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2019年2月12日火曜日

「寒風の三連休、そして芸術家」

三連休は寒かった。北風が特に身を冷やした。そんな中で、茅ヶ崎海岸、辻堂海岸、七里ヶ浜海岸に出た。あまりに寒く長くいられなかった。連休初日の茅ヶ崎海岸にはサーファーが数人、沖で波が立つのをポツン、ポツンと待っていた。2日目の辻堂海岸には寒風の中、老婆がウォーキングしていた。何気なしに歩いている私を、スイスイと追い越していった。速いことにオドロイた。若い男女が数組出ていてサーフィンやスケートボードを楽しんでいた。太陽は存分に強かったが、北風はさらに強かった。まさに北風と太陽だ。3日目は、鎌倉七里ヶ浜高校駅に隣接する「顕証寺」に昨年亡くなった知人の女性(76歳(?))のお墓参りに行った。17年前にご主人を亡くしていた。私の家のすぐそばのマンションの一室で孤独死していた。お風呂の中である。ご主人が懸命に働いて遺しておいてくれた財産を少しずつ大切に使っていた。娘さんがいい椅子とテーブルがあるので、是非形見分けとして使ってほしいと言ってきた。週末や休日はよく私の家に来て食事をしていた。お墓に行ってお礼の言葉を言わなければと思い、朝10時半頃に行った。稲村ヶ崎から七里ヶ浜の海岸は、かつては広い砂場であったが、今は海の家も出せないほど狭くなっている。釣り人が3人ルアーで釣りをしていた。とにかく寒かった。
お線香が持っていったライターでは、つかないでいたら、お寺の人が来てバーナーで付けてくれた。「顕証寺」は高価な墓地である。それぞれ富士山の方向に向かっている。「無」「感謝」「安らか」「夢」「眠」とか大きく文字を掘り刻んだものが多い。「無」が特に多かった。丘の上に名物の白い建物が一軒だけある。タクシーの運転手さんが、確かあの家は、テリー伊藤さんが住んでいるはずですよと言った。昔は別荘だったとか。まい日気になていた。形見分けのお礼をした。「天命の城」「スリーピー・ボード」「ロダン」「セザンヌと過ごした日」「ル・コルビジェとアイリーン」「罪と罰」「ゴーギャンと楽園の娘」など連休中はあまり外に出ず、レンタルしていた映画を見た。「パリ憎しみという名の罠」これが抜群に良かったので二度見た。「ロダン」はダンテの神曲「地獄門」を制作している。ヌバルザックの像も(箱根の美術館用)ロダンはモデルなしではつくれない。写真のない時代は、モデルが重要であり、作家はモデルと関係を持って名作を生んだ。ロダンのモデルは、愛人、女中さん、妊婦さん、助手、ほぼみんなである。全裸となった豊満なモデルたちは、重要なデッサンのもととなる。インドのカーマストラのように。あらゆるポーズを作る。えび反り、四つん這いになり、二人三人が重なり合い、それは美しい肉体のフォルムを生む。 ロダンは肉体を冷徹に、おしりの穴から鼻や耳の穴まで、しっかりとデッサンする。もちろん女性の秘部まで。芸術家の作品はモデルで決まる。セザンヌは作家ゾラとの交流によって描かれていた。落選、落選を続ける。だがゾラは思っていた。天才はただ一人「セザンヌ」だと。絵で食べれないセザンヌをゾラは励まし続ける。ゴッホと弟テオのように。売れ出した人気芸術家はもうつまらない人間でしかない。「パリ憎しみの罠」は久々に最高のフランスのノワール映画だ。シナリオ、撮影、役者、音楽、監督、言うことなし。ファッション、スコッチ、ワイン、クルマ、食器、建築、インテリア、料理、アート、何もかもがグッドであった。知人となった、前田晢監督の「こんな夜更けにバナナかよ」が10億以上の興行収益を超えるヒットになった。又、友人の星野秀樹プロデューサーが参加した「スマホを落としただけなのに」こちらは、20億に近づいているとか、二人共電話の声が明るくはじけていた。みんなにいい春が来るといいなと思う。それにしても「ロダン」先生は、女性とみたらキスする、キス魔であった。芸術家はみんなアル中だった。コルビジェは利益第一主義であった。アイリーンに大きな影響を受けた。コルビジェは死んで国葬となり、 不世出の家具デザイナー「アイリーン」は、共同墓地に眠る。今なおアイリーンのつくった家具を超える値が つくものはない。コルビジェの絵と、ピカソの絵はまるで双子のように似ている。寒い中で食べたエビカキ揚げそばはおいしかった 。
今週はこれにて金曜日まで休筆します。イロイロ労働があるのです。

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