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2011年9月2日金曜日

「久々にさすが」


久々にあの野坂昭如氏の一文を新聞で読んだ。

なかなかに的を得ていた。

ヘボな新聞記者やアホな評論では書けない戦争焼け跡派ならではの一文であった。


要約すると敗戦となり戦災孤児がゴマンと焼け跡にばらまかれた青空がやけに美しかった。

だが何か救いの空気があった。それはもうB29は来ない、空襲もない、焼夷弾もない、原子爆弾も落ちない、そんな気持ちであったという。


だが今度の大地震、大津波、放射能には救いがない終わりなき戦いである。

いつまた大地震が来るやもしれず再び原発から大量の放射能があふれ出る。敗戦後の日本政府の方が今の政府よりずっと動きがよくあらゆる手が打たれていたと。今の政府の在り方はまったく政府になっていない。戦後66年の砂上の楼閣であると。B29が来る可能性より遙かに大地震の方が起きる確率が高いのだ。


敗戦後は日本中が一つになって復興を目指し、隣同士が飲み物、食べ物を分け合い、励まし合った。青空の下に希望があり笑顔が生まれたのだと。しかし今は東北の地以外ではほとんど何事もなかった様に生活をしている。あの人達はついてなかった。我々はついていたんだ、仕方ない、しょうがないんだ。結局、見たいTVを見てケータイやパソコンを使い、食べたい物を食べたいのだ。だが電気がひとたび消えた瞬間、なんだなんだとなり突然計画停電となり、又、なんだなんだとなる。


外国の胸先三寸で我々の国は生かすも殺されるのも相手次第となる。

忘却は人間の力だが我が国民は嫌な事は忘れろと平和らしきものをたらふく味わっていたのだ。と、こんな内容だが野坂先生が書いたものはもっと鋭く、強く、深く、警鐘に溢れていた。



野坂先生、大島先生、そしてあのミスター長嶋茂雄もリハビリに励んでいる。涙ぐましい努力だ。歩く、掴む、持ち上げる、漕ぐ、体が固まらない様一日も欠かさず行っているのだ。この国にリハビリは出来るだろうか。


食べ過ぎたら肥える、飲み過ぎたら体を壊す、何事も過ぎたるは及ばざるが如しだ。

健康のためと60過ぎてジムでいろいろやりすぎたオジサンがバーベルを挙げながら心臓発作で死んだ。プールで泳ぎ過ぎて71歳のハードなエアロビスク(有名トレーナー)をしていた女性が酸欠状態で死んだ。


リハビリ不要状態である。すでに命がないのだから。

この国も無計画にやりすぎた。設計図のない建築だ。もはや国中の筋肉や気管がスカスカになっている。歌舞伎などに使う美術用の松の木ハリボテと同じだ。


海老蔵はリハビリ可能だろうか。答えは100%NOだ。

近々新橋演舞場に海老蔵を観に行く。何故ってファンだから不安なんです。


世の中で一番難しいのは別れようと決めた男と女性のリハビリだという。

まず成功したためしがない。血を見ないと納まらないケースが多い。歩いても、走っても、泳いでも、腹筋しても、バーベル挙げても何をやっても元には戻らない。


方法論はただ一つ、それが知りたい男女、恋人、夫婦は近々出す私の「誤算婚」という本を買って読むしかない(現在最後の修正中)。寝ながらでも読める。


いみじくも小学校三年生の孫が今、割り切れない余りなどを学んでいるらしい。

人生は誤算に満ちている。なおかつ計算通り割り切れない余り算なんだ。


学生時代から愛し合っていた夫婦が結婚二十七年で離婚したいと相談してきた。

原因はなんだと聞けばずっと誤算続き。割り切れない事ばかり、まさか両親の介護をするなんてと妻の方が言えば、それが君が隠していた本音の姿だよ、実際は冷たい女なんだ、すこしばかり美人だなんていわれて調子乗ってんじゃないよ出ていけー、とお中元で頂いたカルピスを顔にかけた。初恋の味カルピスであった。


大きめの氷が目の下に当たって少し血が滲んだ。友人はそれを聞いてひと言、お終いねと言った。何があっても男は女性に物を投げつけたり、暴力はサイテーだと。そうなったら絶対お終い、永遠にジ・エンドよ最悪よ。



嫉妬深い男なんてだめ、家庭内ストーカーでしょサイテーよ、サイテーだと。

来週又オレは一週間近くホテル泊まりだ。

「サザエさんへの暴力」


君たちは何だってそんなに徹頭徹尾、ガードを固めているんだい、いくら身を守るためといいながらやり過ぎだよ。


鮑をこの間送っていただいた。何しろ中々開かないので割れ目にドライバーを入れてトンカチでメリ込ませやっとこさパコッと口を開けた。その折り指を少し傷つけた。


その日段ボール一杯のイガ栗が届いた。有り難い心遣いに感謝だが機雷のようなトゲトゲがバリバリにバリケードをつくっていてどこから攻めていいか分からない。

しかたないからやっぱりドライバーを出して思い切り叩き続けたらいきなりパコッと空いた。突然の完全降伏に驚いた。急所をついたのだろうか分からないがその時指の先を傷つけた。


全く同じ様な形体をしている海のイガ栗みたいな雲丹を送ってもらった、こちらは生きたままで無数の針がウニョウニョと動いている。生殺しをするのは何か可哀相だが同情していては中身にありつけない。既にご飯は炊きあがり海苔の準備も出来ているのだ。

やはりドライバーで殺雲丹をした、この時プスッと指を二カ所傷つけた。


江ノ島神社にお参りした後「貝作」という昔からあるお店で栄螺を5つ買った。

家に帰り解体にかかったがこれがもう絶対に降参しない。三個は火あぶりの刑に処していた。いい香りがし、白い泡をゴボゴボ出し始めお醤油を入れると一層香ばしい。後は三つ葉をのっければお料理完了だ。刺身にしようとしている方は結局ドライバーとトンカチだ。それでも中々開かない。仕方なく家の外の道路の上で巨大トンカチを持ち出して惨殺した。あたり一面粉々であった。この時かなり深手の傷を負った。



その日胡桃を送ってもらった。これが堅固かつ断固たるものであった。

頭からといってもどこが頭か分からないのでゴロゴロさせながらバカンとトンカチで殴ったらストーンと外れて遠くに転がって行った。待ちやがれ観念しろともう一度殴ったが同じく転がった。仕方なく左手人差し指と親指で挟んでガーンとやったら思い切り人差し指を殴ってしまい痛えーと叫んだ。指は腫れ上がり爪の間に血が滲んだ。


そこにヒョコリ友人が来て胡桃はここの横をこうすればと小さなドライバーでいとも簡単にパッコリ割ってしまった。まるで脳みその形をしている胡桃の中は小さな部屋の様に分室されている。何でだかわからない。


美味に出会うには、ドライバー、トンカチ、出血の三点セットになるのだ。

最後につぼ焼きにしていた栄螺の内臓の先っぽの黒い部分がちょん切れてしまった。コレを食べなければつぼ焼きにあらずと中をほじりほじりするがすっかり奥に隠れてしまっており捕まえられない仕方なし、やむを得ずとドライバーとトンカチの出番だ。

悪戦苦闘新聞紙の上は修羅場と化し、無惨な中から黒いのが出て来た。手こずらせやがってなんては決して言わない、何しろもうくたびれちゃっていたのだ。


人間もこの物たちの様に強い意志を持ちたいものだ。

馴染みの魚屋さんに行ったらいいとも簡単にパコンパコン開けていた。勿論ドライバーもトンカチもない。八百屋さんに行ったらあっという間に栗を開けた。その早いこと、勿論出血はなし。


それにつけても我が身の意志の弱さよたった一週間の禁酒が出来ず五日目でギブアップしてしまい禁じていた分六日目の酒はすこぶる美味しくトータルで一週間分位を一晩で飲んでしまった。

2011年8月31日水曜日

「夏も終わる富士見町公園」

教師のトンデモイケナイ行為が止まるところを知らない。

孫娘を持つグランパとしては心配でならない。盗撮、わいせつ、淫行、痴漢・・・。


四月以降だけでもざっと書くと、四月、東京中学校教諭(47)下着泥棒、教頭小学校臨時教諭(31)校内にて強制わいせつ、神奈川小学校臨時教諭(25)未成年淫行、大阪小学校校長(52)女性教師二人にセクハラ。


五月、長野中学校教諭(41)未成年淫行、神奈川中学校教諭(51)女子バスケ部員九人にわいせつ、長崎国立中学校教諭(38)中三男子にわいせつ、京都小学校校長(59)教室で女児のスカートの中を盗撮、岩手中学校教諭(37)未成年淫行、静岡市立中学校教諭(32)女子大生に路上で強制わいせつ。



これらはほんの氷山の一角。七月、八月ともう恥ずかしい事、いけない事のオンパレードの教師達の姿だ。教師を見たら性犯罪者と思えと言っている人もいる。



そういえば七歳の可愛いウチの孫娘の運動会に望遠レンズを持っている教師風の男達が沢山いた。まさかオメェセンコーか、オメェマサカ性犯罪者だろとは聞けない。


私の住んでいる処に幼稚園から高校まで男女共学の一貫校がある。

私の家の前は富士見町公園という小さな公園だ。暗くなるとよく男女の学生が一組、二組とベンチで青春をしている。が、しかし時々まったく不釣り合いな男女がいる。大人と女子学生だ。


アロハにビーチサンダルでコンビニにちょいとビールとセロテープと封筒とついでに肉まん一個とみたらし団子四本なんか買いに出て公園を斜めに抜けると、ベンチで女性学生がシクシク、あるいはエンエン、あるいわバァーと泣いている。大人は手で肩を覆ったり、女子学生の前に跪いたりして何やら説得やら言い訳をしている様だ。男の黒い鞄を見ると多分教師か教育関係者だろうと思う。


コラッセンコー何生徒泣かしてんだ、まさかスケベな事やイケナイ事やったんじゃネェーだろうな、なんて事は決していわずビーチサンダルの音を立てず、そっと静かに家の中に入るのです。


ベンチにいる大人と女子学生はほぼスポーツ関係、大人はジャージが多い、テニス、バスケ、水泳、バレー部などだ。若い先生は発達上々のムンムンしている女子学生を毎日見ていると家で待ってる、ウルサイ、ダサイ、ムサイ、小遣いくれない、何かとシツコイ、そんな薄気味悪い西川史子風とか泉ピン子ふうとか磯野貴理子風とかマツコデラックス風とかのカカアの元には帰りたくなるのでしょうか。先生と先生との職場結婚は圧倒的に多いのです。

何しろ給料がいい、休日同じ、春、夏、冬休み有り年金バッチリだから。


初恋の人は先生という女の人も多い。桜田淳子の「それはセンセイ〜」だ。

はじめての浮気が教え子というのも目茶苦茶多い。


この間私が時々行く夜の店のママに焼けぼっくりに火が点いて今は狂気の桜状態で、つまり狂い咲きしている。そうです、ある夜店に初めて体を許した中学三年生の時の先生が店に偶然?来たのです。もうどうにも止まらない二人に店長はお手上げです。


実はその元先生は教え子にストーカー行為をし、脅し、呼び出し、とんでもないイケナイ行為をして退職し刑務所を出て来ていたのです。それ故元教師なのです。

ママのくせには意外とオボコで先生に今は色んな事を教えられているのです。

お客はガクッと減ったそうです。何しろママが店に出て来ないのです。

いよいよ近々私の出番が来そうです。店長から自宅に電話が入ったのです。

2011年8月30日火曜日

「デリバリー、バリバリ」

先日五反田で日本最大といわれるデリヘル嬢の斡旋会社がアウトになった。

デリヘル嬢の登録数はなんと1800人とか。その中心はOL、女子大生、主婦などが多数占めていたらしい。


つまりあなたの目の前にいる教授、先生、坊主、判事、弁護士、政治家、上司、同僚、友人、先輩、後輩、医師、官史、部長、課長、係長、店長、社長、会長、隣人、検事、刑事、自治会長、PTA会長、教育者、小説家、新聞記者、デザイナー等のカタカナ職業、異常者、変態とありとあらゆる人々が利用していたのだ。

その逆にあの女性もあの奥さんもあの女子大生もまさかと思っていたあの方もデリヘル嬢だったなんて凄い事になってしまった。



デリバリーサービスはドミノピザとか釜飯とか寿司とかと思っていたがデリヘルとは家に行ったりマンションやアパートだけでなくその場でいけない事をしていたらしい(いい事かもしれない?)


一万円が欲しい、二万円がいや五万、いやいや十万二十万揃いであのブランドが欲しい。しつこい恋人と別れたい。

海外旅行に行きたい。ミルク代が養育費が学校が月謝が生活費が。ダンナガリストラされてサラ金に追われている。

などなど1800人分だけ訳がある。


いいじゃない、したい男とそれを満たして稼ぐ女性達。

例えばヒモみたいな男や酒ばかり飲んで何もしない亭主、そのくせしつこく求めるただのりの乗客、その方が余程タチが悪い気がする。ま、斡旋屋が中抜きしてどえらい稼ぎをしているのは許せない。なんだかよく分からなくなってしまった。

いいんじゃないのと、とんでもない。駄目だよがギッタンバッコンしてしまった。


知り合いのある小企業の経営者は奥さんを癌で失い、二度目の奥さんも癌で失った。子はなく、ヤル気を失って会社は傾いてそして終わり。周りにいた取り巻きはみんな離れていってしまった。そんな時に社長を勇気づけ励まし続けてくれたのは一人の体を張って生きている美しい女性だった。社長は通い詰め傷ついた心を癒してもらった。


聞く度に純愛の様でありそしてやがて本当の愛となりグアム島で二人だけの結婚式を挙げた。

グアム島ではあまりの若くて美しい花嫁といくつ離れているか分からない小柄でか細い夫とのギャップに話題が集中したという。私はこういう話がとても好きなのである。本当の結婚とはお互いの足らない部分を補い合うのだ。職業なんか関係ない。

高学歴同士や家柄の高い同士、高収入の夫婦の方が圧倒的に離婚が多いのにはその理由があるのです。


街を歩いていて一年に一度も美男美女のカップルに出会う事はない(それ故自分にもチャンスがと思ったりする)

特に外国人と日本女性のカップルで美人に出会った事は今まで一度もない。おにぎりひとつ三角形に握れない、パンにハムを挟むだけのサンドイッチも作れないゴーマンな女性に未来はない。あるのはデリヘルに登録する事くらいだろう。

話は飛躍してしまった。

2011年8月29日月曜日

「狢そば知ってる」





ある年、酔っ払ったおじさんがワンワン吠える犬を噛んだというニュースを読んだ事がある。

確か地方のどこかだった。


犬が人を噛むという事は日常的な話だがおじさんは余程いい酒か、あるいわ悪い酒を飲んだかやおら四つ足と化しガブッとやったらしい。キャイーン、キャイーン意気地無しの犬は泣きを入れたらしい。


過日、岐阜県美濃市の公園で体長70㎝の「鹿(メス五歳)」が頭から血を流して倒れており間もなく死んだ。

警察は器物破損容疑で調べているという。何で「鹿」が“器物”になるのか分からない。「鹿」は動物と決まっているのに。


調べによると、水飲み用鍋(直径56㎝)の裏側に血痕が付着していたらしい。

何者かが夜間に柵を越えて侵入し、鍋で「鹿」を殴ったのだろう。可哀相に「鹿」は人間が近づくとシカトする事が出来なく身がすくんでしまい抵抗できなくなるらしい。何たる弱い者イジメではないかい。


まるでか弱き女性が騒ぐとこの鍋で頭をカチワルぞ、静かにしろいなんていって脅したら相手の女性がミッツマングローブみたいで抵抗されずに逆に脅されてしまった。焦った男は持っていた鍋でこれでもかとひたすら頭を殴った。

ミッツマングローブかと思った「メス鹿」は出血大量とショック死であった。


サルの小屋やウサギ小屋に花火などを投げ入れる事も多いという。全く情けない話だ。

きっと動物嫌いの中年男か受験に失敗した学生か就活にうまくいかない男あたりの仕業だろう。

こういう奴はとっ捕まえて一生四つんばいになって鹿達と生活させるとか、一生ウサギ小屋で飛び上がり続けるとか、一生サルの小屋で木の上で生活させる刑を直ぐに作らないといけない。



オットトット、この近所で奥さんから受ける暴力に耐えきれなくなって近所の神社のやや大きめの小鳥小屋に逃げ込んで出て来ない男や「タヌキ」や「キツネ」の小屋に逃げ込んだおじさんもいるという。

タヌキは冷やしタヌキになってしまい、キツネは冷やしキツネに姿を変えたと言うではないかいな。



先日赤坂TBSのところから乃木坂に向かっていった処に長寿庵があった。

スタジオに入るにはまだ時間がある。で、遅い昼食をとなった。そこに一枚の白い紙の短冊の品書きが扇風機の風でゆらゆら筆文字でおすすめ「狢そば」とあった。狢はムジナと読む。あの同じ穴のムジナのムジナだ。

好奇心の強い私はかなり太った店の男に「狢そばってどんなのだい」と聞いた。若いバイトの女の子二人がキョロと私を見た。


いや〜私もよく分かんないですがね、おじいちゃんがいうには狢そばはずっと歴史があって、なんでもキツネとタヌキの揚げ玉カスがサラの上で化かし合うみたいな感じでしょうか。



有能な私のデスクの女性は手持ちの何やらで直ぐ調べてくれました。あります、狢そばと教えてくれた。

何だか暴力妻から逃げおせた男の変わり果てた安らかなそばに見えた。


しかし私らが食べたのは「鴨せいろ」。

店員は外で鉄柵に腰かえ一服していた。今度狢そば食べに来るからなと言ったら、ヘイお待ちしてやすと言っていたのだ。

一度是非食べて見て下さい。同じ穴のムジナになりましょう。

2011年8月26日金曜日

「貪と貧」


貧、貧、貧という一文字を巨大に書いた書道家がいます。

名は「井上有一」大巨匠です。天上まである位の大きな一文字です。

体育館みたいなところでぶっとい筆をバケツに入った墨の中に入れ、オリャーと書くのです。


「貧(ヒン)」は貧しいヒン。とても似ている文字が「貪(ドン)」貪欲の意味のドンです。


貪欲に生きた人間はその末路は皆哀れです。古今の歴史が証明しています。

金銭に貪欲、権力に貪欲、性欲に貪欲などです。金銭の代表サラ金王武富士は哀れでした。権力に貪欲な菅直人の先輩達、近頃では森喜郎元総理大臣も長男を○×で失い哀れでした。


性欲に貪欲な人は腹上死が多いので書けません。このケースの場合見た目は哀れですが本人は本望やもしれません。ホテルに勤めていた人間に聞くと多いそうです。ホテルマンは三日やったら辞められない程おもしろい。何しろとんでもない事を知れるし、チップが貰えると。


私は「貪」より「貧」の方が理想です。金まみれより永井荷風先生の様に一人新聞紙といろんなゴチャゴチャの中に住みたいですね。最も荷風先生は預金をゴッソリ持っており、預金通帳は大事に持っていた様です。

近所の大黒屋というそば屋さんに昼過ぎ毎日生き、必ず「かつ丼」を食べていたのです(かなり贅沢かも)。その大黒屋にある時友人と二人で行ったが、かつ丼は全然美味しくなかった。期待裏切り度100%だった。先生が食べている頃はきっと美味しかったのだろう。今は刺身も寿司も、色々なメニューがあった。


司馬遼太郎大先生は機能不全(人間ならインポテンツ)になった組織は「電池が切れてスイッチを入れてもつかなくなった懐中電灯と同じ」といっていた。正に今の日本の状況と同じだろう。

乾電池式が「菅電池式」になった後まったく先が見えない民主党懐中電灯だ。


みんなでホカ弁食べて人の足を引っ張って裏切り合って、家に帰って気の強いカアチャンにもっとあたしに美味しい物を食べさせなさい、そうじゃないと別れるわよと尻を叩かれ続けやっと掴んだ美味美食生活。寿司、中華、イタリアンを一晩ではしごするなど当たり前となるともうホカ弁生活に戻れない。自称市民派、いっそ毎日カイワレで行けばいいのだが。そして来週カイワレの後釜が決まる。この国の政治はずーっと島国政治を続ける。


司馬先生は日本は農耕民族だから根回しの裏技、寝技を使い何事も大した事はないと過ごして来たのだ。日本陸軍はこの見本、一方狩猟民族は年齢や経歴に関係なく、現時点で最も能力のある人間を選ぶ。大した事はないなどと呑気な事をいっている間に全滅してしまう。

それ故危険察知能力に優れ、解決する力が求められる。日本政府の発表が大本営の発表と同じといわれる所以だ。



夏になるとドキュメント番組がNHKから流れる、毎年毎年。

知られざる真実とかいってずっと隠していた情報が知らされる。ある映像シーンに「欲しがりません勝つまでは」というスローガンがあっちこっちに貼ってある。「貪欲は敵だ」なんていうものもあった。


戦後ダイアモンドとイモとかカボチャとが等価交換された。国宝級の絵画や陶芸品、掛け軸などがお米一升位と等価交換されたのだ。自分の妻とヤギ一頭とを等価交換したのだ。勿論娘も。

「貪と貧」とは似ている様でかなりの違いがある。貧乏でも明るく楽しい生き方を目指すか、人を踏み続けても貪欲に生きて行くか。いま「自分達の先」を考える時に来ていると思う。


鈴木清順監督48歳差婚ブラボー、加藤茶が45歳差婚、やるでないかい。

堺正章再々婚、やるじゃないかマチャアキ。

人間「ソッチとアッチ」に貪欲なうちは大丈夫だ。


そうそう「貧」で思い出した事を一つ。

清貧を第一に日々精進しないといけないお坊さん達が休みの日何をしているかというインタビューです。第一位、ギャンブル。競馬、パチスロ、デイトレードの順でした。何の為にといえば勿論女性と遊ぶためなのです。人間的ではないですか。釣り道具を買いたいという人もいました。何を釣るかはわかりません。

2011年8月25日木曜日

「鑑定の結果NOです。AさんからBさんへは」


アカデミー賞受賞作、ハリウッド映画の金字塔「ゴッドファーザー」のファーストシーンを思い出してほしい(見た人は)。

ボスの娘の結婚式を屋外で行っている時、ボスの部屋では一人の歌手(シナトラがモデルといわれている)がある映画の主役をやりたいが大物プロデューサーが出演させてくれないと泣きつく。

一人で葬儀店を経営している男が娘を犯した男に復讐してほしいと頼む。ボスは次々と指示を出し願いを叶えてやるのだ。


但し、いつか私に頼む事が出来たらその時今日の事を思い出してくれという。

後日葬儀屋はボスの長男が機関銃で顔の形も変わった時、顔をキレイにして恩を返す。



島田紳助が芸能界を電撃引退した。私は任侠の世界(暴力団、ヤクザ者含む)を一方的に否定するものではない。

かつては侠客、博徒、的屋、渡世人といわれた。島田紳助はしゃべくりMCとしては希有の存在であったがこの頃は度を越した言葉を発していた。驕り高ぶりであり、オレのバックはわかってんのんかと凄んだという(コレをカタリといって筋者は後々メシの種にする)世の中はキレイ事だけでは進めない。


明治維新の時、駿河湾に浮かんだ夥しい数の戦死者を清水次郎長に頼んだ。

又、江戸がもし火の海となった時力を貸してほしいと勝海舟は新門辰五郎に頼んだ。

最近では阪神淡路大震災の時の政府は広域暴力団に協力を頼んだ。

月刊文藝春秋九月号で堺屋太一氏は震災復興はオールジャパンでないとできない、その中にはその筋の協力も必要だと思われる発言を稲盛和夫氏との対談で話している。


市川海老蔵の事件もその筋が大きく動いているといわれる、そうでないといつまでも市川海老蔵は舞台に上がれていないだろう。何故人々はヤクザ映画を列を成して見るのか、何故「仁義なき戦い」は名作といわれ続けているか。

高倉健の「唐獅子牡丹」をオールナイトで見て拍手を送ったか。


それはそこに自分達の代弁や自分をメタファーした世界があったからだろう。今すぐに何の方策もなく彼等を除くとしたら。大相撲、スポーツイベント、コンサート、日本中の祭り、○○界、△□界、○△界、界と名の付く世界はほとんどその世界が成立しなくなるだろう。警察や検察も同じだ、司法取引を法制化しようとしている位だから。


吉本興業の台頭を好ましくない対抗勢力も多い。

吉本の中もグチャグチャにモメている。実力者中田カウスなどはこの間まで会長室より大きい部屋にデーンと構えていたという。今回の島田紳助の件でインタビューを受けた時ニヤリと笑って「おつかれさんでした」といったとういう。


桂三枝は大名跡文枝の襲名を控えている。

笑福亭仁鶴や桂文珍、西川きよしたち真っ当なほとんどの芸人達は実はホッとしている筈だ。

既に島田紳助の後釜は東野幸治だ、今田耕司だあいつだ、いやオレだ、オレだと心を躍らされているのだ。

島田紳助は過ぎたるは及ばざるが如しであった。一ヶ月もすればもう忘れ去られるだろう。

財産のほとんどは違約金に持っていかれるだろう。更にもっと酷い話があるかもしれない。


かつて組織暴力団壊滅作戦というのがあった。頂上作戦、次々と解散した。

山口組三代目はこういったと伝えられる。解散は簡単だがいま自分が押さえている暴発しそうな人間達を世の中に出したら誰がどう面倒を見てやってくれるんだと。


マスコミは正義ぶっているけど自分達も筆の暴力や情報の暴力で何人の命を奪ったかを猛省しないといけない。

困った時には訂正して後はゴメンナサイ、ハイサヨナラという訳にはいかない。

まず政府、警察と新聞社、テレビ局、雑誌社も身を正して欲しい。毎晩アチコチで飲み歩いているのだからマル暴関係と。

世の中が大岡裁きをしなければいよいよイケナイ事となった。

2011年8月24日水曜日

「生と詞の果て」



“山中明”決して“山中湖”ではない。ジョー山中の本名だ。

名は体を現すというがジョー山中と山中明ほどイメージの違いが大きい人も少なかったと思う。



猛暑の中、元ボクサーのR&Bの魂は逝った。

彼が歌った人間の証明という大ヒットした映画の主題歌。あの歌の世界も夏であった。

西條八十の詞は盲目の宿命を背負った人々にも夏空の中の麦わら帽子がゆらゆらと白い蝶々の様に谷底に落ちていくシーンが連想されるだろう。ママ、アイリメンバー日本国中がジョー山中の存在に手を合わせ拝んだのだ。


丁度協会の十字架の前で跪き、過去を懺悔して許しを請うその姿だ。

ゴスペルの絶晶とは違うR&B。あの時のジョー山中はシーザイスクライストスーパースターであった。


牢獄で足を鎖に繋がれた奴隷が何で自分の肌の色は黒いんだ、流す血は赤いのに何でこんな自分を生んだんだ。

ママ何故なんだ、ママも何故肌の色が黒かったんだ。パパは誰だったんだんだ。レイ・チャールズはアイキャンストップラビングユウ『愛さずにはいられない』でR&Bの存在を日本に広めた。


ジョー山中を私は直接知らない、しかし彼の生き様はよく知っている。

それは麻薬という二文字に彼が支配されていた事を知ったからだ。かつてミュージシャンやシンガーは麻薬をして一人前といわれた。普通では出せない音に会える、出せない声に会えるそんな気がしたのだろう。


安い報酬、ハードなスケジュール、沈んだら二度と浮かぶ事の出来ない不安と恐怖の中、そうそれはまるで牢獄の中から引きずり出された虫けらのように死を与えられる恐怖の姿なのだ。人間だって動物であるから逃亡してもいい筈だ。


ライオンに追われるシマウマの様に、トラに追われるヌーの様に、ピューマに追われる子象の様に。

だがしかしこの世という野性動物園では逃亡は許されない。金を得た強者は弱者に対してでも牙を剥きだし襲いかかり、本能のままおいしいとこだけを貪り食べ尽くす。その後にはハゲタカやハイエナが群がり骨までかみ砕く。


人間の証明とは、人間の条件とは、宿命とは、運命とは、生と死とは、勝者と敗者とは。でも例え一本の骨になっても人間は人間を骨まで愛さずにはいられない私の大好きなR&Bがすっかり拝金主義のハゲタカの群れに消えて久しかったが、ジョー山中こと山中明氏の死によって甦った。


いま西條八十の詞を読み直し、ひたすら感服している。

この詞こそ人間の証明だ。人間以外の動物には詞を書く事は出来ない。リズムとはブルースなんだ。



話はR&Bと違うが私は「なかにし礼」の詞が大好きである。シャンソン&演歌&ブルースみたいなのがいい。

中でも北原ミレイの「懺悔の値打ちもないけれど」が一番だ。


私の人生にこれ程ピッタリのフレーズはないからだ。罪深き我が身をお許し下され、ご迷惑をお掛けした人々よ。

人からよく言われます。あなたはいろんないい人に恵まれて羨ましいと。

しかし恵まれているといわれる程の孤独感はないのです。


一人ぽっちなんですよ、人に背後を見せられない、敗北の姿も見せられない、苦悩する姿も見せられない。

勿論涙も見せられない、逃亡は許されない。深夜三時二分十二秒、ひとりぽっちで眠れぬ夜の恐怖の中に居るのです。

だから誰かを何かを愛さずにはいられない。

「愛」は私にとって生と死を繋ぐ酸素ボンベなのです。外した瞬間無間地獄へと引き落とされるのです。

逃亡者になれない追跡者になるのだ。少し眠り薬&アルコールが効いてきたようです。夜明けまではまだまだ長い。

2011年8月23日火曜日

「ジャージーとお尻の割れ目」



たった一人のチャイナヒゲの中国人料理人が、顔は笑いながらも飛び散るナスやキャベツや八宝菜で火傷しつつ限界に挑戦している夜だった。そこはまるでかつての料理番組、料理の鉄人を一人だけでやっている厨房だった。


八月十三日、娘たち息子たちそして五人の孫たち十一人(一人は四ヶ月の赤ちゃん)と老林という中華店に行った。

凄く美味しいのに場所が離れている上、駐車場に三台しか停められなく、いつもはよくて三分の一位の入客であった。

お盆休み、まあもしかしたらと思い一応予約しておくかと息子が六時半にと予約を入れた。四時頃に電話した。


で、六時半に店に行くと何やら人がたくさんいるではないか、階段を上がり二階に行くとお客さんは大盛りで溢れているではないか。六人から十人座れる長方形のテーブル十台がギッシリ。

入口のキャッシャーの前に短パンにTシャツの眼鏡を掛けた萩本欽一さん風のおじさん(60歳位)、その奥さんらしき人、娘小学四、五年生位一人、それとゲストだろうかトンガ人みたいなでっかい男とその妻風、やはり小学生位の男の子一人と女の子二人がまだかまだかと待っている。他に三人組と四人組どうやら予約を入れたのだが店がミスをしたらしい。


そこへ私達一行が入ってきて奥の十人掛けに直行した。

フロアには中年太りの五十五歳位のおばさん(石井ふくこ風)と黒いトレーナーが動き回ってお尻の割れ目が出てしまっている四十五歳位の日本人女性(現代の山本リンダ風)、もう汗びっしょり、あんまり役に立っていない子豚の様な二十五歳位の日本人(ピンクの電話の太い方風)座っているお客は、もうこれもこないあれもこないのシュプレヒコール。


我々の隣には中年の女性四人と全員アロハの男性六人。やはり今か今かと目が血走っている。

な、なんでなんだ、オ、オ、オレはナ、ナ、ナカダなんであっちの人間が先に座ったんだと凄い怒声。

石井ふくこ風がノートをめくり確認する。予約入ってませんが、何、何いってんだオレが電話したんだバカヤローふざけんなとなった。


そこへ厨房から大ブタの様な三十くらいの男(松村邦洋風)、耳に変なピアス、手には野菜の束を持っている。

オイ、生ビールまだ?すいませーん、ピータン、ザーサイ、焼きそばマダァ?青菜チャーハン、回鍋肉、鉄板餃子、小包、五目おじや、カタ焼きそば、麻婆豆腐、紹興酒、白ワイン、焼酎ロック、シーフードビーフン、ダック巻き、酢豚、八宝菜炒めマダァ〜?マダァ〜?マダァ〜?と隣の男女。出っ歯で出しゃばり、仕切女(泉ピン子風で酔っ払っている)陽灼けした色黒の女たち、まあよく頼んだ事。オーダーしたメモを読み上げる。


入口ではもういいバカヤロー、二度と来るかとトンガの家族を連れて出て行く萩本欽一さん風泣き声になっていた。

こうなると愚妻や娘、息子が私が隣に向かってウルセイババァ静かにしろという事当然状態となり高校野球の話など持ち出して私の気を紛らわす。孫の手前がありじっとこらえる。仕方なく自分で頼んだ生ビールを入口の方に取りに行った。


周りはアロハにジーンズ、ビーチサンダルの人相のはなはだ悪い男が一気に厨房に向かったので固唾を飲んでスワッいよいよかと視線が集まった。厨房の中では料理人が中華鍋で大量のチャーハンを作って手で少しつまんで味見をした。

そして私と目と目が合った。汗びっしょりの顔で笑いながら「イッツモアリガトウゴゼイマス、キョウハオキャクサンタクサンウレシイノコトヨ」みたいに言った、ずっと昔他の店に居た時からの顔見知りだった。


料理人四人が放射能が恐いと言って帰国したまま戻って来ないのだ。

「燕」さんといった。スイマセーン子供がお腹空いたって泣いているんですけど早くシテヨォーと大声がした。黒いジャージーの女性のお尻の割れ目が更にクッキリとしてきた、一人で店内を走り回った。ますますゴムが緩んでしまったようだ。我々が料理を口に出来たのは八時十分であった。孫たち五人は寝てしまっていた。みんな待ちくたびれて食欲を失っていた。


隣ではウルセイ、ダセイ、胃袋みたいな女共がよくまあ食べるものだと感心する程食べまくり、飲みまくり、ダベりまくり、笑いまくっていた。その後どんな寸劇が起きたか私とは思えないお盆休みの始まりであった。


ご想像におまかせします。湘南鉄砲通り始まって以来の事が起きたのです。

主犯は決して私とは限りません。

2011年8月22日月曜日

「洗濯物注意報」



「時間ですよ」と「痴漢ですよ」の違いを長い人生の間ずっと疑問に思ってきた。

久世光彦演出、森光子主演の大人気ドラマがあった。劇中必ず女性の入浴シーンがある。

私は女性の全裸の姿を見る趣味はないが、銭湯に行く習慣はあった。


ドラマの主人公の商いは銭湯であるからして当然入浴シーンがあってよいのだが、番台に船越英一郎が座って女性のオールヌードをずっと見ていても全く「痴漢ですよ」にはならない。

又、女性達も番台にどんな男性、例えば2代目のお兄さんとか、いかにも助平そうなおじさんとかが座っていても一つの物体にしか見ないし気にしない。


銭湯の番台に座っていた主人が痴漢でパクられたという話は聞いた事がない。

しかし番台の横から左とん平かなんかがお金を払いながらチラッと見ると「痴漢ですよ」となってしまいお巡りさんなんかにこっぴどく叱られる。女性の心理とは分からない。


後輩の家が東京の井荻という処で銭湯を経営していた。お前の変わりに一度座らせろと命じたらそれだけは勘弁してくださいと泣きを入れられた。


もう一つ分からないのが「水着」と「下着」の境界線だ。

下着ドロボーなんていうのが近代史の中で誠に多い。最近流行っているのは女性を脅して何と下着を脱がしそれを持って逃亡する。捕まえると、教師、自衛官、警察官が上位に位置する。


家の近所の海岸を歩いているともう露出狂みたいな水着とも紐とも区別のつかない女性達が多い、しかも日焼けをするためにほとんど外している。

ずっと立ち止まって見ていると怪しい奴と思われるので横目チラリズムである。


ビキニの水着とブラジャーとパンティの犯罪的差異はどこにあるのかと思ってしまう。

洋服の下につけているから下着なのだろうが両方の形は全く同じなのだ。むしろ水着の方が年々際どくなっている気がする。もし水着を洋服の下に付ける「水着下着」という事なのだろう。


なんだか長引く残暑で頭の中が「水」と「下」の区別もつかなくなってしまった。

一人の下着ドロボーが警察にパクられた、その数なんと3000着。中には水着も沢山あった様だが警察も区別が付かないので途中で諦めたとか。Tバックみたいな水着も多いからだ。


そのドロボーの手口は釣り竿の糸の先にフックをつけて目にした物を引っかけリールで巻いていたという。釣りは魚を釣ると決まっているのにとんでもないドロボーだ。

釣り人風の格好をしていればばれなかった。釣った下着はアイスボックスの中に入れたという。その日の釣果は克明にノートに記してあったそうだ。そのドロボーでさえ、変態の俺が言うのもなんだがこの頃は水着と下着の差がよくわかんねんだよ、最近の女性は見せたがりの変態じゃなんて開き直ったとは実は聞いていない。


かつて吉展ちゃん事件や三億円事件で有名になった警視庁の名物刑事平塚八兵衛が書いていた。その家の女性や奥さんの性格や生活を見るのは洗濯物の干し方と下着の色と柄と形と幅の広さ、薄さでハッキリ分かるんだと。信号旗みたいな派手な下着をダラしなく外から見える様に平気で干しているのは××だとかあーだこーだとか、お育ちと躾のいい家に育った女性は洗濯物と洗濯物の間に見えないようにするとか、室内とかお風呂場にそっと干すんだとか。


アレ釣り竿とアイスボックスを持ったおじさんが家の物干し場を見ながら歩いているぞ、釣り人か否か下着ドロボーか。家には既にビキニみたいな下着をつける女性はいない、いるのは一人のバアバアだけだ。そして夏はだんだん終わっていく。


新聞に連日信じ難き下着ドロボーの記事が載っている。

何故か水着ドロボーの記事はない。「寄せて上げるワコール」は私の大親友の名文だ。

下着ドロボーは捕まった時警察官に「見せてあげる」と言ったとか。その警察署の柔道場はビッシリと「見せてあげる」の一代現代アートの世界となったのであった。

中には男のブラとか男のキャミとかがあったそうです。


すいませんつまらない下ネタでした。猛暑のせいで上と下の関係も分からなくなったのです。いずれ「上着ドロボー」の話も書きます。残暑お見舞、洗濯物注意報でした。