大正末期。
第一次世界大戦のバブル景気で成金が出現し、貧富の差が拡大した。
丁度かつての日本が今の中国である。
その頃、今でいうなら超人気の路上シンガーソングライターがいた。庶民の声を代弁し、権力や権威、特権階級を風刺し続けた。
「金々節」というのがある。
「金だ金々 金々金だ 金だ金々 この世は金だ 金だ金だよ 誰が何と言おうと
金だ金だよ 黄金万能 金だ力だ 力だ金だ その金欲しや 欲しや欲しやの
顔色目色 見やれ血眼 くまたか眼」
そして「学者、議員も政治も金だ」 「神も仏も坊主も金だ」 「金だ教育 学校も金だ」と二十一番まで続く。
当時演歌とは演説歌の略の事、シンガーソングライターの添田唖蝉坊という。
神奈川県大磯生まれ本名は「平吉」、中農の生まれであった。豊かな長髪を肩まで垂らし、細く透き通るような美声で歌ったという。
唖蝉坊をずっと尾行していた刑事がその演歌に共感して定年になった時に弟子入りを申し込んだという逸話があると朝日新聞、加藤明氏のコラムで知った。
今の日本や中国、いや世界60億近い地球の民の頭の中は見事に金、金、金、金の拝金主義だ。唖蝉坊は大正末期とまるで同じ人間の姿に「呆然ボー」となるだろう。
尾崎紅葉の小説に「金色夜叉」というのがある。私は始めてその字を見た時「コンジキヨルマタ」と読んだ。死んだ母親が正月にみんなで集まると一杯気分で「貫一とお宮」の有名な熱海の海岸のシーンを演じた。
熱海の海岸散歩する貫一、お宮の二人連れ、共に歩むも今日限り、共に語るも今日限り、お宮さんあなたはダイヤモンドに目が眩んだのかと問い詰める。今月今夜この月を決して忘れないと、足許にすがるお宮を下駄で足蹴りにする。
やがて貫一は学校を出て金貸しになる。一方お宮が結婚した相手は事業に失敗し、一文無しになるという様な復讐の話だ。今も熱海の海岸のお宮の松は観光名所である。
母がなんでこの物語が好きであったかは判らない。清く貧しく美しくという言葉が死語になってしまった。汚く金追い醜くくだ。こんな時代の風潮を子供達や孫達の世代に遺したくない。
妻に先立たれた後、唖蝉坊は関東大震災で被災するまでの十三年間、息子と下町の四畳半一間きりの長屋に住んだという。「ノンキ節」というのにこんな一節がある。
貧乏でこそあれ日本人はエライ それに第一辛抱強い 天井知らずに物価は上がっても 湯なり粥なりすすって生きている あ、ノンキだね。
まるで地球をイジメた人間に復讐する様に、地球上で天変地異が起きている。もの凄い暑さと集中豪雨だ。
金正日がプッツン起こして核を飛ばすやもしれない。
追いつめられると何をするか判らない。この国はテロリストの女性にノンキに料理を作らしたり遊覧飛行をさせたりする。どこがいけないの、二度と来れないのだから東京やそこいらを見せてあげたかったんだ、と中井恰(ハマグリと言われている)大臣は眉をつり上げて言った。
拉致家族は日本の特権階級である全ての言動が優先される。別にどこの味方でもないが、日本が中国人や韓国人、朝鮮人、台湾人に行って来た悪夢の数々は途方もない神をも恐れぬ行為であった。
外交とは相方win,winにならないと話は進まない。
夏の夜の悪夢が起きない事を祈るのみだ。かなりきな臭いテロリストの来日である。米国、韓国、中国、ロシアがその裏側を知らない訳がない。
日本の政治やマスコミはノンキにアーデモないコーデモないといつものコップの中の嵐だ。
私の心境は「呆然坊」だ。役者がいない。夏の役者「蝉」が一度も鳴かない。
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