伎の演目として有名だ。幕間の弁当としても定番だ。などと思いつつ私は疲れた目をしばし閉じた。さあ~オイラの人生の最終演目は何かと瞑想する。回遊魚の鮪(マグロ)と同じで、私は何かをしていないと即この世とオサラバしなければならない。鮹(タコ)はじぶんの足を食って生きるというが、私も今では鮹と同じでじぶんの足を食っている。むかし星セント・ルイスという漫才コンビが「俺達に明日はない。キャッシュカードに残はない」という決め言葉と「田園調布に家が建つ」という言葉でおおいに売り出した。気がつくと消えていたから、決め言葉通りに生きたのだろう(2004年にセントさん、2005年にルイスさんが他界)。私もヤバイじゃないか、瞑想している場合かよと目を開ける。助六弁当の太巻きを大きくあけた口の中に入れた窓側の女性がいる。マスクを外してアゴにかけている。食べている間は表情がよく見えないが、太巻きを食べたあとはしっかり分かった。かなり想像と違った。なんだなんだ次はおいなりさんかと思った。女性はやっぱりマスクがよろしいと思った。私はこういういけないこころを持ってしまう人間なのだ。家に帰ると愚妻が娘が住んでいるところではドヒャーとでっかい雹が降ったとか。テレビのニュースを見るとガチョンとビックリ、日大の理事長にな、なんと林真理子さんが就任とか、10万人近い生徒たちの顔が、100万人に一人いるかいないかという素敵な女性にというニュースを見て、あの助六弁当を食べていた女性を思い出した。人間は見た目ではないのだぞとじぶんにいい聞かせる。高校の教師同士だった男と女が、殺し殺された。不貞不倫の行きつく先は、失楽園だ。後楽園だったらよかったのに。人間は偶然と必然のあいだで生きている。昨夜いい映画を見た。「佐々木、イン、マイマイン」内山拓也監督作品。仲のいい五人の高校の同級生仲間にお調子者だけど、存在感抜群の佐々木君がいる。みんなに、ササキ、ササキ、ササキと手拍子されると、教室の教壇の上で学生服を脱ぎ全裸になる。女生徒たちはやめて、バカ、アホ、サイテーと逃げ出す。先生はまたかと怒り、仲間たちは笑い転げる。そんな陽気な佐々木君はじつにいい奴で、じつにかなしい。久々にいい青春映画を見た。損得のない友情とはいいものだ。コロナ、コロナですっかり忘れていた大切なものを思い出した。マスクは女性の大切なファッションアイテムとして定着するだろう。おたがい見ないですむなら、見ないほうがいい。カンヌ国際映画祭で早川千絵監督の「PLAN75」が新人監督賞に贈られるカメラ・ドールのスペシャル・メンション(特別表彰)を受けた。超高齢化、近未来の日本で75歳になると自らの生死を選択できる。この新制度によって人生どうなるかを描き、大評判になったと記事に載っていた。さて、あなたならどうしますか、「PLAN75」の制度ができたら。夫婦とは殺意と殺意が枕を並べて寝ているようなもの、私の好きな女優アシュレイ・ジャッド主演、1999年作「ダブル・ジョパディー」という映画も見た。ベッドの中から起きた妻の横には血だらけの包丁があった。法は同じ罪で二度裁けない。夫殺しの罪を負わされ刑務所に入った妻は、夫が生きていることを知る。まいにち愛し合っていた二人は、殺意と暮らしていたのだ。そして復讐を誓う。今は警察の留置所にいる、高校の同僚だった教師も、出会ってはいけない男と女だったのだ。スコップで穴を掘っている時、何を想っていたのだろうか。いいニュースがない世の中になっている。少年野球を見ている時が、今の私には何よりの時間だ。参議院選挙は近いのだが、野党はどこにいるのかさっぱり存在感がない。4630万を受け取ってバクチでスッた。いや金は回収した。なんてスットコドッコイのニュースはもう古いのだ。(文中敬称略)




2022年5月28日土曜日

つれづれ雑草「戦争反対」

1945年のいま頃、沖縄では日米の最終決戦をしていた。沖縄は米大艦隊にとりかこまれ、艦砲射撃の一大標的となり、島の形も変ってしまうかの情況であった。地上では大部隊が続々と、続々と、続々と――。上陸して総攻撃をする。この戦争の残酷さや悲惨さ、無惨極まる攻防は数限りなく語られ、小説や映画、絵画や歌によって表現されてきた。がそのどれもがしんじつを伝えきれない。まさに筆舌につくしがたしなのである。「ハクソー・リッジ」という米国映画を見た。主人公は実話で2006年まで生き86歳でこの世を去った。私は徹底的に反戦論者である。少年の頃、まるで日課のように喧嘩はしたが、両親の影響からか戦争には大反対であった。ロシアの侵攻によりウクライナは戦争状態にある。この機に憲法改正論者はビッグチャンスとばかりに憲法改正に動き出した。最終目的は再軍備であり、憲法九条の改正である。野党の存在感はまったくない。うつうつとする嫌な気分の中で「ハクソー・リッジ」を見た。主人公の青年はクリスチャンであり、人を汝、殺すなかれを信条にしている。父親は元軍人、青年を軍隊へ送り出す。小さな聖書を胸ポケットに入れた青年は、軍隊の訓練でも銃器は持たない。衛生兵になると主張する。軍隊はそんなことは許さない。仲間たちからリンチを受ける。さらに軍法会議にかけられる。それでも拒否をつづける。軍法会議は条件をつけ衛生兵として沖縄決戦に向わせる。銃器を持たない軍人が沖縄に上陸する。丘の上にトーチカを作った日本軍は猛攻撃をする。地中にはトンネルが掘られてアリの巣のように要塞化している。陸上からロープはしごにつかまり崖を越えねばならない。上陸隊が狙い撃ちされるからだ。決死の日本軍は強い。両軍あらゆる兵器で撃ち合う。頭が飛び、体が破裂し、両手、両足は飛び散る。吹き出た内臓が赤い蛇のように散乱する。青年は負傷した仲間を銃弾の雨、嵐の中を救けて回る。血と血の世界は凄絶な地獄絵となる。青年は負傷した日本兵にも治療をする。沖縄は無数の戦死者を出して終る。日本軍降伏。青年は72人の戦友の命を救い、銃を持たない軍人として初めて、軍人の最高勲章を受ける。実際の青年は細くて弱々しい。映画を見てメル・ギブソンの演出に驚嘆する。そして思った。人間と人間はなんで戦争をするんだろうか、なんで殺し合うのか。戦争の大義とはなんだろうか。国と国はどうして仲良しになれないのだろうか。きのうまでやさしい魚屋さんや肉屋さん、小説家、芸術家。プロ野球の選手やスポーツ選手、学校の先生や大学生が軍隊に入ると、強制的に人殺しになってしまう。生きるために殺す。おかあさんと叫んで特攻隊は散る。なんで戦争ばかりするのだろうと思いつづけた。そしてやっぱり答えは一つ、戦争で大儲けする悪い野郎共がいるからだ。軍事費倍増を画策している。沖縄戦争生中継のような映画を生んだメル・ギブソンは、戦争の真の英雄は、死んだ者たちである。そう表現した。神はいるのかを問う。聖書にある創造主は人間をなんで造ったのか。信じる者は全然救われていないのが世の中だ。私の親愛なる後輩が50歳近くなって肉体改造をしている。毎日2時間ジムで筋トレしてプロテインを飲んでいる。わずか3ヶ月余で上半身は筋肉モリモリ、これから下腹部をモナカアイスみたいに六分割にするんだとか。人に見せたいだろうと言ったら、見せたいんですと裸になった。why何故と聞けば若い女性とつきあいたいからだと笑った。ナルシストは裸を見せたがり、死にたがる。ナルシスが池に落ちたように。陽灼けサロン、筋トレ、プロテイン。何も知らずただルームランニングのために辻堂駅前のゴールドジムに数年通ったが、今振り返えるとかなり不気味なシーンがあった。とあることを知りやめた。長い間白内障で片目のジャック状態だったが、ついに手術をした。現在四種類の点眼薬を朝・昼・夜・寝る前に使用している。かなり面倒だが、やけにクッキリ見えてきた。いままで二度手術直前でキャンセルしたが、この世の有り様をしっかり見届けておこうと思って決断した。評判の高い眼科医はスゴイ、一日でなんと30人手術するとか。二人の医師は見事な手の術で、ハイ次、ハイ次と朝八時からやっていた。待合室には40人以上がいた。付き添いの人もいる。手術後は安静にと言われ、たくさんの穴のあいた片目用のプラスチックメガネを、茶色いテープでベタベタと貼った。私の人相で外を歩くと、ヤクザが喧嘩したあとみたいだと言われた。が、私は失明より少年野球の応援を選んだ。いざ寒川青少年公園野球場へ。1230分プレイボール。応援する少年は見事完投、3打数1安打、打点3で勝利投手、8対2で勝った。勝利の女神は微笑してくれた。夜、親愛なる沖縄の友人と電話で話をした。声に人柄が出るいい男なのだ。ガンバレ沖縄。今年で沖縄返還五十年だ。そのひきかえに沖縄は永久に米国基地として使用できる。アメリカの政府にとってこれほどウマイ話はないと、当時の高官たちは高笑いをしていた。そんな秘蔵ドキュメンタリーのフィルを見た。ハチの巣にしてやりたいバカヤロー共だった。(文中敬称略)



2022年5月25日水曜日

つれづれ雑草「すすり泣く」

深夜わたしは泣いている。名画を見ているからではない。ところてんにねりからしを入れ過ぎて目と鼻にツーンときたのだ。ところてんは実に奥深い食べ物で、時に大敵となる。酢が多過ぎたりねりからしを入れすぎると、なんとなく頼りなく弱々しいところてんが、が然強気になるのだ。その日その日でところてんの味が違うのは、ねりからしの量による。どれ位がもっともいい味かはいまだに分からない。これはおでんのコンニャクにねりからしの量がどれ位がいいのか分からないのと似ている。コンニャクは全身ツルツルなのでねりからしはしみこまない。表面にねりからしがぜんぶのるからだ。これをさらに比べると、冷やし中華におけるねりからしの量にもいえる。せっかくの冷やし中華もねりからしを入れこみすぎると、メンを食べている途中に、突然パニックが起きる。メンの中にねりからしがよく溶けこんでないで、ねりからしがたくさん登場するのだ。泣きながら冷やし中華を食べて、ガホンガホンしている人がいるのはこのためなのだ。ねりからしとは黄色い泣かせ屋である。洋ガラシ(マスタード)とは似ているがまったく別物で、マスタードは荒くれの味でホットドッグ用だ。日本料理とバーベキューほどの違いがある。週末愚妻が秋田での法事で出張(?)でもってオンボロファックス機が私では使えない。原稿を書いてもライターの方とのファックスのやりとりができないのだ。実に情けない。電子レンジも使えない。(一度マカロニグラタンで大出火させてしまった)おそらく私の知能指数は三歳児位だと思う。かろうじて映画は見れる。かつて見たブラッド・ピット主演の映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の中で、こんな教えを受ける。「答えのある問題なら悩む必要はありません。答えのない悩みなら悩んでもむだです」チベット仏教はそう教える。私はこんなバカ者でありながら生きてこれたのは、ひとえにひと頼みだったのだ。ところてんへねりからしを入れていたのは愚妻だったので、じぶんでねりからしのチューブを持ってからしを押し出すとその量が分からず入れすぎたのだ。バカは死ななきゃ治らないというが、私はきっと死んでも治らないだろう。答えはそういうことなのだと悟った。カトマンズの山の中に行かずに答えを知った。先週6月封切りの映画の試写会に招待されて観た映画「はい、泳げません」は、きっとベストワンになるだろう。尊敬するリトルモア孫家邦さんが企画・製作した。孫さんが手がける作品は、ベストワンになったり、主演女優賞や助演男優賞など多くの賞を得る。「舟を編む」「夜空はいつでも最高密度の青色だ」「花束みたいな恋をした」新作は水泳が苦手の大学教授が、一大決心をしてスイミングスクールに入る。長谷川博己が演じる。インストラクターはクルマが苦手の女性綾瀬はるかが演じる。昭和のある頃ヒトビトは貧しき中でもほっこりしていた。たき火でやいた焼き芋の味のようにほっこりとしていた。悪い事、嫌な事、忌まわしい事、許されざる事ばかりがテーマの映画が多い中で悪人が一人も出てこない映画は実にいい。さすが孫さんの企画力は冴えわたっている。カメラワークが新鮮だ。達人笠松則通さんスナップ写真のような映像がいい。シロウトみたいに見せる超絶クロウト芸だった。ほのぼのという言葉が消えてしまったいまの世に、ほのぼのとはを見せてくれる。ぜひ観に行ってほしい映画だ。脚本・監督は渡辺謙作さん。荒戸源次郎事務所出身で鈴木清順監督に鍛えられた人である。「舟を編む」の脚本でアカデミー最優秀脚本賞を受賞している。親愛なる友と、巨匠井上嗣也さん、その高弟と四人で観た。その後永坂更科のそばをすすり合った。世界的な文明学者が先進国で日本が唯一止まっていると警告している。『パリ=共同』「国境なき調査団」による、2022年の世界各国の報道自由度ランキングの発表では、対象180ヵ国の地域のうち、日本は昨年から四つ順位を下げで71位だった。安倍晋三長期政権の負の遺産だ。国民から知る権利を奪ってしまった。メディアはスポンサー離れを恐れてしんじつを報道しなくなっている。ちなみに第一位はノルウェー、最下位は179位の北朝鮮であった。憲法改正、第九条改正への足音がヒタヒタと迫ってきている。こればかりは口にマスクをして黙して語らずとはいかない。無気力に慣れてしまった国民を改正論者は見逃さない。戦争の世紀へ幕が切って落とされているのだ。すさまじいドキュメンタリー映画「ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ、自由への闘い」を見てほしい。ウクライナ国民が自由を求めて国家権力と闘った壮絶の90日間余だ。独裁者は逃亡した。オレンジ革命の実況中継だ。若者が動く時、国家は敗北する。我が国の若者もSNSを国家管理され、スマホを取り上げられ自由を奪われたら、きっと行動を起こすだろう。私がいまハマッているところてんは、伊豆・三浦半島産・天草使用、ねりからしはハウス食品製だ。(文中敬称略)




2022年5月21日土曜日

本日は出張により休筆

 本日は出張により休筆致します。来週早々、掲載したいと考えています。皆様の週末が有意義でありますように。

2022年5月14日土曜日

つれづれ雑草「笑えない、お笑い芸人」

我が世の春は長くない。苦節を重ねた芸人が売れはじめ、やがて寝る間もないほどの売れっ子になる。ある夜、いまはきっと夢を見ているんだと思う。そして売れないころインスタントラーメンをポリポリかじって空腹を満たしているじぶんを思い出す。電気・ガス代がもったいない、水道代ももったいない。やかんに水を入れて熱湯がつくれないのでポリポリかじる。今はどうだ仕事はいくらでもくる。そんな仕事は断れよとマネージャーに言ったりしているじぶんがいる。やっと寝ようと思ってもアタマが興奮していて眠れない。その日許された睡眠時間は3時間だ。きのうは2時間、その前は移動する車の中の仮眠だけだ。仕方ないウイスキーで睡眠導入剤だ。えっな、なんだいまのじぶんはすぐにあきられて、また三畳一間でインスタントラーメンをポリポリだ。ガバッと起きると冷汗がたっぷり、ふ~と大きく息をすると夢を見ていたのだ。ああよかった。高級なマンションに住んでいる。高級車にも乗っている。預金通帳には考えられない数字が増えている。自分で死んだ先輩が言っていた。我が世の春は長くはないぞと。嫌だあんな生活に絶対戻りたくない。しかし死ぬほど忙しい日々なので芸を磨く時間がない。まるで売れないころ刑務所の慰問に行った時、刑務官も囚人も大笑いしてくれた日がなつかしい。老人ホームに行った時おじいちゃん、おばあちゃんが手を叩いて笑ってくれた日がなつかしい。もし売れなくなったらと思うと夜が恐いんですよ。笑ってもらえなくなったらと思うと、笑っていられない。かなしいもんです芸人はね。こんな話を撮影の合い間に話してくれたのは、お笑い界の大御所の一人だった。お笑い芸人の人たちは、舞台から楽屋にもどるとみんな暗くて無口だ。大、大、大ファンだった「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんが自死したのをニュースで知った時、ガク然、ボー然として言葉を失った。熱湯風呂に突入する。アツアツのおでんのコンニャクを丸飲みする。大やけどするようなその姿にみんな大笑いをした。上島竜兵さんに我が世の春があったかは分からないが、大人気の3人組だった。人には言えぬ苦悩があったのだろう。眠れぬ夜を繰り返していたのだろう。まだ61歳であった。私は、とてつもなくかなしい。私も広告屋という芸人だ。“おだてりゃ豚も木に登る”でつたない芸を売ってきたが、四十九歳になった時からその先のじぶんの姿が見えた。先輩から50歳までが勝負だよと言われていた。そして今日まで眠れぬ体となっている。なら誰も思いつかないビックアイディアで勝負だと、ふるい立たせる。NHKで「映像の世紀」を見た。1918年スペイン風邪が世界的流行となり、第一次世界大戦によって爆発的に拡散する。戦争は軍人も民族も移動するからだ。マスクをした兵士たちが行進する。握手もしない、それを徹底したアメリカの州は感染者が激減した。しかしスペイン風邪を軽視してマスクをしなかった州はあっという間に感染者が激増した。ハグをし、キスをし、握手をしまくった。世界的大ベストセラー「銃・病原菌・鉄」を連休中に再読した。上・下800ページ近いこの本は、帝国や王国が戦争とウイルスによるパンデミックで滅びてきたことを教える。スペイン風邪を封じたのは、人類の英知だ。電子顕微鏡の発明でウイルス菌を発見して、ワクチンの開発を生んだことによる。ゼロ・コロナか、ウィズ・コロナか。人類とウイルスの戦争は永遠につづくのだ。ロシアとウクライナの戦争の先に何があるかは誰でも想像がつくはずだ。世界人口はスペイン風邪の時より倍増している。つまり死者も倍増する。宿命は生まれ持ったもの、運命はどう転ぶか分からないもの、寿命は絶対にくるもの。天命は誰が決めるか教えてもらえないもの。上島竜兵さんのご冥福を心より祈る。あの世では熱湯風呂に入らなくてもいいはずですよ、アツアツのコンニャクを飲み込まなくてもいいですよ。ゆっくり、ほっこりしてください。残した二人の仲間を見守ってあげてください。売れっ子だった指パッチン!のポール牧さん、ウクレレ漫談の牧伸二さん、上方落語の桂枝雀さん、みんな自分で死んでしまった人たちですが、あの世では、悩みはなく永眠だからぐっすり眠れますからね。悪い夢を見ることはありません。大谷翔平選手が劇画も及ばない大活躍をしている。ふと売れっ子の見世物芸人に見えてしまう。私は運命論者なので、この先きっと起きるであろうことを心配する。私には見えている、クッキリと。好事魔多しという。(文中敬称略)



2022年4月30日土曜日

ゴールデンウィークのため休筆します

 ゴールデンウィークということで休筆致します。皆さんも健康に気をつけてエンジョイしてください。

2022年4月24日日曜日

つれづれ雑草「眼を閉じる魚類とは」

どんづまり、どんづまり、売るべき物はなにもない。難民の男の恋人は国境を離れて他国へ行ってしまった。金もないしビザもない。シリア人の恋人に会いたいが、殺戮が繰り返されている中東シリアである。そんな男に目をつけたのが一人の現代アーティストだった。その芸術家は男にじぶんの作品をつくらせてくれと言う。そのために体を提供してほしいと言う。芸術家が男に求めたのは男の背中であった。背中にタトゥーを入れそれを作品にしたいということであった。どんづまりの男はじぶんの皮膚を売ることで大金と自由を求めることに同意する。芸術家が男の背中に入れたタトゥーは、パスポートである。“VISAビザ”のデザインであった。何日もかけて芸術家は男の背中一面にパスポートを入れた。そして男はロダンの“考える人”のようなポーズをして美術展に展示される。生きている芸術作品は話題を呼びやがてオークションにかけられる。会場はどよめき価格がどんどん高くなりついには500万ユーロとなる。生きている人間は果して芸術か、それとも見世物か。美術館の真ん中に展示され、スポットライトをあびる男は、やがて精神に異常をきたし始める。難民という既知の事実の上に成り立つ稀有な芸術作品としての人工的価値に関心を寄せる人々の、人間と世界に対する無関心と冷淡な本質を浮かび上がらせる。チュニジアの映画(合作)「皮膚を売った男」は現在ロシアがウクライナに侵攻している中、逃げるに逃げられないウクライナの人々の現状と重ね合わせると、背中が痛む。この作品を生んだ監督は、ベルギーの現代アーティスト、ヴィム・デルボアのアート作品にインスパイアされたとラストに文字が出る。きっとこれに近いような芸術作品があるのだ。愛は国境を越えるというが、さてどうなったかはご想像にまかせることとする。どんづまりになっても人間には売れるものがあることを知った。タトゥーとは刺青のこと、ヤクザ者は“モンモン”とか“ガマン”という。激痛をじっとガマンすることからそういう。映画をつくるためなら体のどこを売ってもいいが、傷だらけの人生、私の体では売る個所はない。全身刺青を入れた男が言った。どこがいちばん痛いかというと、おしりの穴のところだとか。油汗でぐっしょりとなると言った。この頃ではファッションタトゥーが流行っていて、若い男女が好き好きに入れるがあとになって消したいと思ってもかんたんではない。火傷のように残るから気をつけてほしいと思っている。思春期の子を持つ親の方は特に気をつけてほしいものだ。「ジョー・ベル 心の旅」という映画がよかった。そして悲しかった。実話である。高校生の男の子を持つ親子がアメリカのオレゴン州にいた。弟が一人いる。二人とも美男子であった。ある日、兄が父と母に僕はゲイなんだと告白する。父と母は言葉を失う。さらに学校で酷いいじめにあっていると告げる。学校の対応は日本も米国も同じで教師たちは責任逃がれをする。そして愛する息子は自殺してしまう。父と母と弟は悲しみに沈む。やがて父ジョー・ベルは徒歩でニューヨークを目指す。町を訪ねながらゲイへの差別とイジメをみんなでなくそうと訴えて歩きつづける。その行為はネット上で評判となり行く先々でジョー・ベルは人を集める。小さな荷物を引きずりながら歩く。寄付してくれる人も多くなりジョー・ベルの話に多くの人々が聞きいる。人間はストレートばかりじゃないんだと。だがジョー・ベルに待っていたのは悲惨な最後だった。広大な荒野の中、長い一本道を歩いている時、トラックにはねられて死んでしまう。映画のラストに実際のジョー・ベルの写真が出る。親子四人幸せそうな写真に胸を打たれた。思春期の子を持つ親の人々にぜひ見てほしい。ゲイで悩む高校生はどんづまりだったのだ。人口1500人、インドネシア・ラマレラ村、インフラもなく作物も育たない。ここに住む人々の命の支えは鯨漁だ。年間10頭のマッコウクジラを獲れば、村人全員が生きていけるのだ。石川梵監督は2017~2019年の3年間かけてこの村を撮り、鯨漁を追った。漁法は原始的である。銛(もり)を持った男がマッコウクジラめがけて飛び込み体当たりで銛を刺す。村民にとって鯨は神さまであるが、生きる源でもある。村民総出で引き上げられた鯨をそれぞれに分配する。石川梵さんは30年かけて村人たちと信頼関係を生んだ。分配する部位は400年の歴史を守って行なわれる。すばらしい映画の題名は「くじらびと」。魚類の中で死んでゆくとき眼を閉じるのは鯨だけだと教えられた。ガキの頃給食で小さな鯨の立田揚げが出ると大よろこびだった。今でも好きだがこの映画を見てしばらくは鯨のベーコン、立田揚げ、缶詰は控えようと思っている。文明は進化しているが、人間は退化しているのだ。戦争で大儲けする不純な金持ちという鯨に、銛を持って体当たりして仕止め、解体しなければならない。ロシアという名のクジラも同じだ。ウクライナの製鉄所の地下で、どんづまり状態にある人々を救うことはできないのだろうか。3本の映画を見終わって朝となった。(文中敬称略)



2022年4月16日土曜日

つれづれ雑草「不覚にも」

 ホーホケキョ、ホーケキョと大きな鳴き声がした。だがやけに大きく、やけに数多い。外に出ると公園で、近所の子どもがおもちゃの笛を吹いていた。それでもなんだか良い気分になった。奥多摩の山の中を歩いてパンパンになっていた足腰だが、スポーツの感動でそれを忘れた。交通事故で片足切断か、あるいは再起不能かと言われていた、アメリカのプロゴルフのスーパースター、タイガー・ウッズがオーガスタのティーグランドに立った。少し足を引きずりながら現われると、大喚声が空をも割らんばかりに突き上がった。ヒーローを待っていたのだ。私は不覚にも涙を流した。で、4日間深夜から朝まで見つづけた。タイガー・ウッズは見事予選を通過して4日間プレイをした。ボクシングはやっぱりキング・オブ・スポーツだ。私が最も尊敬する世界ミドル級チャンピオン(元WBC世界ミドル級王者、現IBF・IBO世界ミドル級王者)カザフスタンのGGGことゲンナジー・ゴロフキンとWBA世界ミドル級チャンピオン、日本の村田諒太選手がさいたまスーパーアリーナで、統一世界チャンピオンの座をかけて激突した。前日計量で両選手リミットピッタリの72.5kでパスした。ボクサーは体重との闘いでもある。きっと両選手とも80k位から72.5kに落とすために、想像を絶する練習をこなし、水分を摂らずひたすら、減量したはずだ。最後には一グラムも落ちなくなる。40歳になったゴロフキンだがやはり強かった。日本中のスポーツファンがこのビックマッチに熱狂した。村田諒太選手も強かった。他の選手なら殺されていたかも知れない。9R強烈なパンチを受けた村田諒太選手がリングにガクッとひざをついた。ここが限界と見たセコンドが、白いタオルを持ってリングに上った。TKO負けだ。ゴロフキン選手の大ファンであったが、村田選手のファンでもあった。リングに上がる時、そして敗者となった時、村田諒太選手がグローブで十字をきった。クリスチャンになったのだろうかと思った。変形した顔だが長いインタビューにしっかりと応え、無事リングを下りれることを神様に感謝したいと言った時、不覚にも涙を流した。ボクシングの世界では左は世界を制すという格言がある。右利きのボクサーの場合の左ジャブ、左ストレートの大事さをいう。ゴロフキンはその左がすばらしかった。昨日夜九時過ぎ甲子園球場は、阪神タイガースが日本一になったような大興奮の渦となった。応援歌六甲おろしが高らかに響いた。マスクをした大観衆は泣きながら相手をした拍手をした。やっと阪神が2勝目を巨人を破って勝ち取ったのだ。4対1であった。私はBSで途中から見ていたのだが、逆転ホームランを打った佐藤輝明選手が、試合後のヒーローインタビューで、最高です! と言った時、不覚にも涙を流してしまった。阪神タイガース2勝15敗1分。あきらめるなこれからだ。20歳の若者が劇画のようなことをした。完全試合達成だ。な、なんと27人の打者から19奪三振。13人連続三振、プロ初完封が完全試合であった。最速164kの直球と150kに近いフォークボールが落ちる。その豪球を一球も落球することなくナイスキャッチングしたのが、高卒のプロ一年目18歳の捕手だった。これは実にすごいことであった投手の名は佐々木朗希選手、3・11の津波で親や叔父さんを失った。108球目がミットに入った時、不覚にも涙を流してしまった。捕手の名は松川虎生選手。神様なんかいるはずはないと思っていたが、スポーツの神様はいるのではと思った。金曜日ひっそりとした仕事場で、敬愛する某大学の教授から送っていただいた、青い表紙の聖書を読んだ。これをすべて読むためには数年はかかるなと思った。死刑囚の多くは聖書を読み終えるという。永山則夫という十代の死刑囚は、貧困で学校に行けず文字の読み書きもできなかったが、長い刑期の中で読書を重ね、ベストセラーになった本を書いた。無知の涙だったと思う。刑は執行されたが著作は生きつづけている。聖書を読んだかどうかは分からない。愚妻がホッケがあったから買ってきたわと言った。いいねホッケと食べたのだが、北海道で食べるホッケとは味が違った。札幌に佐藤水産という有名な海産問屋さんがあるが、ロシア産のものが最高に旨い。きっと輸入ができず難儀しているはずだ。一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄だというが、ロシアの独裁者はどんな末路となるのだろうか。神様はどんなシナリオを用意しているのだろうか。教師や警察官の破廉恥な所業が続出する。盗撮やロリコン、下着ドロボーに性行為。さらに覚醒剤などおぞましい。交番の中で警察官の男女がSEXをしまくっていたなんて、お巡りさんにいいつけるぞだ。園子温という映画監督が女優さんにやってはイケナイことをやっていた。シオンという名は聖書の中にあった気がする。洗礼を受けているのかも知れない。デビュー時は天才的なものを感じたが、映画を愛する者としては許されざる者だ。スポーツに感動した一週間であったが、全体的にはスカッとしない。本物のホーホケキョが待ち遠しい。(文中敬称略)




2022年4月10日日曜日

つれづれ雑草「乾いた街」

ちょっと気を抜くと机の上の植物は、へなへなとうなだれる。ごめん、ごめんと水をあげると、へなっていた植物の葉はむくむくと生きかえり、老年が青年になったようになる。長引くコロナ禍の中で私たちの生活はへなへなになってしまった。その上、水がない。水をくれる国のシステムがない。給付金というなみだ金があるが、これらはいままでしこたま税金を払っているので貰ってあたりまえである。過日市役所の納税係の女性から電話があった。固定資産税46800円が納められてませんから納めてください、書類を送ってあるはずですが、うん届いていたよ、支払わないと差し押さえするというのも届いたよ、だからぜひ差し押えに来てよ、何を差し押さえると46800円になるのか見てみたいからと言ったよ、でも来なかった。ぜひ来てちょうだい待ってますからと言った。それになんで午後8時なんて時間に電話するのと言った。その時間が納税者の方がいちばんいらっしゃるのでと言った。とにかく来てよ待ってますからと言って電話を切った。数日後封書が届きそこにでっかい文字で差し押え通知書と書いてあるものが届いた。嫌な茶色の封筒だった。私はああ又かと封を開けずに置いておいた。一度ぜひ差し押えを見てみたかった。きっとテーブル50円とか、椅子10円とか値をつけ赤紙を貼るだろうと期待した。が役所は来なかった。2週間後位に又嫌な茶色の封筒が届いた。そこには、ぶっとい文字で、差し押え済通知とか書いてあった。封を切ってみると私の少ない銀行預金を差し押えたと書いてあった。通知先に電話をすると、私に関する預金関係を全部調べて実行しましたと言った。差し押えにぜひ来てくださいと言ったじゃないのと言った。人のものを全部調べるなんて許されるの、もっとも財産なんて何にもないからいいけどねと言った。すると中年の男に電話が変わって、あ~もしもしこの度は〇╳〇╳〇╳〇╳という法律により、預金を差し押えました。だったら最初からそう言いなよ、差し押えに来るというから、ぜひ来てとお願いしたのに、封書の無駄づかいだよ。で、愚妻に後日銀行に行ってとたのんで通帳を見たら、差押と残り少ない数字のところに印字されていた。バカヤローと思った。差し押えに来たらお茶菓子でも出そうと思っていたのに。銀座の街を歩くと、水を失った花のように生気がない。銀座百店という有名なタウン誌があるが、そこに載っているはずの店が、コロナの影響でいくつか閉めていた。水を失った植物でも、植物の生命力はしたたかに強い。地球が滅びても植物は生き残るといわれている。銀座の水は何んであったかと考えると、中国人客であった。コロナ前銀座は中国人客で洪水のようであった。その水のおかげで異常繁殖した植物群のように、銀座の街は満開の花となり、こんな狭い所にホテルかよと思う小さなホテルも建てられていた。がそれらのホテルもなくなっている。銀座は乾いた街になってしまった。へなへなにへたっている大好きな銀座の姿と、そのウインドウに映っている自分の姿がやけにダブって見えた。長生きしすぎたのは予定外であった。水をくれ、水をくれとジャングルの中で声をしぼり出す、旧日本兵の姿が見えた。(昨夜「野火」という旧日本兵の映画を見た)夜の銀座にはすっかりごぶさたしている。夜の蝶たちの水といえばお客さんだ。今ではスマホやケータイを二つも三つも持って、きっと来てね、絶対ね、と和服姿で声を発しているママさんやホステスさんの姿がなつかしい。赤い灯、青い灯がなつかしい。差し押えますよと言った市役所の女性の声がなつかしい。今度はきっと家に来て赤紙をペタペタ貼ってほしい。46800円になるほどのモノはないはずだから。ちなみに日本国の国民のタンス預金は1000兆円だとか。桜は見る間もなく散っている。 春をながめる余裕もなく 夏をのりきる力もなく……泉谷しげるの名曲春夏秋冬を歌っている。春の海は強い風を楽しむように大きく波立っている。むかし古川ロッパという名コメディアンがいたが、コロナ禍も六波となり、七波に向っている。(文中敬称略)



2022年4月2日土曜日

つれづれ雑草「賛成と反対」

「暴力は最後の理性である」こう言った賢人は誰だったか忘れてしまった。否いなかったか、インテリヤクザの親分だったかも知れない。過日アメリカのアカデミー賞授賞式で、主演男優賞を見事受賞した、ウィル・スミスが自分の妻の脱毛症に対する侮辱だとして、司会者のコメディアンを平手打ちした。映画..ジェーンに引っかけてジョークを飛ばした。脱毛したウィル・スミスの妻のヘアースタイルをGIカット(軍人のヘアー)みたいだねと言ったのだ。私は思う、私だったらきっと頭突き一発、パンチ数発、蹴り二発位は入れただろう。そして受賞を返上して、一年程留置所入りだ。決して許されないのが暴力行為だが、一家一族、一門の人間、まして親や兄弟姉妹、女房子どもが大衆の面前で笑いの種にされたら、へらへらしている場合ではない。世が世でもし武士社会の日本であったら、果し合いを申し込んで恥を晴らすか、その場で斬り殺して、腹を切っただろう。もしそうしなかったら、恥辱を晴らさない弱腰として、閉門蟄居の上一族断絶とされただろう。私は思う。いつからかこの国は、何もかもがヘラヘラ社会となってしまった。例えば自分の上司が、部下が取引き先から、バカだアホだと言われても、泣く子とスポンサーにはかなわないと、ヘラヘラ笑って帰る。例えば自分の子がコケにされ、親の顔が見たい、お里がしれるなんて言われて帰って来ても、仕方ない我慢だ、あの家の方が学歴が高く、一流会社の役員だ、ウチは安月給のペーペーだからなと。私は武士道を札讃しているのではない。友人、知人、先輩、後輩、あるいは自分の会社の社員が、いかにスポンサー、クライアントだろうと、そこまで言われることはないという場合は、怒りを表現して恥をかかせたことへの対価を払わせねばならないと思い、ずっとそうして来た。怒らない人間にはヘラヘラ歯を出して笑ってんじゃないと怒った。私の後輩の女性に自慢の男がいた。長身で美男、空手をやっていた。一緒に歩いていれば人もうらやむ二人だった。が、ある夜、会社の飲み会があり、二次会へと向かった。夜の新宿である。美男美女のカップルに、不良たちが声をかけ、女性の手を一人の男が引っぱった。会社の仲間も七人いた。引っぱられた女性は自慢の彼氏の名を呼んだ。だがその彼氏がとった行動は、仲間にヤバイよ、警察を呼ぼうよであった。ズルズル逃げ腰だった。やめろよと言って、不良の手から女性を守ったのは、飲み会の中みんなから、いちばんモテない男と言われていた小柄な男だった。不良たちはその男の殺気に気負されて、その場から去った。結婚間近といわれていた。美男と美女は、一緒にならなかった。女性の方から弱虫の男はサイテーとなったのだ。空手は使ってはいけないんだと言い訳をしたそうだが、お坊ちゃんの黒帯だったのだ。空手を使わなくても、体を張って守る気力を女性は感じたかったのだ。その姿勢を見せた、小柄な男の株はグンと上がったのはいうまでもない、カッコいい人になったのだ。この話と同じような事はいくらでもある。ウィル・スミスをアカデミー協会は脱会させるとか言っているらしい。本人は暴力はいけなかったと謝罪している。ハリウッドに暴力はいらない! なんて会員たちは言っているが、ハリウッド映画の殆どは暴力肯定の映画だ。この矛盾に対して論議しなければならない。ジョークを飛ばしたコメディアンのセンスに対してもだ。大衆の面前で、オイハゲ、イエ~イ、次もいいハゲの役待ってるぜ、ユーのワイフに円型のハゲがある、これ以上悩ますなよ。イエ~イ。なんて言われたら、ヘラヘラ笑ってられないはずだ。日本のサラリーマンよもっと理不尽に対して怒れよと言いたい。朝、昼、夕方までは、何を言われてもナメクジみたいにちぢまっている人間に限って、夜、酒が入る程に元気一杯となる。俺はよ、やるときはやる、言う時は言うぜ、知ってんだろ、ウィッ、ヒクッとしながら、あいつなんて目じゃないよ、俺はよォ、ウィッ、ヒクッとでかい声を出す。そしてカラオケに行くと、もう絶好調だ。次の日の朝、あいつと言っていた上司に、又酒臭いな、キミは本当に使えないね。なんて言われて青菜に塩みたいになって夜を待つのだ。アナタ、昨夜どこで寝たの、帰って来ないなら電話してよ、まさか公園のベンチかなんかじゃないでしょうね。ち、ち、違うよ、◯╳君が深酒しちゃって、仕方ないからカプセルホテルに泊ったんだよ。なんて電話で人のせいにするのだ。私は、ウィル・スミスの平手打ちに大賛成、謝罪には大反対。女房をオチョクラれて黙っていられるか。アバヨアカデミーが正解だな。3031日奥多摩に取材に行って来た。花粉症は最高潮で、鼻はグズグズ、目はショボショボ、クシャミを連発しながらも、いろんな人と会って来た。長い長い石段の上の神社に行った。ヤマトタケルノミコトは、この御嶽の山の中で狼に命をたすけられたという伝説がある。男は女性を守る狼でなくてはならない。(文中敬称略)