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2010年7月12日月曜日

人間市場 お弁当市


男子厨房に入らず私は台所に立って料理を作る事はない。
但しお弁当は気が向くと作ってやる。お弁当は料理ではないデザインだからだ。

朝方まで起きていると時々、よし弁当でも作るかという気になる。
和菓子が入っていた入れ物とかお赤飯をもらった時の入れ物とか果物が入っていた籠とか入れ物はアイデア次第で色々考えられる。二人しかいないので残り物が冷蔵庫の中に入っている。少し炒めたり、焼いたりする。材料もあるが決して料理ではない。

私には三人の姉がいた。とにかくうるさい姉達であったが弁当だけは最高に美しく旨かった。三人共に料理と盛り合わせ、盛り付けが抜群であった。
どこから箸を付けていいか判らない程であった。料理と掃除以外は全く自慢出来た姉ではない。中学と高校一年まで弁当を作ってくれた。

小遣い稼ぎのために弁当をよく売ったというより買わせた。
どの友人の弁当より高く値が付いた。ウインナーソーセージ、鮭の切り身三分の一、鰆の西京漬三分の一、昆布少々、京漬け少々、しじみの佃煮、明太子少々、これは角のコーナーに玉子と挽肉のそぼろ、それにシラス

黄色と白と茶色。ご飯は二段仕込み、真ん中に海苔を忘れずに。色合いに赤いプチトマト、緑色のピーマンの千切り、最後にデザートのさくらんぼ、これらを思い思いにレイアウトしていく。イメージは北海道の富良野の大地である。何しろ長年の不眠症なので時々こんな事をする。息子とか息子の嫁さん、愚妻も食べる。
天の邪鬼だし小食だがきちんと食べきっている。どうだ、旨かったろと言うと「うん、まあね」位しか言わない。可愛気のないのである、きっと悔しいのだ。

自分が作るのより勝っているので、愚妻は出かける時よく弁当を作って置いて行く。
私が弁当大好き人間だからだ。息子と嫁さんはグランパのお弁当は最高だよ、凄くキレイと言ってくれる。

デパートの食品売り場で弁当売り場に行くのが好きだ。何だか旅した気分になる。
勿論駅弁大会(京王百貨店)は大好きだ、列車に乗ってる気がするからだ。いろんな物が沢山キレイに入っているのが好きだ。カツ弁とか牛肉弁とか豚ショーガ焼きみたいな麻雀で云うとリーチのみとかリーチピンフウとかメンタンピンくらいでは承知出来ない。
国士無双みたいに十三種位入っているのがいい。食べる楽しみより探す楽しみだ。

ある日、日比谷公園を横切っていると公園のあちこちで左手にコーヒー牛乳片手にパンとか、うら若き女性が吉野家の牛丼とか大の男がプチサンドと缶コーヒーとか几帳面な中年男が膝の上にハンカチを引きジュラルミンの弁当箱を開け右側に小さな魔法瓶を置いている。天を暫く見てからふーと大きくため息をつき、マイ箸を出してやおら食べ始める。少し泣いている様に見えるのは何故だろう、気のせいかもしれない。

更に公園を出て歩いて行くと道路工事の現場近くの日陰の道に工事職人さんが座り込んで愛妻弁当、見るからにご飯の量が多い。首に白いタオル、額から玉の汗、陽に灼けた肌、タフな男の姿だ。

私の息子も職人だ、きっと炎天下やゲリラ豪雨の中どこかに身を隠し愛妻弁当を食べているだろうと思った。弁当は人生の縮図である。コンビニやスーパーが出来て以来手作り愛妻弁当は減ってしまっている。

愛妻弁当を食べている夫婦の離婚率は低い。
1500円から3000円位のランチを食べている夫婦の離婚率はランチの値段が高くなる程高くなっていくらしい。
朝マック、昼マックの行列をしている人達は肥満と不満の行列だ。

さて、私は実は料理は何でも作れる。親が働いていたので自分で作る事を覚えた。
姉たちの料理作りを見て育ったからだ。だが男が台所に立っている姿はヤメテという約束に近い事があり又、疲れてそんな気にもならないので一切しない。


堺正章のチューボーですよという番組が好きである。
料理上手盛り合わせ上手になるにはいい店を食べ歩かないと決してなれない。

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