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2019年2月28日木曜日

「憧れだった人」

2月13日から27日夜まで、久々に物づくりに徹した。企画制作を一緒にしている人以外の業界人(いわゆる同業者)には会うことをしなかった、というよりできなかった。偉い人、凄い人、学究の人、文学の人、職人の人、スポーツの人、まい日違う人と会っていろんな話をして、たくさん勉強させてもらった。そんな中でずっと、ずっとむかしガキだった頃に憧れていた人を探した(?)当時私は17歳位、35・6歳のその人は荻窪駅近くの八百屋さんの2階に住んでいた。名は出せないがある組の幹部(若い者頭)だった。丸々と太った九州男児だった。若い衆を何に徹しているかを見分けて、それぞれを命じた。オマエはベシャリがマブイから(話がうまく商売に向いている)ゼニコロ(金貸し)をやれ。オマエは手先がマブイから中盆を目指せ、マブイとは“上手い”で、中盆とはバクチ場の中心になる“胴師”。オマエは根性ネエからコマシをやれ、コマシとはスケコマシ(女性を引っ掛けて金にする)オマエはガンヅケ(人相が悪い)が悪いから切り取りをやれ、切り取りとは、飲み代をずっと払わず、ホステスさんにバンス(借金)を背負わせている、その男のところに行って、金を集金する。オマエは氷、オマエはオシボリ、オマエはオツマミ、オマエは花、オマエは、どう見ても何も使えねえから、堅気かパチプロにでもなれ、オマエはバイ(物を売る)をやれと、一人ひとりに指示を出す。その筋の人間にとって、ベシャリがマブイから金貸しになれというのが、いちばんの屈辱であった。 男は口先でなく体で勝負するからだ。30人くらいの組であったが金筋だった。その人はクラシック音楽が好きで、8畳くらいのところにジュータンを敷いただけだった。猫が一匹、畳んだ布団が置いてあり、飲み食いは丸いお盆の上。部屋の中は LPレコードでいっぱいだった。いつも白い手袋をしていて、レコードをかけていた。酒は飲まず牛乳を飲んでいた。背中には肩から腰まで、「南無妙法蓮華経」と黒々とした刺青が彫ってあった。クラシックと猫と牛乳、妙な組み合わせだった。ちょっとモメ事があった時から、時々遊びに行った。 ボーヤ、男はなあアレコレ持つんじゃねえぞ、命は親分を守るためにあるんだ。ゼニを貯め込んだり、バシタ(女房)を持ったり、イロイロ物を持つと、いざと言う時にジャマになるんだ、事実ある日の深夜、西荻窪で親分が襲われた時、真っ先に駆けつけた幹部がこの人だった。間に合わず下手を打った四人の幹部は、指を詰めた。指はキャベジンとかビオフェルミンの瓶の中で、アルコール漬けとなった。さて、何故久々にこの憧れの人と会ったかと言えば、 昨日深夜この時の事を短編の映画にしたいと思いシナリオを書いていた。もしかして友達と一緒に、ボクシングの試合を見に後楽園ホールに行った時の写真があったはずだと、ガサゴソ探した。オッあった、やったであったが、何故か写っている人間の顔(自分も)にマジックが塗ってあった。過去との決別をした時に塗ったのかもしれない。その人はある事件の責任を全部背負い込み、府中刑務所に入り、転々と移監されたのち九州に帰ったと、10数年経った頃、風の便りに聞いた。ゼニに忙しい奴は信用するな、必ずガミを食う(痛い目にあう)からな、バクチ打ちは 、バクチだけしていればいいんだ、お日様がある間は堅気の人の時間。明るい内は外を歩かないのがオレたちの稼業だ。ボーヤもうケンカはやめなよと、ホントのケンカは怖いぞと、よく言っていた。あ〜、隠語ばかりの映画にしたいな〜と思っているのだが。明日から又、人、人、人と会う。

「重病的国家」

結婚したけど出戻った。大きな声でわめきあっていました。不倫してたみたい。いつも派手な服を着てました。一日中子どもさんが泣いていました。奥さんの顔がよく傷ついてました。浮気してたんです。なんだか怖そうで刺青もしてました。時々お子さんが助けてと言って逃げてきました。 奥さん、アル中なんです。学校にはほとんど行っていませんでした。お子さんが最近みるみる痩せてしまって心配でした。女性の出入りが多かった。(逆に男も)大きなクルマで何をしているかと思っていました。資産相続問題でモメてたみたいでした。大した土地じゃないのに。早く死ねよと年老いたお父さんやお母さんをよくイジメてました。店屋もんばかりとってました。お子さんが引きこもりで、 もう何年も家から出てきません。どこに行くにも、よくタクシーを使っていました。宅急便の届くのが多くていつも噂していた。一体何をしている人かと。これらは何か事件が起きた時、ご近所さんや隣人達がよくレポーターのインタビューに答えていること。人間は人間をよく観察している。でも厄介のことや面倒に巻き込まれたくないから、関わり合いをしない。言葉も交わさない。人間には「内心」というものがある。この内心を事件が起きると、待ってましたと、喋りまくる人間が必ずいる。実はこの日が来るのを知ってたんだとばかりに。幼い子はみんなで守ってあげねばならない。声をかけ、励まし、助け合ってきたのが日本人だ。今、この日本人が毎日のように身内殺しをしている。もうマヒしてしまったのか、みんなテレビを見ながらビールを飲み、食事をしている。ウチには関係ねえやと。気分がダークになってきたので、「監獄のドン」というオドロオドロシイ韓国映画を見た。ドンと呼ばれている一人の男は、刑務所の中から政治家や役人、刑務所の所長以下全員を牛耳っている。クルマに乗って街に遊びに行ったりもする。世界中にギャングやマフィアがいるが、共通しているのは、悪党のくせに神を信じている。聖書の言葉をコミュニケーションに使う。彼等悪党にとってもっとも許せないのが、組織への裏切り、仲間への裏切りである。「監獄のドン」は敵対者、裏切り者に対して、まるでスプーンでメロンやスイカを食べるように、目玉をえぐりとる。「目には目を」だと言って笑う。歯を一本一本抜く。「歯には歯を」だと言って笑う。この映画にインスパイアされて、ある人への手紙の中に、このことを書いたが、今思えば少しグロテスクすぎたと反省している。が、ギャングやマフィア、暴力団などはもっとエグいリンチをする。ものものしい中でトランプ大統領と金正恩委員長がハノイで首脳会談をする。相方バズーカ砲で撃たれても大丈夫な特殊仕様のリムジンに乗って移動する。「核には核を」でディールする。資源をよこせ、資金をよこせと。「監獄のドン」は生きることへの執着心で凝りかたまっている。人は殺しても自分は生きたい。人間はどこまでも凶暴だ。100万人を殺せば英雄と言われる。だが一人殺せば殺人犯だ。質屋のゴーツクババアを殺した男は大学始まって以来の「犯罪学」の秀才だ。スッテンテンの貧乏だが、貧しい娘のためになけなしの金を与えてあげる。“罪と罰”のテーマは永遠に私たちに問いかける。人間は凶暴で、人間はやさしい。「監獄のドン」の最後どうなったかは映画を見てください。人を裏切っている人や、目玉が心配な人にはオススメしません。

2019年2月25日月曜日

「人間の値打ち・どん底」

「どん底(原作・M・ゴーリキー)」を土曜深夜見た。日本では黒澤明監督が三船敏郎主演で制作した。私の大好きなジャン・ギャバン、そして後姿で演技すると言われた名優ルイ・ジューベが共演した。 どん底の生活をしている貧民街の人間たち、ジャン・ギャバンはコソ泥、ルイ・ジューベは博打で全ての財産を失った男爵(バロン)だ。どん底に暮らす人間にとって、どん底の人間の心配をする余裕などはない。死は眠るだけのことだと皆腹を括っている。50年ほど前のフランス映画だ。人は一度絶対に死ぬ。この世に絶対というものがあるとすれば「死」でしかない。財産を失った男爵はどん底に落ちても、悠然とした心は失っていない。父親もコソ泥で、刑務所の中で死んだ、きっと自分もそうなるだろうという。ぺぺルという。 ジャン・ギャバン。貧しさの極みの貧民宿には、不思議に悲愴感はない。何故ならもう失うものは命以外にない。イヤイヤの人間関係という厄介で、 面倒で、窮屈で、本当は逃げ出したいと言う物もない。私は10代の終わり、同じような貧民街で生活していた頃がある。2歳年上の女性と、元々は、敗戦後引き上げてきた人たちが集まり、集団生活をしていた。半分以上は、朝鮮の人であった。ヤクザ、占い師、手品師、プロの麻雀師、バクチ打ち、売れない絵描き、自称作家。売春婦、印鑑屋、釣具屋、肉屋、鉄道の模型屋、流れ者、逃亡者(凶状持ち)、ヒロポン中毒、雀荘、バクチ場、ヤクザの部屋(事務所)、雑貨屋、共同洗面所、共同便所、毎晩のように起きる、事件、人殺し、自殺、自然死、病死、子どもの衰弱死。売春婦の心中、学生男女の刺し違い。明日を考えている人間はいない。今日1日をどう生きるかだけを考えている。だがみんな明るい、涙もない。夢もない貧乏の達人たちにとって、そこは幸福の(?)場所であった。私は4畳くらいのところで自堕落を楽しんでいた。今振り返るとここでの生活が、今の生活を支えている。(人間を学んだ)私は今でも4畳間で寝ている。 この広さがいちばん性に合う。人間はなまじ持つものを持つと、ひどく卑しい人間になる。何故なら守りたいものがたくさんあるからだ。つまんないプライド、いつ崩壊するかわからない夫婦、兄弟、家族、友情、愛、などというものほど当てにならないものはない。見栄を張った生活、金を借りている人間は、金を貸してくれた人間を、アイツはただの金貸しで、情けない無感性の奴だと言い、借りた金で酒を飲んで笑う。そして又借りる。相手の弱点を知り尽くしている。人間は持ち慣れない物は、待たないほうがいい。その方が頭は冴える。明日を考えないから、今日生きる考えが、集中力を持って出てくる。これを浅知恵だという人もいる。私にとってどん底は楽しかった。女性は美しく、色気と肉感があり、生きる力に満ちていた。BARに勤めていた。夜11時に電話が入るのを待つ。◯×時に終わるから、今夜は◯×で◯△を食べようと、その後映画街に行きオールナイトで映画を見る。ほんのり明るくなった朝、二人でとか、仲間達と行きつけの店に行く。もう一度、どん底時代に戻りたいと、映画を見ながら思った。ある夜、パン、パン、痛え、誰だ、何だと改造銃で撃たれた時、腰に痛みを感じた、左足ふくらはぎにも命中した、改造銃は音は大きいが、空気銃で撃たれたほどでしかない。一週間もすれば治る。その後ギョーザと焼きソバを食べていたら、貧民街の先輩、後輩、仲間たちが集まってきて、中華店の2階は満杯になった。ソロソロ、私は金ばかりの話をする人との付き合いを切ろうと思っている。つまんない人より、面白い人と、すごい人と付き合いたい。私はもう一本やっぱり映画の夢を追う。どん底を味わった人間たちには、本当の人間の愛があり、心があり、助け合い、励まし合うやさしさがある。何故か、金がないからだ。久々に見た、ルイ・ジューベは最高だった。「北ホテル」という名作もある。ジャン・ギャバンの先生だ。この言葉を思い出した。人生には二つの不幸がある。一つは「金のない不幸」、もう一つは「金のある不幸」。

2019年2月22日金曜日

「マタギと現代人」

秋田県「島海山」の中で熊を追う。「島海マタギ」と呼ばれる人がいる。その中で一番熊を撃って来た60歳のマタギの家族と、マタギ仲間のドキュメンタリー「熊を崇め 熊を撃つ」を見た。(NHK Eテレ)都会人はまい日忙しいようだが、まい日同じことをしていると、急速に劣化して、野生を失う。生きて行く智恵とか感性を失っていく。冷暖房完備の中、気がつくと、まい日同じ人たちと会い、同じ話をし、同じ時間を失う。生きて行く智恵を金儲けばかりに集中し、過去の成功体験に落ちつく。周辺はあ〜またかとなる。クリエイティブはまい日、違った生活をした中からしか生まれない。「鳥海マタギ」は熊を“神様”と言う。代々、代々、代々、受け継がれて来た。“神様”を撃つことによって、山の神に感謝する。熊を食べるために熊を撃つ。かつては100数十人いた鳥海マタギは、今では10数人。かつては一年に3頭撃てば、一年間一家が食べていけた。熊の皮は高価に売れ、熊の肝は金と同じ価格で取り引きされるほど、貴重な薬となった。しかしその熊の肝は、政府によって販売をとめられた。鳥海マタギの家には、受け継がれて来た。秘伝書がある。数百年以上それは守られて来た。マタギとハンターは違うと名人は言う。31歳の息子は町で床屋さんをしながら、父からマタギの伝承を受ける。今はマタギだけでは生活はできない。農業や林業と兼業する。銃の手入れは欠かさない。鳥海マタギは熊を撃つために、賢い熊と智恵の出し合いをする。撃たれずに冬眠しようとする熊。それを追う一人のマタギ、猟犬は釣れていない。まるで「白鯨」のエイハブ船長が、モビーディックを、哲学的に追い続けるように、まるでE・ヘミングウェイの「老人と海」で巨大マグロと一人の老漁師が、人生を語り合うように。マタギは巨大熊を追う。それは山を守るための儀式、自分たちの先祖への儀式のようである。家?では一人のやさしいおじいちゃん、お父さん。年老いた母の息子は、銃を手に山に入ると、一人の獣物のような鋭い目、全身に動物性が充満する。一つの足跡、一つの木の傷、一つの木の葉に巨大熊があらん限りの知恵を出し、マタギから逃げているのを知る。そして少しずつ、追い詰め銃声と共に仕留める。無線で仲間に“山の神だ”と連絡する。つまり熊を仕留めたと。熊はマタギたちみんなで雪で清められる。運び込まれた小屋の中で、代々伝わる儀式をして熊を崇める。手を合わせた後、すべては解体され、集落一軒一軒に同じ量の肉が分配される。そしてすべての家で熊を食べ、生きていること、生きていくことへの感謝を熊に語りかける。超一流のクリエイターと超一流のクリエイターの闘いの後の、エールの交換である。敬意の表現である。人々は熊を撃つマタギたち、それをかわいそうと言うが、ならば牛の肉、豚の肉を育て殺すのはかわいそうでないのか。山の神と人間との命のやり取りが生む神聖なエールの交換であり、豪雪の中に村は隠れる。逃げ切った熊は、長い冬眠に入れる。“熊は賢いべえ 自分の足跡をちゃんと人に追いつかれないように するんだ。”熊の皮を買う人間はもういないと言う。神なんだ、 それを全て食べることが、山の神への礼儀なんだ。集落の人間は、 等しい量の肉をビニール袋に入れて帰り、すべての家で熊の肉が調理される。老マタギは幼い孫に言う。食べれ風邪引かねえぞ、と。息子は少しずつ父の後を継ごうと一人山に入っていく。現代人は日々を追いかける金に対して、果たして敬意を持っているだろうか。ホラ、気がつけばいつものメンバーでいつもの話をしている。体から野生はすっかり消えて、気持ちが逃げてしまう。ため息ばかりが出る。すでに精神は死んでいる。私はクリエイティブのマタギを目指す。一発で仕留めるために、日々野生を磨くのだ。銃の代わりは感性だ。

2019年2月21日木曜日

「バサラとサラバ(?)」

婆娑羅(バサラ)に生きることに憧れていた時期がある。近江の戦国大名「佐々木道誉」とか、加賀の「前田慶次郎」みたいに。バサラとは、人と違ったことをする。人は決してしないファッションを身につける。左右別々の着物柄にしたり、派手派手な色とか異色の組み合わせで着る。織田信長もバサラ的であった。傾く(カブク)はバサラであり、やがて歌舞伎となった。私はある時期スーツにアロハシャツが定番であった。今でも時々バサラになる。昨夜、やがて天下を取るであろう御方と、その軍師と食事を共にした。今はその名を伏す。9時半頃にお開きとなった。東京駅発22時30分発湘南ライナー小田原行きに乗車した。愛読している夕刊紙を広げると、気分は「バサラ大名」!?現代によみがえる闘茶を体験という記事がどーんと目に入った。(コラムは話題の焦点)「闘茶」のことは、お茶関係の仕事をしている時に調べて知っていた。(ほんの一夜漬けだが)「闘茶」は鎌倉時代から室町時代 にかけて大流行した。茶の味を飲み当てて勝敗を競う。「バサラ大名」たちは、高価な美術品、道具類、さらに土地や莫大な資産まで賭けるようになった。破産する者も現れ室町時代は禁止令を出した。その「闘茶」が現代に蘇ってきてるというのだ。記事によると、仕掛け人は現在30歳、2017年から闘茶会をはじめたとか。ところは門前仲町のとあるお寺だ。参加者20名の茶席がずらりと並んでいた。闘茶は、“四種十服”、4種類の抹茶を10回に分けて飲む。まずは、「試飲」で用意された抹茶の順番に飲んでいく。ここで味と香りを覚えたら「勝負」となる。10杯の茶がランダムに出され、参加者は、どれがどの茶か推理する。(詳細はネットで調べてください)抹茶はカフェインの含有率が非常に高い。1g に32mg。 コーヒー豆は6mgだから5倍以上も高い。これを何杯も何杯も飲み続けると、興奮気味になる。「バサラ大名」たちは、負けてなるかと、この品、あの品、あの土地、あの城と賭けて、しまいにはブッ倒れてしまう。(NHKのスクープハンターでやっていた)若い頃徹夜麻雀を11日間ぶっ続けで打ったことがある。二抜けといって二位の人間が次の人間と交代する、2位になった者は眠ることができる。勝ち続けると眠ることができず、いかに二位になるかも考えて打たねば死んでしまう。久々にバサラな気分がよみがえった。近々ジーンズに学生服風、中にはブルーのアロハシャツでバサラってみようと思っている。昨日アロハな季節を感じた。春雨が気持ちよかった。辻堂駅に着いたらタクシー乗り場が行列だった。よし春雨じゃ濡れていこう、と月形半平太の気分になり、歩いて一杯飲みに向かった。バサラとサラバをしに。


2019年2月20日水曜日

「天人と宇宙人」

私の名を聞いただけで気分が悪くなる。メシもマズクなり、せっかくの酒で悪酔いをする。そんな人はたくさんいるはずだ。人間、ヒトに嫌われるようになれば一人前(いっちょまえ)という。“ヒトズテ”にあの人はいい人だよ、すばらしい人だよ。と言われる人に会ってみると、ずい分と予想を裏切ってくれる人も多い。その逆の人も多い。嫌な奴だよ、変な奴だよ、絶対私とは合わないよ。ところがどっこい会ってみると、才能抜群、全身奥深く秘めたるものがずっしりとある。暗闇の中で月光を浴び、それを打ち降ろせば、血しぶきとともに片腕が斬り落とされる、底光りする名刀のような人。天才と狂人は紙一重と言うが、天才と狂人が同居しているのだ。“天人”とでも言うのだろうか。超一流と言われる人は、みんな“天人”だ。私はこういう人が大好きで、むかしから噂を聞いたら会いに行ってきた。どこへでも足を運ぶ。ヘロヘロになるほど酒を飲み交わし、語り合ったり“天人”の諸説を聞いて学ぶ。無学の徒にできることと言えば、人から学ぶことしかない。今日まで絶えずこのことを実行している。一度しかない人生のもっとも大事なことは、自分よりずっとレベルの高い人に会う、そしてより無学を知る。名人、達人、奇人、変人たちと接することと思っている。BUTしかし、その名を聞いただけで不快を極める人間もいる。セコイ、ズルイ、タカル、カタル(話をつくる&盛る)ダマス、チクル。業界から破門、追放になっていても、この手の人間はしたたかに生きている。“詐話師”なので自らのキャリアを上手に作り話にしてヤドカリのように。どこぞかにもぐり込んでいる。詐欺師はモノを騙しとるが、詐話師は口先で人をおとし入れる。恥ずかしながら私の血筋にもいる。コンプレックスのある人間は、見栄を張り続ける。一種の病気である。同じ血が流れているから私は絶えず心の中で気を引きしめている。私が会って来た“天人”は等しく、純粋な少年少女のように心が美しい。近々三人の“天人”と会う。一人は考古学者、一人は造形作家、一人は現代アートである。葛飾北斎などは“天人”の極みで九十代後半まで生き、絵を描き続け、死ぬ間際にあと数年あれば、一人前の絵師になれたと言ったとか。故岡本太郎さんに仕事を頼みに行った時は、私の後ろからガバッと現れて、庭にゴロゴロある、太陽の塔みたいな作品を何でも好きなものを持っていけと、秘書&通訳的な女性が岡本太郎さんの言葉を訳して話してくれた。ゲ、ゲ、芸術は、バッ、バッ、爆発だと。
先日福島ロケを終えて帰るロケバスの中で、天才中野裕之監督が、壮大な宇宙の話と、米、中、露のハイテクの凄い話。我々の生活の中に起きる、天変地異は、 ワルイ宇宙人のやっていることなんだと、話をしてくれた。未だにアタマの中が混乱している。そういえば、ゴルフに行くとよく UFO を見るんだという人の話を思い出した。会いたいなぁ宇宙人と。


2019年2月19日火曜日

「ラジオの時代だった」

♪きいっといつかは君のことオオ・・・。グッドナイトグッドナイトベイビー・・・。売上枚数100万枚という大記録を持っていた。和製プラターズ「ザ・キングトーンズ」のメインボーカル内田正人さんが82歳で死去したとのニュースを昨日知った。そうか生きていたんだというのが正直な感じだった。小柄だが声はスカイテナーと言われ高かった。黒のサングラスをいつもしていた。バックコーラスとともに歌う、ドウ・ワップスタイルで大ヒットした。まだ82歳だったのかという感じもした。ニュースで独特の声を久々に聴けた。“正人”という名で思い出した。過日♪粉雪舞い散る小樽の街に、あ〜あひとり残したぁ・・・と歌った美声の歌手「三条正人」さんもあの世に逝った。鶴岡政義と東京ロマンチカのリードボーカルでもあった。奥様の香山美子さんと一緒に仕事をしたことがある。 とてもいい人だった。若い頃は演歌大好きだったが、年を重ねる度に、ディスコサウンドやハードロック、ヘビーメタルとか、クラシックを聴くようになった。きっと歳を感じたくないのだろう。演歌歌手の育つ時代でないのが残念だ。いい作詞の演歌も生まれない。きっとインターネットの発達で、人と人、人と風景、都会と故郷がくっついてしまったので、人の温度感とか風景などへの情緒感が消えてしまったのだ。何を歌っているのかよくわからないダンスミュージックが多くなっている。昨夜「ザ・プラターズ」のカセットを探し出し、ラジカセに入れて久々に聴いた。「マイ・プレイ」「煙が目にしみる」「オンリー・ユー」などを聴いていると、ザ・キングトーンズの内田正人さんが目に浮かんだ。♪泣けた泣けたこらえきれずに 泣けたっけ あの娘と別れた悲しさに・・・。春日八郎さんの名曲(作詞/高野公男、作曲/船村徹)「別れの一本杉」もカセットが出てきたので聴いた。♪〜君もおぼえているだろう 別れ口笛別れ船・・・。二人の幸せを祈って旅に出た やさしい兄貴が呼ぶような・・・。♪〜アカシアの花の下で あの娘がそっと涙をふいた 赤いハンカチを・・・。石原裕次郎さんの名曲カセットも宝箱の中にあった。みんないい曲ばかりだ。 CDをセットするより、カセットの方が断然いいなと思った。大きなカセットボタンを押す感触が、さあ〜スタートという気分にしてくれる。♪〜グッドナイトグッドナイトベイビーそうだ私たち世代は、深夜ラジオの世代なのだ。今も耳にこびりついているイントロ、文化放送、文化放送、JOQR(ジェイ・オー・キュー・アール)ハア〜イ、夜更けの音楽ファンの皆さん、こんばんは。オールナイト・ニッポン糸居五郎さんだったのだ。(日本放送)私の知る限り、ヒット曲が一番多いのは、石原裕次郎さん。そして小林旭さんだと思う。日活は絶大な存在だった。「甘栗むいちゃいました」を食べながら、久しぶりにいつものグラスにとっておきのウイスキーを入れた。ザ・キングトーンズ、内田正人さんに合掌。

2019年2月18日月曜日

「いい羽毛ふとんと、桃井かおりさん」

福島県新白河駅(新幹線)からクルマで10分くらいのところに、私が大変お世話になっている、東洋羽毛工業株式会社さんの広大な工場がある。工場内には日本に数台しかない、高さ9mもある精毛機がある。 現在国内で売られている羽毛ふとんの殆どは、フランス、ポーランド、ブルガリアなど欧州産の水鳥を使用している。その水鳥から原羽毛が生まれ現地で精毛され、羽毛となり、それを輸入する。そしてその羽毛充填する。が、最高級の羽毛ふとんを生産する、東洋羽毛(株)さんは、新白河の工場において、原産地で毛された羽毛を、もう一度高度な施設と、熟練の人たちの経験と技術で、徹底的に精毛して、最高級の羽毛を生みだす。我々の目に見えない極小のゴミやシミや汚れを除去する。気の遠くなるような工程を繰り返す。2月14・15・16日まで「桃井かおり」さんがこの工場と隣接する、リゾート・トラスト・ホテル内部での撮影に挑んでくれた。さすがプロ中のプロ、次々と自らのアイデアを出してくれた。監督、撮影、編集は、天才中野裕之さん。天才と大女優とのセッションは緊張感に満ちていた。桃井かおりさんは、現在ロサンゼルスで生活をし、 世界を舞台に活躍している。いい羽毛からしか、いい羽毛ふとんは生まれない。「よく眠った人には、かなわない。」仲畑貴志さんのキャッチフレーズ。 このコンセプトを表現してくれた。ファッション・クリエイターは、 伊藤佐智子さん。ヘアーメイクは稲垣亮弐さん。スチールカメラは、河西宏一さん。「いいスタッフからしか、いいクリエイティブ」は生まれない。


2019年2月12日火曜日

「寒風の三連休、そして芸術家」

三連休は寒かった。北風が特に身を冷やした。そんな中で、茅ヶ崎海岸、辻堂海岸、七里ヶ浜海岸に出た。あまりに寒く長くいられなかった。連休初日の茅ヶ崎海岸にはサーファーが数人、沖で波が立つのをポツン、ポツンと待っていた。2日目の辻堂海岸には寒風の中、老婆がウォーキングしていた。何気なしに歩いている私を、スイスイと追い越していった。速いことにオドロイた。若い男女が数組出ていてサーフィンやスケートボードを楽しんでいた。太陽は存分に強かったが、北風はさらに強かった。まさに北風と太陽だ。3日目は、鎌倉七里ヶ浜高校駅に隣接する「顕証寺」に昨年亡くなった知人の女性(76歳(?))のお墓参りに行った。17年前にご主人を亡くしていた。私の家のすぐそばのマンションの一室で孤独死していた。お風呂の中である。ご主人が懸命に働いて遺しておいてくれた財産を少しずつ大切に使っていた。娘さんがいい椅子とテーブルがあるので、是非形見分けとして使ってほしいと言ってきた。週末や休日はよく私の家に来て食事をしていた。お墓に行ってお礼の言葉を言わなければと思い、朝10時半頃に行った。稲村ヶ崎から七里ヶ浜の海岸は、かつては広い砂場であったが、今は海の家も出せないほど狭くなっている。釣り人が3人ルアーで釣りをしていた。とにかく寒かった。
お線香が持っていったライターでは、つかないでいたら、お寺の人が来てバーナーで付けてくれた。「顕証寺」は高価な墓地である。それぞれ富士山の方向に向かっている。「無」「感謝」「安らか」「夢」「眠」とか大きく文字を掘り刻んだものが多い。「無」が特に多かった。丘の上に名物の白い建物が一軒だけある。タクシーの運転手さんが、確かあの家は、テリー伊藤さんが住んでいるはずですよと言った。昔は別荘だったとか。まい日気になていた。形見分けのお礼をした。「天命の城」「スリーピー・ボード」「ロダン」「セザンヌと過ごした日」「ル・コルビジェとアイリーン」「罪と罰」「ゴーギャンと楽園の娘」など連休中はあまり外に出ず、レンタルしていた映画を見た。「パリ憎しみという名の罠」これが抜群に良かったので二度見た。「ロダン」はダンテの神曲「地獄門」を制作している。ヌバルザックの像も(箱根の美術館用)ロダンはモデルなしではつくれない。写真のない時代は、モデルが重要であり、作家はモデルと関係を持って名作を生んだ。ロダンのモデルは、愛人、女中さん、妊婦さん、助手、ほぼみんなである。全裸となった豊満なモデルたちは、重要なデッサンのもととなる。インドのカーマストラのように。あらゆるポーズを作る。えび反り、四つん這いになり、二人三人が重なり合い、それは美しい肉体のフォルムを生む。 ロダンは肉体を冷徹に、おしりの穴から鼻や耳の穴まで、しっかりとデッサンする。もちろん女性の秘部まで。芸術家の作品はモデルで決まる。セザンヌは作家ゾラとの交流によって描かれていた。落選、落選を続ける。だがゾラは思っていた。天才はただ一人「セザンヌ」だと。絵で食べれないセザンヌをゾラは励まし続ける。ゴッホと弟テオのように。売れ出した人気芸術家はもうつまらない人間でしかない。「パリ憎しみの罠」は久々に最高のフランスのノワール映画だ。シナリオ、撮影、役者、音楽、監督、言うことなし。ファッション、スコッチ、ワイン、クルマ、食器、建築、インテリア、料理、アート、何もかもがグッドであった。知人となった、前田晢監督の「こんな夜更けにバナナかよ」が10億以上の興行収益を超えるヒットになった。又、友人の星野秀樹プロデューサーが参加した「スマホを落としただけなのに」こちらは、20億に近づいているとか、二人共電話の声が明るくはじけていた。みんなにいい春が来るといいなと思う。それにしても「ロダン」先生は、女性とみたらキスする、キス魔であった。芸術家はみんなアル中だった。コルビジェは利益第一主義であった。アイリーンに大きな影響を受けた。コルビジェは死んで国葬となり、 不世出の家具デザイナー「アイリーン」は、共同墓地に眠る。今なおアイリーンのつくった家具を超える値が つくものはない。コルビジェの絵と、ピカソの絵はまるで双子のように似ている。寒い中で食べたエビカキ揚げそばはおいしかった 。
今週はこれにて金曜日まで休筆します。イロイロ労働があるのです。

2019年2月7日木曜日

「恐怖とワンタン」

「悪報には羽根が生えている」とギャングの言葉。「成功のためには孤独は必要だ」と画家の言葉「人生に疲れた者は、死を恐れない」とマフィアの言葉。「私の壁画は、私の性的な妄想でしかない」と建築家の言葉。など気に入った映画の中のセリフを揺れる東海道線の中で、メモっていたら、川崎から気に入らない二人の男が乗車してきた。東京駅を21時42分に出発した列車だ。グリーン車のほぼ真ん中、私の右斜め前の席、一人の男は手にサントリーのハイボールのロング缶、32・3歳、かなり太っていて、かなり髪が薄い。もう一人はきっと入社1年目くらいの23・4歳のヒョロヒョロっとした男、手にはキリン氷結ロング缶。そして手には恐怖の柿ピー。恐怖のポテチー。 さらに大恐怖のサキイカ。川崎から乗車すると同時に缶をパッカンと空け、三種の袋をガサゴソとおっぴろげた。強烈な臭いが一気に広がった。太った男が一方的にしゃべる、ヒョロ男はすでに出来上がっている。でかい声で営業ってのはなぁ、8割はうまくいかないんだよ、今日のケースはさ別に特別じゃないんだ、あの相手の奴等もなぁ、俺たちと同じ営業だから必死なんだよ、後から出てきた、あのクソジジイ、部長だか課長だかわかんないけどさ、名刺も出さねえで、人の話を切りやがって、ふざけんなだよ、でもなあ・・・。と何しろ声がでかい。私の両耳はかなり耳鳴りが激しいのだが、それを忘れるほどでかい声、そして恐怖の臭いが、プンプン、プーンと混ざり合って臭う。ヒョロ男はコックン、コックンしながら、柿の種ボリボリ、ピーナツをガリガリ、イカサキを3・4本まとめて歯で引きちぎりながら食べている。当然ポテトチップスもパリパリだ。太った男は薄い頭と広い顔半分しか見えない。でっかい声ばかり、ヒョロ男は聞いているようで、太った男の話は聞いていない。ウルセイヤローだなと思い、なんだこの異臭はと感じて、クラクラしてきた。せっかくアカデミックな言葉をメモ、メモしていたのに、全神経がでっかい声と、臭いの猛攻撃に向かっていた。あまりの声に周囲の乗客も明らかに、ウルセイというザワザワ感を感じた。営業はヨオ、今日みたいなことの繰り返し、君さあ、今は転職の時代だからさ、嫌なら会社変わればいいんだよ。でもさあ、ガンバレよ、なあ、と言いながらロング缶を飲み干した。列車は大船に着いた。オイ降りるぞ、降りるぞと、二人は立ち上がった。食べ残した袋を座席前の網のポケットに押し込んで、ガヤガヤと出て行った。結局ヒョロ男の声は1回も聞こえなかった。久々の恐怖の列車であった。アレッと右隣の席を窓側に座っていた OL 風の女性がコリコリ、コリコリとジャガリコを食べ始めた。きっと前があんまりうるさいので食べる気がしなかったのだろう。コリコリもかなり臭いがキツイが、あとふた駅だと思った。昨夜ある会社のオーナー、ある会社の社長、ある写真家と四人で、ワンタンをシェアして、焼きそば、エビチリ、カニ玉をシェアした味を思い出した。ワンタンという、ふわふわしたつかみどころのないやつを、レンゲに入れると、ヌルヌルっと逃げ落ちてしまう。なかなか意地悪なのがワンタンという存在なのだ。お店の人が四人分に分けてくれた。小さな入れ物の中にちゃんとメンマとチャーシューも入っていた。藤沢駅を通過した頃、頭の中でチャーシューワンタンメンにしようと決めた。店は荻窪の「春木屋」だ。近々阿佐ヶ谷に劇を見に行く。その後の楽しみだ。



2019年2月6日水曜日

「神社も神頼み(?)」

ヒトは悩み、苦しみ、 この現状を何とかしてくれと思った時、どこへ行くのか。と問えばそりゃやっぱり神社かお寺さんに行って、神様、仏様もうどうにもこうにもニッチモサッチモいかないのですと、神仏にすがる。お賽銭箱に100円玉、いややっぱり500円玉、 いや頼み事が多いのでここは奮発して、1000円札だと決断する。昨日は午前4時ちょい過ぎに帰宅、手と顔を洗いうがいをイソジンでして、夕刊4紙に目を落とし始めた。見た人は見た、だが見てない読んでいないヒトのために、東京新聞の7面のほぼ半ページの記事に衝撃を受けたことをここに記す。でっかい大見出しに、困窮神社・頭抱える。横書きの中出しには、収入源で閉鎖でも取り壊しできず。立て見出しで、金沢前田利家ゆかりの八阪神社。横二行中見出しで、「保存地区建物残して氏が要求・宮司の年間収入は1000〜2000円」神社の宮司が神頼みで(?)参拝者が激減しているのを何とかしてとなっているのだ。神社を巡っては、地方中心に廃祀が相次ぎ、将来は伊勢神宮とか明治神宮、熱田神宮とか有名なところ以外はやって行けない。高齢化と人口減少、などで参拝客が減り続け、神社本庁が2016に全国の神社を調査した結果、6割で年間収入が300万未満、神職のみで生活できている人は全体の1割程度、大半が「兼業宮司」で生きている。金沢の八阪神社は京都祇園神社(現八坂神社)から神を迎えて誕生した。前田利家が城下の繁栄や厄除けを祈願して本堂を建立した。しかしずっと改修しておらずあっちこっちが老朽化している。改修費の目処が立っていない。国の「重要伝統的建造物群保存地区」で勝手に回収もできない。お金が全然足らない。お金は集まらない。宮司の収入が年間で1000円、2000円しかないなんて、想像もつかないことになっている。厄払いとか祈祷料が参拝者の激減で、副業をしないとやって行けない。そんな記事がごっそり書いてあった。ここに記してあるのは、抜粋したものであるから、興味のある人、神社大切第一と思っている人は、東京新聞を読んで神社に参拝して、神社の願いを叶えてあげてほしい。ずっと前出雲大社で長寿御守を母親のために買い求めたら、96歳まで元気に生きることができた。出雲大社はメジャーブランド。問題は地方にある由緒はあるが、あるいは名ばかりの人が来ない神社だ。私は無宗教であるが、恩人、知人、友人のために、江島神社(サザエのつぼ焼きが旨い店がある)、寒川神社(出店のラーメンが旨い)に行って御守を買い求めて送る。江島神社の「病気平癒御守」は、何人も治してくれた。その確率は70%くらいと高い。地方衰退の世の中は、一部を除き神様も神頼みで参拝者を待っている。

2019年2月5日火曜日

「恋重荷」

「花伝社」能楽のような名を持つ出版社の編集人を紹介された。紹介人はかつて「美しい黒星」という本を出版するお手伝いをした時に、 ライターとして協力してくれた須田諭一さんだ。この本は現在の雷親方、元関脇の垣添徹さん親子の心情あふれる本だ。ずっと黒星続きの父親を引退間際に、当時小学生だった少年が、大きな声で土俵に向かって、カキゾエガンバレと叫ぶ。 その姿をニュースが映し出した。そのニュースを見ていた人情家のお世話になっている会社オーナーが涙して感動した。で、私にこの感動を本にして出版しようと言った。是非もない。やりましょうとなった。本の題名は私に作らせてもらった。美しい白星はあるが、負けて「美しい黒星」もあると。で、花伝社の話だがある人たちから、ある本を出したいとの相談があった。そこで須田諭一さんを思い出して連絡をし、打ち合わせをして私の考えを伝えた。今日の4時に須田さん、花伝社の編集の方と、依頼者に会う。話がいい方向に行けば5月中旬を目指して一気に展開させる。もし決まれば相当に新しい本になる。この国の根本に関わる本となる。須田さんとはもう一冊話を進めている。これはまだ出版社は未定。花伝社と聞いてすぐに、世阿弥の「風姿花伝」を思い出した。私は能楽の知識は全くないが、嫌いではない。ひとつだけ記憶しているのがある。それは「恋重荷(こいの重荷)」身分の高い美しい女性に、身分の低い者が恋をする。美しい女性は、ならばこの重荷を背負って動けと、重荷を背負わせ続ける。身分の低い者は悲しい結末を迎える。確かこんな能楽であった。昨夜お世話になっているオーナーと6時から9時40分まで、ともに背負っている人生の四苦八苦、思い通りにはいかない人の心、人の運命、宿命、悲しさ、切なさ、情けなさ、まるで「恋重荷」の世界のような話をした。世阿弥は足利将軍義満に愛された(今で言う同性愛)美しい世阿弥は義満死後、室町幕府第6代将軍義教に疎まれて、1434年佐渡島に流刑される。その後は定かではない。その義教は、有力大名により将軍暗殺メッタ殺しに合う。因果は応報する。世阿弥は絶世の美少年だったという。戦国時代大名は美少年を競って愛し合った。「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」「恋の重荷」は人生の重荷。花伝社といい本が出せればと願っている。久々に能楽が観たくなった。実のところ私は能楽の真似には少なからず自信があるのだ。能楽は女子禁制、白洲正子さんが挑んだがあえなくやめた。女性の心は、男でないと表現ができない。


2019年2月4日月曜日

「やさしくて、むずかしい質問」

昨日今年いただいた年賀状の整理を終えた。美しい文字、達筆な書やステキな絵、ご家族の成長写真や、ご自身の趣味の足跡。日記や新聞記事風のもの、ユーモアのセンス溢れるものから時事風刺的なもの、ガーンと一文字やドーンとヤクザ映画風のもの。皆さんとてもアイデアに満ちている。整理を重ねていくと、 「お元気ですか」という6文字が添書されているのが多いことに気づいた。さて、「お元気ですか。」とやさしく語りかけられると、ふと困った。私の心が元気なのか、体が元気なのか。あるいは私の家族が元気なのか。または会社が元気で、仕事もフトコロも元気なのか。一人ひとりに、電話してもしもし俺は元気だぞと電話するわけにもいかない。私は元気なのか自問自答する。自分に自分で聞いてみる。オマエは元気かと(?)気合と気力は元気で、夢追う魂も元気。誰もやったことのないものを 創造してやるという気持ちは元気だが、フトコロに元気はない。つくりたい映画(絶対カンヌを取れると思うのだが) に出資してくれる人はいない。1日何本も映画を見る元気的なものはある。(私の発想の源だから何でも見る)昨日は「パリ憎しみという名の罠」久々抜群のフランス映画(知人のトランスフォーマー石毛栄典社長が買い付けていた)「ジャコメッティ最後の肖像」これもいい。ジャコメッティは、「セザンヌだけが天才で、ピカソは罪深い男だ。過去の人の真似をしていただけのゴーマンな男だ」と言った。 「トーク・ツー・ハー talk to her」これは以前にも見たが実に寓話的で文学的。純粋な愛とは、献身的な愛の結末は。“彼女に聞いてほしい”という言葉で終わる。植物人間的になってずっとベッドにで眠ったきりの若い娘(豊満で美しい)その娘の介護士の青年は、相方の女性と娘のすべての世話をする。全身を洗ってあげ硬直した体をもみほぐす。当然下の世話をする。娘の体はまばゆいほど美しい。がある日女性介護士が眠ったきりの娘が妊娠していることに気づく。純粋な青年は強制的(相手は眠ったまま)レイプ犯として投獄される。 (果たして青年が犯人か)やがて月日が経った頃、ある人が刑務所に面会に来る。その時青年は娘は無事出産したのか。赤ちゃんは、二人は“元気なのか”と聞く。talk to her。年賀状に書いていただいた、「お元気ですか」に応えるには、あっと驚く作品を世に出して、私の元気を何かで知ってもらうしかない。私の感性はすこぶる元気(?)アイディアも出る。しかし資力がない。元気を出して働いていくしかない。ところで、 あなたは「お元気ですか」食欲、権力欲、金欲、性欲、物欲があれば元気です。