二十代から三十代中頃まで三菱重工業の漁船用エンジン ダイヤディーゼルの仕事で、北海道の鮭漁から沖縄のサバニ漁まで日本中の漁の取材をした。
当然漁師と共に船に乗り、夜明けから暗くなるまで、土佐のカツオの一本釣りから相生の車子漁、静岡の桜海老漁、富山のホタルイカ、白海老漁、銚子の鰯巻き網漁、知床の蟹漁、その他ホタテ、メキシコの車海老、番外ではニューオーリンズのキャットフィッシュ(ナマズ)漁まで。モロッコの蛸、キーウエストのトローリング(気分はヘミングウエイ)、カナダやアラスカのキングサーモンと至る処に行った。
一人か二人+カメラマン。
漁が終わると漁師達と捕れたての海の幸を肴に取材がてら酒を飲み交わす。このひとときが最高である。農家の人は本音や本性を出さない。何故なら生命がかかっていないから一心同体になれない。漁は一緒に乗る板子一枚、下は死の世界だ。
イカとかマグロの遠洋漁業は半年位帰って来ない。乗っている人間の中には凶状持ちも多い(事件で追われたり訳有りの人たち)。
一度、カメラを向けたら撮るんじゃねえと言って海に捨てられた。
小さな漁船の後尾でカメラマンが用を足していたら揺れて海にジャブン。暫くして戻ったら半死状態。水をゴボゴボ吐き、目から涙を流しながらこんなギャラが安くて恐ろしい仕事は二度とやらないとブータレられた。
毎日可愛いモデルさんや女優さんを撮っているのでまるで船に弱い。二時間半ほど突っ走っていざ網投入。さあ撮ってくれと言ったら、気持ち悪いとひっくり返っていた。高いマストの上から撮影しろと網はしごを登らせようとしたらカナブンみたいに網にしがみついて嫌だ嫌だと言って登らない。仕方ないから私がカメラを持って登り上から撮った。
私は特異体質なのか一度も船酔いをした事がない。
気仙沼で秋刀魚漁を取材した時に大時化になった若い漁師達も上下5,6メートル位船が動くのでほとんどダウン。私は船倉で吉川英治の三国志の文庫本を読んでいた。親方がオイ若いの、船にめっぽう強いね、気に入ったと言われて大揺れの中でコップに酒を注がれた。その時、今日は危ないからオロクになるかもなと言われた。オロクとは死体の事。酒が一気に体中に回った。
小柳ルミ子の瀬戸の花嫁が大ヒットしている頃、瀬戸内海でイカ漁を取材した。
夜の瀬戸にイカ釣りの灯りがなんとも美しい。点々とした灯りの芸術だ。取材がなかった日みんなで宴会ドンチャン騒ぎ。漁師達が今度はオレの島で一杯、次はオレの島で一杯と正に歌の通り島から島へとはしご酒をする。島には小さなスナックバーが一つ、カラオケ等無い時代。ただ大声で歌い笑い語る。この世で最高の酒であった。瀬戸内海では船の酔っ払い運転で漁師が落ちる事もあるという。
漁師は一心同体だから本性を出し、本音を語ってくれる。鳥羽一郎の兄弟船そのもの、八代亜紀の舟唄そのもの、美空ひばりの哀愁出船そのものなのだ。
夫婦船といって夫婦で底曳きをするのに乗った時は感動した。
底曳きは文字通り底を熊手の大親分みたいのでガリガリ引く、網を夫婦で上げる。半分以上はゴミ。後の半分はそれこそ魚類図鑑がいる位いろんな魚や貝やクラゲが入っている。一日に多い時は朝から五度位網を入れる。夫は網係、妻は仕分け。ゴッタの中から一つ一つ丁寧に丁寧に仕分けていく。
驚いた事に朝、港を出てから昼船の上で食事し港に帰るまでひと言も会話をしない。
全て暗黙の世界だ。夫婦長持ちのコツは余計な会話をしない事というが正にそのお手本だ。港に帰ると仲間が迎えに来てくれている。仕分けた入れ物を次々と渡す。そして漁協へ行くとその日の稼ぎを書いた紙切れを渡される。
家に帰ると娘さん二人と息子さんみんなで酒盛りを開始。旨い、何もかも旨い。特に生の車子に本生わさびは最高。渡り蟹は次に最高だった。
今でもこの時の海の味を覚えていると、暫くすると何と奥さんが一杯気げんで瀬戸の花嫁を歌うではないか。子供達はやんややんやお父さんはコップをグイグイ。
これが日本の夫婦なんだと思った。十七歳で嫁に来て姑さんと一緒に二十年近く、そしてその時五十三歳の瀬戸の花嫁だった。
今日寿司屋でいい車子が入ったというので二貫食べた(ツメをつけて)。そして思い出した。夫婦は余計な会話をしてはいけないの格言を。