法は破る為にある、ルールは犯すためにある。
約束はあくまで約束である。
そんな光景を映像を見た、所は静岡県浜名湖である。
うるせーんだよ、捨てりゃいいんだろ捨てれば、バカヤローと言いながら網の中の沢山のアサリを湖に投げたオバサンとオジサン。
アサリの密漁である。
浜名湖は日本でも有数なアサリの産地なのだ。で、密漁者達が続々と出る。
密漁を取り締まる湖上パトロール船と追い駆けっこをする。年間一億円以上の被害が出るというではないか。アサリは誰の物かについては色々法的解釈があるらしい。密漁するのは実は漁師が殆どだという。あの手、この手で密漁しアサリを隠す。
大概釣り道具を船に積んでいて、あなたなにやってんの駄目だよなんて言われると、うっせえな釣りだよ釣りなんてバックレる。船底を見せてもらうよなんて言われて船底を見られるとしっかり網の中にアサリが入っているてフックで繋がっている。
やっちゃいけない事は犯罪だよ、ドロボーだよと言われると俺たちの浜名湖だ、誰に権利あんだよなんて開き直る始末だ。
私はふとある高名な民族学者の一説を思い出した。ある人国記である。
そこに静岡県についてこの様に書いてあった。静岡県、この地に悪人はいない。気候温暖にして富士の名峰を日々仰ぎ、いい茶、いい魚、いい果実に恵まれている。
人間に欲がない、しかるに清水次郎長以外に歴史上の大人物は排出していない、とまあこんな風に書いてあった。それはかなり当たっていて私が知っている静岡人は実に温厚にして欲がなく奉仕型の人ばかりである。
あの清水の次郎長は晩年は日本で初めての英語学校を創ったりした。山岡鉄舟に会い、心を改め堅気になり明治新政府に尽くした。だから何で静岡人が浜名湖で密漁をと思ったのである。
私の生まれた国、岡山などはその学者によると魚にすればサヨリの如し、外見はキラキラ美しいが捌けば腹の中は真っ黒であるという。いやつくづく当たっている。岡山人が密漁するなら判らないでもないがと思った。
アサリといえば大劇団の浅利○×の話の事を思い出した。
友人の画家の娘さんがやっとこさの思いで大劇団に入り夢と希望に燃えて毎日激しい稽古をしていた。だがしかし、浅利○×は密漁者であったらしい。
劇団員の中の気に入った女の子を手当たり次第に漁るという。その娘さんもその魔の手に遭いそうになりご両親に相談して退団した。
この手の話はよくあるが、確かな証拠がないので何とも言えない。
劇団なのでちょっとした作り話と思いたいのだが。肉体言語(ボディランゲージ)という言葉もある。新興宗教の教祖がよく使う手だ。肉体を通して教えをするという何とも都合のいい教えだ。
いいセリフを、大好きな役を、この役は君にそういいながら肉体を言語化する。古典的手法で毒牙にかけて行く。一度でも拒んだら永遠に日の目は見れない。
○○団、○×劇団、□△教と名が付くと多いらしい。
マルチ商法も同じである。一度入ったら蟻地獄の様に出る事は出来ない。上にのし上がって行くには自己犠牲を払うしかないのである。
ファッションや絵画、芸術の世界で名を上げるには、本場フランス人の密漁の餌食になるしかない。同性愛以外の日本人が名を上げた例はほとんど皆無である。イボ痔、切れ痔がその代償となる。芸術家に痔主が多いのはその為である。
フランスの男女程、後が好きな国民はいない。
それ故決してフランス人に後を見せてはいけない。ボンジュールなんて言って近づいて来たら両手で×(バツ)を示した方がいい。
私の後輩が20年前からフランスで絵画を学んでいる。最近個展の知らせが来た。
数々の賞を受賞し始めた。と同時に絵の世界が怪しくなってきた。
描く対象が若い男の裸体ばっかりだ。今度ボラギノールを送ってやろうと思っている。
密漁されているのだきっと。