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2010年2月22日月曜日

人間市場 冤罪市


一人の元死刑囚が誰もいない店でカラオケを唄っている。
免田栄氏、曲は「東京の灯よいつまでも」。免田栄氏は今、国家と法律と戦っている。一人の元裁判官と共に。

元プロボクサー袴田巌事件、味噌商四人強盗殺人放火事件といわれている、静岡裁判所元裁判官当時29歳。今はその事件から40年の月日が経ち弁護士である。
二対一、49通りの自白調書の内、採用はただ一つ。若き裁判官は連日拷問に近い取り調べ19時間ぶっ通しでの調べもあった。取り調べ調書に賛成出来なかった。物的証拠なし、味噌樽の中から何故二年半後血の付いた服が出たが、それもまるで小さな服(検察は縮んだからと言った)調べてあったはずなのに。若き裁判官に対し二人の裁判官は、君仕方ないんだよと言ったという。

判決は全員一致が原則だ。若き裁判官はそれでも貴方たちは裁判官ですかと言ったといいう。
自分に人は裁けない、その時裁判官を辞めようと思ったという。袴田死刑囚は37歳で死刑を宣告され40年拘置されている。今、支援者が集まり再審の請求をしている。若き裁判官は69歳となり現在「袴田は無罪」の運動に参加している。後楽園ホールにボクシングの試合を見に行くと、袴田巌さんの再審にご協力をのポスターが貼ってある。ファイティング原田を中心に全国のボクサー達はリング外で法律と戦っている。

免田栄氏は自分が死刑囚でいる間に80人が処刑されたという。免田栄氏はその80人の名簿を今も保存して持っている。
その中に何人も「おかしい」という文字が書いてある。死刑囚が法廷で無罪を主張し続けた人々である。


大阪で甲山事件というのがあった。知的障害を持つ児童が行方不明となり甲山学園の中にある貯水タンクで二人死体となって見つかった。一人の教師が逮捕された。本人は無実を主張、一度は証拠不十分で釈放された。しかし二年後再逮捕された。
新しい証拠が見つかったからと、それは一人の生徒の証言であった。知的障害者の証言は正確無比であった。検事が作ったシナリオ通り受け答えていたと思われる。弁護士の反対尋問に対して少年はこう答えた。君は検事さんの言う通り話したり訂正したりしたの、少年は、うんと答えた。あなたが昨日会った人の服装を正確に憶えてますか、一瞬通り過ぎただけの車の中の人の顔を憶えていますか。昨日三食何を食べたかその前の日は、正確に覚えていますか。

検察の調べが全て正しければこの世に冤罪は無い事になるのです。日本では一度起訴されると99.9%有罪となるのです。
明日貴方も死刑囚にされるかもしれないのです。先進国で警察や検察での取り調べが可視化されていないのは日本だけです。裁判員制度が施行され貴方が選ばれたとしたら貴方は正しく判断できる自信がありますか。又、裁判員になった後、絶対法を犯さない自信がありますか。私は絶対お断りです。

甲山事件も又、冤罪だったのです。もしかしてカレー事件だって冤罪かもしれないのです。何しろ物的証拠はゼロなのですから。人が人を裁く程難しい事はないのです。刑事訴訟法の原則は推定無罪なのです。

古くは松川事件、三鷹事件、財田川事件等、自白だけを強要して物的証拠の無かった事件、死刑囚を生んだものはみんな冤罪を認められ無罪となったのです。
貴方は人を殺してもいないのに殺した事にされて死刑囚となり、毎日朝八時半から九時の間、死刑執行の恐怖の時間を感じる。四十年間これに耐えられますか。

袴田巌死刑囚は気が狂って来た様だと面会に行った姉が言いました、当たり前だよと。免田栄氏は生ある限り冤罪を晴らす旅を続ける。彼は年金を一銭も貰えない。何故ならずーっと拘置生活、死刑囚であり年金を払う事が出来なかったからなのだ。何人もの首を吊った福岡刑務所の処刑場の後は、移転した後刑務官達が作ったという菩薩様があり雨に風に涙に打たれている。

話の種とか野次馬的に裁判員制度を考えていると大変な事になりますよ。貴方自身も家族も一族も全て徹底的に調べられているのです。

1 件のコメント:

sakon さんのコメント...

恐ろしいことです。本当に闇を感じます。映画で冤罪を題材にした、それでも僕はやってないは、衝撃的でした。。怖