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2011年8月24日水曜日

「生と詞の果て」



“山中明”決して“山中湖”ではない。ジョー山中の本名だ。

名は体を現すというがジョー山中と山中明ほどイメージの違いが大きい人も少なかったと思う。



猛暑の中、元ボクサーのR&Bの魂は逝った。

彼が歌った人間の証明という大ヒットした映画の主題歌。あの歌の世界も夏であった。

西條八十の詞は盲目の宿命を背負った人々にも夏空の中の麦わら帽子がゆらゆらと白い蝶々の様に谷底に落ちていくシーンが連想されるだろう。ママ、アイリメンバー日本国中がジョー山中の存在に手を合わせ拝んだのだ。


丁度協会の十字架の前で跪き、過去を懺悔して許しを請うその姿だ。

ゴスペルの絶晶とは違うR&B。あの時のジョー山中はシーザイスクライストスーパースターであった。


牢獄で足を鎖に繋がれた奴隷が何で自分の肌の色は黒いんだ、流す血は赤いのに何でこんな自分を生んだんだ。

ママ何故なんだ、ママも何故肌の色が黒かったんだ。パパは誰だったんだんだ。レイ・チャールズはアイキャンストップラビングユウ『愛さずにはいられない』でR&Bの存在を日本に広めた。


ジョー山中を私は直接知らない、しかし彼の生き様はよく知っている。

それは麻薬という二文字に彼が支配されていた事を知ったからだ。かつてミュージシャンやシンガーは麻薬をして一人前といわれた。普通では出せない音に会える、出せない声に会えるそんな気がしたのだろう。


安い報酬、ハードなスケジュール、沈んだら二度と浮かぶ事の出来ない不安と恐怖の中、そうそれはまるで牢獄の中から引きずり出された虫けらのように死を与えられる恐怖の姿なのだ。人間だって動物であるから逃亡してもいい筈だ。


ライオンに追われるシマウマの様に、トラに追われるヌーの様に、ピューマに追われる子象の様に。

だがしかしこの世という野性動物園では逃亡は許されない。金を得た強者は弱者に対してでも牙を剥きだし襲いかかり、本能のままおいしいとこだけを貪り食べ尽くす。その後にはハゲタカやハイエナが群がり骨までかみ砕く。


人間の証明とは、人間の条件とは、宿命とは、運命とは、生と死とは、勝者と敗者とは。でも例え一本の骨になっても人間は人間を骨まで愛さずにはいられない私の大好きなR&Bがすっかり拝金主義のハゲタカの群れに消えて久しかったが、ジョー山中こと山中明氏の死によって甦った。


いま西條八十の詞を読み直し、ひたすら感服している。

この詞こそ人間の証明だ。人間以外の動物には詞を書く事は出来ない。リズムとはブルースなんだ。



話はR&Bと違うが私は「なかにし礼」の詞が大好きである。シャンソン&演歌&ブルースみたいなのがいい。

中でも北原ミレイの「懺悔の値打ちもないけれど」が一番だ。


私の人生にこれ程ピッタリのフレーズはないからだ。罪深き我が身をお許し下され、ご迷惑をお掛けした人々よ。

人からよく言われます。あなたはいろんないい人に恵まれて羨ましいと。

しかし恵まれているといわれる程の孤独感はないのです。


一人ぽっちなんですよ、人に背後を見せられない、敗北の姿も見せられない、苦悩する姿も見せられない。

勿論涙も見せられない、逃亡は許されない。深夜三時二分十二秒、ひとりぽっちで眠れぬ夜の恐怖の中に居るのです。

だから誰かを何かを愛さずにはいられない。

「愛」は私にとって生と死を繋ぐ酸素ボンベなのです。外した瞬間無間地獄へと引き落とされるのです。

逃亡者になれない追跡者になるのだ。少し眠り薬&アルコールが効いてきたようです。夜明けまではまだまだ長い。

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