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2019年4月5日金曜日

「マスコミとマスゴミ」

マスコミはいつから「マスゴミ」になったのだろうか。一つの事が起きると、テレビ、新聞、雑誌等マスコミは、一斉に同じことを取り上げ、これでもかというほどにワンパターンの報道をする。そこには各局、各紙、各誌の オリジナリティやクリエイティビティもない。そもそもテレビ局の朝の番組は各新聞社の記事の紹介から始まる。そうか“みのもんた”がやたらに新聞記事をテレビでバリバリ剥し取っていたのを思い出す。そうか“みのもんた”が昼の番組で、タマネギダイエットとか、キャベツダイエットとかを放送すると、一斉に昆虫になったみたいに、タマネギやキャベツの山に食いついていた。トマトやバナナもあった。政府の失政や政治家の悪事について、かつては一言居士がいたが、今はほぼ全員スポイルされた。「マスコミ」として少しは意地と根性を出して、マスコミを敵に回すと痛い目にあうぞとの矜持を発揮するかと思うが去勢された生き物のように、さらにマスゴミ化してきた。“みのもんた”も因果応報自分自身が晒し者となった。プライドを捨てたプロは、プロとは言えない。ヌルイ「フロ」みたいな存在となる。間違いなくこの国は安倍一強体制により亡国へと進んでいる。「ピエール瀧」が大麻や薬物をしていたのは悪事である。彼は法によって裁かれていく。その「ピエール瀧」にも女房・子どもがいる。保釈されてくる姿をマスゴミが何十人もカメラを設置して、“どんな服装、どんな顔をして出てくるのでしょうか”と狙う。10秒、20秒、30秒頭を下げ続けましたと追う。本来保釈はそっと出してやったのが武士の情だった。出所は早朝が刑務所の決まりだった。(映画の見過ぎかも)人の不幸は蜜の味とは今のマスゴミに言える。毎日バカ面してワイドショーに出演している、弁護士や学者や医者たちに最大級の「ケーベツ」を与える。この現象は三浦和義のロス疑惑事件が始まりだったかもしれない。故内田裕也の「コミック雑誌なんていらない」という映画は秀作であった。新元号の有識者のメンバーの中心はNHK 関係、日テレ関係、読売関係であった。なぜ山中教授か、林真理子か、宮崎緑か、なぜ元経団連会長なのか、マスコミはその意を追わない。かつての日本人にはこの件はお断りをしたいという骨を持っていた。 IPSの山中伸弥教授なんかはそういう人かと思っていたが、研究費に目がくらんだのだろうか。昨日撮影の為に朝早く家を出た。7時10分テレビのニュースにカルロス・ゴーン再逮捕と流れていた。ゴーンだかコーンだかどうでもいいが、公私混同の額はでかいがやっていることがせこい。クルーザーの名を「シャチョー」としていたのには笑った。この国はコケにされているのだ。麻生太郎副総理兼財務大臣の子分が忖度しましたと大放言。麻生太郎の元秘書だから親分命。できた親分なら子分の不始末は親の不始末と、腹を切るだろう。 だが出来はすこぶる悪い。権力にしがみつく少し与太った小心者でしかない。ガンバレマスコミよマスゴミから脱せよ。“ペンは銃よりも強い”のだぞ。(文中敬称略)


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