短冊に願い事を書いて笹竹に吊す。
七夕飾りは女性が裁縫の上達を祈る中国の風習「乞巧奠(きっこうでん)」の影響を受けているそうである。
日本に伝わったのは奈良時代、祈る対象は牽牛と織女の二星であった。
これと巫女が水辺の棚で機を織って神を迎える「棚機つ女(たなばたつめ)」の信仰が結びつき、平安時代の宮中では毎の幸や山の幸を五色の糸を通した金銀の針を供えて詩歌や管弦などの技術の上達を祈った。東京大宮八幡宮ではその様子を再現している。短冊代わりにカジノキの葉が使われている。七夕が民衆の間に広がったのは、寺子屋が増えた江戸後期、子供達が手習いの上達を願ったからではないかと思われるという。
仙台、阿佐ヶ谷、平塚が日本の三大七夕祭りという。十代の頃不良に明け暮れた時期、阿佐ヶ谷の七夕祭りは喧嘩祭りであった。あちこちの不良少年少女がたっぷりと集まってくる。それぞれが群れを作り一触即発の雰囲気がヒリヒリとアーケードの中に漂う。やがてアーケードの裏通りや近所の神社で喧嘩が始まる。
それは夜明けまで続く、勿論私はその中心であった。
ここでビシッとした結果を出さないと一緒に連れている織姫さんにも顔向けが出来ない。決して負ける事は許されないのだ。正直痛い事、痛い事。体中の全てが痛い。だがこの痛さが又たまらなく好きであった。
一発一発打たれ口が裂け、鼻血が出、歯がグラグラすると自分の中の狂気が目覚め闘志が沸き上がってくる。両手の拳はヒビが入り指は二三本骨折する。織姫に部屋に帰って氷で冷やして貰う。オキシフルで消毒してもらい、赤チンやヨードチンキを塗って貰う。両手に湿布薬を小さく切って貼り包帯で巻いて貰う。
織姫が今日は七夕、何か願い事をしたと聞かれると何もと言った。何でと言うから何もねえからだよと言った。こんな生活そろそろ駄目かもねと言うからそうかもなと言った。サントリーレッドをコップに入れうがいをする。
口の中、歯茎一本一本の歯まで沁み込み痛みを実感する。体中の打撲の跡に冷たいスプレーをかけてもらう。四畳半、簡易ベッド、小さなタンス、小さな台所、ガスコンロ一台、力なく回る扇風機、ヤカン一つ、小さな電気釜一つ、茶碗二つ、湯呑みが二つ、ただそれだけであった。
母親から長い長い手紙が来ていた。居ない間に自分で持って来ていたらしい。時々訪ねて来た。今でもその頃の手紙をとってある。七夕の頃になると阿佐ヶ谷を思い出し、荻窪のアパートの一室を思い出し、今でも曲がったままの六本の指を見つめる。あの頃のみんなどうしているだろうか、元気にしてろやと願う。
平塚は私が住んでいる街の隣街。越して来た頃はよく行ったがこの頃は行かない。
人混みが苦手になっているからだ。息子達と孫達が行って来た。お小遣いをあげたら喜んでいた。
ワンパクでもいい、おてんばでもいい、元気で丈夫に育って欲しいと心の中で願っている。幸い私の娘と息子は超真面目である。酒も何故か飲まない、人とは争わず見栄も張らず清く貧しく美しく生きている。勿論喧嘩や博打や女遊びもしない。
本当に私の子であろうかと思う程だ。きっと父親が人の何倍もいけない事をしたのでお天道様が悪い遺伝子を断ってくれたのだろう。
そんな私も人生の最終コーナーを回りゴールテープが大きく見えて来た。
どんなズタズタ感でテープに向かうだろうか、又はゴールテープまでたどり着く事は出来ないかもしれない。こんなに長生きするとは夢にも思っていなかった。
自分のラストシーンへのシナリオを今、色々考えている。歴史に残るような劇的なラストシーンにしたいと思っている。無様な姿だけはさらしたくないと思っているのだが。罪と罰がありすぎたからお天道様も大いに迷う事だろう。
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