猫の額ほどの小さな庭に偉そうに小さな瓢箪池がある。
子供の頃育った家に池があったのでどうしても池を作りたかった。
亡くなった庭師夫婦が丹精込めて一畳半の茶室と坪庭と池を作ってくれた。ずっと枯れ池にしておいたのだが久々に水を張りたくなって水を入れる事にした。
愚妻は池に水を入れていた時、私が病気になったので縁起が悪いと反対であったが、今更命に未練はないので池に水を入れる事にした。
ある日新しい庭師の人が三匹のでっかい鯉をビニール袋に入れて持って来てくれた。
何でもサッポロビールの創業者の人の家に大きな池があり、数十匹の鯉がいたという。庭を直すに当たり庭を枯れ山水にしたい、それ故鯉たちを鎌倉の遊行寺などの池に放つという、それを聞いたので貰って来てくれたのだ。
残念ながら一番大きな鯉は直ぐ死んでしまった。場所を移され過度のストレスのせいだという。大きな屋敷の家から小さな池に移されたからだ。
庭の片隅に埋めて赤レンガで墓を作ってあげお線香をあげた。
愚妻はだから言ったじゃない、あなたは生き物を飼ってそれが死ぬと酷く落ち込むからと言った。確かに人が死んでも滅多に人前で涙は流さないが、愛犬が死んだり金魚が死んだりするとガックリし涙を流す。
相手が口を効けないものの死には責任を感じるのだ。
赤い模様の鯉にはさくら、黒い模様の鯉には一郎と名を付けた。
あのヒット曲、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」からだ。
ポールとポーラとか、ヒデとロザンナとか、ケンとメリーとか候補にしたが、やはり私は昭和生まれなので「さくらと一郎」にした。「貧しさに負けた、いいえ世間に負けた」というフレーズが好きだった。
さくらと一郎は酷く警戒心が強く、窓をちょっと開けた音で大きく反応した。
鯉のエサを買って来てあげても全然食べない。庭師に電話すると環境が変わって警戒しているという。公園の鯉なんか何でもぱくぱく食べるじゃないかと思ったが、ブルジョワの大きな池から突然小さな池に移り、きっとプライドが傷ついたのだろう。
あまりエサを食べないので心配して庭師に電話し、引地川にでも放してやってくれと言った。判りました時間が出来たら取りに行きますと言った。
それから目隠しの竹蓙を買い、ホースで水を引き一日中チョロチョロと水を出した。夏の暑さで水が蒸発してしまうのである。鯉たちはそのチョロチョロ水が出る所に来て息を吸う、きっと気持ちいいのだろう。
生き物たちは愛情を注げばちゃんとそれに反応してくれる。
始めは決して食べなかった粒々の鯉のエサも今ではホラッと投げて池に入れるとサッと来て美味しそうに食べる。蓮の花も育ちいい塩梅になってきた。
世間に流れさて来たさくらと一郎の安らぎの場になってくれたら嬉しい。
さくらと一郎が何で今日現在私の家に居るのかは科学的に証明出来ない。人間の夫婦も同じ様に偶然の産物でしかない。恋と鯉は同じといえる、ある日突然出会い生まれる。そしていつか別れが来る。生き別れ、死に別れ、又は一緒に。鯉にはいい褒美を上げねばならない。人間も同じ、いつも何かに恋をしていい酸素を吸い込まないといけない。
さくらと一郎はこの頃仲がいい、鯉が恋したのかもしれない。
二匹仲良く狭い池の中を気持ちよさそうに泳いでいる。夜中帰って懐中電灯で照らす、水面に顔を出す。恋は丹精を込めないと育たない。
私の人生で映画は一番の恋人である。日々形にならないシナリオを書き続ける。
頭の中では名作が何本も出来上がっているのだが。
近々渋谷、宮益坂にあるスペインレストラン「ラ・プラーヤ」でランチ&シネマを実現する。
マスターは凄くユニークな文化人、シネマラ・プラーヤ&東本と名付け美味しいラ・プラーヤのランチ1600円位+私の作品や若手の短編映画を定期的に上映する。
合計2800円で十一時半から一時半まで至福の時間を過ごしてもらう。
客席は約四十名、お楽しみに。
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