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2010年8月26日木曜日

湘南の嵐便り 「貢ぐ女」


ゴルフを教えるプロに江連忠という人がいる。

上田桃子、佐伯三貴は江連氏のところを離れた、というより別れたのかもしれない。
江連氏はこの頃、諸見里しのぶを教えている。



鈍臭かった女の子がドンドン女性ぽくなっている。
ゴルフ以外のレッスンも受けているというのが業界の定説らしい。

優勝の副賞のショベルカーを江連氏が主宰するゴルフアカデミーに寄付、チーム江連事務所のリビングにある大型液晶テレビも諸見里がプレゼント、その他にも色々愛をプレゼントしている。



今年不調なのはゴルフ以外のレッスンが影響しているのではという業界スズメも多い。
女の戦いはそれは凄まじいものであるという。
勝てば可愛がって貰える、優しくレッスンしてくれるからなのだろう。

勝って貢ぐ女がいい女子プロゴルファーなのである。
試合前、試合後などは異様な化粧の臭い、香水の匂い、汗の臭いで鼻をつくとゴルフ記者が言っていた。

通常レッスンプロはその賞金の10%と聞いた。
一億なら一千万円というところか、ただし契約は複雑でもっと貢がされるという。

芸者に例えるとレッスンプロは置屋のヤリ手ババアで選手は芸者さん、勝っている内は花よ蝶だが、勝てなくなればお座敷がまるでかからなくなった老桜となる。

中々に辛く厳しい。
プライドと誇りと女の性をかけた猛烈な戦いの世界なのだ。

九月にある女子プロと食事をする予定だ。
勿論仕事の打合せである。

2010年8月25日水曜日

湘南の嵐について


「湘南の嵐」とは、実は私の家に17年住んでいた愛犬、ミニチュアダックスフンドの名前です。

横浜そごうのペットショップで買い求めた。
未だ目が良く見えない位だったが英国の正式な血統書が付いているので直ぐ売れてしまうと言われた。小学生だった娘がどうしても欲しいというので買った。
そして娘が嵐と名を付けた。

家の中ではアッちゃんと呼ばれた。
前の犬はブッチといって真っ白い紀州犬の血が入った犬だった。13年の表彰を市から受けて直ぐに死んだ。その知らせを会社で打合せ中に聞いた。土曜の午後だった。

午前中入院先に愚妻と見舞うとへったりしていたが牛乳を入れてあげるとなんとか起き上がろうとしたが動けなかった。ただじっと目を潤ませてハアハアしながら私たちを見つめていた。明日又来るからねと言って仕事に向かった。ブッチが死んだのという声を聞き私の目から滝の様に涙が出た、自分の中にこれ程の涙があるのかと思った。



打合せに来ていた人達は鬼の目から流れる涙に騒然となった。一人にさせてもらいずっとずっと泣き続けた。もう二度と生き物は飼わないとその日誓ったのだが、「嵐」と出会う事となる。



家の中の囲みの中に牛乳がポタポタと落ちる瓶を付けた。
それ以来「嵐」は我が家の王様となった。17年の表彰を茅ヶ崎の市民会館で受けた。13年と17年が表彰されるようになっている。当日2000人入る会館はなんとギッシリ満員だった。



毎夜遅く又朝方帰宅すると短い足でコトコトコトコト小さな玄関に迎えに出てくれ女座りになっていた。私の姿を見ると長いフサフサの毛を大きく振って時々おしっこをチビッた。
抱きかかえて椅子に座ると手足を大きく広げお腹を見せた、そこを撫でてやり肉球を触ってやると大きな鼾をかいて眠りだす。

私は嵐と呼び愚妻と二人の子供はアッちゃんと呼んだ。
生活の全てが嵐が中心であった。半ば老衰であったが一月六日の深夜入院先から連絡が入り呼吸困難になっていた。医者から楽にしてあげましょうと言われた。診察台の上で押さえられていた嵐は私たちを見ると必死に起きようとした。

ゼイゼイしていた。
船橋に嫁に行っていた娘が二時頃着いた、家族五人揃ったので先生楽にしてやって下さいとお願いした。

一本の注射で嵐は永い眠りについた。数年ぶりに号泣していた。
散歩をいつもさせていた愚妻は床にへたり込んだ。

その一ヶ月後娘に赤ちゃんが宿った事を知った。

とにかくよく人を噛む犬であった私に似ていると人々は言ったものだ。
「湘南の嵐便り」は私の愛犬二匹の魂がこもっているのです。


2010年8月24日火曜日

湘南の嵐便り 「あこぎ」


あの野郎は本当に「あこぎ」な奴だ、殺されたっていい位だ。
あの家のあの人も酷い「あこぎ」な人よ、高利で金を貸して取り立て、恐い人を使って厳しいって話よ。

この「あこぎ」の語源を講談で知った。



三重県津市に阿漕浦(あこぎうら)というのがある。
そこにある悲話が伝えられている。悲話ゆかりの寺、上宮寺(通称あこぎ寺)。
主人公は、貧しい漁師「阿漕の平治」。伊勢神宮の神饌を調達する神聖な海のための禁漁区に平治は禁を犯して毎夜密漁を重ねてしまう。
そして捕まり簀巻きにされ海に放り込まれ死罪となった。そこから図々しく貪欲な様を「あこぎ」というようになったという。世阿弥の作にもなっている。

ところが平治は私利私欲の為ではなく、病の床に伏す母に精を付けさせたいと密漁を重ねたのだ。死してなお母を思い続ける平治の涙の後日談もある。
地元では平治は孝行息子の代名詞となって今も語り継がれている。

昨今老母達が息子達に放っぽらかしにされたり、粉々に砕かれたり、どこへ行ったから判らなくされている。消えた老母の年金だけで暮らしている息子もいた。
まるで社会全体が「あこぎ」な姥捨山と化している。

若い頃の苦労は買ってでもしろといわれた。
それはやがて親孝行をするための苦労なのだと思う。
つくづく「あこぎ」な出来事にため息が出る。

老人を大切にしよう。そうしないときっと化けて出てくるよ。

2010年8月23日月曜日

湘南の嵐便り 「デバ亀とサザエのつぼ焼き」


ごく普通の亀は日光が大好き。
必要な体温は太陽から得ています。
ほ乳類や鳥類たちとは違うのです。光は殺菌効果や骨や甲羅の成長に欠かせないのです。

ところが湘南の夏の夜には暗闇が大好きな亀が大量に出没します。
その亀の名を「デバ亀」といいます。公園の植え込みの中や海岸の防砂林の中、砂浜に上げている漁船の下などにヒッソリジックリ首を出し、目を輝かしているのです。

つまりは若いカップル達の愛の行為を覗くのです。
カップル一組に数人なんというケースもあるのです。住民が持ち回りで「デバ亀」狩りをする日があるのです。勿論若くないカップルも「愛しのエリー」なんか口ずさみながら若き日を思い出したりしているのです。

「デバ亀」をしていた奴と海辺のおでん屋でバッチリ出会った事があります。
その夜、私は海辺のサイクリングロードを走っていました。自転車の灯りの向こうに地引き網をする漁船がありました、そこに黒い影がモゾモゾゴゾゴゾしていました。
自転車に装着してある懐中電灯で、誰だ、何やってんだ(判っているんですが)と言って照らし出しました。黒い鞄で顔を隠し砂浜を走って遠のいていきました。

私はおでん屋で一杯飲むつもりだったのです。
私が店に入り、ちくわぶ、はんぺん、ウインナー巻き、コンニャク&鰺のタタキを頼んで小生ビールをグイと飲むと間違いなく浜辺に消え去った「デバ亀」です。

私から五席離れた処に座りました。
生ビール下さいと言ってから砂だらけの足許を手で払っていました。

私がマスターにさっき「デバ亀」を一匹見つけたよと言ったら生ビールを持つ手がドキッと止まりました。体がヤバイ早くこの店を出なければと言っています。
でも直ぐ出たらやばいとも言っています。マスターがおでん何かと言うと、ハイ、エーと、シドロモドロです。

よしこってり搾ってやろうと心に決め、サザエのつぼ焼きを追加したのです。

湘南に来た人はくれぐれも「デバ亀」に気をつけて下さい。
湘南の亀は暗い処が大好きですから。





えっ、その男はどうしたかって?そのおでん屋の30メートル先は交番なのです。
つぼ焼きの中身が偶数なら今夜は見逃し、奇数ならお巡りさんの処と決めました。


つぼの中の最後のはらわたを箸でつまみ出したら12個でした。

2010年8月20日金曜日

湘南の嵐便り


猛暑 危暑 甚暑 過暑 渇暑 熱暑 仰暑 荒暑 傷暑 嚇暑 狂暑 兇暑 虐暑 極暑 厳暑 死暑 汗暑 凄暑 嘆暑 難暑 烈暑 乱暑 剛暑 焦暑 驚暑 叫暑 戒暑 哭暑 絶暑 刺暑 射暑 搾暑 直暑 咆暑 拳暑 蒸暑 致暑 昂暑 殺暑 厭暑 刃暑 毒暑 荊暑 獄暑 凶暑 邪暑 鬼暑 酷暑 仇暑 怨暑 強暑 劇暑 牙暑 栲暑 猟暑 暴暑 圧暑 排暑 喝暑 窮暑 怒暑 焔暑 蝕暑 犯暑 歪暑 焼暑 鋭暑 刑暑 狩暑 超暑 壊暑と、まあここまで書いていると一人の坊主頭の男の人登場。
お寺のお坊さんみたいな人がTシャツを着て首に商店街のタオル(かなり使っている)を巻き、頭から湯気を出し体は汗まみれ沢山のキャンバスを抱えトートバックを肩に掛けてどーうも、アレキサンドル今井です。どーうもお願いします、一点でもいいから絵を買って下さいお願いしますと目をギョロギョロ。



私が今手掛けている展覧会のために知人の美術館長が紹介してくれた現代アートの旗手でした。そうか確かあの洋画界の巨人今井俊満さんの息子と言っておられた。

今井俊満さんは京都生まれ、フランス芸術文化勲章(コマンドール)受賞。
紺綬褒章受賞、パリアンフォルメルの旗手として活躍。数度の癌の手術をしながら2002年、74歳で亡くなるまで一年に200人の女性と関係を持ち、75カ国5500人以上の女性遍歴を持つスーパーアーティスト。



18時間をセックスに励み、8時間寝て、8時間絵などを描く。「絵なんて一瞬にして描くもの」と対談で語っている。晩年、死を目前にしながらも「サヨナラ」「エロチカ」などの個展で話題を呼んだ。



いやはや凄い人がいたもんでした。
私の目の前の息子さんも三人目の奥さんが出て行ってしまったとか。打合せテーブルの上にアクリル絵の具をバックからバラバラと投げ出しそこいら中の紙にバンバン絵の具で直接描き出しました。

もう汗びしょびしょ。猛暑だなんのって言ってらんない程の感激ショー。
勿論参加してくれることになりました。

お願いします絵を買って下さい、を連発してエレベーターに乗りました。私の下手な絵をベタ褒めしてくれたのはご愛敬。(私も絵の具で直接描く手法)でも何やら嬉しいのでした。パリで個展しろと勧められました。中々におだて上手の人でもありました。



今井俊満画伯にならって頑張らないと。

2010年8月9日月曜日

人間市場 夏休み市

猛暑、熱暑、炎暑。
ともかく連日消耗戦の様な日々が続いています。

昨年十一月よりブログなるものを書き始めてから十ヶ月、原稿用紙にして千二百枚を超えました。

本日より八月二十日まで夏休みを取ります。
二十三日から新しいスタイルのブログにしていきたいと思います。
夏休みにゆっくり考えます。

みなさん、どうかいい夏休みを。御身大切にして下さい。

2010年8月6日金曜日

人間市場 カバ市




カバの「デカ」が死んだ。
「デカ」といっても刑事ではない。体がでかいから「デカ」。

石川県能美市の「いしかわ動物園」で飼育されていた長寿日本一、世界第二位のカバちゃんであった。当年五十八歳、人間なら百歳を超えているという。

アフリカ生まれ岡山のキャラメルメーカー、カバヤがキャンペーンガールとして入手したらしい。キャンペーンガールという位だから女性であった。

私は動物園や水族館が大好きである。
何日見ていても飽きないが、何日も見てはいられない。
貧乏人はバカみたいに働かないといけないのだから。世の中に自動車とか飛行機とか掃除機とかドライヤーとか洗濯機とかの形体をデザインするインダストリアルデザイナーという才能あふれる人達がいる。


だがしかし、誰があのカバの形体を発想しただろうか。
サイ、バク、ワニ、アナコンダ、ゾウ、ライオン、トラ、ヒョウ、ペンギン、クジラ、イルカ、カニ、イカ、タコ、エビ、サザエ、ウニ、ナマコ等々誰も真似できない素晴らしいデザインを自然界は創造進化させて来た。


カバが人間を見たら何と思うだろうか、多分バカみたいと言うだろう。

私は実はバカが大好きである。
何にでもひとつの事にバカみたいに取り組み遊ぶ人は羨ましい。
釣りバカ、山歩きバカ、映画バカ、落語バカ、読書バカ、旅バカ、サーフィンバカ、スキューバダイビングバカ、飛行機バカ等々世の中には尊敬すべきバカが沢山いる。

一番困るのは何もしないバカとかパチンコバカ、競馬バカ、オートバカ、競輪バカ、競艇バカとか投資バカ等のあぶく銭ばかりを追い求めるバカは嫌いだ。

仕事バカも悲しい。
SEXバカ、ホモバカ、SM変態バカとかいうのは病気だから論外だ。


小さな庭に黒い蝶々が飛んでいた。直ぐ使い捨てカメラ(コレしか使えないので)で撮った。何て美しい色と形なんだろう、どんなに才能あるデザイナーも創れない。

人生デザインに例えるなら一人一人の人生はみんなひとつの作品なのだ。傑作もあれば駄作もある、又、大作もあれば小品もある。それぞれみんな人生なのだ。

人は誰でも一度だけは名作を書けるというのはそういう事なのだ。
諦めや投げやり、絶望はいけない。山谷親平曰く「絶望は愚か者の結論なり」だ。
絶望している時間があったらどんな小さな希望も見つけ一生懸命バカになるといい。

「カバ」のデカちゃんはひと言も物言わず生涯を閉じた。きっと色々文句もブータレたい事もあったであろう、だがしかしひたすら身を固め、その身をさらし続けた。アフリカの大地にいればどんな苦労があっても幸福だったと思う。

草原からコンクリートの上に、あーあワタシの人生って一体何だったのかしら、このニッポンっていう国は一体何ていう国なんだろうか、こんな暑い中アタシをわざわざ見に来るなんてバカみたい。みんな同じ顔に見えるわ、何かカバより固い意志を感じない。
最近同じ顔した中国人や韓国人も多いけど時代は変わったのね、信じられないアンビリーバブルよ。ニッポン人はもっともっとバカにならないと、ひとつの事に夢中になる事が大事なのよ、みなさん長い間ワタシを見てくれてありがとう、サヨウナラ。

人生には必ずサヨウナラがある。
とりあえずこの思い切りヤクザな暑さとサヨウナラしたい。今日はカバヤキでも食べよう。




2010年8月5日木曜日

人間市場 お隣市


隣は何をする人ぞ。
最近お隣さんと言葉を交わしましたか?一緒に食事をしたりしましたか?一緒に人生を語り合ったり、教育について語り合ったり、腹を抱えて笑い合ったりしましたか?

今の世の中強盗が入ったり、泥棒が入ったりして「助けてー」なんて大声出しても誰も助けてくれません。みんな関わりたくないのです。どんな異臭がしようが、老人が居なくなろうが、赤ん坊や子供が泣きわめいていようが関わりたくないのです。

大きな事件になった後決まって、実はこんな事があんな事が気になっていたのだがとお隣さん達はかしましい事となる。

さて、お隣さんで一番近いのは隣に寝ている夫であり、妻であり、息子であり、娘であります。実はこのお隣さんについて知らない事が多いのです。

夫が最近やけに色気づいている、喫茶店の隅っこでずーっと携帯をいじっていたという人がいた。何か変だ。
妻がやけにはしゃいでいる、友達と会う等といって外出が多い。何か変だ。
息子が部屋から出て来ない学校にも行ってない様だ。何か変だ。
娘が派手になってきた、髪の毛も染め爪もキラキラ何だか恐い。何か変だ。

この家族は現代ニッポンのモデルケース。
一緒に食事もしない、それぞれ無関心、それぞれ話したくない、バラバラの積み木細工なのだ。

えっ、夫に若い女がいた!
妻が不倫を!
えっ、息子が大麻を!
えっ、娘が婦人科から出て来た!
嘘、嘘、嘘だという事態になってはじめて一大事となる。

「淡交(たんこう)」という言葉がある。
淡泊な交際。わだかまりがなくあっさりした君子の交わり、の事である。

君子の交わりは淡きこと水の如く、小人の代わりは甘きこと「醴(れい)」の如し。
「醴」とは甘酒の様な物、甘くてベタベタしている。立派な人物の交際は水の様に淡泊であり、つまらない人間の交際は甘酒の様にベタベタしている。

「荘子」にこういう教えがある。無関心は一番悪く、感心が過ぎるのも又いけないといえるのだろう。携帯とメールの発達がドンドン家庭の中の空気を分断している。

二階の息子が一階の母親にメールでラーメンとカレーを出前させろとか、着替えを持って来いなどと命令したりする。寝室から一階のリビングで風呂上がりの髪を乾かしている妻に何やってるんだ早く来いなんてメールする。
そこに部屋の中にいる娘から母親にメールが入る。いい歳して恥ずかしい事しないでよ、もうすぐ友達が来るんだからなんて事がニッポン中の一般家庭で起こっているのだ。

現在この国に百歳以上のお年寄りが四万人以上いるという。
その方達の行方不明が多いというではないか。この国は儒教の国であり、何より年長者を大切にしてきた筈である。なんとも痛ましい親子関係、地域社会だ。

自分の産んだ子供を生ゴミと一緒に部屋に閉じこめてホストクラブで遊び続けた若い母親がいた。子供が泣こうが臭いがしようが誰も行動を起こさない。
無関心社会が現状なのである。一切関わらない社会なのだ。


今、あるカルタを企画している。
そのためにある離婚弁護士に取材した、離婚の原因の第一は性格不一致だがその中で妻はしつこい夫が嫌、夫は疑い深い妻が嫌というのが多い。
又、気持ち悪い位優しいというのが多かった。(怒らない夫)当然収入が少ないとか向上心が無い、無気力、無関心が続く。

一番近いお隣と仲良くして下さい。
粗大ゴミとかババアなんて決して言わないで下さい。
先日近所の路上で粗大ゴミの出し方でお隣さん同士が喧嘩していました。
その内容はお互いの家の中をよく知っている事だらけでビックリした。そんなだらしない分別の仕方だからご主人が出て行ったのよとか、そんなのだから息子が引きこもったままなのとか、いやはやお隣同士は近いようで恐い仲なのだ。

2010年8月4日水曜日

人間市場 公園市

結婚式の豪華さと幸福さは比例するか、ウエディングケーキの大きさと結婚後の未来の大きさは比例するか、答えはNOである。

例えば
貴乃花と河野景子/ニューオータニ 四億円
古田敦也と中井美穂/オークラ 二億円
小室哲哉とKEIKO/新高輪プリンス 五億円
谷佳和と田村亮子/新高輪プリンス 三億円
陣内知則と藤原紀香/オークラ神戸 五億円
西村拓郎と神田うの/ニューオータニ 六億円

数字は推定である。ちなみに貴乃花夫妻は母親と兄と断絶、古田夫妻は離婚危機、小室夫婦は破産(KEIKOの内助の功あり)、谷夫婦は妻が参議院議員へ、陣内夫婦は離婚した。


貴乃花は風水しか信じず、古田はデータしか信じず、小室は金しか信じず、谷は勝負しか信じず、陣内は暴力しか信じなかった。紀香は全て風水に従った。
西村、神田は見栄と虚飾しか信じず夫婦とは形ばかりであったと友人の芸能記者はいった。

市川海老蔵と小林麻央がザ・プリンスター東京で超豪華披露宴を行った。
出席者千人とか、この手の結婚式のご祝儀は最低で十万、後は二十万、三十万、五十万。多い人は百万を包むと聞く。十万の人とは付き合いを止め、二十万、三十万とはまあ、ありがとう位の付き合いとなる。一門の若い衆が一斉に祝儀袋を開ける。

どの夫婦も結婚式では永遠の愛を誓い合いそしていつか破る。
野次馬的大衆はこの破るを期待する。特に週刊誌やテレビのワイドショーは人の不幸や破綻が何よりの好物である。特に離婚は一番売れる。


隣近所の目も同じである。実にオバサン達の目はアチコチに向かっている。
あの家のご主人の会社潰れたらしいわよ、とか、あのご主人リストラされたらしいわとか、ほらあそこの家の嫁さん子供連れで出戻ったらしいわ、DVだったんだって。あの家の息子さんかなりの「うつ」で引きこもっているらしいわよ。あの奥さん若い愛人がいるらいしいわ、見かけによらないわね、おー恐いなんてベチャクチャ喋り合っている。

私の家の前は公園である、その側に大京のマンション。昼頃、夕方になると必ずオバサンの固まりがある。私を見かけるとどうもなんて愛想笑いをしているが、頭の中は何だろうあの人、朝はタクシーで出掛け、夜は遅くタクシーで帰って来る。黒いスーツにアロハ、ジーンズにアロハ、やたら人の出入りが多い。やたらに宅急便が来る、きっとヤクザ系よ、何かいかがわしい事をやっているに違いないわ。なんて噂のタネにされている。それ故愚妻はタクシーを余程でないと利用しない、バス専用である。

私はタクシー、愚妻はバスで同じ目的地に向かうのである。
ババア達うるせえぞ、一時間も二時間も公園でグダグダつまんねえ噂話をしてんじゃない、ここは公園、子供達が遊べないじゃないか、ドケドケと言った事が何度もある。
ババア達は何度言っても集まって来て私を見るとシラーとコ・ン・ニ・チ・ワ、オホホと来たもんである。

あのババア最近見かけないね、離婚したらしいわぁ。
あの派手な人も見かけないね、ご主人が病気で入院したらしい。あの陽に灼けたのは引っ越ししたのよ、会社が駄目になったんだって。詳しいね、何でも知っているじゃないと言っている相手はアジアン雑貨店を経営している女主人だ。この人に聞くとおおよその近辺情報が判る。別に知りたくもないがよく家にお茶しに来るので色々耳に入る。まあ、家の数だけドラマがあるものだ。人の口には戸は立てたれない。

私の家は塾のような家と言われる。この地区で唯一駐車場がなく、車がないからだ。
その代わり自転車が六台置いてある。大人用四台、子供用二台、だから塾の様なのである。
色んな種類の人間が出入りする。そんな中に超豪華な結婚披露宴をあげたが性格の不一致、性の不一致、育ちの不一致、何もかも不一致、もう顔も見るのも嫌なんですと離婚の相談に来る男・女も多い。

何しろ何でも相談室なんです、私の処は。
何!魚の食べ方があんまりにもヒドイんです耐えられないんです!そんな事位で離婚するか、あんなにお金を掛けた結婚式を挙げてまだ四ヶ月だぞ、我慢しろよと言ったのだが。

2010年8月3日火曜日

人間市場 嘘でも市


嘘でも信じたい、嘘でも美しくなりたい、嘘でも若返りたい、嘘でも痩せたい、嘘でも死にたくない等人は男女変わりなく願う生き物である。

私の仕事場の直ぐ近くに変身専門ショップがある。
入り口に一枚のポスターが貼ってある。女性のシワシワの顔がツルツルになった使用前、使用後の写真である。何でも顔のシワを取る専門ショップとの事。好奇心が強い私はあんまり嘘まみれのポスターなので一度中に入った。

女性が一人居た、当たらない手相占いみたいな中年女性だった。
何ですかと聞かれたのであのポスターあまりにも嘘過ぎない?あんなにシワ取れる訳ないでしょうと言うと、あっあれは印刷で修正したのよと来たもんだ。そっ、そうだろうどうりでと次の言葉が出なかった。

私達のビジネスは嘘で夢を叶えてあげるのよ、一時でもシワシワの顔がツルツルになればと思う希望を満たしてあげればいいの。本人だってマサカ本当にツルツルになるなんて思っていないんだから。占いと同じ当たるはずがないと判っていても行動するでしょ、あれと同じ。化粧品やビタミン剤と同じと来たもんだ。
その開き直りにすっかり感心してしまった。

ビタミン剤といえば新潟大学教授、岡田正彦氏が「ほどほど健康術」という一文を書いていた。何でもビタミンには元気の素というイメージがあるが、ビタミンは体内で潤滑油の様な動きをしていてこれなしでは生きていけないが、エネルギー源ではないため元気が出る事はないという。

ビタミンは13種類あるが健康な人が日常的に補給し病気を予防で出来る訳ではない。
大規模調査のデータを見る限り目が良くなったり、毛が生えたり、神経痛が治ったり、肌がすべすべになったり、風邪に罹りにくくなったり、心臓病の予防になったりという効能は認められない結果が出たという。

ビタミンは数ヶ月分の必要量が体内に備蓄されているらしい。取りすぎたビタミンは体外に排泄されるか、体内に蓄積されて副作用を起こすかのどっちかしかないのだ。
人間の体は余計な事をしなくとも生きていけるよう、上手くできているのだ。
高いお金を出してビタミンABCを買って毎日飲むのは、高いおしっこを出すための手段でしかないのだ。

ただ外国のある調査によると八万人の医師の内三割もの医師が習慣的にビタミン補給をしているらしい。シミが取れる、若返れる、ツルツルになる、シワがなくなる、エネルギーが沸く等につられて買い求める、ちなみに私は一切飲まない。

近所のクリエイトという大きなドラッグストアに行くとカゴに何種類ものビタミン剤を買っている男女が多い。それを止めるだけでかなり家計は楽になる。
回転寿司2回分、焼肉2回分、ファミレス2回分、ディズニーランド1.5回分位は浮くと思う。


あっ、あの変身ショップに女性が入って行くではないか。
一人、又一人。狭い中に何万も何十万円もかかるのに、絶対シワシワは直らないのに、ツルツルにはなれないのに、そもそも土台が良くないのだからと声を掛けたいが夢を見たいと思っている人たちなんだからいいんじゃないのと一枚のポスターを見直した。

昔を思い出した。一日にユンケル黄帝液を二本も三本も飲んだ日々があった。
何か元気が出る気がした。徹夜続きの中でのデートの前などは奮発してゴールドを飲んだものだ。あんまり役に立った記憶はない。ずっとユンケルを飲んでない。何故だろうかその答えが分かっているだけに哀しい。

シルバー世代の友人と飲むとかなり切ない話となる。
盛り上がってシュンとなる。たちあがれ日本ていう政党名哀しいねと相槌を打つ。そして必ず回春剤やビタミン剤の話になる。幸い私は友人達に勝っていると思う。

ただし少しだけかもしれない。ずっと現役の恋愛をしていればきっと嘘でもたちあがるのだ。人が人を愛せなくなった時人生は終わる。