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2011年8月9日火曜日

「深夜の中華丼」


その夜私は会社の側の小さなホテルにいた。


下手な原稿を書いている内にお腹が減ってきた。

近所にファミリーマートがあるので何かを買いに行った。サンドウィッチでもと思ったがいまいちそそらなかった。

午前三時頃であった。


冷凍のコーナーにエビグラタンがあったのでそれをチンしてくれと頼んだ。

その時私の前に一人の女性が中華丼のチンを頼んでいた。年の頃は45歳位、涼しげな薄いねずみ色の着物を召していました。

しかしいかんせん午前三時、着物はややはだけ首には汗がしっとり、髪は少し乱れ気味、きっとどこぞのママ風情である。

何故ならバッグの中の売上帳が見えている。ママはきっと一通りのお付き合いをこなし、私が働く会社の側のマンション辺りに帰るのであろう。絶望と疲労と観念と諦めとが後ろ姿にしみじみ出ている。


すみません、これ温めてください。顔を見ると美人ではないがそれとなく色香がある。

丁度由美かおるが年をとってママになった感じだ。いい着物を着ている、チンし終わった中華丼はビニール袋に入れられた。

丁度正三角形の様であった。私が新聞を買って外に出ようとすると少し体が接触した。

おやすみなさいとママ風の女性、声はすっかりまったりしている。心もちか胸がはだけている。

どを?銀座はと声を掛けるとかなりキツイですよね、やっぱりあれだけの震災の後ですからと。来年には少しよくなるよというと、来年まで持つかわからないですよと笑った。


内股で歩く後姿、正三角形のビニールの中の中華丼のうずらの卵の位置がズレていて妙に気になった。

私はこんな空気がたまらなく好きである。落ちるか上がるか。思わず頑張れよと後姿に声を掛けた。



部屋に戻りエビグラタンを食べた。少し火が通ってなくガッカリした。夜の仕事をしている女性とは16歳の時から関わりがある。みんな淋しがり屋だ。みんなヤキモチ焼きだ。みんな過去を背負っている。それがまた愛おしく可愛いので通うのだ。


17歳の時京都の寿司屋の娘と一緒に暮らしていた。着物がよく似合う器量よしだった。

一週間おきに私の母親から手紙が来ていた。「ウチオカアハンツライワ ソッチチャントガッコウイキナサイ」などという。

いまさら高校行ったからってどうしようもないよと応える。「ウチオカアサンヌキヤネン ヤサシイワー コレオコズカイハイイトルワ」といって封筒を出した。何か服でも買えよという。


六畳一間簡易ベッド一つ、扇風機一台小さな茶箪笥一つ、茶碗二つ、湯呑み二つ、二合炊きの電機釜一つ、小さな小さなスペースにガス台一台、共同トイレ、何も会話しない、何もしない。ただ一緒にいるとホッとする。


実はこのときの同居人が店で酔客にいいよられ怪我をさせられた。それを知った私は店に駆けつけしたたか男を打ちのめした。

10日間留置された。私自身コレを機に別れようと思った。

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