隣は何をする人ぞ。
最近お隣さんと言葉を交わしましたか?一緒に食事をしたりしましたか?一緒に人生を語り合ったり、教育について語り合ったり、腹を抱えて笑い合ったりしましたか?
今の世の中強盗が入ったり、泥棒が入ったりして「助けてー」なんて大声出しても誰も助けてくれません。みんな関わりたくないのです。どんな異臭がしようが、老人が居なくなろうが、赤ん坊や子供が泣きわめいていようが関わりたくないのです。
大きな事件になった後決まって、実はこんな事があんな事が気になっていたのだがとお隣さん達はかしましい事となる。
さて、お隣さんで一番近いのは隣に寝ている夫であり、妻であり、息子であり、娘であります。実はこのお隣さんについて知らない事が多いのです。
夫が最近やけに色気づいている、喫茶店の隅っこでずーっと携帯をいじっていたという人がいた。何か変だ。
妻がやけにはしゃいでいる、友達と会う等といって外出が多い。何か変だ。
息子が部屋から出て来ない学校にも行ってない様だ。何か変だ。
娘が派手になってきた、髪の毛も染め爪もキラキラ何だか恐い。何か変だ。
この家族は現代ニッポンのモデルケース。
一緒に食事もしない、それぞれ無関心、それぞれ話したくない、バラバラの積み木細工なのだ。
えっ、夫に若い女がいた!
妻が不倫を!
えっ、息子が大麻を!
えっ、娘が婦人科から出て来た!
嘘、嘘、嘘だという事態になってはじめて一大事となる。
「淡交(たんこう)」という言葉がある。
淡泊な交際。わだかまりがなくあっさりした君子の交わり、の事である。
君子の交わりは淡きこと水の如く、小人の代わりは甘きこと「醴(れい)」の如し。
「醴」とは甘酒の様な物、甘くてベタベタしている。立派な人物の交際は水の様に淡泊であり、つまらない人間の交際は甘酒の様にベタベタしている。
「荘子」にこういう教えがある。無関心は一番悪く、感心が過ぎるのも又いけないといえるのだろう。携帯とメールの発達がドンドン家庭の中の空気を分断している。
二階の息子が一階の母親にメールでラーメンとカレーを出前させろとか、着替えを持って来いなどと命令したりする。寝室から一階のリビングで風呂上がりの髪を乾かしている妻に何やってるんだ早く来いなんてメールする。
そこに部屋の中にいる娘から母親にメールが入る。いい歳して恥ずかしい事しないでよ、もうすぐ友達が来るんだからなんて事がニッポン中の一般家庭で起こっているのだ。
現在この国に百歳以上のお年寄りが四万人以上いるという。
その方達の行方不明が多いというではないか。この国は儒教の国であり、何より年長者を大切にしてきた筈である。なんとも痛ましい親子関係、地域社会だ。
自分の産んだ子供を生ゴミと一緒に部屋に閉じこめてホストクラブで遊び続けた若い母親がいた。子供が泣こうが臭いがしようが誰も行動を起こさない。
無関心社会が現状なのである。一切関わらない社会なのだ。
今、あるカルタを企画している。
そのためにある離婚弁護士に取材した、離婚の原因の第一は性格不一致だがその中で妻はしつこい夫が嫌、夫は疑い深い妻が嫌というのが多い。
又、気持ち悪い位優しいというのが多かった。(怒らない夫)当然収入が少ないとか向上心が無い、無気力、無関心が続く。
一番近いお隣と仲良くして下さい。
粗大ゴミとかババアなんて決して言わないで下さい。
先日近所の路上で粗大ゴミの出し方でお隣さん同士が喧嘩していました。
その内容はお互いの家の中をよく知っている事だらけでビックリした。そんなだらしない分別の仕方だからご主人が出て行ったのよとか、そんなのだから息子が引きこもったままなのとか、いやはやお隣同士は近いようで恐い仲なのだ。