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2010年1月8日金曜日

人間市場 車内市篇

57歳だという。
少し小太りの運転手さんだった。深夜、東京から家まで速ければ一時間程である。
私は車内の小さなライトを点け夕刊紙と本を読んでいた。

「お客さん、目が回らないですか?」
「別に、どうして」
「たいがいの人は暗い中で小さな文字を読んでると、気持ち悪くなるっていいます」
「あ、そう、こうやって車の中で読むのは昔からの習慣でね、また楽しみなんだよ」
「運転手さん、もしかして青森の人」
「判ります。いや、つい先日青森にあるお城に行ったんですよ」
「あ、弘前城」
「そう、その時立ち寄った弘前城の側のおそば屋さんの女将さんと同じ訛りだったので」
「あのそば屋はちょっと高いでしょ」
「まぁ場所がいいし、中々風情があったよ。弘前城は綺麗だね。お城も綺麗だけど手入れが抜群だね。日本一じゃないかな。どの城も行ってみると観光客のゴミだらけだもんね。弘前城はゴミひとつ落ちてない感じだったなぁ」
「みんな一生懸命城を守っているからね。ねぷたと同じ、青森の二つの命だね」
「そうかもしれないね。春、桜の季節にもう一度行って絵葉書のような風景を見てみたいよ」
「春は綺麗だよ」
「そうだろうね。運転手さん何で東京に出てきたの?青森の方がいいじゃない。東京はよくないよ、何もかも、今読んでいる記事にも信じられない事件が沢山載っているよ」

「お客さんお歳は」
「幾つに見える」
「同じ位ですかね」
「まあそんなところだよ」
「体の隅から隅まで、心の端から端まですっかり汚れちまったよ。何のお仕事です?こんな深夜に遠くまで。有り難いことですが」
「まあ、ヤクザな仕事ですよ」
車は戸塚を過ぎ、家まで後二十分程である。渋滞もなくスムーズだった。

「女房がね、二年前に癌で死にましてね。七年前に乳癌の手術をして成功したと思っていたんですが、移転してましてね、肺やリンパや他のところにも、もうあっという間でしたよ。癌って奴は恐いですね、骨と皮になってね。小さなリンゴ園をやっていたんですが、何年か前のリンゴ台風ってやつですっかり狂っちまいました。リンゴ園は手放すわ、女房は癌になるわ、一人娘はグレちまうわ、散々でした。何か痩せて元気ないんで、病院行けと言ってたんですがね、無理して我慢していたんでしょう、可哀相な事をしました」
車はもう十分ほどのところまで来た。車内灯を消した。

「グレた娘が東京へ出たきり、生きてんだか死んでんだか判んないですよ。それで探しに東京へ出て来て、タクシーだと色んな所を探せるかと思ってね。田舎者がどうやって食って生きてんのか。お客さん健康第一、体だけは気をつけてくださいよ。癌は本当に恐いからね。今日はこんなに遠くまでの良いお客さんに当たって良かったよ。ありがとうございます車代と高速代の領収書です」
「あ、運転手さん、これ沖縄の焼酎友達から貰ったんだけどプレゼントするよ、娘さんきっと見つかるから、連絡だけは取れるようにしておいた方がいいよ。親子の情は切っても切れないから。お酒だから、めっからない様にしなよ」

運転手さんは車から降りて深く頭を下げてくれました。言葉は凄く訛っていたけど動きは訛ってませんでした。
午前四時半、空が少し明るくなってきていました。
ちょうど新聞屋さんが朝刊を持ってきました。それを受け取りました。
静かな住宅地にエンジンの音とヤクザなご主人の帰りを喜ぶ愛犬が家の中で猛烈に吠えています。
こんな稼業、いつまで続けているのだろうか、そう思いながら家の錠を開けました。
この稼業は心技体が一つに、そして強固に繋がらないと下手を打ってしまいます。
お客さんに迷惑をかけてしまいます。

そろそろだな、自切りをかけるのも。キチッと自切ってビシッとケジメをつけなければな。
来たばかりの朝刊を見ながら、少し強めの酒を二杯あおりました。

2 件のコメント:

sakon さんのコメント...

運転手さんのお嬢さん、早く見つかると良いですね。何かドラマを見ているようですね。東本さん、自切はまだまだ勿体無いです!

Unknown さんのコメント...

東本さん、いい話だね。こういうのを映画にしないとこが東本さんだけど(笑)