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2010年7月20日火曜日

人間市場 天才三人市

人を現す言葉に次の様なのがある。
井戸を見つけた人、井戸を掘った人、井戸の水を飲む人。
又、籠に乗る人、作る人、そのまた草履を作る人とか。

先日演出家にして小説家のつかこうへいさんが亡くなった。
在日韓国人であるが故の苦労もその血に対する熱い想いもあったのであろう。その名前は「いつかこうへい」にとの願いから付けたという。人を見つけ育てる天才であった。

広末涼子、風間杜夫、筧利夫、黒木メイサ、平田満、阿部寛たちを始め、沢山の才能がつかこうへいと出会い大きく育っていった。


恐ろしい人であった。
一度仕事を頼みに行った時、とてもこの人には頼めないと想った。
煙草をバカバカ吸いながらバカバカ怒鳴りまくる、コテンパンに言う、しかし稽古が終わった後の優しい事この上ない。熱情と同士愛、劇団員は同胞なのだろう。
一緒に戦う戦友でもあるのだ。天才としか言えない。

恐しい演出家に蜷川幸雄さんがいる。この人は今いる役者に全く新しい生命を与える。
自らも映画俳優であったが俺は役者としては大根さと言った。もの凄い読書家であり、勉強家であり続けている。灰皿をブン投げる事で有名であった。

確かにその稽古は猛烈であった。
私が仕事を頼む為にそっと見に行った時、平幹二郎と栗原小巻で「マクベス」をやっていた。

ある日東急文化村の一階コーヒーショップで打合せをした時、今日はさ、岡本健一の奴電線で縛ってめちゃくちゃ痛めたの、あいつ今日で痛め始めて十日目だけど凄い良くなって来たんだ。いい感じになって来たと嬉しそうな顔をしていた。

何かイタズラおじさんが宝物を見つけた様であった。
今度は唐沢寿明で「シェークスピア」をやる。徹底的にやるからお楽しみにと言ってお帰りになった。天才としか言い様がない。仕事は快く引き受けてくれました。
当時私の中学の先輩が東急文化村の社長田中珍彦大プロデューサーであったからだろう。勿論同席してくれた。

日本の伝統歌舞伎に斬新な解釈を加え中村勘三郎と古田新太や笹野高史、又、市川橋之助などに大胆不敵な様式の中で「コクーン歌舞伎」という新しいジャンルを生んだ演出家が串田和美さんだ。私は大ファンであり、殆ど観に行く。

一度どうしても会いたくて知人の衆議院議員の秘書の方にセッティングをお願いした。串田和美さんと成蹊大学で一緒だと聞いたからだ。超一流の人間に会うと例え一瞬でも強烈な電磁波を受けオーラが私の体の中に侵入してくるからだ。場所は吉祥寺の日本料理屋さん。事前に調べておいた。和食ランチであった。


憧れの串田和美さんはフツーの自転車に乗って現れた。とても気さくな人で緊張していた私はいっぺんに心が解放された。この人があの「コクーン歌舞伎」の人かと逆に気さくさの中に凄味を感じた。自身も役者として出演する。
童顔の天才はさりげなく途方もない夢をさらっと語っていた。

一人の天才は人を見つけ育てる、一人の天才は才能をぶっ壊し新しい才能に育てる、一人の天才は伝統とかルールを全く新しい価値にし、役者の中にあるもうひとりの役者を引っ張り出して育てる。形は違うが三人共劇という戦場で共に戦う役者さんや照明や美術、音声、大道具、小道具、衣裳さん達を戦友として命の様に大切にする。そのために怒りまくる。怒りの後に結果という美味しい果実をみんなで食べる事が出来るからだ。


この頃の社会は人の恩や、人に世話になった事や、人の苦労をトンビが油揚げを取る様にしてしまう者が多い。失敗は人のせい、成功は自分の物という救いがたき者共だ。
今、自分があるのは誰のお陰か、私は日々お世話になった方々やご迷惑をかけた方々の事を考える。歳を取ったせいだろうか。

一人でも多くの才能を発掘し、若者を育てたいものだ。そのためには怒り続けないといけない。三人の天才に学んだもの、それは完璧を求めて自分に怒れ怒れだ。

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