ズタズタ、バラバラ、ポリ袋入れ、投げ捨て、放っぽらかし、金属バットで撲殺、焼き尽くし、等々毎日毎日残忍な殺人事件が起きる。
八百屋お七とか阿部定事件、日本閣殺人事件が起きていた頃はその事件だけでも日本中は大騒ぎだった。今ではちょっとやそっとでは、あっ又かなんてみんな無関心。何が恐いと言って無関心ほど社会にとって恐い事はない。
慈恵医大の医師が看護師さんに手を出し妊娠させ、あろう事か出産時に使う薬を使って流産させた。インタビューに対しても何人も付き合っていたので判らない、何か確かな証拠でもあるんですか、なんてとぼけている。六週目の赤ちゃんは殺されたという事になる。医師は何でも手に入る、又豊富な知識がある、それ故極めて悪質な犯罪であり許し難い。重要事件がまるで解決しない。
過日殺人事件の時効がなくなり良かったと思う。
又迷宮入りの事件(コールドケース)も継続で出来る様に法が改正された。許されざる者は逃さずだが最近の日本の警察の検挙率は低下の一途だ。
中国、韓国、タイ、ベトナム、フィリピンやイラン、イラク、アフガン、ボリビア、コロンビア、ロシア等様々な人種がどんどん日本に入って来ている、事件を起こして直ぐ帰国してしまうともうみんなお蔵入りとなってしまう。
何しろ日本円で五千円か一万円で平気で人を殺す連中が新大久保周辺にゴッソリとたむろしている。危ない地域だ。街に出るとヤクザ者の姿はあまり目立たなくマフィア化してしまい組のバッジも大幹部以外は付ける事が出来ない。下っ端が起こした事件でもトップに責任があると判断されるからだ。
金筋のヤクザは殺してもそれなりの美学があるが、アジア、中東、中南米や堅気が起こす事件は一発で決めないでそこまでやるかという殺し方である。いきなり小学校の生徒を刺すという通り魔が引きこもりの女であったりすると孫達の命が心配である。教師は生徒に手を出してHな事をし、その上で命にまで手を出す。
日本人の精神が完全に痛んで来てしまっている。
昔は人の噂も七十五日と言ったが今や人の噂も七十五時間である。自分たちの生活のために目一杯となっているのだ。例え、目の前に息も絶え絶えの人が倒れていても手を差し出してあげる人は少ない。言葉を交わさない隣人同士も不気味なものだ。突然子供の声がうるせいよとか、犬がうるさいとか言ってギャーギャー騒ぐ浪人生達、人の家の玄関の前で子供を遊ばせるなというリタイヤした怒るオジサン達。
国中、街中、町中、村中がイライラ、ギスギスしている。日本人は優しい民であったはずなのだが心身が荒廃してしまった。
キレるかグレるブータレる人々、閉じこもる若者達、子供達、どうしていいか判らない大人たち、父親たち母親たち教師たち信じるべきものを失うと人は宗教に走ってしまう。この宗教が又恐い恐い世界となり人間を洗脳してしまう。
村上春樹は1Q84でその一部分を書いていたがまるで取材不足、単なる風俗小説でしかなかった。1,2,3で何を書きたかったのか、その主題が全く判らなかった。文章が冗長であり心に染みる言葉は一行も無かった。物語のラストは出来の悪い恋愛小説であった。読んだ自分が悪かったと猛省した。
きっと作者は大恋愛を経験してなく、暴力の経験もない人であったのだろうと思う。
この頃の事件の特長は女性が事件に積極的に参加しているという事だ。特に恐妻は文字通り恐い。
結婚式ならぬ離婚式が行われているという、新郎新婦でなく旧郎旧婦が指輪を外しハンマーで結婚指輪を壊すという。出席者からは拍手の渦、フラワーシャワーとなる。
しかしいずれ殺し合うよりはいいのかもしれない。
世のご主人達、奥方が包丁を持って料理している最中に、ああだこうだ、あれはどうしたこれはこうしたかなんてグダグダ言わない事だ。
出来上がった料理は旨い、旨いと誉めまくる事だ。そうしないと自分が料理されてブツ切りにされポリ袋に入れ生ゴミとして捨てられる。
「OUT」とい小説は主婦達がこんな事をする本だった。文字通り結婚は人生の墓場となるのである。
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