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2010年9月6日月曜日

湘南の嵐便り 「映画は猛暑」

八月二十九日(日)千葉県市原市の畑の中に通る一本道で来年のカンヌ国際映画祭の短編部門に出品する作品「水-water」の本番撮影だった。

市原市の畑の一本道



埼玉、茨城、栃木あちこちにロケハンをしてこの地に決めた。朝七時から陽が落ちるまで日陰が何もない畑の側、暑いのなんの乾いたタオルがびっしょりになってりまう程だ。

主役の女性は天村敏美さん。私の知人が経営する銀座の超高級バー「サロン」のマスターの義姉の人。時々店に出ていたが今はKUMONの先生であり空手家でもある。11歳になる男の子がいる。私のイメージにピッタリだ。


天村さん

男の子役は私の会社の専務の息子、清水光太朗君がわざわざ軽井沢から来てくれた、私のイメージにピッタリ。
お坊さん役は私の著作を手助けしてくれている出版社無双舎の編集長の神崎東吉さん、私のイメージにピッタリであった。

光太朗君と神崎氏


スタッフみんな猛暑の中監督とカメラマンの指示のもと一切の無駄なく、暑い暑いという事もなく動いてくれた(私は時々ロケバスに避難した)。


監督はCM界の売れっ子ディレクター寺尾学さんが引き受けてくれた。寺田さんは必ずNO.1になる若手の旗手。既に海外でもたくさんの賞を受賞している。
カメラマンの猪俣克己さんは私の長年のコンビ。今回も無理をお願いした。

畑での撮影が終わったら急いで移動して銀座のバー「サロン」での撮影であった。ビルは休みだったが特別に二時間半使用させてもらった。

自主映画は何しろ低予算、映画好きが集まらないと製作できない。プロデューサーの奥野和明君、アシスタントプロデューサーの森美香君が苦労をしてくれた。全体の仕切は私のところの社長鈴木智暢が行った。スタイリストは私のデスク上原有美君。少ない予算の中やりくりしてくれた。



朝食はおにぎり2個、昼食は鮭弁だけ、夜食は無しであった。

ストーリーは水商売でがっぽり稼ぐ女性が畑の側でエンストを起こす(ベンツ5000CC)この女性は一万円札しかお金と思っていない、目の前に飲み物のベンダーがあるが一万円札を入れる所が故障中、小銭がないので飲み物が買えない。

女性はだんだんイライラ、カッカしてベンダーに八つ当たり、殴る蹴る、案山子の木を引っこ抜いて来ては張り倒す、チクショウ120円が欲しいとクタクタになる。そこに1人の少年がベンダーからジュースを買い美味しそうに飲む。オイガキ、そのジュースとこの一万円と交換しろと言うがアッカンベーと逃げられる。

チキショウ、携帯は二つとも圏外だこの役立たずと投げ捨てる。ヘタヘタになって泣きながら座り込む。そこに1人の坊さんが近寄って来る。さてどうなるか、とまあ大筋こんな映画なのです。

「一円を笑う者は一円に泣く」この教えを映像化してみたのです。

これから編集開始だ。音楽作り、効果音入れ、タイトル入れが待っている。
出来上がったらご報告を致します。
それにしても今までの撮影で一番暑かった。みんな本当に映画好きだった。

スイカがとっても美味しかった!

2010年9月2日木曜日

湘南の嵐便り 「キャタピラー」



先日有楽町で若松孝二監督の「キャタピラー」を観た。
寺島しのぶが今年のベルリン映画祭で最高優秀主演女優賞を受けた作品だ。
1時間27分、圧倒的なメッセージ性のある映画に驚愕した。


若松監督73歳、今最も世界の映画祭で光り輝く存在である。
かつてはピンク映画屋といわれ蔑まされた。しかし低予算の中で猛烈な早撮りの名手で独自の名作を生んでいった。今回の作品もなんと14日の予定を12日間で全てを撮り終え編集はわずか3日であったという。

ワンシーンに何回もだめ出しをし、ワンカットの為に一週間も十日もかけた小津安二郎監督、黒澤明監督、溝口健二監督たちとは対局にある。基本的にワンテイクである。
CM作家はスポンサーから沢山の予算を貰っているから一秒のカットの為に何テイクも撮る。それが当たり前となっている。誠に映画とは似て非なるものなのだ。
「実録、連合赤軍あさま山荘への道程」は三時間くらいの作品であったが、どの赤軍派映画も圧倒した。年を重ねる事に凄味を増し若々しい完成を発揮し凄まじい表現をする。

宮城県の高校を退学、中退し数々の職業を経てヤクザの世界に入る。ある時映画作品の見張り役兼手伝いをした事により映画の世界に身を投じる。映画の世界もヤクザな世界だからスムーズであったのだろう、その後ピンク界で伝説の映画を発表し続ける。
海外の映画祭に出品してブーイングを浴びる、それでも何のその不屈の魂で今やカリスマとしてリスペクトされている。勿論私もその一人だ。

午後1240分上映開始、映画館は満員だ。寺島しのぶが両手両足を失い、聴力も失い、顔も奇形となって帰還した夫をみて驚愕する。夫は「軍神」そして大日本帝国新聞の一面に紹介されている。村の人々も「軍神」様と崇めるのだ。



「キャタピラー」とは日本語で「芋虫」夫は芋虫になって帰って来たのだ。かつて「ジョニーは戦争に行った」というやはり両手両足を失って帰国した兵士とそれを看護する女性との物語の名作があった。江戸川乱歩の作品に「芋虫」というのがある。多分にその影響を受けたのだろうが若松孝二監督は見事に最高峰のメッセージの映画に仕上げた。

全裸、騎乗位、全裸、騎乗位の繰り返し。
人間国宝尾上菊五郎と富司純子の娘寺島しのぶはここまでやるかというまで「夫」の食欲と異常な性欲に応える。だがしかし一方では「夫」を性の道具として自らの性欲を満たす。時として芋虫は肉の塊として寺島しのぶの上に乗る。その演技は絶品である。
ノーメイク、お尻の割れ目もアップで出し自ら夫のモノを何度も入れる(夫は手がない)その映像は神聖的ですらある。



ここまで演じたら断トツの世界NO.1だ。
寺島しのぶの夫のでっかく毛深いフランス人を知っているだけに尚更リアリティを感じた。
「忘れるなこれが戦争だ」と若松孝二監督は記した。

どうしようもなり映画ばかり観ていてうんざりしていたこの頃思わず立ち上がり拍手をしたくなった。「元ちとせ」の歌う主題歌が切なく悲しく心に刺さる。

一人でも多くの人に観て欲しい。低予算早撮りに拍手だ。

2010年9月1日水曜日

湘南の嵐便り 「シネマ・ラ・プラーヤ&東本」


折角短編映画をつくりながら上映の機会がない、上映する場所がない、そんな映画作りをしている人のためにスペイン料理の巨匠、児玉徹さんがスペースを解放してくれました。


児玉徹さん


短編映画製作人の私とスペイン料理の名店がコラボレーションして、シネマ・ラ・プラーヤ&東本を生み出しました。

美味しいワインと美味しいスペイン料理のランチ+短編映画2,3本を上映します。
限定30名様(予定)、午前11時半から午後2時まで。
料金は映画800+シネマランチ1500円(税込み、ワインは別です)の予定です、詳しくは後日。





友人知人をお誘い合わせの上是非参加下さい。又、作品募集をします、自主映画で短編を製作して是非観て欲しいと思っている人はご連絡下さい。

東本三郎YOROZU相談室 シネマ・ラ・プラーヤ&東本係
担当 上原 有美
TEL 03-3547-0581/Email:uehara@advision.co.jp

2010年8月31日火曜日

湘南の嵐便り 「目クソVS鼻クソ」

21世紀宇宙から「はやぶさ」が帰って来る時代にエイッ!エイッ!オー!ガンバルゾーだ。

日本はとんでもない政治後進国だ。
未だに国民投票で国の代表を選ばない。国民の誰もそれを声を大にして言わない。
マスコミも取り上げない。自民党や民主党の代表が国のトップ総理大臣となる、こんなのは中国や北朝鮮と同じだ。

マスコミは政局政界再編となると新聞は売れ、テレビは大騒ぎし、週刊誌も書きたい放題で売れる。又、又民主党の代表選、目クソと鼻クソの戦いである。

一番喜んでいるのはマスコミだ、この業界はクソミソだ。
政治家から政局を取ったらトンカツ屋からトンカツを、八百屋から野菜を、床屋さんからハサミを取り上げる様なものだ、それが仕事だから。

権力闘争は太古の昔から続いている。
会社でも人事を巡って一年中権力闘争をしている、それが一番の仕事だからだ。人間が群れをなした時から支配者を目指して血みどろの戦いをする。
応仁の乱や下克上の時代、戦国時代に比べれば今の権力闘争なんて「へ」見たいなものだ。
親を殺し、子を殺し、一族を殺し根絶やしにする、それが戦国時代だ。ロシアや中国や北朝鮮の権力闘争なんて凄まじいのだ。何千何万の敵対者が消えてしまう。この国は甘い、甘過ぎる。



菅直人なる政治家は、私が会った政治家の中で断トツNO.1に最低の政治家だった。
作り笑いの中にとんでもない体質を持っている。人の顔を見て話さない、時間を守らない、話している最中何度も携帯電話をいじりながら立ったり座ったり、会議室から出たり入ったり、正にイラ菅だ。人をずっと待たして何の挨拶もない二重人格、多重人格だ。

奥さんが一番知っているのだろう、こんな人が総理大臣になって本当にいいのと正直に言っているのだから。又この国は人物がいない政治家が小粒になったわねなんて言っている。亭主得意の作り笑いだ。あっちこっち突っついて攻撃している時は得意然としているが一度せめられる立場になるとオタオタ状態になるだけだ。こんな男がいざとなったら真っ先に逃げ出すだろう。



小沢一郎なる男は張り虎の虎を演じるのが上手なだけ、小心翼々としてお白州と強制起訴を恐れているだけだ。普天間の埋め立ての為に買った山や利権をなんとしても無駄にしたくない。田中角栄、竹下登、金丸信ゆずりの利権政治家の典型だ。検察とどんな取引をしたのか予測はつくが後日にする。

鳩山は元ある業界の大立物の隠し子と云われている、その血が騒ぐのだろう、ジッと黙っていられない黒いど鳩だ。国民は何も怒らずジッと黙っている。この方が余程不気味だ。
今日小沢一郎と菅直人が手打ちの会談をするらしい?政界は一寸先は闇だ。


2010年8月30日月曜日

湘南の嵐便り 「命懸け」

皇帝ペンギンは自分の卵を守るために氷点下60℃の厳しい状況の中、約65日余り動くことなく卵を守る。その役目は父親(オス)である。

人間社会とは別に食べ物を捕って来るのは母親(メス)の役目である。風速数十メートルを越す吹きすさぶ嵐の中でひたすら卵を守る。

子の為に親は自らの命を懸けるのだ。人間が窮地に陥った時、子は皆「お母さーん」といい、「お父さーん」といって散っていった特攻隊員はいないと云える。
母親の中で10ヶ月守り育てられた小さな命はへその緒で繋がった瞬間から太い絆で繋がっているのである。


今から15年前私は突然心臓がバコバコして全く眠れなくなった。
2日で心臓外科を4つ周りいろんな検査をしたが心電図には全く異常ない。
その頃娘は20歳、息子は14歳であった。マズイ、なんとしても娘を嫁に出し息子を成人させる迄は命を落とす訳にはいかない。そう思うと余計に心臓はバクバクし横になるとオイッ地震だなんて口走りだした。

一日、二日、三日ずっと起きていた。
ウイスキーと市販の睡眠導入剤を飲んでも頭は覚醒している。眠りたいきっと夢を見ているんだ、そんな中でも毎日仕事に行った。会社に着くと床に横になりちょっと眠りたいんだと言った。

内科でないと思っていたので主治医の所には未だ行ってなかったが四日目に行った。
事情を言うと主治医は、ハイ直ぐシェルターに入って仕事の事は一切忘れる事と言って慈恵医大に電話してくれた。

先生駄目ですよ、子供達がいるんですよ、会社も仕事も心配だしと言うと、何言ってんだと凄く叱られた。その日強い薬を飲んで深い眠りについた。
君はね、人間じゃない生活をして体を酷使して来たから体が悲鳴をあげてもう勘弁してくれと叫んでいるんだよ。


翌日自宅に役員全員とお世話になっている方々が集まり入院を決意した。
自律神経失調症、慢性疲労から来る抑鬱状態であったらしい。治療方法はただ何もしないで頭と体を休め規則正しく投薬を続ける事であった。外との電話も駄目、人生で初めてのリタイア45日を経験した。それを期に毎日早朝一時間海岸のサイクリングロードを歩く事を決めた、ロケや出張の時はシューズをバッグに入れた。

十年間ほぼ毎日歩き続けた。
チクショウチクショウなんとしても娘の花嫁姿を見るぞ、息子を成人させる、ぞといい聞かせながら寒い日は目からボロボロ涙が、風の強い日は砂が目に入り目が開けられない。
雪の日は膝まで埋まりながら一歩一歩、行きは江の島に向かって、帰りは夜明けの富士に向かってひたすら歩いた。毎日新橋に迎えに来てくれた若い者の車は止めた。会社まで歩いた。

斬ったり刺したり撃ったり撃たれたりしていた頃、死ぬなんて事はどうって事はなかったが初めて命が惜しい、死んだらマズイと思った。

幸いいい知人、先輩、友人そして何よりタフで優しい一致団結の会社の幹部を始めスタッフが支えてくれた。

来年六月二日から八日、人生の集大成といえる画期的な展覧会を東急文化村一階ギャラリーで行う。それまではくたばる訳にはいかない。

娘は28歳で結婚し、息子は22歳で結婚した。



近頃子が親を、親が子を育てる事を放棄する残酷な事が日常茶飯事として起きている。
何とも痛ましい事だ。みんな何かせねばならない時ですぞ、世のため人の為に。

2010年8月27日金曜日

湘南の嵐便り 「見立て」


生け花の世界に「見立て」というのがある。

立派な花器、由緒ある花器でなく、割れた花器や壊れた籠や流木や死に絶えた葉っぱ等に花を生けるのである。



千利休は特に竹を見立てたと伝えられている。
実に侘びさびがあり、一度死んだ物に命を宿らせる事が出来る、つまりいい花器はそこいら中に落ちていたり捨てられたいたり流れ着いているのだ。

要はそれを見立てる人ブツのセンスといえる。
一片の枯葉に一輪の花、その仕上がりが瞬時にイメージ出来るからだ。



リストラ社会で大切なのは見立てだと思う。
それを仕事としている人は再発見、再活用のプロフェッショナルだ。

先ず話し方、その次に目の輝きを見る、髪の手入れを見る、足許の靴の手入れを見る、ワイシャツの手入れを見る、口許の締まり具合を見る、ネクタイとスーツのセンスを見る、フリースタイルの場合は更にセンスを見る。

おおよそこれだけでこの人は再生できるかを見立てられるという。
学歴やキャリアをひけらかす人物には興味ないという。
逆に私は会社から捨てられた人間ですから的な雰囲気の人もいけませんねという。私がよくいく海辺のカフェでそんな話をした。

私なんかどうでしょかね、何か使い物になりますかねと聞くと全然無理。
私も壊れ物、いいセンスの人が花を生けてくれたら結構行けるかもよと再度言うとダメダメ、生ける花がありませんよ、今のまま枯れ果てて下さいと言われました。


2010年8月26日木曜日

湘南の嵐便り 「貢ぐ女」


ゴルフを教えるプロに江連忠という人がいる。

上田桃子、佐伯三貴は江連氏のところを離れた、というより別れたのかもしれない。
江連氏はこの頃、諸見里しのぶを教えている。



鈍臭かった女の子がドンドン女性ぽくなっている。
ゴルフ以外のレッスンも受けているというのが業界の定説らしい。

優勝の副賞のショベルカーを江連氏が主宰するゴルフアカデミーに寄付、チーム江連事務所のリビングにある大型液晶テレビも諸見里がプレゼント、その他にも色々愛をプレゼントしている。



今年不調なのはゴルフ以外のレッスンが影響しているのではという業界スズメも多い。
女の戦いはそれは凄まじいものであるという。
勝てば可愛がって貰える、優しくレッスンしてくれるからなのだろう。

勝って貢ぐ女がいい女子プロゴルファーなのである。
試合前、試合後などは異様な化粧の臭い、香水の匂い、汗の臭いで鼻をつくとゴルフ記者が言っていた。

通常レッスンプロはその賞金の10%と聞いた。
一億なら一千万円というところか、ただし契約は複雑でもっと貢がされるという。

芸者に例えるとレッスンプロは置屋のヤリ手ババアで選手は芸者さん、勝っている内は花よ蝶だが、勝てなくなればお座敷がまるでかからなくなった老桜となる。

中々に辛く厳しい。
プライドと誇りと女の性をかけた猛烈な戦いの世界なのだ。

九月にある女子プロと食事をする予定だ。
勿論仕事の打合せである。

2010年8月25日水曜日

湘南の嵐について


「湘南の嵐」とは、実は私の家に17年住んでいた愛犬、ミニチュアダックスフンドの名前です。

横浜そごうのペットショップで買い求めた。
未だ目が良く見えない位だったが英国の正式な血統書が付いているので直ぐ売れてしまうと言われた。小学生だった娘がどうしても欲しいというので買った。
そして娘が嵐と名を付けた。

家の中ではアッちゃんと呼ばれた。
前の犬はブッチといって真っ白い紀州犬の血が入った犬だった。13年の表彰を市から受けて直ぐに死んだ。その知らせを会社で打合せ中に聞いた。土曜の午後だった。

午前中入院先に愚妻と見舞うとへったりしていたが牛乳を入れてあげるとなんとか起き上がろうとしたが動けなかった。ただじっと目を潤ませてハアハアしながら私たちを見つめていた。明日又来るからねと言って仕事に向かった。ブッチが死んだのという声を聞き私の目から滝の様に涙が出た、自分の中にこれ程の涙があるのかと思った。



打合せに来ていた人達は鬼の目から流れる涙に騒然となった。一人にさせてもらいずっとずっと泣き続けた。もう二度と生き物は飼わないとその日誓ったのだが、「嵐」と出会う事となる。



家の中の囲みの中に牛乳がポタポタと落ちる瓶を付けた。
それ以来「嵐」は我が家の王様となった。17年の表彰を茅ヶ崎の市民会館で受けた。13年と17年が表彰されるようになっている。当日2000人入る会館はなんとギッシリ満員だった。



毎夜遅く又朝方帰宅すると短い足でコトコトコトコト小さな玄関に迎えに出てくれ女座りになっていた。私の姿を見ると長いフサフサの毛を大きく振って時々おしっこをチビッた。
抱きかかえて椅子に座ると手足を大きく広げお腹を見せた、そこを撫でてやり肉球を触ってやると大きな鼾をかいて眠りだす。

私は嵐と呼び愚妻と二人の子供はアッちゃんと呼んだ。
生活の全てが嵐が中心であった。半ば老衰であったが一月六日の深夜入院先から連絡が入り呼吸困難になっていた。医者から楽にしてあげましょうと言われた。診察台の上で押さえられていた嵐は私たちを見ると必死に起きようとした。

ゼイゼイしていた。
船橋に嫁に行っていた娘が二時頃着いた、家族五人揃ったので先生楽にしてやって下さいとお願いした。

一本の注射で嵐は永い眠りについた。数年ぶりに号泣していた。
散歩をいつもさせていた愚妻は床にへたり込んだ。

その一ヶ月後娘に赤ちゃんが宿った事を知った。

とにかくよく人を噛む犬であった私に似ていると人々は言ったものだ。
「湘南の嵐便り」は私の愛犬二匹の魂がこもっているのです。


2010年8月24日火曜日

湘南の嵐便り 「あこぎ」


あの野郎は本当に「あこぎ」な奴だ、殺されたっていい位だ。
あの家のあの人も酷い「あこぎ」な人よ、高利で金を貸して取り立て、恐い人を使って厳しいって話よ。

この「あこぎ」の語源を講談で知った。



三重県津市に阿漕浦(あこぎうら)というのがある。
そこにある悲話が伝えられている。悲話ゆかりの寺、上宮寺(通称あこぎ寺)。
主人公は、貧しい漁師「阿漕の平治」。伊勢神宮の神饌を調達する神聖な海のための禁漁区に平治は禁を犯して毎夜密漁を重ねてしまう。
そして捕まり簀巻きにされ海に放り込まれ死罪となった。そこから図々しく貪欲な様を「あこぎ」というようになったという。世阿弥の作にもなっている。

ところが平治は私利私欲の為ではなく、病の床に伏す母に精を付けさせたいと密漁を重ねたのだ。死してなお母を思い続ける平治の涙の後日談もある。
地元では平治は孝行息子の代名詞となって今も語り継がれている。

昨今老母達が息子達に放っぽらかしにされたり、粉々に砕かれたり、どこへ行ったから判らなくされている。消えた老母の年金だけで暮らしている息子もいた。
まるで社会全体が「あこぎ」な姥捨山と化している。

若い頃の苦労は買ってでもしろといわれた。
それはやがて親孝行をするための苦労なのだと思う。
つくづく「あこぎ」な出来事にため息が出る。

老人を大切にしよう。そうしないときっと化けて出てくるよ。

2010年8月23日月曜日

湘南の嵐便り 「デバ亀とサザエのつぼ焼き」


ごく普通の亀は日光が大好き。
必要な体温は太陽から得ています。
ほ乳類や鳥類たちとは違うのです。光は殺菌効果や骨や甲羅の成長に欠かせないのです。

ところが湘南の夏の夜には暗闇が大好きな亀が大量に出没します。
その亀の名を「デバ亀」といいます。公園の植え込みの中や海岸の防砂林の中、砂浜に上げている漁船の下などにヒッソリジックリ首を出し、目を輝かしているのです。

つまりは若いカップル達の愛の行為を覗くのです。
カップル一組に数人なんというケースもあるのです。住民が持ち回りで「デバ亀」狩りをする日があるのです。勿論若くないカップルも「愛しのエリー」なんか口ずさみながら若き日を思い出したりしているのです。

「デバ亀」をしていた奴と海辺のおでん屋でバッチリ出会った事があります。
その夜、私は海辺のサイクリングロードを走っていました。自転車の灯りの向こうに地引き網をする漁船がありました、そこに黒い影がモゾモゾゴゾゴゾしていました。
自転車に装着してある懐中電灯で、誰だ、何やってんだ(判っているんですが)と言って照らし出しました。黒い鞄で顔を隠し砂浜を走って遠のいていきました。

私はおでん屋で一杯飲むつもりだったのです。
私が店に入り、ちくわぶ、はんぺん、ウインナー巻き、コンニャク&鰺のタタキを頼んで小生ビールをグイと飲むと間違いなく浜辺に消え去った「デバ亀」です。

私から五席離れた処に座りました。
生ビール下さいと言ってから砂だらけの足許を手で払っていました。

私がマスターにさっき「デバ亀」を一匹見つけたよと言ったら生ビールを持つ手がドキッと止まりました。体がヤバイ早くこの店を出なければと言っています。
でも直ぐ出たらやばいとも言っています。マスターがおでん何かと言うと、ハイ、エーと、シドロモドロです。

よしこってり搾ってやろうと心に決め、サザエのつぼ焼きを追加したのです。

湘南に来た人はくれぐれも「デバ亀」に気をつけて下さい。
湘南の亀は暗い処が大好きですから。





えっ、その男はどうしたかって?そのおでん屋の30メートル先は交番なのです。
つぼ焼きの中身が偶数なら今夜は見逃し、奇数ならお巡りさんの処と決めました。


つぼの中の最後のはらわたを箸でつまみ出したら12個でした。