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2011年9月9日金曜日

「芥川賞、直木賞終了宣言を」

文藝春秋をつくった菊池寛が、あくまでも想像だがこんな調子で喋って芥川賞と直木賞は生まれた様だ。

文藝春秋を売るために何か話題を作らないとならん、だからにして平賀源内が夏に鰻を売るために丑の日を作って団扇でパタパタいい香りをさせ人を集め、売った、あんな考えでだ。


純文学と大衆文学。未だ世に未発表のものと既に出ているもの、その中から未発表はいかにも純文学っぽい芥川龍之介にちなんで芥川賞。芥川は菊池と同じ年のはずだ。もう一方はやたらめったら書きまくる才を見込んで直木三十五賞だ。

それを選りすぐった選考委員に料亭かなんかでああだこうだ言わせて、それ自体をニュースに仕立て上げ受賞作や候補に上がった作品を文藝春秋に掲載し、そして書店で大々的に宣伝する訳だ。何しろ賞金は千円で家が一軒建つという時代の五百円だからな。勿論我が社だけが受賞ばかりするとアレコレいわれるので少しは他の出版社にもおこぼれとかお裾分けをするという寸法だ。

どうだいいいアイデアだろうなんて感じで生まれたのが芥川賞と直木賞らしい。

ちなみに第1回受賞作は、石川達三の「蒼泯」であった。堀辰雄という作家がある時こんな事を書いたらしい、あるいはいったらしい。芥川龍之介が自殺した時、芥川君は遂に自分の傑作を一作も書けなかったな。全ての作品に下敷き古史がある。という内容だったと記憶している。多分それは中国文学だと思う。

それ故中島敦と比べられるとそりゃ君、中島君と芥川君とじゃまるで差があり過ぎだよなんて批評家たちに言われたのかもしれない。「なんとなくぼんやりとした不安」みたいな遺言めいた言葉を遺して自殺した。ただ私が芥川龍之介が好きなのは小説家としてよりも行動するジャーナリストとして行動力を発揮し数多く取材し、社会に対する鋭い批判を続けていた事だ。


戦争が始まった時、詩人佐藤春夫は本当に嬉しかったのか実は本音を隠して芝居がかった事をしたのかその日は大好物の鰻を二度も食べたという。又、江藤淳の先輩でやがて大評論家となっていく小林秀雄も大いにやるべし的だったらしい。そもそも怪しいんだ人の作品ばかり批評する奴は、佐藤春夫なんて谷崎潤一郎の妻をこっそり手に入れ谷崎もまた同じような事をし、互いに今後は手を出さないと念書を交わしたというではないかその頃の文壇は毎晩合コンラッシュ。

誰と誰がどうなったかその先は本人達すらわからない程活気に満ちていたらしい。宇野千代なんて100歳近くになるまで尾崎士郎、北原武夫、東郷青児、ひょっとして梶井基次郎もしかして川端康成もなんて、今は出家したかつての文壇エロばあさんといわれた瀬戸内寂聴状態だったらしい。本人もそれを認め本に書いている。


「ひと目あったその日から恋の花咲く事もある、見知らぬあなたと見知らぬあなたがパンチでデート」なんて大人気番組と同じ、会ったその日、バチバチと来たらあるいはベロベロに酔ったらその横にという事だ。古今東西恋愛全てひと目あったその日から始まった。だからあの頃の文学は読んで読み応えがあった。文壇も燦然と存在していた。今は昔日の面影は全くない。


遠藤周作は原稿料が振込になったせいだと書いていた。むかしは今日は原稿料が入るシメシメとばかり判子を持ち出版社に行く。先生どうぞと封筒を受け取ると現ナマに手を出さずにはいられなくなり、一軒、二軒、又一軒とハシゴをし、恋をし、愛を重ねて文学を磨いたのだ。芥川の選考委員達の選評が文藝春秋に載っていた。この人には随分といい本(特に海外の短編)を教えて貰った、池澤夏樹先生が今回限りでもう辞めるというらしい。石原慎太郎先生の選評にいたってはもうどうしようも駄作ばかりと暗然とする気持ちだ、なんて書いている。


ようするにもう辞めた方がいいよという事なんだ。芥川か直木だが忘れたがあの林真理子(雑文家)や伊集院静(怪文家)や北方謙三(資料家)みたいなのが選考委員に入っている。もう完全にジ・エンド終わりです。


築地の料亭新喜楽で一階は芥川賞、二階は直木賞を選考する慣わしらしいが、冷めた出前(今や板前がいない)のギョーザや春巻きやシュウマイや焼きそば等が出るのだろうか。私が知人にご招待された時は全て冷めた中華だった。

選考委員会の予算は一人五万円と聞いたから当日はどこぞの有名店の懐石か何かだろうか。が正しくは分からない。


先日茅ヶ崎駅前の長谷川書店に行くと直木賞の「下町ロケット」というのが書店に平積みされていた。

馴染みの女性店員に売れてる?と聞いたらぜーんぜんだって。読んだの?って聞いたら腰巻きだけだって。

今年買った本は二冊のみ、一本はスケベ医者作家の「天上紅蓮」(コレは文学ではなく資料として、あるいは後白河法皇の精力絶倫のコツを知りたくて)と松浦寿輝の「不可能」これは絶品というか目の付け所がシャープでしょというか実に言葉の宝船、詩的星座、イメージの奔流であった。又映像や美術、建築、ファッション等のアイデアの発見書であった。


読む程に文字の仕業が妖しく迫ってくる。1890円の価値大なりだ。一人の美しい若き天才建築家に送るために二冊買ったのだ。何故なら三島由紀夫を愛読しているのを知っていたからだ。三島を読んでないと興味が沸かないかもしれない。

もし三島由紀夫が死なずに首のない平岡という年老いた無頭人としてひっそりと生きていたら。面白そうでしょう。

大磯の敬愛する読書人には電話した、この御仁なら三十分できっと読み切るでしょう。感想は浅草でどじょうを食べながらという計画となった。



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